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第十三話 『やり直せるんだ』


 虚空迷宮を支えていた結界のほとんどが消滅した。

 中にいる魔族を退避させるためなのか、結界がすぐに消えなかったのは幸いだった。


 迷宮が大森林を潰すまで、あと十五分強といった程度だ。

 亜人達を避難させることは不可能だが、迷宮の方をどうにかすることはできる。

 迷宮の真下に移動できれば、二分程度で片が付くだろう。

 俺とエルフィが全力を出せば、結界を失った迷宮を粉々に吹き飛ばすことができるはずだ。

 多少の破片は飛び散るだろうが、それは大森林を守る結界に防いでもらうとしよう。


「伊織、ベルディアちゃんが見えてきた。あと三分もすればここに着く」


「分かった」


 ヒルデ・ガルダに処理をしている間に、ベルディアをここへ呼んでいる。

 ベルディアの飛行速度なら、迷宮が落ちるよりも早く下にいけるはずだ。

 行きより人数が増えることを加味しても、大丈夫だとエルフィも太鼓判を押していた。


「……しかし、結局お前の体はなかったな」


「迷宮が落とされることを危惧して、移動させたのだろう。面倒なことをしてくれる」


 虚空迷宮には、エルフィの『心臓』はなかった。

 隅々まで探索したが、『心臓』を封じていたであろう結界の残滓が見つかっただけだ。

 残念だが、エルフィは完全体には戻れなかった。


 それを言ったら、俺の勇者の力もそうなのだが。

 最後の迷宮核を吸収してなお、全盛期の力は戻ってこなかった。

 どうやら、心象魔術の使用が必須のようだ。

 まあ……予想はしていた。

 ヒルデ・ガルダへの復讐には役立ったから、良しとしよう。


「仕方ない。そこは割り切るしかあるまい。それよりも、伊織」


 エルフィが、部屋の一角に視線を向ける。

 そこには、ルシフィナが壁に寄り添って意識を失っていた。

 ヒルデ・ガルダに一矢報いた後、すぐに気を失ってしまったのだ。

 体に不調がないことは、既に確認している。

 傷も、治癒魔術で治した。


「人質になっていた亜人は私が連れていく。伊織はあのハーフエルフを頼む」


 そう言って、エルフィは三人の亜人を軽々と抱きかかえた。

 気を使われていることに気付き、小さく礼を言ってルシフィナの下へ向かった。

 合わせる顔がない、と思いながら。



「…………」

 

 ルシフィナに視線を向ける。

 意識を失ったルシフィナの容姿は、三十年前と大きな変化はなかった。

 人間よりも遥かに寿命の長い、妖精種エルフの血を継いでいるからだろう。


 いや。


「……少し、髪が伸びたか」


 紐で括られた金髪が、外からの光を反射して輝いている。

 三十年経った今でも、美しいと思う。

 だから、悲しかった。


「伊織さん……?」

 

 独り言が聞こえたのか、掠れた声でルシフィナが俺の名前を呼んだ。

 ゆっくりと瞼が開かれ、銀色の瞳と目があった。


「終わったんですか……?」


「……っ。 ああ、あいつは倒した。だから、もう大丈夫だ」


 内から溢れてくる感情を抑え、上擦りかけた声で答える。


「そう……ですか」


 息を抜くような、ルシフィナの声。

 長い夢から覚めたような、まだ夢の中に取り残されているような、そんな声だった。

 それが妙に不安に感じて、俺はルシフィナの手を取った。

 夢なんかじゃなくて、現実なんだと、伝えるために。


「――ぁ」


 目を見開いて、ルシフィナが俺の手に視線を落とす。

 何かを堪えるように目を細め、ルシフィナは何かを言おうとする。

 だが、ルシフィナを直視できずに黙っている俺を見て、言葉を呑み込んだ。

 

 そして、少し震える声で言った。

 

「……伊織さんは、やっぱり優しいですね」


 白くて細い指が、ゆっくりと握り返してくる。

 三十年前と変わらぬその声音に、ルシフィナの目を見られなかった。


「お、俺は……」


 先の言葉が、喉から出てこない。

 そんなことを、ルシフィナに言ってもらう権利なんてない。

 だって俺は、ルシフィナを憎悪して、少し前まで惨たらしく殺してやろうと思っていたのだから。


「私……信じてました。伊織さんが、いつか私を見つけてくれるって」


 黙り込んだ俺の手を強く握って、ルシフィナは言った。


「俺は……お前のことを信じられなかった」


 ルシフィナの言葉が、胸に突き刺さる。


 俺は、あの夜のルシフィナの言葉の意味を理解できなかった。 

 裏切られた、という考えばかりが先行して、それ以外のことを忘れていたんだ。


「……途中までルシフィナに復讐しようとしていたんだ。ルシフィナは俺をずっと騙していて、嘲笑っていて、裏切ったんだって、そう思ってた。……俺はルシフィナを信じられなかったんだ」


