第三話 『開戦、驟雨』
その日、レイテシアの中央に凄まじい数の魔物が展開していた。
小鬼のような力の弱い魔物から、炎龍のような強大な魔物まで、大小を問わず膨大な数の魔物が陣形を組んで並んでいる。
これらすべての魔物が、オルテギアに従い、魔王城を防衛するために集まった配下である。
迷宮内に犇めく魔物ですら比較にならないほどの軍勢は、北部、南部、東部と三方向に分かれて前進していく。魔物達が進んでいく先に、別の軍勢が待ち構えていた。
――魔王領北部。
「始まるな」
地平線の先から土煙を上げて接近してくる軍勢を見て、一人の女性がそう呟く。
鮮やかな白金色の髪と、ツンと尖った長い耳が特徴の妖精種だ。
女性の名は、ミカエラ・ルミナリエ。
亜人自治区・第一区の区長にして、妖精種最強と名高い戦士である。
「此度の戦いで、長きに渡る戦いの雌雄が決まる! 我らの誇りに賭けて、奴らを打ち取るのだ!!」
ミカエラの号令に、すべての亜人の戦士達が雄叫びを上げる。
魔物達の咆哮に引けを取らない叫びの直後、戦士達は迅速に行動を開始した。
「第一射、掃射!」
まだ豆粒ほどの魔物達に向けて、戦士達が弓を放つ。
魔力を纏った矢は、遥か遠方から迫りくる魔物達の頭上から、雨のように降り注いでいく。
『ギッ!?』
『ゴルバッ!』
降り注ぐ矢は、魔物の高い生命力、硬い表皮を無視し、すべてを即死させていく。
彼らが放つ弓こそ、亜人自治区に伝わる魔術兵装の一つ、『魔滅弓』である。
この弓によって放たれた矢は、“堕光神”ハーディアの眷属を討ち滅ぼす特別な魔力を帯びる。
“堕光神”ハーディアが率いる魔物や魔族を相手にするため、“聖光神”メルトが創り出した魔力付与品と言われている。
彼らの放つ弓によって、瞬く間に魔物は数を減らしていった。
同時刻、王国軍。
亜人軍が弓矢を放つのに合わせて、王国の魔術師達は魔術を発動した。
それは王国が誇る最高結界――“絶王領域”である。
この結界が覆っている領域内では、王国に仇なすすべての存在が魔力と生命力を吸い取られ、動きを鈍らせることになる。
そして同時に、味方の者達はすべての能力が向上することになる。
動きの鈍った敵に向けて、魔術師達はここぞとばかりに攻撃魔術を叩き込んでいく。
炎が爆ぜ、水が飛沫き、雷が奔る。
血肉を撒き散らして、魔物達が消し飛んでいく。
『オオオオオオォォォォォッ!!』
だが、それでも魔物達が止まることはない。
仲間の死骸を乗り越え、ただ敵に向かって突き進んでいく。
結界も意に介さずに進行し、魔物達は王国軍と亜人軍に迫っていく。
「臆すことはない! ここは我らの絶対領域だ! 愚かにも我らの領域に踏み込んできた雑魚など、蹂躙してしまえ!!」
王国の騎士や傭兵達が前進し、魔物達を迎え撃った。
結界で弱った魔物達は、王国の軍勢によって瞬く間に蹴散らされていく。
そんな騎士達の中で、一際目立つ者がいた。
黒い盾と、真紅の片手剣を手にした黄髪の老婆である。
老婆は年齢を感じさせない軽やかな動きで、戦場を駆け回っていく。
迫る魔物の攻撃を黒い盾で砕き、片手剣の一閃で数匹もの魔物を粉切れにしていく。
老婆の名は、レンヒ・アベンジャー。
かつての魔王軍四天王“裁断”の討伐に際し、“英雄アマツ”のサポートとして活躍した騎士である。
その実力は、現在の王国でも上位に位置する。
「老骨には響くねぇ」
