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第一話 『世界の終わった日/私が始まった日』


 ――少女の世界は一度、終わりを迎えた。


 幼かった彼女にとっての世界とは、自身が生まれたその場所だった。

 ぶっきらぼうな父親と、そんな父親に理解を示す母親。

 両親を偉い人として一目置きながら、別け隔てなく自分に接してくれる村の人達。

 

 それが、少女の世界であり、すべてだった。


 村の外には出たことがなかった少女だが、その瞳に映るすべてに色彩があった。

 多くを知らない少女は、ここさえあれば良かった。

 それが幸せだった。


 ――燃え盛る家を、肉の焼ける臭いを、地面にこびり付いた母親の血を、父親の死を語る下卑た男の顔を覚えている。


 その日、少女の世界は終わりを告げた。

 傷を負い、少女は小さな世界の中を逃げ惑った。

 逃げ場などなく、溢れ出す血の一滴一滴が、少女の命を奪っていく。


 歩みもおぼつかなくなり、少女は座り込んだ。

 もう、すべてがどうでも良かった。

 少女の世界はこの村の中だけで、それで完結していたのだ。

 だから、すべてを失った少女に、既に生きる意味などなかった。


 すべてを諦めた彼女に、一つの影が近付いてくる。

 少女は言った。

 殺して欲しい、と。


 影は言った。

 生きたくないのか、と。


 少女は答えた。

 もう自分には生きる意味がないと。


 影は言った。

 貴様の言う、生きる意味とは何かと。


 答えは簡単だ。

 この村が少女の世界であり、すべてだった。

 だからそれがなくなった今、自分に生きる意味がないと。


「私も、自分が生きる意味が分からない」


 影は言った。

 だからずっと、それを探しているのだと。


「貴様が生きる意味は、本当にこの村だけだったのか? 他に意味があるとは、思わないのか」


 影が何を言っているのか、少女には分からなかった。

 だけど、考えさせられた。

 自分がこれまで生きてきた意味とは、何だったのか。

 自分を産んだ母親は、何のためにこれまで生きてきたのか。


『――逃げて、生きなさい』


 何のために、母親は自らを盾にして、自分を守ろうとしたのか。

 死んだ父は、何のために戦い続けてきたのか、と。


 傷口から流れる血が、温かさを少女から奪っていく。

 痛みが次第に鈍いものへと変わっていき、視界が狭まっていく。

 少女から色彩を奪っていく。


「貴様は本当に、死にたいのか?」


 その影が何故、自分にそんな問いを投げるのかが分からない。 

 もしかしたらそこに意味なんてなくて、ただの気まぐれだったのかもしれない。

 ただ少女は、見てしまったのだ。

 縋るように自分を見つめる、黄金の双眸を。


 その時、自分が何を考えていたのか。

 実のところ、少女はあまり覚えていない。


 ただ、口から出た言葉だけは。

 心の底から溢れ出たその叫びだけは、ハッキリと思い出せる。


「――生きたい」


 世界を、生きる意味を失った少女は、それでも生きたいと願った。


「理由を失い、それでも尚、生きたいと願うのなら。もう一度、貴様が生きる意味を、生まれた意味を探したいというのであれば。――私は貴様を助けよう。きっと、自分ですら理由の分からぬこの行為が、私が生きる意味を見つける、手がかりになるはずだから」


 それは、世界の終わった日の記憶。

 そして、きっと。

 

「――私が始まった日の記憶」




 冥界。

 それは、“聖光神”メルトが死者に与えた安息の地。

 生きる者すべてに与えられる、楽園だ。


 神話として語られる時代、“堕光神”ハーディアの悪逆を止めるために、メルトは苦渋の決断を下した。

 それは、自らが創り出した楽園に、ハーディアを封じ込めるというものだった。

 結果として、その決断は現世の多くの者の命を救った。


 冥界の在り方を大きく歪めることを、代償として。


 今の冥界を正しく表現するのであれば、『蠱毒』。

 弱き者が喰われて糧とされ、強き者が喰らい合う狭き壺だ。

 そんな狭き壺を我が物にするために覇を競いあっていた者がその日、一堂に会していた。

 

「余の配下を虐殺しておいて、よく此処に顔を出せたものよな。厚顔もここまでくればいっそ清々しい。余を驚かせた褒美として、この場で自害することを許す。疾く首を刎ね、余に頭を垂れよ」


「寝言は寝て言えよ、悪逆女帝さんよぉー。そもそも手前の部下とやらが弱えーのが悪ぃ」


 濁りきった空の下、荒廃した大地の上で二人の魔族が睨み合っていた。


 悪逆女帝と呼ばれたのは、極めて黒に近い赤紫、至極色の髪を持つ女性だ。

 綺羅びやかな服を身に纏う彼女の下半身は、髪の色と同じ鱗が生えた大蛇の尾。

 蛇女ナーガの魔族である女性の背後で、配下と思われる魔族や人間達が、相対する男を睨み付けていた。


「弱い奴は、強い俺に何をされても文句は言えねえだろうが?」


 対するのは、薄汚れた布を身に纏う粗野な男だ。

 ボサボサの赤黒い髪に、浅黒い肌、手には飾り気のない一本の剣が握られている。

 大勢から敵意のある視線を向けられながら、男は歯を剥き出しにして獣の如き笑みを浮かべていた。


「元は四天王の末席を汚していた貴様が、魔王たる余にその不敬。どうやら貴様の時代の魔王は、部下の躾もまともにできぬ暗愚だったらしい。そも、余を悪逆などと呼ぶこと自体がおかしいのだ。民は余の所有物であり、余を愉しませるためだけに存在するのだから」


