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第七話 『カレン様の為に』

 魔物の襲撃があってからすぐ、屋敷周辺にはカレンによって結界が張り巡らされていた。

 これで魔物は容易に屋敷には踏み入れず、また結界を張ったカレンは襲撃があればすぐに魔物の存在に気付くことが出来る。

 警戒は解かず、取り敢えずその日はそれぞれの部屋へ戻ることになった。


 屋敷内の人間が寝静まり、静寂に包まれた頃。

 気配を殺したまま玄関の扉を開き、屋敷の外に出る人影があった。

 

 皺のない清潔な執事服を身に纏った男性だ。

 黄色の髪は乱れがないように整えられている。

 その男性はレイフォード家の従者――ジャン・ベルモンドだ。


 従者として仕える内に身に付けた足音を立てない歩法で、ジャンはひと目を避けるようにして、静かに屋敷から離れていく。

 何故、彼が真夜中に屋敷を離れるかというと、それは偏に『カレン様を守る為』である。


 もう十年近くも前、ジャンはここではない村で従者として働いていた。

 屋敷の主人はやや傲慢だったが、金払いは良く、生活には困らなかった。

 家族や友人、恋人と仲良く過ごし、絵に描いたような平和な日常が続いていたのだ。

 だが、それはある日突然に崩壊した。


 魔王軍の襲撃によって、ジャンが暮らしていた村は壊滅した。

 ジャンだけは命からがら逃げ延びたが、家族も友人も恋人も主人も家も財産も、何もかもを失ってしまった。

 そんな時、行く宛もなく、ただ野垂れ死ぬのを待つだけだったジャンを救ってくれたのが、ガッシュ・レイフォードだ。

 ガッシュは住む場所も仕事もないジャンに、以前従者をやっていた経験を活かし、屋敷で住み込みで働くように言ってくれたのだ。


 今、ジャンがこうして生きているのは、ガッシュに拾ってもらえたからだ。

 その時から、ジャンは心に決めている。

 この身はレイフォード家の為に使うと。


 ここ最近続いている結界騒ぎのせいで、屋敷に残っているのはカレンだけになってしまった。

 自分を拾ってくれたガッシュも、優しく接してくれた奥方もいない。

 だから、ジャンはカレンを守らなければならない。


 何をどうやっているのかは分からないが、この騒ぎにオリヴィア・エリエスティールが関わっていることは間違いない。

 今日の魔物の襲撃にも、あの女が関わっているはずだ。

 自分だけでは力不足だが、いかなる手を使ってでも、『カレン様を守る』。


 そのために、ジャンは屋敷を離れ、歩いていた。

 レイフォード領の外れには、滅多に人が近寄らない小さな森がある。

 その奥には天然の洞窟があり、中には"転移陣"が張られている。

 これを使用することで、一瞬でオリヴィアの屋敷へ飛ぶことが出来るのだ。


(……? 何故、そんなことを知っている?)


 ふと、ジャンは自分がそれを知っていることに疑問を覚えた。

 本来なら、どうあっても知り得ることのない情報だ。


(いや、それどころではない)


 首を振り、今は関係ないとその疑問を振り払う。

 『カレン様を守る為』、一刻も早くオリヴィアの屋敷に向かわなければならない。


(カレン様を守る為に、オリヴィアに・・・・・・屋敷の状況を・・・・・・報告しなくては・・・・・・・


 魔物の襲撃が失敗したことを。

 カレンが未だ生きていることを。

 あの二人の冒険者が手練れなことを。


 オリヴィアに報告しなくてはならない。

 『カレン様を守る為に』。


 さわさわと木々が揺れる。

 空を雲が覆い、月は隠れてしまっていた。

 だが、森を歩くジャンの足取りに迷いはない。

 こうして洞窟を使うのは初めてではないからだ。

 既に何回か、オリヴィアの元へ転移陣で向かっている。

 

 そうして、ジャンが森の奥の洞窟の前に辿り着いた時だった。

 

