第八話 『その皮を剥ぐ』
――思えば、長かった。
魔王城で殺された、あの日から。
何人も、裏切った奴らを殺してきた。
マーウィン、ベルトガ、オリヴィア、ディオニス、ジョージ、リリー、マルクス、リューザス。
そして今、最後の一人が俺の眼の前に立っている。
――ルシフィナ・エミリオール。
俺が、最も信頼した仲間。
勇者パーティの、最後の一人。
長かった。本当に長かった。
だが、三十年前の因縁も、今日で終わらせる。
終わらせてみせる。
「伊織さん、前は私のこと無視してエルフィスザークさんのところに行ってしまいましたよね。私あれ、すっごく傷付いたんですからね。伊織さんが、私のことを無視するなんて……って」
「……ああ。その代わり、今日はしっかりとお前の相手をしてやるよ」
「あら、ふふ。嬉しいです、伊織さん。今日はエルフィスザークさんよりも、私のことを見てくださいね?」
反吐が出そうになるやり取りだ。
俺が不快に感じているのを知って、ルシフィナはニタニタと楽しそうにしている。
「…………」
ルシフィナが身に付けている装備に視線を向ける。
あの純白の鎧には見覚えがあった。
王国が所有していた、最上級の魔力付与品の一つで、名を『天鎧』という。
装備者の身体能力、魔術の威力、防御力、魔力耐性を上昇させる効果を持っていたはずだ。
『天理剣』には及ばないものの、破格の効果を持っている。
あの鎧を身に着けてきたことからも、ルシフィナも勝負を付けて来ていることが分かる。
「それにしても……思ったより、お二人は疲れているようですね。下にいた魔族達が思ったよりも頑張ってくれたみたいで。レフィーゼさん、思ったよりも戦力を溜め込んでいたんですね」
こちらの様子を窺って、白々しい言葉を吐くルシフィナ。
粘着いた喋り方に、苛立ちが強くなる。
それでも、俺が迂闊に動かなかったのは、事前に覚悟を決めてきたからだろう。
こいつには、冷静な状態でなければ勝てない。
「あ、そういえば、エルフィスザークさん。知ってました? 今の魔王代理、貴方の部下だった人の娘さんが務めているんですよ」
エルフィの方へ視線を向け、ルシフィナが嬉しそうに言う。
「レフィーゼ・グレゴリアって言うんですけど。彼女、お父さんがいなくて、とても悲しい思いをしたそうですよ。レフィーゼさんが家族を失った後、今までどうやって生きて来たかを考えると、同情で思わず涙が零れてしまいますね……」
わざとらしく目を潤ませ、ゴシゴシと目元を擦るルシフィナ。
結界に縛られているエルフィは、身動ぎ一つせず、冷めた表情でルシフィナを睨んでいる。
「貴方の至らなさで父を失った娘に、何か言いたいことはありませんか?」
「――ない」
ルシフィナの煽りに心を乱すことなく、エルフィはハッキリと切り捨てた。
その凛とした声音に、ルシフィナも動揺がないのを悟ったのだろう。
退屈そうに、大きな溜息を吐いた。
「つまらない人。前にも言いましたけど、伊織さん。この人のどこがそんなに気に入っているんですか? 煽りとかじゃなくて、純粋な疑問なんですが。ほら伊織さんって、私のこと好きだったじゃないですか。どうしてこの人に鞍替えしたんですか?」
「……ベラベラと喋るな、不愉快だ。お前の魂胆は分かってる。そうやって時間稼ぎして、俺達が結界で消耗するのを待ってるんだろ?」
こうしている間にも、体からごく僅かだが、魔力が抜けていくのを感じる。
対魔族の結界の影響を受けているエルフィは、俺よりも消耗の速度が速いはずだ。
このまま、喋っていても無駄だ。
「……別に、そんなつもりじゃないですよ。酷いことを言いますね」
「笑わせるなよ。大した結界だな、おい。いつからこんな魔術を使えるようになったんだ?」
「最初からですよ。貴方が気付かなかっただけじゃないですか? ふふ、伊織さんって鈍感ですし」
――『最初』から。
「……ああ、そうかよ」
時間の無駄だ。
エルフィが、グッと身を屈めるのが分かった。
俺も、心象魔術を発動させるため、『勇者の証』に力を入れる。
俺達が、同時に動き出そうとした瞬間だった。
「――動いたら、下の亜人達を殺します」
出鼻を挫くように、ルシフィナはそう口にした。
その言葉と同時に、パチンと指を鳴らす音が響く。
直後、部屋の中に映像が映し出された。
映像は、ルシフィナの手の中にある、球体から投映されている。
