虚話 『ドタバタ主従関係』
「眠い。そして、お腹が減った。これは一旦、書類仕事を中断して、昼寝とオヤツの時間にするべきではないか?」
「駄目だ」
最高の提案を思いついた、という口調の女の言葉を、男の声が短く切り捨てる。
余りの即答に、提案をした銀髪の女が目を見開き、わなわなと体を震わせた。
「少しぐらい休憩があっても良いではないか! というか、もう書類の整理は飽きた!」
「アンタが思いつきでグルメ大会とか開いたのが原因だろうがッ! あれがなきゃ、書類がこんなに溜まることも、書類がここまで増えることもなかったんだ!」
駄々をこねるように騒いでいるのは、漆黒のドレスを身に纏った銀髪の少女だ。
ブンブンと振り回される手足には、蛇のような紋章が赤く光輝いている。
彼女の名は、エルフィスザーク・ヴァン・ギルデガルド。
――当代の魔王である。
「だって色んな国の美味しいご飯が食べたかったんだもん!」
「もんじゃねえ、この年中腹ペコ魔王が!」
半泣きで潤んでいるエルフィスザークの双眸には、呆れた表情の男が映っている。
逆立った青髪に、不機嫌そうな三白眼が特徴の半魔だ。
この男の名は、ヴォルク・グランベリア。
――魔王軍・四天王“歪曲”である。
「あーッ! ジタバタすんじゃねえよ! 威厳もへったくれもねぇな、おい! ガキかアンタは!」
「ガキではない! 魔王だ!」
「んなことは知ってるんだよ!!」
エルフィスザークが魔王に就任したのは、数年ほど前のことだ。
前代の魔王を倒し、エルフィスザークは魔王の座についた。
そして、人間側で“勇者”として讃えられていた男と協力し、人間と魔族の戦争を終結させたのだ。
その際に、ヴォルクは行き場を失った魔族達を守るために、エルフィスザークの軍門に下った。
そのため、こうして駄々をこねる魔王の面倒を見ることになっている。
「ベルディアちゃんを呼べ! ベルディアちゃんと散歩に行ってくる!」
「駄目に決まってんだろッ!」
そんなことをエルフィスザークが言い出すのと同時に、
「……呼んだ?」
扉が開き、黒髪の女性が執務室に入ってくる。
四天王の一角、“獄炎”ベルディアだ。
「呼んでねえ。というか、何でここにいるんだ。お前、魔物の管理してるんじゃなかったのか?」
「……眠いし、お腹減ったから」
「お前ら主従揃って怠けてんじゃねえッ!!」
似た者同士だな! と嬉しそうにはしゃぐ上司と同僚を見て、ヴォルクががっくりと肩を落とす。
基本、この二人は有能だ。
大騒ぎしてあれこれと問題を起こす時もあるが、大体のことは解決してくれる。
他国との交渉は卒なくこなすし、魔族の内乱を未然に防いだことすらある。
が。
一定以上、仕事が増えると仕事をしなくなってくる。
あれこれと理由を付けて、ちょくちょくとサボるのだ。
その癖、本当にヤバイ案件だけは完璧に仕上げてくる。
逆に腹が立つ。
今の魔王軍に入ってから、何度ヴォルクが胃を痛めたことか。
以前の上司が良くトイレに行きたがっていた理由が分かってしまった。
分かりたくなかった。
どうやってこいつらを仕事に戻してやろうかと、ヴォルクが頭を悩ませていた時だった。
「入るぞ」
そんな言葉とともに、部屋の中に一人の男が入ってきた。
珍しい黒い髪を持つ、人間の青年だった。
「もう帰ってきたのか。教国との交渉に行ってたんじゃなかったのか?」
「ああ。思ってたよりも早く終わったんだ。本当はもっと早く帰ってこれる予定だったんだが、マリアさんにお茶に誘われてな。真面目なトーンだったし、それに付き合っていたら遅くなったんだ」
何か気になることを言っている気もするが、とりあえず今は流しておくことにする。
青年の登場に、ヴォルクはホッと胸を撫で下ろした。
この男は、魔王の手綱を完璧に取れる二人のうちの一人だからだ。
「……おい。お前ら、また仕事サボってたのか?」
「ち、違うぞ! ちょっと休憩していただけだ!」
「……濡れ衣」
誤魔化そうとする二人だが、
「いや、こいつらサボってたぜ」
即座にヴォルクが否定する。
