第十一話 『死天・陰』
「……これで、ワタシに勝ったつもりかい?」
動揺に震える唇で、ヒルデ・ガルダが低い声で問いかけてくる。
「そうだ」
「――ッ」
ヒルデ・ガルダの双眸が忌々しげに細められ、
「来い、門よ!」
自分の目の前に、何かを生み出した。
それはどす黒い魔力で構成された、門だった。
その中へ飛び込もうとするヒルデ・ガルダだったが、
「させねえよ」
それよりも早く、俺は『翡翠の太刀』で門を両断した。
門の形が崩れ、魔力の塊へと戻っていく。
しかし、その魔力が完全に消え去る直前、中から巨大な腕が伸びてきた。
咄嗟に飛び退き、その腕を回避する。
魔力の中から姿を表したのは、二匹の巨大な龍だった。
通常の龍種とは、サイズが違う。
魔将クラスの巨躯と、全身から迸る強烈な魔力。
これが、コレクションの中の切り札か。
「炎龍王! 古代龍! こいつらを喰い殺せ!!」
その叫びを合図として、二匹の龍が襲い掛かってくる。
「さらばだ。君達の相手は、レフィーゼに任せるとするよ」
そう言い残して、ヒルデ・ガルダが走り出す。
向かう先は、この部屋の奥にある通路だ。
止めようとする俺を、二匹の龍が妨害する。
「伊織! ここは私に任せて、お前は奴を追え!!」
魔力を纏った腕を、俺に向けるエルフィ。
その意図を読み取り、俺は二匹の龍に向かって走り出す。
腕を振り上げ、俺を仕留めようとする龍達。
「――“魔腕・斥力掌”」
エルフィの魔腕に背を押され、弾丸のような勢いで龍種達を飛び越える。
そのまま、奥の通路に消えていったヒルデ・ガルダを追う。
通路を進んだ先にあったのは、今までいた場所よりも幾分か狭い部屋だった。
部屋の中央には迷宮核が置かれている。
そして、そのさらに奥の床には、転移陣が刻まれていた。
ヒルデ・ガルダは今まさに転移陣へ飛び乗ろうとしている最中だった。
「行かせるか!」
「くッ!?」
転移陣が起動するよりも早く、斬撃を放つ。
斬撃は光り輝いていた転移陣を削り取り、その効力を失わせた。
逃げようとしていたヒルデ・ガルダが息を呑み、たたらを踏む。
勢いのまま、無防備になったヒルデ・ガルダを『翡翠の太刀』で叩き斬る。
「――ッ」
吹き飛び、壁にぶち当たるヒルデ・ガルダ。
だが、肉を斬った手応えはなかった。
何かの魔術で、防御したのだろう。
「不利になった途端に逃走か? “死天”の一人が随分と情けないことをするんだな」
「……何とでも言いたまえ。生きるために最善を尽くすのは、当然のことだろう?」
「何だ。お前、死にたくないのか?」
「くだらないことを聞くね、天月伊織。死にたくないに決まっているだろう。何故、ワタシが他者に憑依してまで生き長らえてると思っているんだ?」
「そうか。――それは良かった」
「……君の戯言は聞き飽きたよ」
吐き捨てるように言いながら、ヒルデ・ガルダがよろよろと立ち上がる。
その最中、不健康なまでに白い素肌に、白いヒビが入っていくのが見えた。
ヒルデ・ガルダもそれに気付き、忌々しげに舌打ちする。
「外に出た途端にこれか。やはり、いくら体を癒そうと、魂にヒビが入っていてはどうにもならないか」
その呟きを聞いて、ある程度の事情は理解した。
ヒルデ・ガルダは戦争中に治癒魔術では癒やしきれないほどの傷を負ったと言っていた。
恐らく、この女は他人に憑依している状態でなければ、その傷のせいで死んでしまうのだろう。
ヒビが入る速度を見るに、この女は一時間も持たないはずだ。
早ければ、三十分で死ぬ。
「つまり、お前がソレで死ぬよりも早く、復讐してやれば良いだけのことだな」
「……考えが甘いね」
トーンを落としたヒルデ・ガルダの言葉と同時に、背後でガコンと音がした。
コロコロと地面を転がる虹色の球体が、視界の端に映る。
直後、ズン……と鈍い音が響き、虚空迷宮が機能を停止していくのが分かった。
……迷宮核を、落としたのか。
「これで、虚空迷宮を浮遊させていた結界は消える。大森林に向かって、迷宮が落ちるのも時間の問題だね」
ゆっくりと結界が解けていくのを見るに、迷宮が落下を始めるまでの猶予は三十分程度。
迷宮の高度と大森林を守っている結界の強度から考えて、迷宮が大森林を押し潰すまで、あと三十五分程度といったところか。