何らかの魔力付与品を使っているのだろう。
現れたのは、見たことのない魔物達が、群れをなして並んでいる光景だった。
「私が長年かけて集めた、魔物のコレクションです。今は絶滅したと言われている、凶暴な古代種もたくさんいるんですよ。この子達は中々強くて、村一つ、街一つくらいならば、容易く喰い散らかしてくれます」
この光景を見て、思い出す。
エルフィを助けに行く道中で立ち寄った、歪曲達の村。
あの村を襲っていたのも、俺が見たこともない魔物だった。
「さて、問題です。この子達は今、どこにいるでしょうか?」
「……オルドリン大森林の周囲か」
「大正解です」
勿体ぶるように喋るルシフィナの顔には、嗜虐の笑みが張り付いている。
聞くまでもなく、こいつの考えていることは分かった。
「私の合図一つで、あの子達は大森林を喰い荒らすでしょうね。二人とも、私の言っている意味が分かりますか?」
「亜人どもを人質に取っている、と言いたいのだろう? ……外道が」
楽しげに語るルシフィナに、嫌悪感を隠せないというようにエルフィが吐き捨てる。
「その通りです。貴方達の行動次第で、村人が大勢死にますよ。流石に精鋭揃いの亜人達ですから、全滅はないでしょうし、多分、コレクションの殆どが返り討ちにあうとは思います。ですがそれでも……百人単位で死人が出るのは、間違いないでしょうねえ」
古代種の魔物が、あれだけの数集まっているのだ。
ルシフィナの言う通り、かなりの人数の死人が出るだろう。
「…………」
「おっと」
俺が迷宮の外へ視線を向けると、ルシフィナが再び指を鳴らした。
その途端、迷宮を覆っている結界の強度が上昇する。
俺達でも、簡単には破れないレベルの強度だ。
「前みたいに変な魔術で逃げられては困りますから、より厳重に、周囲を結界で覆わせてもらいました」
「…………」
「この結界は、私が仕掛けた結界に加えて、虚空迷宮に備わっている結界を利用しています。頑丈さは、私が『天理剣』で確かめましたから、間違いありません」
ニヤニヤと、甚振るように言葉を続けるルシフィナ。
「まあ、どうしても結界を破って下の人達を助けに行きたいのなら、まずは迷宮核を奪って、迷宮の結界を解除することをおすすめしますよ。そうすれば、結界の硬度も下がって、破りやすくなるでしょう」
やってみますか? と首を傾げるルシフィナ。
それを軽々と出来ないことは、ここへ来る途中で理解している。
今回の虚空迷宮は、迷宮核を取ったらその場で下に落下してしまうのだから。
「おやぁぁ、もう分かっているみたいですねぇ。そう、その通りです!! 迷宮核を取ったら、この迷宮は落ちちゃいます!! こんな大きな物体が落ちたら、大森林はとんでもないことになってしまいますねぇ!! あっはははははは!! 想像するだけで、胸が痛んで痛んで、仕方ありませんよぉ!!」
俺達が動けば、魔物達が大森林を襲う。
襲われている大森林を助けたければ、迷宮核を取って結界を解除しなければならない。
しかし、迷宮核を失った虚空迷宮は、大森林に落下する。
当然、ルシフィナはその間にも俺達を攻撃するだろう。
つまり。
ルシフィナの言う通り、俺達はどうやっても人質を助けられない。
セプルやクゥを助けたければ、このままルシフィナに嬲り殺されるしかないのだ。
「……ふざけた茶番だな」
エルフィを除けば、俺の甘さを最も理解しているのはルシフィナになる。
だから、人質という手段を取ったのだろう。
甘い俺を、確実に殺すために。
「……四天王が聞いて呆れる。正面から戦って勝てないからと、こんな下らぬ手段を取るとはな」
「私は見栄とかプライドとか正しさとか、そういう下らないモノは重視しませんから。ほら、そんなモノを気にしていると、どこかの元魔王さんみたいに、封印されちゃうかもしれませんし!」
でも、とルシフィナが提案するように人差し指を上げた。
「貴方達が下の人達を見捨てれば……私と正面から戦うことができますよ?」
私はそれでも良いんです、とルシフィナは嗤う。
「世界の平和を望んでいた貴方達が、我が身可愛さに多くの人を見捨てる!! それって、最高に愉快でしょう!? ここから万に一の確率で、生きて帰れたとしても、大勢を切り捨てた貴方達の生き方は、ここで大きくねじ曲がる!! ふ、ふふ、あははははははは!!」
そう言いながらも、ルシフィナは理解している。