そう呟きながら、レンヒは雑兵を蹴散らしていった。
◆
――同時刻、魔王軍南部。
押し寄せていた魔物の大半が、帝国軍の攻撃によって消し飛んでいた。
帝国側の戦場には、大砲のような魔力付与品が無数に並んでいる。
大砲内に魔術を装填し、敵に向けて砲弾として発射する兵器だ。
発射時に魔術の威力と範囲を数倍にまで引き上げる効果を持っている。
この兵器によって、帝国軍は魔物を効率的に殲滅していた。
しかし、魔物の中には魔術の砲弾を潜り抜け、帝国軍に迫ってくる個体もあった。
龍種のような、強靭な肉体を誇る大型の魔物達だ。
『ギィィィィッ!!』
魔術師は接近戦に弱い。
それを理解している龍種達が、帝国軍に接近し――、
『ギィッ!?』
それよりも早く、別の勢力によって蹴散らされた。
接近した魔物を蹴散らしたのは、姿格好、種族すらもバラバラの者達だ。
彼らの名は“冒険者”。
連合国の戦力である。
「おーっと。接近戦のお相手は俺らとしてもらおうか」
おどけた口調でそう言ったのは、青みがかった黒髪が特徴の中年の男性だった。
名を、ガーダル・アガロンテ。
五人しか存在しない、Sランク冒険者の一人である。
「さぁ、魔術師さん方に近付く奴らは、俺らでちゃっちゃと片付けるぞ!」
ガーダルを先頭に、冒険者達が魔術を越えてきた魔物に向かっていく。
他の軍に比べて数は少ないものの、冒険者達は一人ひとりの実力が段違いだ。
最前線に立っているのは、SランクとAランクという高位の冒険者達だ。
龍種ですら、彼らの連携によって屠られていく。
「おらおらおらおらッ!!」
冒険者の中で、獣のような敏捷性で魔物の間を走り抜ける者がいた。
オレンジ色の髪と、それと同じ色の猫耳が特徴の女性だ。
「あまり先走るなよ、ミーシャ!」
「ああ、分かってる!」
オレンジ髪の人猫種――ミーシャは、左目の魔眼を紅く輝かせ、魔物達を切り刻んでいく。
そんな彼女に続いて、他の冒険者達も前進していった。
◆
――そして同時刻、魔王領東部。
聖堂騎士達によって、魔物の第一波はほぼ壊滅していた。
まず、四番隊隊長が率いる魔術部隊が、遠距離から魔物を爆撃する。
続いて、二番隊隊長レオ・ウィリアム・ディスフレンダーが率いる歩兵部隊が正面から魔物と激突、蹴散らしていく。
そして、三番隊隊長ロザリオ・スレイ・ファーブニルが率いる騎兵部隊が側面から襲撃を仕掛ける。
この攻撃によって、驚異的な速度で魔物は数を減らしていった。
魔王軍側も、聖堂騎士達を最も警戒していたのだろう。
第一波がやられてすぐに、第二波が訪れた。
が、聖堂騎士達は大した犠牲も出さず、第二波も蹂躙していく。
東部は言わずもがな、北部、南部においても同盟軍側の優勢。
魔物は徐々に数を減らし、同盟軍は魔王城に向かって突き進んでいく。
――しかし、そこから一時間も経たない内に状況が変わった。
北部、南部、東部。
それぞれに、三人の魔族が姿を現した。
空いた穴を埋めるために選出された、新たな“四天王”である。
各四天王が現れると同時に、驚異的な力を持つ魔物や魔族も戦線に加わった。
空から龍種の背に乗った龍騎兵が参戦し、北部と南部では魔王軍が同盟軍を押し返した。
両軍はほぼ拮抗状態となった。
しかし、東部において、戦況が変化することはなかった。
東部に現れたのは、四天王“粉砕”ガルバ・ゴルギニアスだ。
ガルバが率いる軍勢は一時的に聖堂騎士を押し返した。