 三十年間、ずっとルシフィナは苦しんでいた。

 なのにそれを気にもせず、ルシフィナを憎み続けた。

 三十年の月日の重さを考えると、吐きたくなる。


「いいえ」


 ルシフィナは、ゆっくりと首を横に振った。


「疑って、怒って――それでも、伊織さんは私を見つけてくれました」


「けど」


「ルシフィナはお前なんかに負けないんだって、伊織さんは言ってくれました」


 真っ直ぐに、俺の瞳を見てルシフィナは言う。

 

「人質に取られていた三人を助けるには、私が彼女の憑依を打ち破るしかなかった。私が目を覚ませなければ、人質を助けることはできなかった。違いますか?」


「それは……」


 大森林を囲む魔物の対策はしてきた。

 亜人の中に紛れ込んでいるスパイへの対策もできていた。

 憑依されて、眠っているルシフィナを目覚めさせる手段も用意してきた。


 だけど、最後の三人の人質を救う手立てが俺にはなかった。

 どれだけ手を尽くしても、ヒルデ・ガルダの手元にいる人質を救う確実な手段は見つけられなかった。

 そして、目を覚ましたルシフィナが、体の主導権を取り戻せる確実な方法も存在しなかった。  

 

 だから、俺は……。


「ほら、ね? 伊織さんは、私が勝つことを信じてくれたじゃないですか」


「――――」


「それが……私は、何よりも嬉しかったです」


 銀色の瞳に透明の雫を溜めて、ルシフィナはそう微笑んだ。 

 ……そんな風に言われたら、何も言えないだろ。


 言葉を呑み込んで、もう一度ルシフィナの手を強く握る。

 空いた手で、零れ落ちそうな雫を拭う。

 

 そうして、しばらく見つめ合う内に。


「伊織! ベルディアちゃんが来たぞ」


 背後からエルフィに呼ばれて、俺は立ち上がった。

 

「立てるか?」


「はい。大丈夫です」

 

 ルシフィナの手を引いて、立ち上がらせる。

 それから、回収しておいた『天理剣』をルシフィナに手渡した。

 ふらつく体を支えて、二人でエルフィの下へ向かう。


『……無事で良かった』


 ベルディアは既に到着しており、俺の姿を見るなりそう言った。

 エルフィが先に言ってくれたのか、ルシフィナの姿を見ても驚く素振りはない。


「もうじき迷宮の落下が始まる。早く下へ行くぞ」


 そう言って、三人の人質を抱えたエルフィがベルディアの背に飛び乗った。

 俺達も、早いところ乗ろう。

 ルシフィナの手を引いて、ベルディアの下へ向かおうとするが、


「……ルシフィナ?」


 途中で、ルシフィナが立ち止まった。


「今から下へ行って、虚空迷宮をお二人の力で破壊するんですよね?」


「……ああ、そうだ。だから、早く行こう」

 

 ルシフィナは首を振って言った。


「私は、下へは行けません」



「ヒルデ・ガルダは、下からの攻撃に備えて、迷宮の下部を頑丈に作っています。『天理剣』の斬撃を下からぶつけても耐えられるくらいに。それに、万が一破壊された時のための仕掛けもあります。砕けた瞬間に、下にたくさんの魔術が降り注ぐようになっているんです」


 俺の手をゆっくりと解きながら、ルシフィナは静かに告げる。


「この虚空迷宮は、この三十年の間にヒルデ・ガルダが私の体を使って創造しました。だから、分かるんです。伊織さん達の力でも、大森林を完全に守りきることはできません」


「……だとしても、ルシフィナが俺達と一緒に行けない理由にはならないだろ」


 もう、分かっていた。

 ルシフィナが何を考えているか、くらいは。


「確実な方法があるんです。虚空迷宮は下からの攻撃に強い。破壊されても、下に魔術が降り注いでしまう。ですが、内側からの攻撃は別です。内側からなら、仕掛けられている魔術を起動させることなく、迷宮のすべてを破壊することができます」