「さぁ、天月伊織。こんなところでワタシの相手をしていて良いのかな? 早く下に戻って、亜人達を救ってあげたらどうだい?」
「問題ないな。お前との勝負は、五分で終わらせる」
癇に障ったのか、ヒルデ・ガルダの顔が怒りに歪んだ。
「馬鹿にするのも、大概に――」
「――【英雄再現】」
「心象魔術……!」
「行くぞ、ヒルデ・ガルダ」
言葉を遮って、ヒルデ・ガルダに斬り掛かる。
膨大な魔力を剣に纏わせ、上段から振り下ろす。
だが、柄を通して伝わってきたのは、衝撃を受け流された感触だった。
「……馬鹿にするのも大概にしろと、言っているんだ」
ヒルデ・ガルダの手に、いつの間にか『天理剣』が握られていた。
翡翠の太刀を弾かれて、俺は数歩後ろへ跳んだ。
ヒルデ・ガルダは追ってこず、天理剣の使い心地を確かめている。
……あの剣は、選ばれた者以外が持つと、弾かれるはずだが。
「驚くことは何もない。ワタシは数十年もの間、ルシフィナの魂と同化していたんだ。『天理剣』の使用権限を手に入れていても、おかしなことはないだろう?」
「それは、ルシフィナの剣だ。お前が我が物顔で使ってんじゃねえよ」
「これはメルトが残した神剣だろう。彼女がいなくなった今、この剣は誰の物でもない」
「そうかよ」
地面を蹴り、ヒルデ・ガルダに斬り掛かる。
使うのは鬼剣。
強烈な一撃を叩き込む。
だが、鈍い金属音とともに、俺の一撃はまたしても防がれた。
構わず、連続して技を叩き込む。
ヒルデ・ガルダは、鋭い剣捌きで鬼剣を受け流していく。
この動きには、見覚えが合った。
「ワタシは、こうした野蛮な戦いは得意ではない。こういうのは、ランドルフの専売特許だったからね。だが……他者の体を憑依する内に、彼ら彼女らの持つ技能はワタシの物となった。つまり、君が挑むのは、ヒルダであり、ルシフィナであり、これまでワタシが憑依してきたすべての者達だ!!」
その細い手足で、ヒルデ・ガルダは軽々と『天理剣』を振り下ろす。
言葉の通り、流れるような剣捌きはルシフィナのものだった。
相手を撹乱するような軽い身のこなしはヒルダのもので、踊るようにこちらの剣を躱す動きや、剣戟の間に繰り出される蹴り技も、一朝一夕では身に付かない技術の結晶だった。
「何が平和、何が笑顔、何が復讐!! 他所の世界からやってきた、無関係の人間がこの世界のことを身勝手に語るな! 烏滸がましいにも程がある!! 平和なんて存在しない!! このワタシが成し得なかったことを、出来るかのように語るな!! 虫唾が走るッ!!」
「――――」
「本当に本当に本当に本当に本当に本当の本当に、君の存在が目障りだ!! 消え失せろ、天月伊織!!」
叩き込まれた強烈な一撃に、部屋の奥へと吹き飛ばされる。
壁を背にする俺へ、ヒルデ・ガルダは声高に叫んだ。
「――“閉塞世界・死天陰極”」
刹那、部屋全域を黒い魔力が覆い尽くした。
魔力は出入り口を塞ぎ、室内を完全に呑み込む。
「陰に覆われたこの世界の中において、魔力はすべてワタシに味方する。ワタシの魔術は威力を増し、君の魔術は地に落ちる」
体に纏わせていた魔力が、魔力に触れた瞬間に解れていくのが分かった。
『勇者の証』から供給される魔力の勢いも大きく衰えた。
「君をここで殺して、すぐに体を取り戻すとしよう。まだ、時間は十分にあるからね」
ヒルデ・ガルダが裂けるような笑みを浮かべながら勝ち誇る。
地面を蹴りつけ、不規則な機動でヒルデ・ガルダがこちらに向かってくる。
「終わりだ、天月伊織」
「……なあ、ヒルデ・ガルダ」
確かに、この結界は厄介だ。
ヒルデ・ガルダが憑依してきた者達の力も強力だ。
だが、
「――お前、薄っぺらいんだよ」
振り下ろされたヒルデ・ガルダの攻撃を受け流し、がら空きの腹部に膝を叩き込む。
「が、ぶッ」
痛みに顔を顰めながらも、ヒルデ・ガルダはしなるような動きで蹴りを繰り出してきた。
躱して、顔面に拳を叩き込む。
「な、何故……こんな」
「使いこなせてねぇんだよ」
ヒルデ・ガルダは多くの技術を身に着けている。
その一つひとつは、確かに強力だ。
だが、使い方が致命的に下手なのだ。
