第二話 『変わったモノ/変わらないモノ』
魔王軍が、勇者を召喚した王国を集中的に狙ってきている。
他国が援軍を送れないように、複数の四天王が出張っているらしい。
このままでは敵が王都に雪崩れ込んでくるのも時間の問題だ。
そんな話を聞かされたのは、勇者になってからどれくらい経った頃だったか。
徐々に包囲網を狭めてくる魔王軍に対して、王国が選択したのは奇襲だ。
複数の四天王が来ている現状、戦いが長引けば長引くほど、個の力の差で王国は疲弊していく。
それを避けるために、敵の目を盗んで奇襲、短期決戦を仕掛けることにしたのだ。
当然、その奇襲において最も重要な役割を担うのが、俺だった。
十全の力があれば、勇者の力を以て正面から戦うこともできただろう。
しかし、当時の俺は魔力の扱いが雑で、長期間の戦闘には不向きだった。
「この森を北に進み続ければ、敵の大隊の真横に出ることができます。さ、私達の動向が敵にバレる前に行きましょう」
「あ、ああ」
進むのは、深くて足場の悪い森の中だ。
知識としては知っていたのだが、当然、足場の不安定な森をただの高校生がスムーズに進むのは難しい。
「う、おぁ!?」
ぬかるんだ地面や、露出した木の根、苔の生した岩の上など、前へ進むことしか考えていなかった俺は、何度も滑って転びそうになった。
「おっと。大丈夫ですか?」
そんな俺をサッと支えてくれるのは、隣を歩いている金髪の騎士――ルシフィナだ。
「お怪我はありませんか?」
「……ああ。悪い。進むのも遅いし、迷惑をかけてばかりだ」
「そんなことはありません。不慣れなことをすれば、最初は上手くいかないのは当然のこと。それに、貴方は私達のために戦って下さっているのですから、何も気に病む必要なんてないんです」
こうした場所を歩くには、コツがあるんです。
ルシフィナは、微笑みながら教えてくれた。
「ルシフィナさん達は、凄いんだな」
「いえいえ。騎士になれば、訓練の中で嫌というほど歩き方は教わりますから。私は、生まれた場所が森の中でしたから、訓練を受ける前から自然と歩けたんですけどね」
情けない気持ちになっていた俺を、ルシフィナは柔らかな口調でフォローしてくれた。
「ハッ。とはいえ、こんなペースで進んでたら日が暮れちまうがなァ」
すぐ後ろから不機嫌な男の声音が聞こえてきた。
振り返ると、ローブを身にまとった赤髪の男が汗を流しながら歩いていた。
確か、魔術師団を率いている、宮廷魔術師のリューザスという男だったか。
「リューザスさん。そういう言い方はどうかと思います」
「だが事実だろうが。ッたく、メルトサマとやらは、もうちょっと融通の利く加護を与えられなかったのかねェ」
「…………」
勇者として、戦うと決めた。
だが、俺には足りないモノが多すぎた。
それは、俺がこれまで、元の世界で何もやってこなかったから。
流されるばかりで、何かをしようとも思っていなかったから。
だから、こういう状況になっても、何もできないんだ。
そう、思った時だ。
「リューザスさん、上を見てください」
「あァ?」
ルシフィナの言葉に従って、リューザスが上を向いたすぐ後。
「う、おァ!?」
リューザスは、地面から突き出ていた木の根を踏み、滑って地面を転がった。
「こら。人のことを悪く言うからですよ」