俺が、村人を見捨てることはないだろう、と。
だからこそ、先ほどからルシフィナの注意はエルフィに向いている。
元魔王が、俺の意に反して人質を見捨て、襲ってきても良いように。
「…………」
ザッ、と。
一瞬だけ、映し出されている映像にノイズが入ったのを見た。
だから俺は、ルシフィナに言う。
「その魔力付与品、便利だな」
「……はい?」
場違いな俺の言葉に、ルシフィナが固まる。
構わず、俺は言葉を続けた。
「下の魔物達に、それと対になっている魔力付与品を持たせているんだろ? 便利だよな、それ。もっと普及していたら、色々なことが楽になっただろうに」
「……何を悠長に話しているんですか? まさか、私がハッタリを言っているとでも? 貴方、この期に及んでまだ、私が心優しいとか思っているんじゃないですよね?」
手元の魔力付与品に視線を落としながら、怪訝な表情を浮かべるルシフィナ。
「いいや。お前は言った通りに、魔物達を動かすだろうな」
「……ええ。ですので、動かないでください。今から貴方達を殺します。大丈夫、動かなければ下の人達は殺しませんよ」
嘘だ、と思った。
こいつは確実に、約束を守らない。
恐らく、俺達が動けなくなるほどに甚振った後、笑いながら魔物達を動かすだろう。
「では、そろそろ終わりにしましょうか」
ルシフィナが、『天理剣』を掲げる。
「――さようなら、伊織さん」
そう言って、ルシフィナが斬撃を放とうとした瞬間だった。
「――――」
エルフィが、動いた。
無言のまま、ルシフィナに灰燼爆を撃ち込む。
「……ッ」
斬撃を放つのをやめ、ルシフィナが灰燼爆を両断する。
爆炎が二つに分かれ、轟音を響かせる。
無傷のまま、ルシフィナは皮肉げに笑った。
「はっ、そうでした。貴方は元・王様ですもんね。より多くの民のために、少数の民を切り捨てるなんて、きっと日常茶飯事だったんでしょう。でも、馬鹿なことをしましたね」
「…………」
「亜人なんてどうでも良い貴方は動けるでしょうが、伊織さんは違――」
「――違わねえよ」
瞬間、俺はルシフィナに斬り掛かっていた。
「――ッ!?」
翡翠の太刀は、『天理剣』に受け止められた。
だが、予想外の攻撃に、ルシフィナが体勢を崩す。
その瞬間に、俺はルシフィナの額に思い切り拳を叩き付けた。
「がッ……」
小さく声をあげながら、ルシフィナは部屋の中央を越えて吹き飛んでいく。
『天理剣』を地面に突き刺し、空中で勢いを殺して、地面に着地するルシフィナ。
俺が殴り付けた額を抑えつけながら、不快そうに俺を睨んで来る。
「……驚きました。まさか……貴方が、人質を見捨てて攻撃してくるなんて」
驚愕からか、その顔からは余裕が消えている。
だが、途中で調子を取り戻したのか、その表情に再び嫌らしい笑みが戻ってきた。
「……あんな甘くてくだらないことを言っていた貴方が! あの英雄アマツが!! 我が身可愛さで、何の罪もない亜人の人達を見捨てるなんて!! あははははは!! 最っ高ですねぇ!!」
腹を抱えて笑うルシフィナを、俺達は静かに睨んでいる。
俺達がまったく動じないのが面白くないのか、
「……じゃあ、今から見せてあげますよ。貴方達が見捨てた人質が、どんな悲惨な目に会うのかを」
そう言って、ルシフィナはパチンと指を鳴らす。
魔物達が大森林を蹂躙する光景を思い浮かべ、裂けるような笑みを浮かべるが――、
「…………は?」
魔物達は、微動だにしなかった。
ルシフィナの指示を聞き入れることなく、ピクリとも動かない。
いっそ、不自然なくらいに。
「どうして……?」
「便利な魔力付与品だが、ちゃんと動作しているか確認したのか?」
「……ッ」
バッとこちらを向き、睨み付けてくるルシフィナ。
「貴方が何かしたんですか? ……いや、あり得ません。あれはすべて、古代種の中でも特に強い魔物達に持たせている。そこへ私に気付かれずに干渉するなんて芸当が、できるはずがない!!」
干渉するぐらいなら、俺にもできるだろう。
だが、ルシフィナに気付かれずにやるのは不可能だ。
エルフィでも、それは同じだろう。
「ああ、俺達じゃない」
「俺達……? じゃあ、一体誰がやったというんですか」
苛立った表情で、ルシフィナがそう言った瞬間、
『――ボクだよッ!!』
映像全てに、ピンク髪の少女――アイドラーの姿が映し出された。