 そう言って、ルシフィナは『天理剣』に視線を落とす。


「『天理剣』の力を限界まで引き出せば、それが可能です。一回だけですが、伊織さんの魔術や、エルフィスザークさんの魔眼よりも、強力な一撃を放つことができるんです」


「それは『天理剣』で“壊魔ブレイク・マジック”を使うということか?」


 エルフィの問いに、ルシフィナが頷く。

『天理剣』は内部に流された魔力を、瞬時に倍増する力を持っている。

 最大限に魔力を流した後に、“壊魔”を使って『天理剣』が内包するすべての魔力を解放すれば、迷宮を跡形もなく消し飛ばすことができる。

 ルシフィナは、そう言った。


「駄目だ。そんなことをしたら、お前もただじゃすまないだろう」


「良いんです。これは、私がしなくちゃいけないことなんですから」


 即答する俺に、被せるようにルシフィナが首を振る。


「下の人達を守るには、この方法が確実なんです」


 ルシフィナは本当のことを言っている。

 ヒルデ・ガルダは、俺やエルフィみたいなのが下から攻撃してくるのに備えていたのだろう。

 その備えを突破した時のことも、考えられていたのだろう。

 そして、それらの罠を突破するには、内部から破壊するのが一番確実なのだろう。


 こいつはいつもそうだ。

 誰かを助けるために、自分を犠牲にすることを厭わない。


「確実だからって! お前をこんなところに置いていけるわけがないだろ!?」


「私には! 下に行く権利なんてないんですよッ!」


「――ッ」


 その言葉に、ハッとした。


「……罪滅ぼしのつもりなのか?」


 頷くことをせずに、ルシフィナは言った。


「……私は、この手で多くの人を守りたいと想って騎士になりました。その想いは今も変わっていません。だから、私が誰かを救えるのならば、最期まで戦いたいと想っています」


「…………」


「……なのに、この手は多くの人の命を奪ってきました。この三十年で、私がどれほどの人を手に掛けてきたと思いますか? 十や二十じゃありません。何百人と、私は殺してきたんです。多くの仲間を背中から刺し、嘲笑しながら手に掛けました。何の罪のない人々を、私はこの体で殺してきたんです」


「違う。やったのはヒルデ・ガルダだ。お前じゃない」


「いいえ。あの夜、私がヒルデ・ガルダに憑依されなければ、こんなことになりませんでした。もし、私に強い意志があれば、ヒルデ・ガルダの憑依から、自力で逃れることができたかもしれません。全部、私の弱さが招いたことです」

 

 だから、罰を受けなければならない。

 伊織さんと一緒にどこかへ言って、幸せを享受する権利など自分にはない。

 だからここで、大森林を守るためにこの身を捧げる。

 ルシフィナは、そう言った。


 ……ああ、そうだ。

 考えるまでもなく、ルシフィナがそんなことを考えるのは当たり前だった。

 誰よりも、誰かを救おうとしたルシフィナが、自分の手で多くの人を殺してきたんだ。

 罪悪感を覚えないはずがない。


 この三十年間、ルシフィナが正気を保てていたのは、俺を信じていたからというのもあるだろう。

 だけど、それだけじゃない。

 罪滅ぼしをしなければならないと、罪悪感が正気を失うことを許さなかったのだ。

 

「……ふざけるなよ」


 怒りで、頭が白くなりかける。

 どうしようもなく、腹が立った。


 罪を感じて、死のうとしているルシフィナに。

 罪を押し付けた、ヒルデ・ガルダに。

 そして、今の今まで助けられなかった、自分自身に。


「それを言ったら、俺にも罪があるだろ。俺はお前がヒルデ・ガルダに憑依されたことに気付けなかった。あの夜のルシフィナの言葉の意味に気付けなかった。気付いていれば、こんなことにはならなかった」


「……っ。それは、違います!」


「違わない。それに、お前は憑依されてからずっと苦しんできた。地獄を見せられ続けてきた。ルシフィナが罪を背負っていると言うのなら、もう十分に罰は受けたはずだ!」


 ルシフィナ・エミリーオールは自罰的だ。

 村が焼け、家族が死に、自分だけが生き残ったことをずっと気にしている。

 自分が生きてしまったのだから、代わりに誰かを救わなければならないと、思い込んでいる。

 それは違うと何度否定しても、ルシフィナはその在り方を変えられなかった。

『誰かを救うためなら、自分はどれだけ傷付いても良い』と安易に考えている。


 だから、俺が、ルシフィナを守ろうと思ったんだ。


「俺は知ってる。ルシフィナが誰よりも優しくて、いつも誰かのために戦おうとしてくれたのを。そんなお前が、ようやく地獄から解放されたのにッ! こんなところで死ぬなんて、俺は絶対に認めない!」