強い技を連続して使っているだけで、その繋ぎや、発動のタイミングはまるでなっていない。
「お前、自分が有利な戦いばかりしてきたんだろ? 今日みたいに人質を取って、結界を使って、自分が確実に勝てる勝負しかしてこなかった」
「……ッ」
「だから、対等な勝負になった途端、お前はどうしていいか分からなくなる。ヒルダの時の方が、まだ強かったぜ」
単純な戦闘技術だけならば、ヒルダは他の四天王に大きく劣る。
それでもヒルダが厄介だったのは、無限に再生する肉体を持っていたからだ。
「本物のヒルダは、お前よりもよっぽど強かったんだろうな」
「何だと……ッ」
「それとな」
ヒルデ・ガルダが振り下ろした『天理剣』の一撃を難なく受け止める。
「――ルシフィナの剣は、そんなに軽くねぇんだよ」
「黙れぇぇぇぇッ!」
激昂したヒルデ・ガルダが攻撃を繰り出してくる。
それは剣術で、拳術で、体術で、魔術で――そのすべてが俺には届かない。
弾き、受け止め、躱し、斬り伏せ、捻じ伏せる。
魔力が思うように使えない空間であろうと、この程度の雑魚なら何の問題もない。
「あ、がふっ」
血を吹きながら、ヒルデ・ガルダがゴロゴロと地面を転がる。
鼻血と涎で顔を汚すヒルデ・ガルダを見て、思った。
「ああ。この程度の雑魚だから、人質を取らないといけなかったんだな」
「――ッ。ワタシは“陰”だッ!! こんなところで死ぬなど、断じて認めないッ!!」
部屋に広がっている黒い魔力が、俺に向かって一斉に殺到してきた。
躱し、翡翠の太刀で魔力を両断する。
その隙に、ヒルデ・ガルダは大きく後ろへ下がり、天理剣を上段に構えていた。
直後、室内に凄まじい風が吹き荒れる。
「――『天理剣・メルトシュトロム』」
ヒルデ・ガルダの魔力が天理剣によって増幅されていく。
刀身から放たれた光が、天井に向かって伸びていった。
総毛立つほどの魔力の高まりを感じた直後――。
ヒルデ・ガルダは魔力を解放した。
「――“天突く明星の剣”」
視界を光が覆い尽くす。
増幅された魔力が無数の光の束となって、放たれる。
――天理剣。正式な名を『天理剣・メルトシュトロム』
聖光神メルトが、自らの権能によって創り上げた一振りの神剣。
メルト亡き後、妖精種の一族『エミリオール』によって回収され、封印され続けてきた。
選ばれた者以外は触れることすらできない、最強の大剣だ。
「……結局、最後まで他人だよりか」
何が死天。何が“陰”。
他人に乗り移って、他人に死を押し付けて、他人の技で戦って、最後は他人の武器に頼る。
そんな雑魚に、天理剣が使いこなせるわけがない。
ルシフィナの放つ斬撃の輝きは、こんなものではなかった。
「落ちろ、ヒルデ・ガルダ」
迫りくる閃光の奔流に、右手を伸ばす。
メルトに縁があるからか、猛るように『勇者の証』から魔力が溢れ出した。
現れるのは、漆黒の渦。
部屋を覆っていたヒルデ・ガルダの結界を喰らいつくし、渦はその規模を拡大していく。
天理剣から放たれた斬撃を前にして、渦が小さな球体へと凝縮された。
球体を解放するために、俺はその魔術の名を口にする。
「――“魔天失墜”」
漆黒の極光が、迫る天の光と激突した。
壁は崩れ、床は砕け、それでも収まらない魔力の奔流が荒れ狂う。
空間すら歪むほどの魔力の激突――決着は、すぐについた。
魔天失墜が、光を喰い破る。
「馬鹿な……」
ヒルデ・ガルダが、極光に呑み込まれた。
◆
――勝った。
ヒルデ・ガルダはそう確信した。
迫る魔天失墜の光が、ヒルデ・ガルダに届くことはない。
何故なら、隠し持っていた魔力付与品がすべてを防ぎきったからだ。
『神の守護を此処に』。
かつて教国が保有していた、強力な魔力付与品だ。
中に秘められている魔力が尽きるまで、どんな攻撃も通さないという破格の効果を持っている。
三十年前にアマツに届けられるはずだった魔力付与品だが、ヒルデ・ガルダはこれを回収していた。
今の攻撃で、『神の守護を此処に』はほとんどの効力を失った。
内に残っている魔力量を考えて、防げる攻撃はあと三撃。
だが、それで十分だ。
魔天失墜の爆炎に紛れて、ヒルデ・ガルダは部屋を出る。
向かうのは、ルシフィナ達がいる部屋だ。
「……ほう」
