第八話 『出会い』
幼少期の頃だ。
エルフィスザークは何回か、力の制御を誤ったことがある。
全身に宿った“魔”は強力で、それ故に反動も大きい。
裂傷や骨折ならばまだ良い方で、腕や脚が吹き飛ぶこともざらだ。
その時に、二つほど分かったことがある。
一つ目は、自分は痛みに強いこと。
強靭な肉体を持っていたとしても、痛覚は他の者と変わらずにある。
骨が折れれば痛いし、四肢がなくなれば呼吸もままならなくなる。
しかし、エルフィスザークはそれを我慢したまま、表に出さないことができた。
どうやら、生まれつき痛みに対する耐性が他者よりも強かったようだ。
二つ目は、体のどこに傷を負ってもすぐに再生できること。
肉が裂けようと、骨が折れようと、四肢がなくなろうと、エルフィスザークはすぐに傷が塞がった。
どれだけ重い傷を負おうと、早くて数時間、遅くても一日以内に治るのだ。
後に自身のこの能力は、膨大な魔力が理由であることをエルフィスザークは知った。
諸説あるが、魔力は生命の源であり、この世界を構成する骨子だと言われている。
魔力を一定以上保有していると、肉体の失った部分を魔力が自動的に埋めてくれるらしい。
また、死亡したとしても魂が消滅したり、冥界に送られることはなく、長い年月を掛けることで蘇ることすら可能なようだ。
もっとも、保有している以上の魔力量で跡形もなく消し飛ばされたり、本人が生きることを諦めた場合は、その限りではないようだが。
事実、過去に存在した不死の魔族は、今現在この世にはいない。
とはいえ。
エルフィスザークがどんな傷でも立ちどころに治し、かつ痛みに強い存在であることに変わりはない――。
「……ぅ」
魔王領北東部の谷底に、エルフィスザークはいた。
小さく呻きながら、ぐったりと転がっている。
穴の空いた左目と腹部から流れた夥しい量の血液で周囲を紅く染め上げ、本人も血塗れだ。
謎の化物に襲われてから、既に一日が経過している。
本来ならばとっくに傷は完治しているはずだが、エルフィスザークの傷はほとんど塞がっていなかった。
原因は分からない。
だが、あの化物の攻撃は血肉だけでなく、魔力をごっそりと奪い取っていった。
恐らくはそれが影響しているのだろう。
「……っ」
体に力が入らず、声も出ない。
傷は少しずつ塞がっているが、今のペースでは身動きが取れるようになるまでに数日は掛かるだろう。
とてもではないが、それを待っている余裕はない。
あの化物が谷底に降りてこないとも限らない。
魔力が不足しているこのタイミングで魔物に襲われれば、流石に命に関わる。
普段ならば耐えられる傷も、今喰らえば致命傷だ。
意識を失っていた間に、随分と時間が経っていたらしい。
日が傾いて来ているのが分かった。
遠くから、複数の魔物の遠吠えが聞こえてくる。
せめて、どこかに身を隠さなければ。
「……ぁ」
どれだけ力を入れても、体は動いてくれない。
喉が掠れた声を出し、視界が不明瞭に揺れている。
傷が脳まで達しているからか、思考も上手く纏まらない。
「し……ぬ……?」
それは、初めてエルフィスザークが感じた死の実感だった。
エルフィスザークは死んだとしても、長い年月を掛ければ蘇ることが可能だ。
伝え聞いた伝承だけでなく、自分にはそれが可能であるという確信もある。
しかし、エルフィスザークは死にたくなかった。
蘇ることができるのが、一体どれくらい後なのかは分からない。
それに自分はまだ、何も成していない。
生まれた意味すら分からず、こんな場所で漫然と死にたくない。
「……う、ぁ」
そんな想いは形になることはなく、依然として体に力が入らない。
どうすることもできず、日が山に隠れようとする直前――――、
「――わ、わ。大変、誰か倒れているわ!」