『やぁ、伊織君。そして初めまして、エルフィスザーク。計画は順調だよ』
ぐるりと映像が切り替わった。
映っているのは、大量の魔物が大規模な結界に封じ込まれている光景だ。
身動きの取れない魔物達に、遠方から人犬種を始めとした亜人の戦士が、攻撃を仕掛けている。
「何ですか、これ……」
――ルシフィナは、俺を殺すために人質を取った。
甘い俺が手出しできなくなるように、前もって準備していたのだ。
そして、準備をしていたのは俺も同じこと。
俺の弱点を知っている『こいつ』が取る手を、あらかじめ摘み取っておいた。
「お前が大森林の周囲に魔物を隠していることを、俺達はここに来る前から知っていた」
魔物の群れか、魔族の軍勢かまでは予想できなかったが、ルシフィナが大森林の周りに何かを仕掛けていることは分かっていた。
だから、ルシフィナに気付かれないよう、アイドラーに調べてもらったのだ。
その結果、気配を遮断する結界の中に、大量の魔物が隠れていることが判明した。
そして、その魔物達の何体かが魔力付与品を身に付けていることも。
そこから、俺達は計画を練った。
勝つために、人質を取られないために。
「……馬鹿な、あり得ない。どうして、魔物達がそんな結界に嵌っているのですか。私の指示がなければ、動かないように躾けてあるのに……!」
『それがあり得るんだよね。あの魔物達、ボクを見たら脇目も振らず追いかけてきてね。二十回くらい死にそうになったよ。けど何とか、こうして結界にまで追い込むことができた』
ルシフィナが連れてきたのが魔物だったお陰で、対策は取りやすかった。
何せ、アイドラーは魔物を引き寄せてしまう。
アイドラーを餌にすることで、魔物を誘導したのだ。
「魔力付与品に干渉されて、私が気付かないはずがありません! それに、大森林の様子は逐一確認していました! あんな結界を作っている様子なんて、まるでなかった!!」
『君が監視していることくらい気付いていた。だから、気付かれないように作業を隠蔽していたのさ」
画面越しに、ニィとアイドラーが笑みを浮かべる。
ルシフィナは、信じられないと言った様子を浮かべ、部屋の奥へ後退る。
俺達は、ルシフィナに気付かれないように大規模な結界を張った。
古代種の群れを、一定時間無力化できるように。
そして、このことをセプル達に話した。
アイドラーが魔物達を結界に封じ込めた後、身動きの取れない魔物達を倒してもらうように。
『――ああ。あと、君が村に忍び込ませていたスパイ。全員、捕まえてもらったから』
「は……?」
『九人いるでしょ? ハーフエルフが三人、妖精種が二人、土妖精が二人、人犬種と人猫種が一人ずつ。違うかい?』
「……ッ」
指を折り、紛れ込んでいたスパイを数えるアイドラーに、ルシフィナが目を見開く。
「貴方、一体何者ですか!!」
『――“死神”』
その名乗りに、ルシフィナが息を呑む。
「死神……貴方が。実在、していたのですか」
『うん。超絶美少女なボクは、ほらこの通り。ちゃんと実在しているよ?』
「……その死神が、何故私の邪魔をするのですか? 貴方は魔王軍に所属していた、と聞きましたが」
『復讐さ。君達には、恨みしかないからね』
薄く笑みを浮かべ、ルシフィナの問いに答えるアイドラー。
背後から、魔物の咆哮と、亜人の戦士達の怒号が聞こえてくる。
アイドラーがそちらに意識を向けていないとうことは、魔物の掃討は問題なく進行しているということだ。
これで、『村を囲んでいた魔物』に関しては、ほぼ解決したと言っていいだろう。
『じゃあ、死神らしく、死の宣告でもしておこうか』
桃色の瞳が、画面越しにルシフィナを射抜いた。
『――今、ボクと話している君は、今日この場で死ぬ。そして、死後の世界に行くこともないだろう』
「……何を」
『知ってるだろう? ボク達は死んで終わりじゃない。満ち足りた死を向かえたら、行ける世界があるってことをさ』
アイドラーの言葉に、ルシフィナは心底不快そうに顔を歪めた。
それは、ここへ来て初めてルシフィナが見せた、嫌悪の表情だった。
「……私は冥府なんていう、得体の知れない場所に期待などしていません。あんな場所、今どうなっているかも分からないというのに、期待を寄せる方が愚かというものです」
『ふぅん。じゃあ、君は冥府に行きたくないんだね』
「ええ。冥府などに興味はありません。行くこともないでしょう。私はいつまでも、楽しく愉快に、満ち足りた生を送り続けますから」
