第十三話 『元勇者と元魔王』
宮廷魔術師のローブ。
それは王国から宮廷魔術師へ配られる、特別製のローブだ。
リューザスが羽織っているのは、それに大量の術式を刻み込んで改造した物。
「このローブは脱がせない方がいいな。強制的に剥がせば爆発するようになっている」
難しい表情で、リューザスのローブを見たエルフィスザークがそう言った。
調べた所、リューザスは全身に魔術を仕込んでいた。
治癒魔術、防御魔術、反射魔術など、おびただしい数だ。
あまりの量に、エルフィスザークですら手が出せないらしい。
「お前でも無理なのか?」
「ああ。複雑に魔術が絡み合っていて、今の私では解除できん」
「……まあいいさ。ローブが無くても、こいつを殺す方法ならいくらでも思い付く」
縛ったまま川に流して溺死させる。
殺さない程度の傷を追わせ、失血でジワジワと殺す。
遅効性の毒を飲ませてもいい。
手間は掛かるが、魔石の"壊魔"を仕掛け、時間差で爆殺するという手もある。
だが、エルフィスザークは首を横に振った。
「やめておいた方がいい。これを見てみろ」
エルフィスザークが、ローブをめくり、その裏を指差した。
ローブの裏面には、ずっしりと魔術式や魔法陣が刻み込まれている。
「確かに厄介な仕掛けが多いが、今の俺でもこれを突破する方法くらいは思い付く」
「違う。よく見ろ。大量の魔術式と魔法陣、これが集まって、『一つの術式』が出来ている」
魔眼を発動したエルフィスザークの言葉を聞き、ようやく気付いた。
数十の術式が組み合わさり、一つの術式が構成されていることに。
「なんだ……これは」
自爆の術式を見た時、その魔力量を見て俺は禍々しいと表現した。
だが、これはそんなものじゃない。
鳥肌が立つほどの精密さ、そしてリューザスの魔力でも溜めるのに数年は掛かるだろうと言う魔力量。
長い間旅をしてきて、一度も見たことのない術式だ。
「"因果返葬"……因果を司る魔術だな。術者に『死の原因』を作り出した人間全てに、同じ結果を与える術式だ。要するに、自分を殺した全ての者を道連れにする魔術だな」
リューザスがこんな魔術を覚えていた記憶などない。
魔力の証を使えていた頃の俺ですら、この魔術は使いこなせないと断言できる。
「これを防ごうと思ったら、相当な魔力耐性が必要になる。伊織はおろか、私ですらこんな物は耐えられん」
こんな魔術の存在は寡聞にして知らない。
となれば、これは。
現代では既に使われておらず、存在自体が喪失してしまった魔術。
「……"喪失魔術"か」
「ああ。こんな魔術を使えるのは……私の知っている限りでは、オルテギアの部下だった"死神"くらいの物だろうな」
聞いたことのない名前。
五大魔将を倒し、四天王を突破したというのに、"死神"などという奴には会ったことがない。
「……リューザスはそいつからこれを教わったってのか?」
「さあな。単にこの男が自力で辿り着いたか、他に使える者がいたか。……だが、どちらにせよ厄介な魔術を使えることに変わりない」
「……クソ」
生き汚い男だとは思っていたが、まさかここまでとは。
自爆の魔術といい、喪失魔術といい、本当に面倒な男だ。
「……まあ、いいさ」
殺すよりも先に、やりたかったことがある。
宝物庫から盗んできた、裏切りの真偽を確かめることが出来る魔力付与品。
使い所が難しく、現状、リューザスに使うのがベストだった道具だ。
タイミング的に、リューザス本人には使えなかったが。
「……わざわざ迷宮まで来てくれて助かったよ。お陰で、これを使える」
ポーチから、金色のナイフを取り出した。
宝物庫から盗んできた、魔力付与品の一つ。
「『探りの金剣』か?」
「ああ」
探りの金剣。
突き刺した対象の中にある、特定の記憶を探ることの出来る効果を持つ。
だが一度使えば、効力を失ってしまう。
それ故に、かなり稀少な魔力付与品だ。
「――探るのは、裏切り者の記憶」
こいつは俺を殺そうと、ルシフィナ達に持ちかけられたと言っていた。
協力体制にあった亜人達も、自分と同じように裏切ったと。
その真偽を、ここで確かめる。
探る記憶を指定し、斬り落とした腕の断面にナイフを突き立てる。