が、あくまで一時的。
戦況は、瞬く間に傾いた。
「出る」
短くそう呟いて、一人の聖堂騎士が歩兵の中から姿を現した。
灰色の髪の女性だ。
「――主よ。私に力を」
女性はそう言って、剣を頭上に掲げた。
そして、迫り来る軍勢に向けて、振り下ろす。
「――“聖断”」
刹那、世界から音が消えた。
極光が戦場を突き抜け、女性の目の前にあったものすべてを消し飛ばしていく。
光が消え、世界に音が戻ってきた時、数百の魔物と魔族が戦場から姿を消していた。
「……ほう。やはり、雑兵をいくら束ねても無駄のようだな」
後方にいたガルバが、目の前の光景を見て呟く。
一撃を放った女性の名は、マリア・テレジア・シュトレーゲン。
聖堂騎士団、一番隊隊長である。
「全軍、前進」
マリアの号令を受け、聖堂騎士団が前に進んでいく。
東部において、戦況は完全に同盟軍が優勢になっていた。
◆
「報告! 北部での戦いは魔王軍がやや優勢。南部では拮抗状態です。しかし、東部では劣勢に追いやられています」
魔王城の一室、駆け込んできた魔族が戦況を口にする。
「……やはり、“天稟”マリア・テレジア・シュトレーゲンは止めきれませんか」
報告を受け、四天王“雨”レフィーゼ・グレゴリアは苦い表情で呟いた。
北部と南部は、四天王を送ったことで問題なくことが運んでいる。
しかし、問題は東部だ。
聖堂騎士団が相手では、“粉砕”だけでは荷が重い。
マリアを止めるのならば、ルシフィナクラスの実力が必要となる。
和を乱す存在ではあったが、今は彼女がいないことに、レフィーゼは悪態をつきたい気分だった。
三十年前の戦いでも、聖堂騎士は魔王城付近まで迫って大暴れしたと聞いている。
東部をこのまま放置すれば、聖堂騎士達は魔王城にまで辿り着くだろう。
マリアは、オルテギアの防御を正面から突破できる可能性のある数少ない人物だ。
彼女に対しては、迅速に対処する必要がある。
「……出るのか、レフィーゼ」
「はい、オルテギア様」
レフィーゼの背後には、玉座に腰掛けたオルテギアの姿があった。
「行って参ります」
オルテギアに頭を下げ、レフィーゼは部屋を出ていこうとする。
「死ぬなよ」
その背に、オルテギアは短く言った。
「……はっ」
短く答え、レフィーゼは部屋を後にした。
◆
――それは、唐突に起きた。
北部、南部、東部。
魔王領におけるすべての戦場の上空に、巨大な魔法陣が展開された。
空で蒼銀に輝く魔法陣を見て、各戦場の魔族達は即座に後退した。
「何だ……?」
「あれは一体」
退いていく魔物達に、同盟軍の者達は困惑する。
追撃するか、上の魔法陣に対応するか、戦士達が決め兼ねていた時だ。
「……始めましょうか」
魔王城上空で、レフィーゼ・グレゴリアが低く呟く。
藍色の瞳を険しく細め、風に蒼銀の髪を揺らしている。
――“雨”のグレゴリア。
初代魔王に仕えた、“死天”の一人サーフィス・グレゴリアから続く魔導の家系だ。
魔王と契約することによって、絶大な力を発揮する魔族の家系だ。
その能力は――四天王すら遥かに凌駕する。
「――“雨”のグレゴリアの力をお見せしましょう」
レフィーゼがパチンと指を鳴らした。
直後、上空に浮かぶ魔法陣から、すべての戦場に向かって魔術が降り注ぐ。
炎、水、雷、岩、土、樹、氷、泥、剣、槍、斧、槌、矢、酸、毒――千を越える魔術が、まるで“雨”のように無造作に戦場を呑み込んだ。