ですから、とルシフィナがアイドラーを睨み付ける。
「この場を片付けた後で、貴方も甚振って殺してあげますよ。それこそ、冥府に行けないくらいの苦痛を味合わせて、ね」
『ひぃ、それは怖いね』
『天理剣』を持ち上げて宣言するルシフィナに、アイドラーがわざとらしく身震いする。
そんな態度に、何か感じることがあったのか、ルシフィナがスッと目を細めた。
「……貴方、以前、どこかでお会いしていますか?」
『いいや。君と会うのは初めてさ、ルシフィナ・エミリオール』
端的にそう返答すると、アイドラーがルシフィナから視線を外した。
俺の方に顔を向け、小さく微笑む。
『後は君次第だ、伊織君。頑張ってね』
激励の言葉とともに、ブツリと映像が途絶えた。
ルシフィナの手にある球体は、機能を停止してその輝きを失った。
映像越しの喧騒は消え、部屋の中に静寂が戻ってくる。
「どうやら、また訳の分からない厄介な人を味方に付けているようですね」
部屋の奥まで後退ったルシフィナは、興が削がれたような表情をしている。
人質はいなくなり、最早ルシフィナを守るものは何もない。
だが、俺達は動かなかった。
これで終わりではないと、知っているからだ。
「ですが、これで勝ったなんて思わないことですね」
こちらの考えを肯定するように、ルシフィナがパチンと指を鳴らした。
それを合図として、人間大の大きさをした三つの十字架が、部屋の後方からルシフィナの下まで移動してきた。
「――だってまだ、人質はいますから」
銀色の瞳を禍々しく煌めかせ、悪意を煮詰めたような嘲笑を浮かべるルシフィナ。
三つの十字架には、ルシフィナの言葉通り、それぞれに一人ずつ、亜人の女性が縛り付けられていた。
セプルが言っていた、虚空迷宮からの襲撃で行方不明になった人達だろう。
「ここにも直接人質を連れ込んでいるとは、随分と用意周到だな」
「ええ。私は、他の方々のように貴方達を甘く見ていませんから。本当なら、貴方達の相手はオルテギアさんに丸投げしたかったんですけどね。そうも行かないのが、辛いところですよ」
やれやれと首を横に振るルシフィナの表情には、既に余裕が戻ってきていた。
先ほどのやり取りで、俺達にまだ人質が有効であると理解したからだろう。
「貴様は随分と人質が好きなようだな」
「ええ、大好きですよ。相手を一方的に嬲れて、おまけに精神も追い詰められる。一度で二度美味しい、素敵な行為ですから。機会があったら、貴方もやってみてはどうですか?」
吐き捨てるようなエルフィの言葉を、嬉々として肯定するルシフィナ。
人質。
勇者パーティとして、旅をしていた時、ルシフィナが最も嫌いだと言っていた行為だ。
卑怯で、卑劣で、騎士どころか、戦士として最低の行為であると、弾劾していたのを思い出せる。
「……ねえ、伊織さん。さっきから、随分と静かですね。私は貴方を裏切って殺した張本人の一人ですよ? 忌光迷宮の時のような、心地の良い憎悪をもっと向けてくださいよ」
確かに、いつもの俺ならばここに至るまで何度も激昂していただろう。
憎悪のまま、ルシフィナを口汚く罵倒していたかもしれない。
数年間、ともに魔王軍と戦い続けてきた、ルシフィナがこの台詞を吐いていたのなら。
「それとも、冷静ぶって格好つけてるんですか? もしそうなら、似合ってませんから。貴方は馬鹿で、甘くて、それでいて情熱をメラメラと燃やすような、騒々しい人間でしょう? ほら、『よくも裏切ったな』と、みっともなく叫んで良いんですよ」
横のエルフィが、こちらに委ねるような視線を向けてきているのが分かった。
だから、小さく頷いて、ルシフィナに視線を向ける。
「……なあ。お前は、“冥界”のことを“冥府”って呼ぶんだな」
「……はい?」
「冥府ってのは、大昔に使われていた呼び方で、かなり前から、もう使われていないらしいぜ」
ピクリと、ルシフィナの目元が痙攣する。
「……それが、何だって言うんですか」
俺は確信した。
風魔将達を倒した後に喰らったあの光と、ここまでの言動で。
……いいや。
“歪曲“の村でルシフィナが張った結界に触れた時に、薄々気付いてはいた。
そして本当は、三十年前のあの時に、気付くべきだったんだ。
「なぁ」
俺は、問う。
「――お前、誰だ?」
ルシフィナが、裂けるような笑みを浮かべた。