転んだリューザスを無理やり立たせ、頬を膨らませながらルシフィナが叱る。
「チッ……もう良い。おい勇者、せいぜい足元と背後には気をつけるんだな」
顔を赤くして、リューザスは舌打ちとともに後ろに下がっていく。
その様子を怒ったままルシフィナは見送ると、
「ふ、ふふ」
悪戯っぽい表情で、噴き出した。
真面目そうだったルシフィナの言動に、俺は結構驚いていた。
「気にしなくても、良いですから。ああ言ってますけど、リューザスさんも運動はあまり得意じゃありません。多分、貴方の方が良いと思います」
同時に、彼女がしてくれるフォローに、気が軽くなった。
「……ありがとう」
「いえ。でも、彼を悪く思わないであげてください。ああ見えて、面倒見の良い人なんです。ただ、少し前に辛いことがあったので、気が立っているんだと思います」
そんな話をしながら、森の中を進んでいく。
今はもう、遠い記憶の中の出来事。
甘くて、情けなかった頃の、出来事。
思い出して、思うことは。
もう、この頃のような、愚直な自分には戻れないだろう、ということ。
ただの、感傷だ。
◆
――俺達は、鬱蒼とした木々に覆われた森の中にいる。
冥界と聞いた時、ぼんやりと天国のような場所をイメージしていた。
黄色い雲に覆われた、欲しいモノが何でもポンと出てくるような、そんな場所を。
だが、実際は違った。
地面があり、自然があり、現世と似通った物理法則がある場所。
ここは、そんな現実味のあるところだった。
「――話は後だ。厄介なのに見つかる前に、とっととずらかるぞ」
奇妙な化け物達を撃退してすぐ、事情を聞く間もなく、リューザスはツカツカと歩き始めた。
こいつを信用していいのかと逡巡していたが、ルシフィナが俺の手を引いて歩き始めたため、ひとまずは付いていくことにした。
そうして付いて行った先にあったのが、森だった。
森の中はぬかるんでおり、足場が悪い。
露出している木の根や岩を避け、先へと進む。
「なんだか、昔のことを思い出しますね」
黙って先へ行くリューザスの背を睨んでいると、隣を歩くルシフィナがふとそんなことを呟いた。
噛みしめるようなルシフィナの声に、言葉を選んでいると、
「ここまでくりゃ、ひとまずは問題ねェだろうぜ」
開けた場所で、リューザスが足を止めた。
杖を振ったかと思うと、光が周囲に波及していく。
存在を隠蔽する結界だ。
リューザスは近くの木を魔術で切断すると、その切り株に腰掛けた。
ルシフィナも手にしていた剣を使って、即席の椅子を作り、座るように言ってきた。
「ひとまず、お会いできて良かったです、伊織さん」
「……ああ。だが、悪いがまだ状況を飲み込み切れてない。どうして二人がここにいるんだ?」
久しぶりの再会に、喜ぶ余裕もない。
あの化け物達のこともそうだが、この二人がここにいて、行動をともにしていることが不思議でならない。
「ここがどこかということは、分かっていますか?」
「冥界、だろ?」
真面目な表情で頷き、ルシフィナは言葉を続ける。
「私達は、伊織さんの置かれている状況については、大まかにですが把握しています。だから、骸に襲われていた伊織さんの下に駆けつけることができました」
「俺のことを?」
詳しく理解できているわけではないが、現世と冥界は互いに干渉できないはずだ。
俺の状況を冥界にいるまま、どうやって把握したというんだ?