「私は、たくさんの人を殺したんですッ! それに、私はディオニスさんと、旅の中で伊織さんが必死に助けてきた人達をわざと襲って殺しました! ディオニスさんを止めることもせず、『どうして』って涙を流す彼女達を、嘲笑いながら殺したんですよ!?」


「それをやったのは、ヒルデ・ガルダとディオニスだ! あいつらはもう罰を受けた! そして、お前だってもう罰を受けた! それで話は終わりだ! お前はもう、苦しまなくて良いんだよ……!」


 言葉に詰まって、ルシフィナが体を震わせる。

 それから、絞り出すように言った。


「どうして、そんな風に言ってくれるんですか? 私は……私は、伊織さんを殺したんですよ?」


「――――」


 先ほどの話を蒸し返すような、脈絡のない言葉だった。

 迷宮に残る理由と、俺を殺したことはまったく関係ない。

 だが、その言葉で俺は分かった。


 さっき、最初に手を握った時、ルシフィナは驚いていた。

 小さく声を零し、呆然と俺の手を見ていた。

 何かを言おうとして、俺の様子を見て口を閉ざした。


 ――ルシフィナも、俺と同じだったんだ。


 ヒルデ・ガルダに憑依された状態で、俺を裏切った。

 忌光迷宮で、過去の言葉を持ち出して俺を嘲笑した。

 グレイシアの砦の前で、俺を殺そうと何度も『天理剣』を使った。


 ルシフィナは、そのことを気にしていたんだ。

 俺に合わせる顔がないと、罪悪感を抱えていたんだ。


 ルシフィナを信じられなかったことを俺が気に留めたように。

 ルシフィナも、俺を裏切ったことを気に留めていたんだ。


 口を閉ざして、罪悪感を隠したのは、俺がよほど酷い顔をしていたから。

 ルシフィナは、俺に気を遣ってくれたんだ。

 そんなことにも気付かずに、俺は……。


「伊織さんの顔が、頭から離れないんです。私達に裏切られて、涙を流して死んでいった伊織さんのことが忘れられないんです……っ!」


 荒い息で呼吸を繰り返すルシフィナの瞳から、大粒の涙が溢れ出す。


「異世界からやってきた分際で……なんて。この世界を救おうと、ずっと戦ってきてくれた伊織さんに、私はおこがましいって言ったんですよ!? なのに、伊織さんは優しくて。私の手を握ってくれて! ……こんな私が、幸せを感じて良いわけないじゃないですか!」


 ルシフィナは強い。

 きっと、俺なんかよりもずっと強い。

 だから、誰よりも傷付きやすくて、誰よりも脆い。


「俺はルシフィナを憎んでない。怒ってもいない。それに、俺は優しくなんてないんだよ。ルシフィナがそう感じてくれているってことは……俺にとって、ルシフィナが大切な人だからだ」

 

 守ってあげたいと思ったら、口から言葉が自然に出ていた。


「誰にでも、手の届かない物はある。そこに責任を感じるのは、傲慢だ」


「…………」


「俺が、世界で一番信頼してる奴の言葉だ。……ルシフィナを信じられなかった、って気に病んでいた俺が言う言葉じゃないかもしれないけどさ、俺はどうしようもなかったと思う。ヒルデ・ガルダは用意周到で、最初からルシフィナを乗っ取ろうとしていた。あの時点じゃ、ルシフィナにはどうすることもできなかったんだ」


「それは……でも!」


「気にするのは良い。でも、忘れるな。――お前は、悪くない」


 エルフィが、俺に掛けてくれた言葉だ。

 あの時、俺が一番言って欲しかった言葉だ。


 最も信頼しているエルフィの言葉だからこそ、ルシフィナに言うことができた。

 

「私……はっ。伊織さんを、裏切りました」


「ルシフィナは、俺を裏切ってなんかいない」


「伊織さんを……っ。傷付けました!」


「ルシフィナは、俺を傷付けてなんていない」


「伊織さんに、酷いことを言いました!」


「ルシフィナは、何も悪いことなんてしてないッ!!」


 銀色の瞳を睨み付けて、俺は告げる。


「いいか」


「――――」


「世界中の全員がお前が悪いって言ったって、ルシフィナ自身がそうだって認めたって! そんなのは、全部俺が否定してやる! お前の隣で戦い続けてきた俺が――天月伊織が、ルシフィナの無罪を証明してやる」