ヒルデ・ガルダの視界に入ってきたのは、残してきた二匹の龍を屠ったエルフィスザークの姿だった。
炎龍王と、古代龍はどちらも魔将クラスの力を持つ。
それをこの短時間で倒すなど、尋常ではない。
ルシフィナと人質達は、エルフィスザークの後ろで気を失っている。
「貴様……」
エルフィスザークがこちらを見て、目を見開く。
やってきたのが伊織ではなく、ヒルデ・ガルダだということへの動揺。
その一瞬の隙を、ヒルデ・ガルダは見逃さない。
「呑め、陰よ」
どす黒い魔力を地面に奔らせる。
狙うのは、エルフィスザークの背後にいるルシフィナだ。
「ッ」
ルシフィナを庇おうと、エルフィスザークが動く。
その瞬間、ヒルデ・ガルダは裂けるような笑みを浮かべ、完全なる勝利を確信した。
何故なら、ヒルデ・ガルダの狙いはルシフィナではなく、エルフィスザークだからだ。
虚空迷宮が落下すれば、迷宮内部もただではすまない。
伊織もルシフィナも、間違いなく死ぬだろう。
だが、エルフィスザークだけは違う。
膨大な魔力と強靭な肉体を持つ彼女だけは、虚空迷宮の落下に耐えることができる。
故に、次に憑依するのはエルフィスザークだ。
全盛期のエルフィスザークには、乗り移れなかった。
膨大な魔力に、憑依魔術を弾かれてしまうからだ。
だが、未だ心臓を持たないエルフィスザークならば、乗り移ることは出来る。
適合しなくても、迷宮が落ちた際の衝撃の盾になるだろう。
エルフィスザークに向かって、憑依魔術を発動しようとして、
「狙いはお前だ、エルフィ!!」
叫びとともに、ヒルデ・ガルダの背に魔術が直撃した。
『神の守護を此処に』によって、魔術のダメージが無効化される。
「――チッ」
攻撃してきたのは、伊織だった。
自分の狙いを読まれていたことに驚きながらも、ヒルデ・ガルダは構わず進む。
背後から猛烈な勢いで伊織が迫ってきているのが分かる。
また、伊織の一言ですべてを察し、エルフィスザークが魔眼を発動させる。
「“魔眼・灰燼爆”」
強烈な爆撃。
直撃していれば消し炭になっていただろう一撃は、しかし『神の守護を此処に』によって防がれた。
残り一回。
『神の守護を此処に』はどんな攻撃でも防ぎ切る。
ヒルデ・ガルダに届くことはない。
「ふ、ふふ」
背後で伊織が剣を振りかぶる。
エルフィスザークがもう一度魔眼を発動させようとする。
だが、無意味だ。
「ふはっ、はは」
既に、エルフィスザークは憑依魔術の間合いに入った。
もう、誰も間に合いはしない。
「はははははははははははははッ!!」
完全なる勝利だ。
死神の存在など、想定を越える事態もあったが、最後に勝っていればそれでいい。
エルフィスザークの体が手に入れば、無敵だ。
寿命を気にせず、死に怯えることなく、永遠に生き続けられる。
故に、永遠にこの世界で愉しみ続けることが出来る。
「――ワタシの勝ちだ」
裂けるような笑みとともに、ヒルデ・ガルダが勝ち誇る。
そして、その右腕が銀色に輝き、憑依魔術がエルフィスザークに向かって放たれる――――、
「――いいえ、貴方の負けです」
――刹那、『神の守護を此処に』が砕け散った。
「は……?」
飛んできた攻撃からヒルデ・ガルダを守り、その効力を失ったのだ。
それは、伊織の斬撃ではない。
それは、エルフィスザークの魔眼ではない。
『神の守護を此処に』を破ったのは――、
「貴方なんかに――伊織さんは負けません」
「ル……シ、フィ、ナァアアアア!!」
エルフィスザークの背後。
体を起こしたルシフィナが、ヒルデ・ガルダに魔術を撃っていた。
「ふざけるなぁ、お前ぇぇぇッ!!」
憑依魔術から逃れただけではなく、立って自分に牙を剥くなどあり得ない。
あってはならない。
ルシフィナの心は完全にへし折ったはずだ。
憑依から解放されたとしても、廃人同然になっているはずだ。
それがどうして立ち上がって、魔術を使っている?
「ば、馬鹿な。こんな、こんな馬鹿なことがッ!!」
「馬鹿はてめぇだ」
「――ッ!?」
背後から聞こえた、静かな声。
どす黒い憤怒を内包した復讐者の声に、ヒルデ・ガルダは慌てて振り向き、
「――俺の勝ちだ、ヒルデ・ガルダ」
「待っ、やめ――――」
振り下ろされた一撃に、意識を失った。
さぁ、復讐を始めよう