第十七話 『英雄の背中を支えた者達』
――落ちていく。
下へ、下へ、落ちていく。
いかなる手段を取ろうとも、落下に抗うことはできない。
ただ、落ちていく。
頭上に見えていた光は消え去り、今は視界のすべてが闇に覆われている。
温かさも、冷たさも感じない。
正真正銘の闇の中にいる。
どれだけ叫んだか分からない。
血を吐くほどに、憎悪を口にした。
今は、自分の叫び声すら聞こえない。
――落ちていく。
不意に、闇が晴れた。
眩しさに目を細める。
視界に入ったのは、『世界』だった。
上にあるのは、灰色と紫色が混ざりあったかのような、濁りきった空。
太陽も月も星もないと言うのに、何故かここには光があった。
落ちながら周囲を見回せば、遠目にだが森や川などの自然が目に入る。
「――――」
目を凝らすと、遥か彼方に不自然なモノが見えた。
紫色に鈍く輝く結晶のようなモノが、地面から突き出ている。
ここからでも見えると言うことは、かなりの大きさだ。
目を凝らそうとした時だった。
『――――』
耳元で、声が聞こえた。
夢で聞いた、あの声だ。
『――――』
何を言っているのかは、相変わらず聞き取れない。
以前のようにノイズが掛かっているのではなく、相手が水の中で話しているように不鮮明だ。
「アンタが、メルトか」
何を言っているかは分からなくとも、誰が話しかけてきているのかはいい加減に分かった。
『――――』
不鮮明な声だが、頷いたような気がした。
『勇者の証』が輝いたかと思うと、光が俺の体を包み込んだ。
「何だ?」
返事は返ってこない。
次第に、耳元にいた誰かが遠ざかっていく感覚がある。
ただ、最後に。
『――諦めないで』
そんな声を、聞いた気がした。
◆
――落下の勢いのまま、地面に叩き付けられた。
身構えていた程の衝撃も、痛みもない。
どういう原理か、落下の衝撃がなかったことになっている。
……そんなことは、どうでも良い。
ここがどこかは、何となく察している。
――冥界。
ここまでの旅で、幾度となく名前は聞いていた。
満ち足りた死を迎えた人間のみが、訪れることのできる楽園。
濁りきった空や、周囲の様子を見ると、とてもではないがそんな良い場所とは思えないが。
乾ききった地面に手を付き、ゆっくりと立ち上がる。
負った傷も、今いる場所も、どうでも良かった。
「……裏切ったな」
空を見上げる。
「俺を裏切ったな、ハーディアァァァァッ!!」
あいつが、エルフィを殺した。
これまでのことも、あいつが裏で手を回していた。
俺達を利用するためだけに、あいつはああして近付いてきた。
その結果がこれだ。
「殺してやる! どんな手段を使ってでも、どんな犠牲を払ってでもッ!! お前にすべての代償を払わせる!! 絶対にだ!!」
俺をあの場で殺さなかったことを後悔させてやる。
神だか何だか知らねぇが、そんなことは関係ない。
あの翼を圧し折って、地面に這い蹲らせ、俺達を利用したことを心の底から後悔させる。
エルフィの、ためにも。
だから、まずはここから元の世界に帰る方法を探る。
そう、考えた時だった。
「――――」
いつの間にか、囲まれていた。
周りにいたのは、魔族だ。
……いや、違う。
魔族、人間、亜人。
あらゆる種族が、虚ろな瞳で俺を睨んでいた。
だが、感じられる魔力が普通じゃない。
こいつらの体から発せられている魔力は、人、魔族、亜人、魔物、あらゆる物をごちゃ混ぜにしたかのように濁りきっている。
よく見れば、体からも異常が見て取れる。
ある者は、人間の体を持っていながら、腕は魔族のモノを、頭部には龍種のそれがくっついている。