「――――」


「ルシフィナが罪悪感に耐えられないって言うのなら、俺がお前を支えてやる。ルシフィナの罪悪感も、重荷も、全部! 俺が支えてやる!!」


「――――」


 らしくない言葉かもしれない、

 復讐に呑まれていた俺では、とても言えない言葉だ。

 それでも、こういう馬鹿なことを言う、英雄ばかがいたのだと、思い出した。

 馬鹿でも、ルシフィナを救えるのなら、今はそれで良いと思えた。


「――ルシフィナはまだ、やり直せるんだよ」


 裏切られて、俺は地獄に落ちた。

 世界に失望して、自分に失望して、復讐以外のことを考えられなくなった。

 それでも、俺は今ここにいる。

 復讐を果たして、もう一度前に進むためにここにいる。


 俺なんかが、やり直せるんだ。

 ルシフィナがやり直せないわけが、ない。


「中から迷宮を壊すのが確実。確かに、そうかもしれない。だけど、俺を誰だと思ってるんだ」


「――――」

 

「俺は『勇者の証』の力を持っている。こんな迷宮を壊すなんて、造作もない。それでも足りないって言うんなら、俺にはエルフィがいる。こいつは元魔王だ。魔将クラスの敵を三匹倒しても、まだ余力を残してるような奴だ。ヒルデ・ガルダの罠? そんなの、俺達が正面から叩き潰してやるよ」


「――――」


「それでも、足りないって言うんならさ。――ルシフィナが、助けてくれ」


 俺だけでは駄目かもしれない。

 俺とエルフィだけでは駄目かもしれない。

 だったら、ルシフィナがいる。


「三十年前にも言っただろ。ルシフィナ一人が傷付く必要なんてない。ルシフィナ一人が戦う必要なんてない。ルシフィナを助けるために、俺がいるんだ」


「伊織、さん」


「それでも頼りないっていうんなら、その俺をルシフィナが支えてくれれば良い」

 

 俯いて、肩を震わせるルシフィナ。


「俺を助けてくれ、ルシフィナ。俺も、ルシフィナを助けるからさ」


「っ」


 ルシフィナが小さく喉を鳴らす。

 堰を切ったように、大粒の涙が銀色の瞳から零れ落ちる。


「こんな私でも、支えてくれるんですか……?」


「そんなルシフィナだからこそ、支えたいんだよ」


 ルシフィナに手を差し出す。


「――だから、一緒に来てくれ」


「――う、ぁ」


 嗚咽を零し、全身を震わせてルシフィナが涙を流す。

 顔をくしゃくしゃにしながらも、


「――はい」


 ルシフィナは、俺の言葉を受け入れてくれた。

 差し出した手に、ルシフィナが手を伸ばしてくる。

 三十年越しに、本当の意味で、ルシフィナと再会できたと思った。


 震えるルシフィナの手が、俺の手を掴む。


 その直前。



「――如何に言葉を飾ろうと、貴様がその手で無辜の民を殺してきた事実は変わらんだろう」



 声が聞こえた。

 俺は一瞬、エルフィがそう言ったと思った。

 それほどまでに、その声はエルフィに似ていた。


 違うのは、その声は底冷えするほどに冷たく。

 そして、どうしようもないくらいに、悪意を秘めていることだ。


「――――」


 バシュ、と湿った音がした。

 視界一杯に、赤い華が咲いた。

 ルシフィナが差し出していた右手が、肩口から丸ごとなくなっていた。


「――ぁ」


 ルシフィナの体が宙を舞い、地面に倒れ込む。

『天理剣』が手から離れ、部屋の隅へ飛んでいった。


「ルシフィナッ!?」


 倒れたルシフィナに、俺が駆け寄るのとほぼ同時。


「何故……だ。何故、貴様がここにいるッ!!」


 地の底から響くような、エルフィの叫びが聞こえた。

 エルフィの視線の先を見上げて、俺は言葉を失う。

 半壊した迷宮の屋上に立ち、俺達を見下ろしている者がいる。


 俺は、そいつを知っていた。

 それは、まったく予想もしてないかった人物で。

 会ったのは一度だけだが、決して忘れることのできない人物だった。


 肩にかかる銀髪に、嘲りが浮かぶ黄金の瞳。

 頭から生える、漆黒の双角。

 全身を覆う、漆黒のローブ。

 

 それは。

 そいつは。


「お前、は――――」

 


 ――“魔王”オルテギア・ヴァン・ザーレフェルドだった。

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