「ぎゃああああああああぁぁぁ!?」
やがて刃から柄へ指定した記憶が流れ込んできた。
◆
『あの馬鹿は、僕達を信じきっている。背後から腕を斬り落とすなんて、君なら訳無いだろう?』
『合図は私達が出します。リューザスさん、貴方はそれに従えばいい』
『あァ、いいぜ。だが魔王殺しの名誉は俺が戴く』
『ええ、約束しましょう』
流れ込んでくる記憶。
そこにはしっかりと、ルシフィナとディオニスの姿があった。
『裏切られたと知った時、あの人がどんな情けない表情を見せてくれるか、楽しみですね』
『アマツの間抜け面が浮かぶようだよ。でも、あそこまでコロっと騙されて信用してくれると、笑いを堪えるのが大変だよね』
『疑うことを知らねえ、理想に酔ってる馬鹿だからなァ。ま、結局、騙される馬鹿が悪いんだよ』
誰にでも優しく接し、常に微笑を湛えていたルシフィナが、欲望に塗れた愉悦の笑みを浮かべている。
いつも飄々と笑っていたディオニスが、悪意を剥き出しにして嗤っている。
上機嫌なリューザスの笑いが、静かな部屋に響く。
リューザスの記憶と同時に、当時の感情が流れ込んでくる。
悪意。
アマツをどう殺すか。
裏切られたらどんな反応をするのか。
あの間抜け面が絶望に歪んだ時、どれほど胸がすくだろう。
流れ込んできた感情は、ただ悪意。
魔王殺しの名誉は俺だけの物で、アマツはそれを得る為の道具でしかない。
だからもう用済みだ。
そういった感情や思惑が、流れ込んでくる。
「――――」
視界にノイズが走り、場面が切り替わった。
裏切りの記憶の中でリューザスが聞いた言葉が脳に響く。
反響する多くのその声は、聞き覚えのある物ばかりだった。
『アマツを殺す? そりゃいい。前から、あの野郎の存在は目障りだったんだ』
『不意打ち、ですか。私としては、魔王と勇者、邪魔者が同時に消えてくれば言うことはありませんよ』
『あの男の考えに賛同する者が出てくると、色々と面倒ですからね。ええ、異論はありませんわ。私も是非協力させてください』
旅の中で助けた者。
協力するといって、近づいて来た者。
部族の長や、帝国の貴族など、様々な亜人がそこにいた。
『私達を救ってくれた恩に報いるために、力を貸します』
『貴方の理想を叶える為に、協力させて欲しい』
そう言って近付いていた連中が、半笑いで語り合っている。
そしてその場の全員が、ルシフィナが出した報酬に頷き、後詰めの軍の足止めを引き受けていた。
『アマツを確実に殺すために、俺様に策がある』
俺を殺すための作戦を、皆で詰めていく。
誰一人としてそれに反対する者はおらず、喜々として会議は進む。
大切な仲間達。
信頼していた、協力者達。
守りたいと思っていた、皆。
彼らが俺を裏切ろうとしている記憶が、脳に焼き付いた。
◆
指定した記憶を見終わり、意識が戻ってきた。
役目を終えた探りの金剣が、手の中で効力を失うのが分かった。
「……そんなにも」
金が、名誉が、そんなにも欲しいのか。
俺を殺してでも、欲しかったのかよ。
話で聞くのと、実際に見るのとでは違った。
馬鹿だと罵る声が、前から邪魔だったと笑う声が、頭に焼き付いている。
「ああ……、一人残らず、殺してやるよ」
いつのまにか頬を濡らしていた液体を拭い、笑う。
「あああああああッ」
傷口にナイフを刺されたリューザスが絶叫している。
耳障りだが、今だけは心地いい。
「お前はまだ、殺さない」
リューザスの耳元で囁く。
「ただ殺しただけじゃ、復讐にはならない」
俺を裏切ったことを心の底から後悔させる。
裏切った事が間違いだったのだと、いかなる手段を用いてでも認めさせてやる。
地を這いつくばらせ、頭を垂れさせて、心の底から謝らせてやる。
その上で、殺してやるよ。
「俺が殺しに来るまで、無くなった右腕の痛みに苦しむといい」
魔石を取り出して、転がっているリューザスの右腕の方へ投擲する。
爆発し、いかなる治癒魔術でも再生不可能な程に、その右腕は砕け散った。
「あ……ぁあ」
絶望の表情を浮かべるリューザス。
「殺して…や、る」
「ああ。俺が、お前をな」
