第一話 『動き出す影、次の目的地』
オンリィン王国、王都ブレイオン。
王城の上層にある、国王に許可された人間しか立ち入ることの出来ない一室。
広いが一切の飾り付けのない簡素な場所だ。
物音一つない、静寂に包まれた部屋の中。
そこに複数の人間が佇んでいた。
身に纏うのは、闇夜を閉じ込めたかのような漆黒のローブ。
それぞれ右腕の裾に、金色の刺繍で数字があしらわれている。
武に心得のある者が見れば気付いただろう。
一切の音を立てず、身動ぎすらしない彼らの異常さに。
そして魔術の造詣に深い者ならば分かっただろう。
彼らが身に着けている一流の魔力付与品、そして内包する多量の魔力に。
騎士すら凌駕する武術に、宮廷魔術師に比肩する魔術の使い手。
彼らの名を"選定者"。
魔術、武術、あらゆる戦闘技術を修めた王国の精鋭。
国王から席次を拝命し、王国の害になる者を選定して処分することを生業とした集団だ。
国王の命の下、王都から離れて任務に付いていた選定者達が、王城の一室で一堂に会していた。
選定者達は誰一人として口を開かない。
部屋には引き絞るような緊張感が漂っていた。
「よぉ」
部屋の中に、一人の男が入ってきた。
宮廷魔術師のローブを身に纏った壮年の男だ。
手入れのされていない赤髪に、生えっぱなしになっている髭。
落ち窪んだ双眸は、あらゆる妄執を煮詰めて閉じ込めたような、濁りきった輝きを放っている。
この場に相応しくないような、見た者に乱雑な印象を覚えさせる容姿。
だが、彼は選定者達の放つ重圧を物ともせず、その正面に立った。
「国王陛下からの命令は簡単だ」
何の前置きもせず、その男は嗄れた声で選定者達に告げる。
「勇者天月伊織の捕縛、生死は問わない。殺してでも、あの男の身柄を押さえろ。邪魔をする者はどんな手段を使ってでも処分しろ」
「……………」
傲慢な口調で命令を下すリューザスに、沈黙が走る。
「……返事は?」
「「――はっ」」
足並みの揃った短い返事。
それが済むな否や、選定者達が動き出す。
「……チッ」
それを見ながら、リューザスは舌打ちした。
まあいい、とリューザスは小さく呟く。
「あの野郎はしくじったみてェだな。まァ、最初から期待なんざしてなかったが」
誰もいなくなった部屋に男の声が響く。
「結局、あいつを殺せるのは俺だけって訳だ」
濁りきった瞳を細め、男が言う。
「――さぁ、アマツ。復讐を始めようか」
宮廷魔術師。
"大魔導"リューザス・ギルバーン。
そう嗤った彼の右腕。
何もない筈のそこには、丹念に包帯で巻かれた腕がくっついていた。
◆
一定の間隔で寄せる波の音に、鼻腔をくすぐる強い潮の香り。
雲のない空ではない、別の青が視界に広がっていた。
忙しなく動き回る人の声と、海鳥の鳴き声が止むこと無く聞こえている。
温泉都市を発ってから数日、俺とエルフィは連合国の港町にやってきていた。
港町というだけあって、いくつもの漁船を見ることが出来る。
捕らえた魚を持ち帰ってきている漁師達の姿を、エルフィは両手に持った温泉まんじゅうを食べながら物珍しそうに見ていた。
俺達の次の目的地は帝国だ。
連合国と帝国は海で隔てられており、向かうには船で海を渡らなければならない。
そのため、俺達は連合国の南端に位置するこの港町にやってきたという訳だ。
「海かぁ……。新鮮な魚料理も食べてみたいなぁ……」
暴食大魔王のエルフィを引っ張って、帝国行きの船を探す。
海が荒れていたり、魔物が出ていると船が出ないことがザラなのだが、幸いにも帝国行きの船を見つけることが出来た。
次の出発時間を確認し、港町をブラブラする。
温泉都市で見たような、いかにも冒険者然とした風貌の者達も彷徨いていた。
「ここにも冒険者はいるのだな」
「そもそも冒険者自体が、まだ連合国にしかないからな」