それとも、冥界からは自由に現世の様子を見ることができるのだろうか。
「馬鹿なことを考えてるって面だな。簡単な話だ。少し前に、ハーディアのクソが冥界から出てくのが見えたんでな。あいつが入って行った場所に、俺の目を送り込んだ」
「そこで彼女と貴方達が争っているのを、私達は見ていたんです」
「…………」
「ハッ。それにしても、本当に学ばねェよなあ、おい」
歪な笑みを浮かべ、吐き捨てるようにリューザスは言った。
「まァたホイホイ他人を信用して、挙句裏切られてんじゃ、笑い話にもなりゃしねェ」
「……何だと?」
「事実だろォが。何なら、てめェがこれ以上馬鹿を晒さねェように、ここでぶっ殺してやっても良いんだぜ、アマツ」
リューザスが腰を浮かせ、杖を掲げようとした時だった。
「こら!」
「おぶッ」
ルシフィナの拳が、リューザスの腹に突き刺さった。
「何しやがる!」
「馬鹿なことを言っているのは、リューザスさんの方でしょう! そういうのはナシって、ここに来る前に散々話し合ったじゃないですかっ!」
「痛て、おいやめろ馬鹿!」
「馬鹿は貴方です! こら!」
噎せながら切り株から転げ落ちたリューザスの頭をポカポカと殴りながら、ルシフィナが頬を膨らませる。
その様子に毒気を抜かれたようで、リューザスは舌打ちをして切り株に再度腰掛けた。
「リューザスさんが変なことを言ってごめんなさい、伊織さん。でも、外の様子が分かったのも、伊織さんを助けられたのも、リューザスさんのお陰なんです。喧嘩せず、少し私の話を聞いてもらえませんか?」
リューザスに取りあっていたら話が進まない。
気に食わないが、ひとまず話を聞くことに決めた。
「私がここに来たのは、多分、虚空迷宮のことがあって、すぐだったと思います」
目を覚ました時、すでにルシフィナは冥界にいたという。
あの時のことが脳裏を過って、胸に痛みが走る。
やってきてすぐに、ルシフィナは冥界が置かれている状況を悟った。
ここは現世で語られているような楽園ではなく、弱い者が食い物にされる、地獄なような場所だと。
意思や力の弱い者は、冥界の空気に耐えられず、魂が溶かされてしまう。
それが避けられても、ここで幅を利かせている者や、骸に襲われて殺されてしまう。
「冥界がこうなってしまったのは、すぐにここを支配しているハーディアの権能によるモノだと気付きました。メルト様に封印されたハーディアが、冥界を歪めているんです」
ここをどうにかしようと動き出したところで、ルシフィナはリューザスに出会ったらしい。
最初は問答無用で襲いかかってきたリューザスをいなし、何とかルシフィナは説得した。
最初は半信半疑だったリューザスだが、ヒルデ・ガルダのことを聞いて、納得したようだ。
「それでも、私の体が罪を犯したことには変わりありませんが……」
「そのカスはアマツがぶっ殺したんだろ? どうせ冥界にも来れてねェだろうし、今はどうでも良い。お前が望んでやったわけじゃないってんなら、ぐちぐち責める意味もねェだろうが」
冥界に来ているということは、少なくともルシフィナは満足して死んだということだ。
何もできなかった俺には、何を言う権利もない。
ただ、ルシフィナの死が、後悔と苦しみだけじゃなかったと知れただけで、少しだけ安心した。
……リューザスが冥界に来ていることに、思うことがないわけではないが。
「……はい。話を続けますね」
冥界に先に来ていたリューザスも、この世界の惨状は理解していた。
どうにかしようと二人で行動をともにして、すぐに異変が起きた。
ハーディアが、冥界の門を開いたのだ。
そこから先は、さっき聞いた通りだ。
戦いの顛末を見た二人が、落ちてきた俺の下にやってきて、今に至る。
「まさかてめェが、あんな骸ども如きに殺されそうになっているのを見た時は思わず笑っちまったがな」
「……その骸ってのは何だ?」
「自我を失った人の成れの果てです。冥界の瘴気で溶かされてしまった人達の魂が混ざりあった存在を、ここでは『骸』と呼んでいるんですよ」
だから骸か。
魔族とも亜人ともとれない姿をした連中の正体に、ようやく得心がいった。
それが、冥界の被害者のなれの果てというのは、随分と胸の悪くなる話だが。
「伊織さんは、これからどうするつもりですか?」
重苦しい空気の中、ルシフィナが再び口を開いた。