それを聞き、男――天月伊織は大きく溜息を吐いた。
「……悪いな、ヴォルク。こいつらがまた面倒を掛けて」
「いや、これも仕事の一環だ。むしろ手綱を取れなくて申し訳ねえ」
ギロリ、と伊織がエルフィスザークとベルディアを睨む。
二人は汗を流して、表情を引き攣らせた。
「……今日はせっかく時間に余裕がありそうだったから、夜になったらお前らと少し遊べると思ったんだが。この調子だと、お前らは連れていけないな。仕方ないし、ルシフィナを誘って夜景でも見に行くか」
「な!?」
「結構、美味い料理とかも用意できそうだったんだけどな。ああ、ヴォルクも来るか? 美味い酒があるんだが」
「おぉ、良いな」
「待て! 私も行くぞ! すぐに仕事を終らせる!」
「……頑張るから、置いて行かないで」
伊織の言葉を聞いて、ベルディアが部屋から飛び出していく。
エルフィスザークも、サボるのを止めて書類仕事を再開した。
その様子を見て、伊織とヴォルクは同時に溜息を吐いた。
「……ヴォルク。今度、本当に一緒に酒を飲もうか」
「……ああ。話してぇことが山ほどあるんだ……」
天月伊織は、魔族ではない。
むしろ、魔王軍の天敵となりうる“勇者”だ。
その“勇者”と“魔王”が手を組んだことで、世界は一応は平和に向かっていっている。
四天王たるヴォルクの、もう一人の上司だ。
魔王軍の上層に女性が多いこともあって、二人は仲が良い。
お互いに色々シンパシーを感じるところがあり、よく二人で酒を飲み交わしている。
「ああ。そう言えば、ルシフィナも一緒に呑みたいって言ってたな」
「……“天穿”か」
ルシフィナの名前を聞き、ヴォルクは反射的に顔をしかめる。
別に、ルシフィナが嫌いなわけではない。
むしろ、ルシフィナの性格には好感すら抱いている。
だが、ある事情から、どうにも苦手意識が拭えないでいた。
「あ。ここにいたんですね」
そんな言葉とともに、金髪の女性が部屋に入ってくる。
ハーフエルフの女性だ。
彼女こそ、件の人物――四天王“天穿”ルシフィナ・エミリオールだ。
「皆さん、お揃いでどうしたんですか?」
「いや、エルフィとベルディアが仕事サボってたらしくてな。ちょっと様子見してた」
「あー」
そんな会話に、エルフィスザークがこっそりと耳を傾けている。
また集中力が切れているようだ。
仕事の手が止まっているのを見て、ルシフィナは少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。
「ね、伊織さん」
「ん?」
「エルフィさんの仕事が終わらなかったら、今夜は一緒に過ごしましょうか。私もちょうど、亜人自治区との交渉が一段落付きそうなんです」
「ズルいぞ! 次は私とベルディアちゃんの番のはずだ!」
涙目で、エルフィスザークが抗議する。
ヴォルクはあまり詳しく知らないが、どうやらエルフィスザークとルシフィナは伊織を巡って何らかの協定を結んでいるようだった。
会話からして、独り占めしない……といったところだろうか。
時折、その輪の中にベルディアが混ざっているのを見かける。
他にも伊織は女性関係で色々あるようで、結構ややこしい。
「でも、お仕事が終わらないなら仕方ないじゃないですか」
「むぐっ」
「伊織さんと一緒に過ごしたいなら、お仕事、頑張ってくださいね?」
ルシフィナの言葉に、エルフィスザークは今度こそ本当に仕事に集中する気になったようだ。
その光景に、ヴォルクはまた小さく溜息を吐く。
戦士長としてバリバリ戦っていた自分が、まさかこんな仕事を任されるとは露ほども思っていなかった。
自分も部下であるタイラと会いたいのだが、忙しすぎてあまり会えていない。
仕方ないとは思いつつ、口から漏れる溜息は止まってくれなかった。
「ヴォルクさん」
そんなことを考えていると、不意にルシフィナに名前を呼ばれた。
「あ……あぁ。どうかしたか?」
「いえ。疲れた顔をしていたので。大丈夫ですか?」
「……問題ない。そっちは亜人との交渉が上手くいったんだったな?」
「ええ。すべての区長が平和条約に賛成してくれたんです」