その様に満足し、突き刺したままのナイフで傷口を深くまで抉る。
声にならない絶叫を上げ、余りの激痛にリューザスは泡を吹いて失神した。
忌々しいことに、これだけ傷を抉っても、ローブに付与された治癒魔術で傷口が塞がれていく。
「殺してやるよ」
人間も亜人も殺す。
魔術師も剣士も殺す。
貴族だろうが、魔王軍のスパイだろうが、見つけ出して必ず殺す。
「――それが、お前が力を取り戻そうとする理由か?」
それまで黙っていたエルフィスザークが、問いを投げてきた。
「あぁ、そうだ。俺は復讐の為に力がいる。仲間だと思っていた連中に、お前はもう役立たずだと殺されたんだ。一人は功績を独占するために、もう二人は最初から魔王軍のスパイだった。傑作だろ?」
平和という理想を掲げていたのは、俺だけだったのだ。
自分の甘さに反吐が出る。
「エルフィスザーク。さっきの話の続きだ。お前は力を取り戻して何をする?」
「――復讐だよ」
問いに応えたのは、ゾッとするほどの冷たい声だった。
「部下を殺した魔族を殺す。私を封じ込めた女も、嘲笑った鬼族も殺す。そして、オルテギアを殺す」
そして、とエルフィスザークは言った。
「私はもう一度、魔王になる」
先ほどとは違う、感情を押し殺した声。
だからこそ、内面にある憎悪の感情が際立っていた。
ああ、やはり。
こいつは、俺の同類だ。
「魔王になって、今度こそ私は――」
「……今度こそ?」
「いや……これはいいな」
首を振り、エルフィスザークは言葉を打ち切った。
「やはり、私達は似ているな」
「……ああ」
平和を謳っていた勇者は仲間に殺された。
穏健派だった魔王は部下を殺され、自分も封印された。
真逆の立場だったというのに、笑える程に似通った境遇だ。
こいつなら――。
頭の隅に、そんな考えが浮かんだ時だった。
「だから……もう一度だけ言う」
黄金の瞳が、正面から俺を見据える。
「私に協力してくれれば、私もお前に協力しよう。
私の復讐に手を貸してくれるのならば、お前の復讐にも手を貸そう」
目的地も、目標も互いに同じ。
復讐を成し遂げるために、力を取り戻さなくてはならない。
「お前が私の仲間である限り、私はお前を裏切らない」
だから――。
それまでの気が抜けるようなふざけた態度とは真逆。
総身が震える程の威厳を持って、彼女は言った。
「私と共に来い――"元勇者"」
こちらに手を伸ばして、元魔王がそう言った。
「――――」
今回の件で思い知った。
迷宮は強化され、今の俺では魔将を倒せない。
装備を整えても、一人では限界ではある。
一人で出来ないのならば、誰かの手を借りなければらない。
現状、信用まではいかないまでも、手を組むのに最も適した相手は――。
正面からこちらを見つめる、黄金の瞳を覗き込む。
用済みだと、理想を抱いていたのはお前だけだと嘲笑ったあいつらを思い出す。
誓ったはずだ。
何をしても、あいつらに復讐すると。
ならば。
使える者は、何でも使うべきだ。
信用ではなく、利害の一致。
同じ場所、同じ目的があるのならば、容易くは裏切れない筈だ。
仲間を作り、裏切られるリスクを容認しよう。
俺の復讐に、辿り着くために。
「――あぁ」
エルフィスザークの手を取る。
「これから頼む、"元魔王"」
意趣返しのその言葉に、エルフィスザークが微笑んだ。
◆
必要な物をポーチへ仕舞った後。
閉じられていた道を強引に砕き、転移陣の元へ行く。
エルフィスザークが魔力を流しこんだことで、転移陣が輝き始めた。
「くふふ」
ご機嫌なエルフィスザークと肩を並べ、転移陣の上に乗る。
転移の光に、体が包まれていく。
完全に覆われる前に、リューザス達が転がる部屋の方へ視線を向けた。
「リューザス。そしてディオニス、ルシフィナ」
俺を裏切った、全て。
待っていろ。
すぐにお前らの元へ行く。
俺を裏切ったことを存分に後悔させてやる。
次の瞬間。
俺達は転移し、この迷宮から姿を消した。
こうして。
"元勇者"と"元魔王"。
交わる筈のない二人の旅が、ここに始まった。
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