「俺はここから出て、現世に戻る。ハーディアには、返さなきゃいけない借りができたからな」
「なら、私達と目的は同じですね」
安堵したように、ルシフィナは笑った。
「私達も、ハーディアを止めるために門へ向かうつもりです」
「私達ってことは、お前もか?」
険しい表情で黙り込んでいたリューザスに目を向ける。
こいつが、どういう目的で動いているかは何となく察しがつく。
現世での話を聞いていたというのなら、リューザスの住んでいた森が魔王軍に襲われたのは――妹が死んでしまったのは、ハーディアが原因であることは知っているだろう。
この男が俺を裏切った理由が『妹の死』であるなら、これからこいつが取る行動は決まっている。
だが、それはリューザスを信用する理由にはならない。
妹が死んだ状況を作った原因の一端は、俺にあるのだから。
「ああ、そォだ。だが俺はてめェと仲良しごっこをするつもりなんて毛頭ねェ。ハーディアをぶっ殺せるんだったら、俺は何でも良いんだからな。俺ひとりででも、あのふざけた堕光神を殺す」
「……リューザスさん。貴方と伊織さんの事情に、私が口を挟む権利がないのは分かっています。ですが、貴方も分かっているでしょう? 一人では、絶対にハーディアの下には辿り着けないことくらい」
「…………」
「伊織さん」
ルシフィナの銀色の瞳が、真っすぐに俺を見つめてくる。
「……俺は、そいつに裏切られた。だから、忌光迷宮で殺したんだ。復讐自体は、すでに終わっている。だが、だからと言ってそいつと仲良くなんてできない。また後ろから刺されたら、たまったもんじゃないからな。信用なんて、できるわけがない」
だったら、と。
「――私のことは、信用できませんか?」
その言葉に、少し驚いた。
「ルシフィナのことは、信用できるに決まってるだろ」
三十年前のことは、ヒルデ・ガルダが原因だと分かった。
だったら、俺がルシフィナを信用しない理由などない。
ルシフィナは、俺が思っていた通りの人だったんだから。
「ふふ、ありがとうございます。でしたら、リューザスさんのことは私に任せてもらえませんか?」
嬉しそうに笑った後、ルシフィナは俺とリューザス双方に視線を向けてからそう提案してきた。
「さっきも言った通り、私がお二人の事情に口を出す権利はありません。ですが今、私達の目的は一致しています。門まで辿り着くことは、私達全員が力を合わせなければ不可能でしょう。だから今だけは、力を合わせて欲しいんです」
「――――」
「もし、リューザスさんが伊織さんに危害を加えるようなことがあれば、絶対に私が止めます。伊織さんのことは、私が守って見せますから」
「――――」
「それに、私はリューザスさんのことを信用しています。伊織さんの下に来るまでに、リューザスさんには貴方を傷付けないことを約束させました。だから、彼が貴方を裏切るようなことはないと、私は考えています。ですよね、リューザスさん」
「今の俺の標的は、ハーディアだけだ。それ以上でもそれ以下でもねェ」
ルシフィナが、白い手を俺に伸ばしてくる。
「――私を信じて、今は協力してくれませんか?」
エルフィの言葉を思い出した。
信用するかどうかは、自分で見て、決めろ。
俺は、アイドラーを信じて、また裏切られた。
今なら、あいつが何かの魔術を使って、俺の心に干渉していたことは分かる。
俺の甘い心を、あいつは利用しやがった。
「やっぱり俺は、リューザスを信用することはできない」
「…………」
「けど、ルシフィナのことは信じてる。だから、俺からリューザスに何かすることはないと誓うよ」
ルシフィナの手を掴む。
握った彼女の手は、ひんやりと冷たかった。
「それじゃあ、三十年前の勇者パーティ再結成ですね!」
俺の手を握り返しながら、朗らかな笑みを浮かべてルシフィナは言った。
「全員が揃ったんですから、今の私達なら何だってできるはずです!」
……まあ。
一人、いないけどな。
「一人いねェけどな」
内心にとどめた言葉を、リューザスが空気を読まずに口にした。
ルシフィナが一瞬固まる。
「――全員が揃ったんですから、今の私達なら何だってできるはずです!」
繰り返したルシフィナに、リューザスはため息を吐いて黙り。
俺は、昔のように、頷くことはできなかった。
それでも。
エルフィの仇は討つと、拳を握りしめた。
書き納めです。
本年もありがとうございました!