「そうか……。お疲れ様だ」
「はいっ! ヴォルクさんも、お疲れ様です!」
そんなやり取りをした後、ルシフィナは伊織とともに部屋から出ていった。
二人の足音が遠ざかっていったのを見計らって、ヴォルクは溜息を吐いた。
「……まだ、ルシフィナへの苦手意識は解けないか?」
そんなヴォルクに、エルフィスザークが声を掛けてくる。
何らかの魔眼を発動させているのか、目を紅蓮に輝かせながら、高速で書類を片付けている。
どうやら、本気モードになったらしい。
「……ああ」
エルフィスザークの言葉に、苦々しい表情で頷く。
未然に防げたものの、過去にルシフィナに村を焼かれそうになったことがある。
その時の一件から、やはり名前を呼ばれるとドキリとしてしまう。
「……ルシフィナに気を使わせちまっている。あいつは悪くないってのにな」
それが申し訳ない。
あいつは結局、村にも村人にも手出しできなかった。
犠牲者は一人もでていないはずなのだ。
なのに。
どうしてか、燃え盛る村や、死んだ仲間達や、それを嘲笑うルシフィナの姿が脳裏をよぎる。
「――気にせずとも良い」
エルフィスザークが、穏やかな口調でそう言った。
「この件に関しては、お前に責はない。ルシフィナもそれは理解している。だから、お前が気に病む必要などない」
「…………」
「それでも気になるのなら、一度ルシフィナと正面から会話したらどうだ。何度か、伊織経由で誘われているのだろう?」
エルフィスザークの言う通り、確かに誘われている。
しかし、何かと理由を付けて断ってきた。
言い知れぬ、不安に襲われるからだ。
「ああ……そうだな」
歯切れ悪く、ヴォルクが頷く。
それを見て、
「ふむ。では、私もそこに参加しよう」
エルフィスザークはそう言った。
「アンタも……?」
「うむ。こう見えて私は盛り上げ上手だからな。お前とルシフィナがギクシャクしないように、場を調整してやろう。伊織はアレで鈍感なところがあるからな。その辺りのフォローは、私の方が上手くできるはずだ」
「…………」
「部下の悩みは私の悩みでもあるからな。任せておけ」
茶化すように、エルフィスザークは笑う。
ああ、くそ。
普段はああやっておちゃらけている癖に、時折こうやって優しいところを見せてくる。
卑怯だと思う。
「……じゃあ、頼む」
「うむ! 魔王パワーでお前を導いてやろう!」
……そういう魔王だから、ヴォルクは気持ち良く従っていられるのだが。
そうこうしている内に、日が落ちていた。
机に乗っている書類の山を見るに、終わるのは二時間ほど後だろう。
十分に早い速度ではあるが、伊織と過ごせる時間は減ってしまう。
「…………」
ことの発端となった、グルメ大会。
ふざけているように見えるが、あの大会は好評だった。
お互いの食文化を見せあい、交流することによって、人間と魔族と距離は縮まった。
ヴォルクの村で過ごす者達も、楽しそうに参加していたのを覚えている。
問題は山積みだし、戦争の種はあちこちで燻っている。
世界平和にはまだ遠い。
それでも、平和に向かって、エルフィスザークは全力を賭しているのだ。
そのことで、救われた命も少なくない。
「……はぁ」
溜息を吐き、頭を掻く。
「魔王」
「……む」
「アンタのことだ。重要なのは終わらせてんだろ? 俺でスケジュールの調整をしとくから、アンタは伊織のとこに行って来い」
目を見開き、ぱちぱちと瞬きするエルフィスザーク。
「良いのか?」
「構わねえ。今日一日早めに切り上げても、もう大して変わんねえしな」
「……うむ。感謝するぞ、ヴォルク」
部屋を出ていったエルフィスザークの後ろ姿に、ヴォルクは苦笑を浮かべる。
仲間を守るためなら、どんな屑の下にでも付くつもりだった。
だが、今の上司には好感が持てる。
同僚も、ややギクシャクする時もあるが、良い奴らばかりだ。
恵まれた職場だと、心から思う。
「さて、俺も仕事終わらせて、タイラに会いに行くか」
そう呟いて、ヴォルクはスケジュールの調整のため、残りの仕事に取り掛かるのだった。