海を渡る船の大半は、冒険者を護衛として雇っている。
ここにいる冒険者の多くは、その護衛の仕事を受けているのではないだろうか。
「まぁ……俺達も冒険者なんだが」
煉獄迷宮の一件の後、何だかんだで俺とエルフィは冒険者として登録した。
階級はAランク。
冒険者として活動する予定はないのだが、登録の際に貰えるギルドカードは身分証明書に出来る。
冒険者制度は各国が注目している制度な為、他国でもギルドカードを見せればある程度の信頼はしてもらえる筈だ。
しばらく歩き、図書館に入った。
ギルドカードを見せると、無料で入館することが出来る。
隅の席に腰掛け、一息つく。
「奈落迷宮、煉獄迷宮。二つの迷宮が落ちたことで、そろそろ魔王軍が動き出すはずだ」
「……エルフィの存在は、相手にバレてたんだったな」
あちらがどこまで俺達の情報を掴んでいるかは分からない。
ベルトガからあれこれと聞き出したが、あいつはディオニスの使いっ走りらしいから、それ程情報を持っていなかった可能性が高い。
「魔王軍もだが、恐らく王国も俺のことを追ってきてるはずだ」
「あのリューザスとかいう奴か。戦ってみたが、今の私達なら大した脅威ではないだろう」
「いや」
首を振り、エルフィに説明する。
昔王国にいた時に聞いた、"選定者"の情報を。
「ふむ……」
「一人一人がAランク冒険者を越える実力を持つ連中だ。リューザスが率いていると考えると、負けるとは思わないが面倒だ」
まあ三十年前の情報だから、今どうなっているかは知らないが。
案外弱体化しているかもしれないしな。
「一応、警戒はしておこう」
そんな話をした後、俺は図書館で資料を漁った。
港町のため、海に関する資料が多い。
お目当ての資料は見つけたが、知りたい情報は記載されていなかった。
「伊織、さっきから何を調べている? ……それは三十年前の戦争の記録か」
「ああ。裏切り者の一人に関する情報がないかを探してたんだ」
あいつが帝国にいることは、冒険者からの情報で掴んでいる。
どうやら今は貴族をやっているらしい。
「まあ、そう都合よく記録は残っていないみたいだ」
まあ、情報がなくても、あいつが何をやったかは分かっているが。
「……ちょうどいい。今の内に私の復讐に関しての話もしておくぞ」
声のトーンを落とし、エルフィが顔を近づけてくる。
「煉獄迷宮であの鬼族と戦った時に言ったな。あの鬼は私の部下の亡骸を弄んでいたと」
「……ああ」
「私の部下を直接的に殺した者……その中に、お前の復讐対象がいる。ディオニスとルシフィナだ」
ギリと歯が鳴らし、エルフィが続ける。
「……あの二人に関しては、私も手を出させて貰う」
ディオニスとルシフィナ。
あいつらは俺が最も復讐したい元仲間だ。
あの二人には、マーウィンやベルトガ達以上に、凄惨な復讐をしなければならない。
あいつらをエルフィに譲ることは流石に承服出来ない。
「何も私だけに復讐させろと言っている訳ではない。復讐は私と伊織の二人で実行する。……それでは駄目か?」
「…………、分かった」
ここまで来るのに、エルフィには何度も助けられた。
俺の復讐にも何度も付き合わせた。
それにこの提案ならば、断る理由もないだろう。
「決まりだな。私の重圧潰でぺしゃんこにしてやるのはどうだろう」
「それじゃ駄目だな。そんな簡単には殺してやらない」
俺とエルフィは"仲間"だ。
ならば、俺の都合ばかりに付き合わせるのは違うだろう。
……仲間、なんだから。
◆
それから一時間ほど経過し、船が出港する時間となった。
ギルドカードを見せると割引され、格安で乗ることが出来た。
向かう先は帝国。
そこにあるのは五将迷宮の一つ、死沼迷宮。
そして、俺の復讐対象の一人。
"あの女"に対する復讐方法を思い浮かべながら、帝国へと向かったのだった。