ある者は、体は魔族、右腕は人間、左腕は亜人、頭部は魔族とも亜人とも取れない肉塊が乗っていた。
そういう種族、という言葉では済ませられない。
魔力と肉体が混ざりあった、尋常ではない存在が辺りを囲んでいる。
「……何だ、お前ら」
返ってきたのは、知性の感じられない呻き声。
それを合図にしたかのように、連中が殺到してきた。
「――ッ」
剣を抜き、迎え撃つ。
だが、
「なんッ」
一撃を受け止めた瞬間、俺は吹き飛ばされていた。
起き上がり、追撃を躱すも、掠っただけでごっそりと肩の肉を持っていかれた。
「あ、がッ」
一人ひとりが、強すぎる。
【英雄再現】を使って寄ってきた連中を斬り伏せるが、まるで勢いが衰えない。
倒れた仲間を踏み潰し、我先にと襲いかかってくる。
鬼剣を使っても、勢いが収まらない。
「がッ」
次第に連中の攻撃を防ぎきれず、傷を負い始める。
オルテギア達との戦闘での消耗が、後を引いている。
次第に、心象魔術が解けていく。
「クソ!」
上に逃げようとするも、足首を捕まれて地面に叩き付けられる。
伏せたまま剣を振り、連中の足首を斬り落とす。
倒れ込んでくるのを払い除けて立ち上がるも、脳天に拳が叩き付けられた。
視界が揺れる。
手足に力が入らなくなってくる。
「クソ、クソがッ!!」
力任せに剣を振るが、次から次へと襲い掛かってくる。
何なんだ、こいつら。
一人ひとりが、魔族の精鋭に匹敵している。
それに、数が多すぎる。
今の俺では、対応しきれない。
「エル……ッ」
クソ、俺は何を言ってる。
あいつは、もういない。
背中を預けられる奴は、もう。
いつ以来だ。
こうして、独りで戦うのは。
「――――」
心象魔術が、完全に解けた。
遅い来る攻撃を柔剣で受け流すも、時間稼ぎにすらならなかった。
「ちく、しょう……」
こんなところで、死ぬのか?
ハーディアに良いように利用されて、こんなところでゴミ屑みたいに殺されるのか?
「エルフィ――」
倒れ込んだ俺に、連中が飛び掛かろうとする。
『――諦めないで』
あの声が、脳裏を過った。
「――――」
直後、白い閃光が目の前を奔っていった。
目の前にいた連中が閃光に飲み込まれ、体を両断されていく。
閃光は一度ではなく、何度も何度も俺の周囲にいた連中を斬り伏せていく。
「――ッ」
背後から、濃い魔力の反応を感じ、反射的に横へ避ける。
先ほどまで俺がいたところを、紅蓮の炎が通り抜けていった。
その炎は、連中を容赦なく飲み込み、灰燼に帰していく。
炎はそのたびに規模を増し、周囲一体、辺りの連中を余さず焼き焦がした。
「こら! 今、彼も狙ったでしょう!?」
声が、聞こえた。
「はッ。今ので死ぬようなら、ここで助ける意味なんてねェよ」
男女の、声だった。
「そもそもこんなんで殺せるんなら、俺はここに居ねェ」
閃光と、炎が奔る。
あれだけいた連中が瞬く間に数を減らしていく。
やがて不利を悟ったのか、連中は波が引くようにどこかへと姿を消していった。
顔を上げる。
近くにある崖の上に、二つの影があった。
一人は、赤い髪の男だった。
黒いローブを身に纏い、手には大きな杖が握られている。
一人は、金髪の女だった。
白い布で体を覆い、手に一本の剣を握っている。
「――おい、とっとと立てよクソ勇者。いつまで腑抜けた面してやがる。まさか、もう心が折れちまったのか?」
「――立ってください。私達は、まだ負けていません」
腹が立つ声と、涙が零れそうになる声。
「あのクソ神をぶっ殺すために、てめェを利用させろ、アマツ」
リューザス・ギルバーンが吐き捨てるようにそう言い、
「さあ、伊織さん。――反撃開始です」
ルシフィナ・エミリオールが、微笑みながらそう言った。