「……案の定、か」

「……!?」


 不意に、背後から男の声が響いた。

 慌てて振り返るが、声の主の姿を見つけることが出来ない。 

 四方に広がっているのは、闇だけだ。


 よくない状況だ。

 『カレン様を守る為には』、誰にも見られてはいけないというのに。


「……はぁ」


 溜息と共に、視界に人が現れた。

 それまで闇に溶けていたかのように、唐突に。


「貴方は……伊織さん? どうしてここにいるのですか?」

「……それは俺の台詞だ」


 闇から現れたのは、屋敷で眠りについている筈の天月伊織だった。

 夜闇と見紛う黒髪に、漆黒のコート。

 外見にはまだ幼さが残っているが、彼が放つ空気は明らかに子供のそれではない。

 総身が震え、後退りしてしまう。


「ジャンさん。貴方はどこへ行こうとしているんんだ?」

「どこ……? 決まっているだろう。――――あ、れ? 私はどこに行こうとしているんだ?」


 口にしようとした瞬間に、直前までの思考が霧散してしまった。

 おかしい。

 記憶に靄がかかっているかのようだ。


「そんなことより、貴方こそ何故ここに? カレン様に万が一のことがあったらどうするんですか」


 溜息を吐いて、ジャンは伊織に歩み寄る。


「ひとまず、屋敷に帰りましょうか」

「洞窟の中に、入らなくてもいいんですか?」

「――――、洞窟? 何のことですか?」


 ジャンは首を傾げる。

 伊織が何を言っているのか理解できない。


「取り敢えず、」


 『カレン様を守る為に』、


「――死んでください」


 漆黒の少年に向かって、ジャンは懐に閉まっておいたナイフで斬りかかった。

 洞窟の存在がばれた以上、『カレン様を守る為に』目撃者を殺さなければならない。

 『カレン様を守る為に』、オリヴィアと繋がっていることが露見してはいけないのだ。

 誰にもバレず、オリヴィアに屋敷のことを伝えなければいけない『カレン様を守る為に』。


「どうしてこんなことをするんですか?」


 伊織は軽々とナイフを躱しながら、そんなことを尋ねてくる。

 『カレン様を守る為に』、その後を追う。


「決まっているでしょう」


 『カレン様を守る為にナイフを振り下ろす。

 躱される、『カレン様を守る為に』追撃する。

 

「『カレン様を守る為』です」


 そう、この身はレイフォード家の為に使うと決めたのだから『カレン様を守る為に』目の前の男を殺さなければならない『カレン様を守る為に』。


(……? どうして、それがカレン様を守ることに繋がるんだ?)


 またしても疑問が浮かぶが、『カレン様を守る為に』思考を切り替える。

 今は伊織をナイフで殺さなくてはならない『カレン様を守るために』。

 『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』『カレン様を守る為に』。


「……これが、"洗脳"か」


 静かに、だが憤怒を滾らせた声色。

 その直後に、ジャンの後頭部に鈍い衝撃が走った。


「……がッ!?」


 脳裏に火花が散り、またしても思考が霧散する。

 魔力付与品マジックアイテムが魔力切れを起こすように、ジャンの思考はぷっつりと途切れた。




 気を失ったジャンを抱えて屋敷へ戻ると、エルフィとカレンが待っていた。


「どうだった……と聞くまでもないようだな」

「ジャン……!」

「大丈夫、気を失っているだけです」


 無事を知らせると、カレンが安堵に胸を撫で下ろした。

 ひとまず身柄を拘束し、ジャンを部屋の中に軟禁しておく。

 あれで洗脳が解けたか分からないから、念のためだ。

 

「ジャンさんが向かっていたのは、森の奥の洞窟のようでした。中には転移陣があったので、恐らくはオリヴィアの屋敷に繋がっていると思います」


 今回の件は、あの女が"洗脳魔術"を使用できることを念頭に置いておけば、大体の予想はついた。

 

 まず、泥熊マッド・グリズリーの不自然な連携。

 そして今回の酸撃大蛇アシッド・スネークの襲撃。

 領内で起きてた魔物の襲撃騒ぎ。

 

 カレンに不都合で、オリヴィアに都合の良い襲撃だ。

 これらのことから考えるに、どうやらあの女は魔物を操ることが出来るらしい。


 そして、帝城でオリヴィアに会った時。

 あの女は俺とエルフィを見て、『冒険者ですか』と言った。

 俺達は帝城に入るためにカレンから服を借り、正装していたのにだ。

 オリヴィアが俺達を一目見て冒険者と判断したのは、明らかにおかしい。


 あの女は何らかの方法で俺達の情報を掴んでいる。

 その何らかの方法が、洗脳魔術で屋敷内の人間を内通者にしている、と俺は考えたのだ。

 そう考えれば、ガッシュが失踪したことにも繋がってくる。

 失踪したことに気付かなかったのではなく、"忘れさせられている"可能性が高い。

 

 あくまで予想だったから全く別の可能性も考慮していたのだが、ジャンの尋常ではない様子を見る限り、この線で間違いないだろう。

 今現在、念のためにジャン以外の使用人も部屋に結界を張って軟禁させて貰っている。


 エルフィは俺が説明するまでもなく察していた。

 そこは流石、といった所だろう。


 カレンに関しても、あまりショックを与えないように伝えてある。

 それでもカレンは涙を流し、同時に怒りで体を震わせていた。


「これから俺達は、オリヴィアの屋敷へ乗り込みます。その時に、ガッシュさんの行方や、今回の件についての証拠を掴んできます。ですから、カレンさんは屋敷で待っていてください」

「……いえ」


 カレンは首を振って言った。


「私も連れて行ってください」

「……それは」

「足手まといになることは承知しています。ですが……レイフォード家当主代理として今回の件について、この目で見ておきたいのです」


 母が死に、父や領民が何人も行方不明になっている。

 自分はどうなっているのかを見なければならない責任があると、カレンは語った。


 お願いしますと、カレンは頭を下げてきた。

 この話を聞いて――恐らく、覚悟・・が出来たのだろう。

 出来て、しまったのだろう。


 恐らくは。

 ガッシュは、もう。


「……分かりました。ですが、条件があります」


 その条件は、俺とエルフィの指示に従うこと。

 あの女が無抵抗でやられるとは考えられない。

 カレンが人質に取られたりする展開は御免だ。


 それに、俺はオリヴィアを殺す。

 身を守るために、と方便はつけたが、あの女に剣を振るうことは了承させた。


「……それじゃあ、行きましょうか。あの女の元へ」



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