「手前の生前の立場なんぞ、俺の知ったことじゃねぇな。今すぐにでも背後の雑魚どもごと手前をブチ殺してやっても良いんだが……今日は造物主サマの呼び出しを受けて来ただけだ」


「クハッ。貴様がアレを造物主と呼ぶか。まあ、アレは余がこの世に生まれる切っ掛けを作った者故、多少の敬意を払うのも吝かではないが――」


「そうこうしている内に、お出ましだ」


 雲が割れ、どす黒い魔力の塊が大地に降り立つ。

 圧倒的な存在の降臨に、風が吹き荒れ、地が軋む。

 女の後ろに控えていた者の何名かは、その威容に飲まれて腰を抜かしている。


『集まったのは君達だけか。“金剛”も来ていないのか。ボクの見ていない間に、随分と減ったみたいだね。まあ、どうでも良いことだけど』


「有象無象のことなど良い。余を呼びつけたのだ、相応の理由があるのであろう?」


『ああ。門が完成したから、ボクはここを捨てて現世に帰るよ。だから死人である君達とはこれでお別れだ。出ていくついでにボクに不遜な態度をする君を潰していっても良いけど――まあ恩情を与えてやろうと思ってね』


「……ほう?」


『これから、ここに一人の人間が落ちてくる。名を天月伊織。メルトの加護を宿した生者だ』


「勇者ぁー!? おいおい、そりゃマジかよ」


 それまで話を聞いていた男が、口笛を鳴らして笑みを深める。

 男の態度を咎めることなく、魔力の塊は上機嫌に言葉を続けた。


『少々予定が狂って彼をここに落とすことになったが、大した存在じゃない。君達なら容易く捻り潰せるだろうさ』


「よもや、そんな塵芥の掃除を余にせよと言いにきたのか?」


『ああ。塵芥とはいえ、障害は障害だ。可能性の芽を潰すために、君達には彼の息の根を止めて欲しい。彼を殺した者に、この冥府の王の座を与えてあげるよ。今、ボクが持っている冥府の権限も譲渡しよう。『杭』への干渉以外なら、すべてを思うがままにできるよ』


 魔力の塊から、光が漏れる。

 その光は男達の体を包み込み、一瞬のうちに霧散する。


『君達に今、権限の一部を譲渡した。自我を失った骸達も、君達の指示に従うだろう』


 付け加えるように、魔力の塊は言った。


『ああ。きっと勇者は、『門』に向かってくるだろう。勇者が門をくぐることだけは、何としても阻止するんだ。仮に彼が現世に戻ってきたりしたら、君達は皆殺しにするからそのつもりで』


「――――」


『“六代目魔王”メギナ・ヴァン・ディアドレッド。それに、元四天王“裁断”アルファルド・レゲンデーア。精々、その名に恥じないように行動すると良い』


 じゃあ、君達に二度と会わないことを祈っているよ。


 そう言い残して、魔力の塊は何処かへと消えていった。


「ふはっ! 面白くなってきたじゃねぇーか。競争と行こうぜ」


 笑みを溢し、男――アルファルド・レゲンデーアはその場から姿を消す。


「はっ。与えられるまでもなく余は王だ。アレに指図されるのも気に食わんが――まあ良い。余を生み出した功績を讃えて、王としての度量を一度だけ見せてやろう」


 女――メギナ・ヴァン・ディアドレッドは不快そうに吐き捨てた。

 それから、メギナは与えられた権限を用いて、冥界に溢れ返る骸達から情報を手に入れる。

 件の勇者とやらは、どうやら他の死者と行動をともにしているらしい。


「クハッ、勇者というからどんな傑物かと思えば、只の死に損ないではないか。足並みも揃っておらぬ。今にも仲間内で殺し合いでも始めそうだ。こんな者はわざわざを殺せとは、アレは何を考えているのだか」


 まあ良い、とメギナは笑みを浮かべる。

 目障りな連中をまとめて処理する良い機会だ。

 この機を利用して、王に歯向かう不届き者の首もまとめて落とすとしよう。


「ああ、そうだ」


 メギナは振り返り、配下の一部に視線を送る。


「貴様と、貴様と、貴様。先ほど、アレに怯えて腰をついたな? 余以外に畏れを抱く無能など、存在する価値がないわ」


 直後、凄まじい爆音が響き渡り、絶叫とともに三名が冥界から跡形もなく消滅した。

 消し炭に一瞥すらせず、メギナは長い舌を出しながら嗤う。


「――少しは愉しませろよ、有象無象」

 


 


 

 


 

 

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