聞こえてきたのは、少女の声だった。
僅かに首を傾け、声の聞こえた方へ何とか視線を向ける。
「――――」
――目を見開いてこちらを見ていたのは、人間の少女だった。
◆
「おい、フェルナ。自分が何を助けているのか分かっているのか?」
「それくらい分かってるわよ。魔族の女の子でしょう? この黒い角を見れば一発で分かるわ!」
「……そうじゃない。俺は何故、魔族を助けたんだと聞いているんだ。無闇に近寄るなと何回も言っているだろう」
――体を温かな魔力が包み込み、入り込んでくる。
それが治癒魔術と呼ばれるモノであることは、何となく分かった。
激痛が和らぎ、体の傷が塞がる速度が早まっていく。
誰かに治癒されるというのは初めての経験だったが、存外悪くない。
現在、エルフィスザークは簡素な小屋の中にいる。
木で作られたベッドの上に寝かせられて、治療を受けている真っ最中だ。
現在の状況を掴み切れず、今は眠った振りをしている。
「どうしてそんな意地悪なことを言うの。傷付いて苦しんでいる人がいたら、助けてあげないと可哀想でしょう?」
「フェルナの優しさは好ましいが、相手が魔王軍だったらどうするんだ。人間と見たら有無を言わずに襲い掛かってくるような連中だぞ」
「優しいだなんて、ありがとう。私もそうやって心配してくれるライのこと、好きよ」
「……っ。そういう話をしているんじゃない!」
眠った振りを続けたまま、薄っすらと目を開く。
目の前で言い合っている二人が、とても気になった。
おっとりとしている少女は、どうやらフェルナというらしい。
ふんわりとした茶髪と、くりっとした赤色の目が特徴な人間の少女。
自分に治癒魔術を掛けているのは、どうやらこの少女のようだ。
そしてもう一人は、からかわれて顔を赤くしているライと呼ばれる少年だ。
年齢はフェルナと同い年ぐらいで、短めの青い髪と狼のようなギザギザとした歯が特徴的だ。
フェルナに小言を言いながらも、エルフィスザークをここまで運んできてくれたのは彼だ。
この二人に、エルフィスザークは強い興味を持った。
人間であるフェルナが、魔族である自分を助けたこともそうだが、それ以上に。
フェルナと仲睦まじく言い合っているライが、魔族であることが理由だ。
白目に当たる部分が黒く染まり、目は黄色に輝いている。
また、口から上下四本、鋭い牙が飛び出していた。
ライが魔族であることは、ひと目で分かった。
人間も魔族も、お互いを見ればそれだけで殺し合う。
そんな二つの種族が、仲良く会話していることが非常に興味深かった。
治癒魔術のお陰で、体に力が戻ってきた。
左目の視力はまだ戻らないが、腹部に空いた傷はもう塞がりかかっている。
二人が自分に敵意を持っていないことを確かめ、エルフィスザークはゆっくりと右目を開いた。
「あっ、良かった。目を覚ましたのね!」
安堵の表情を浮かべて覗き込んできたフェルナの表情に、怯えはない。
エルフィスザークが魔族であると認識しているのにも関わらず、この人間は怖がっていないのだ。
「谷底に倒れてたから、ここに運んできたの。お腹と目の傷を見た時はどうしようかと思ったけど、治癒魔術で助けられて良かったわ! 貴方って傷の治りが凄く早いのね、びっくりしちゃった」
屈託のない笑みを浮かべるフェルナに、
「――人間、何故私を助けた」
エルフィスザークは低い声で問いかけた。
直後、それまで黙っていたライがフェルナを庇うように前に飛び出してくる。
「見ての通り、私は魔族だ。貴様ら人間とは敵対関係にあるはずだが?」
ひりつくような空気が小屋に広がり、ライが後ろ手に武器を握る。
「――困っている人を助けるのは当然のことだわ。魔族だとか人間だとか、そんなの関係ないと思うの」
そんな中で、子供に常識を説くかのように、フェルナは平然と答えた。
「――――」
思わず、エルフィスザークは絶句した。
先程の会話で、フェルナはライに似たようなことを言っていた。
しかしまさか、魔族を目の前にして同じことが言えるとは思っていなかったのだ。
「あ……。もしかして、助けたのは迷惑だった?」
今までとは一変、不安げな表情を浮かべ、そわそわとし始めるフェルナ。
そんな様子に、何故か無性に体から力が抜け、
「……いや。あのままでは命に関わっていた。助けてくれたことには礼を言う」
「ほっ。だったら良かったわ。……いいえ、良くはないわね。貴方はそんな大きな傷を負ってしまったんだし……大丈夫? 痛くない?」
素直に感謝の気持ちを伝えたエルフィスザークに、パッと顔を輝かせたのも束の間、フェルナはすぐに心配そうな表情を浮かべる。
コロコロと変わる表情に内面で感心しながら、エルフィスザークは「うむ」と頷いた。
「傷はまだ塞がりきってはいないが、痛みは大分和らいだ。傷が完全に塞がるのも時間の問題だろう」
「――そうか。では、傷が塞がり切る前に聞いておこう」
直後、エルフィスザークの首元に薙刀が突き付けられていた。
威嚇するように牙を剥き出しにし、鋭くこちらを睨み付けているのはライだ。
「フェルナはこう言っているが、俺はお前を信用していない」
当然だな、と内面で同意する。
見ず知らずの、それも敵対種族に無防備に近付く方がおかしいのだ。
「ちょっと、ライ!」
「フェルナは黙っていろ。……お前、どこの魔族だ。魔王軍の者か?」
「入軍はしていない。だが、私の暮らしていた村は魔王軍の庇護下にある。遠くない未来、私も入軍することになるだろう」
声を上げるフェルナを黙らせ、ライは低い声で問いかけてくる。
薙刀を突き付けられたまま素直に答えたエルフィスザークに、ライは眉根を寄せた。
「まだ魔王軍に属してはいないんだな。では、何故あんな場所にいた」
「魔王領内を旅していてな。その途中、この近くに立ち寄った。そこで黒い化物に襲われて、谷底に落とされたのだ」
黒い化物、という単語にライとフェルナの表情が変わるのが分かった。
お互いに目配せしあっていることから、アレについて何か知っているようだ。
「ともあれ、助けられた身だ。お前達に危害を加えるつもりはない」
「…………」
見定めるようにこちらを睨むライだったが、
「こら、ライ。その子は大怪我したばかりなんだから、あんまり色々聞いちゃ駄目よ。その物騒な物をおろして。当たったら痛いんだから」
「……はぁ。お前と接していると、緊張が続かん」
フェルナの言葉に嘆息し、ゆっくりと薙刀を下ろした。
未だ警戒は解いていないようだが、表に出していた敵意は鳴りを潜めている。
「それに、大丈夫よ。その子も私達が痛がるようなことはしないわ。ね?」
「……何故、そう思う。私とお前はまだ会ったばかりだろう」
「こう見えて私、人を見る目には自信があるの。貴方が優しくて良い人だなんてこと、私はお見通しよ」
内面で、先程のライの言葉に同意した。
この少女と会話していると、緊張が続かない。
今までに感じたことのない、不思議な脱力感だった。
「……エルフィスザーク・ギルデガルド」
「え?」
「名前だ。私は、エルフィスザーク・ギルデガルドという」
エルフィスザークの名乗りにフェルナはパッと顔を輝かせ、
「私はフェルナ・グランデよ! よろしくね!」
嬉しそうに自分も名乗った。
それから黙り込んでいたライに視線を送り、名乗るように促す。
「――ライ・グランベリアだ」
ライは諦めたようにもう一度嘆息すると、静かに名乗った。
フェルナ・グランデと、ライ・グランベリア。
――これが、彼女達との出会いだった。




