第十二話 『鎧袖一触』
迷宮の入り口から入ってきたのは、リューザスが率いる王国の部隊だった。
……面倒な奴が来た。
土魔将との戦いが終わってから、それなりに時間が経過している。
俺が意識を失っている間に、迷宮の中に入ってきたのだろう。
「……てっきり、牢屋にでもぶち込まれてると思ったんだけどな」
「あァ、そうなりかけたさ。潔白を証明するのが大変だったぜ?」
騎士と魔術師の混成部隊を率いていることから、ひとまず処分は免れたのだろう。
騎士が十五人、魔術師が十人。
リューザスも含め、二十六人の敵が並んでいる。
「この魔力。そこの女……魔族か!」
「チッ、汚らわしい」
後ろに控えていた騎士達がエルフィスザークに気付き、それぞれが汚物を見るような視線を送る。
「……ふむ」
エルフィスザークは軽く呟いただけで、大した反応は見せない。
今度は俺が巻き込んでしまった形になるが、今はまだ何かするつもりはないらしい。
「アマツキ君よォ。そっちの魔族は一体何だ? まさかとは思うがお前……魔族側に寝返ろうとしてんじゃねえだろうな?」
「こいつは関係ない」
そう返すが、後ろに控えていた騎士達の耳には入らなかったらしい。
「勇者という立場でありながら、魔族を見逃しているのはどういう事だ! 今すぐその魔族を殺せ!」
「国宝を盗み、あまつさえ魔族と共にいるなど、一体何を考えている!?」
「ふざけるのも大概にしろッ!」
唾を散らしながら、騎士達がこちらに怒鳴ってくる。
勇者と魔族という組み合わせが、よほど許せないらしい。
それを止め、リューザスが再び口を開いた。
「まァ、いいさ。取り敢えず、本題だ。天月伊織――国宝と魔石を返還し、王国へ戻れ。勇者として王国に尽くすと言うのなら、お前の犯した罪は赦そう」
俺が腕に嵌めている『強魔の腕輪』と『防魔の指輪』を指差しながら、リューザスが滔々とそう言った。
「――ってのが、国王陛下のお言葉だが……素直に王国に戻るつもりはあるか?」
「……あるとでも思っているのか?」
どんな条件を付けられたとしても、王国に帰る訳がない。
それはリューザスも織り込み済みのようで、
「いいやァ? ただの確認だよ。陛下は抵抗するなら殺しても良いとも言ってたからなァ。俺的には、そっちの方が都合がいい」
と嫌らしく笑った。
後ろに控えている連中が、それぞれ武器を構える。
「けどよォ……どうやって土魔将を倒したかは知らねぇが、随分消耗してんなあ? そんなザマで、俺達に勝てるとでも思ってんのか?」
後ろの連中はともかく、確かに消耗した状態ではリューザスには勝てない。
そもそもローブを着ている時点で殺せないのだ。
「当然、そっちの魔族も生きては帰さねえ。生け捕りにして拷問、最後には処刑して晒首って所か?」
「お言葉ですが、リューザス殿。あのような汚物が王国に踏み込むなど、とても耐えられません」
「拷問をするならこの迷宮で行い、この場で殺すのが良いかと」
リューザスの言葉に、騎士達が反応する。
どの道、エルフィスザークも殺すつもりのようだ。
土魔将の時とは違い、俺が巻き込む形になってしまったな。
その時、リューザスがぽんと手を打った。
「ああ、そうだ。じゃあ、そこの勇者に最後のチャンスをやるよ。てめぇの手で魔族を殺せ。それから俺達に降伏するんだったら、殺さないでおいてやるよ。優しいだろ、なァァ?」
「流石リューザス殿、いい考えです」
「魔族はもちろん、それに与するような愚かな勇者ならば生かしておく価値もないですからな」
リューザスの提案に、その場にいた連中が良い思いつきだと頷いた。
「勇者、天月伊織。僅かにでも勇者としての矜持が残っているのなら、今すぐにそこの魔族を斬り殺せ!」
俺の手で殺せと、連中は囃し立てる。
それを見た俺の反応を、リューザスはニヤニヤと笑いながら見ている。
チラリとエルフィスザークへ視線を向けるが、その表情から感情は読み取れない。
何を言うでもなく、ただ目を瞑って沈黙を保っている。
俺の手でエルフィスザークを殺せ、か。
下らない。
俺が殺したいのはお前であって、この女を殺す意味などない。
「はッ! 魔族も殺せねえとは、勇者アマツキ様は随分と甘いこったなァ?」
動こうとしない俺へ向かって、リューザスが挑発を投げてくる。
こいつも最初から、俺が従うなどとは思っていないのだろう。
ただ単に、俺が怒りで思考を鈍らせるのを待っているのだ。
「『妹を守りたい』と語ったら、ころりと態度を軟化させた、どこぞの英雄サマと同じくらい甘えなァ!」
安い挑発だ。
怒りに任せて突っ込むような真似はしない。
「傑作だよなァ! 妹ォ? そんなのはいねェってのによォ!!」
ただ流石に、耳障りだ。
そのふざけた口を止めてやろうと、ポーチへ手を伸ばした時だった。
「全く、勇者っていう人種は、どれだけお花畑な頭をして――」
「――黙れ」
その瞬間、空気が凍り付いた。
冷気を錯覚させる程の殺気。
リューザスが息を呑み、背後の騎士達が小さく悲鳴を上げる。
「即刻その口を閉じろ。貴様らの言葉は聞くに堪えん」
それまで傍観に徹していたエルフィスザークが、前へ踏み出した。
「な……なんだ、テメェ……」
「聞こえなかったのか。私は黙れと言ったのだ」
「っ……!」
エルフィスザークが冷ややかにリューザスを睨む。
凍えるような気迫に息を呑み、リューザスが後退った。
「話の流れからして、なんとなく伊織の事情は分かった」
「…………」
「私は魔族に嘲笑われ、お前は人間に罵られる。なぁ伊織、私達は似ているな」
「あぁ」
嫌になるくらいにな。
お互いに、くそったれな同族を持ったものだ。
「テメェら構えろ!」
エルフィスザークの殺気を受け、既に相手は戦闘態勢に入っていた。
俺とエルフィスザークの両名を標的にし、魔術を放つ準備を行っている。
「手を出すな、とは言うまいな? あれだけの侮辱を受けて、見逃してやるほど私は寛容ではないぞ」
「……ああ。だが、真ん中の男は殺すな。あれは俺の獲物だ」
「ふ、了解した」
薄く笑い、エルフィスザークが頷いた。
◆
「臆すな! 敵は役立たずの勇者と、手負いの魔族の二名だけだ!」
「ッ、てめェら、殺せ!」
そうしている内に、我に返った連中が一斉に攻撃を仕掛けてきた。
複数の魔術が、一斉に飛来する。
初手で俺達を仕留められるよう、あらかじめ詠唱を行っていたのだろう。
確実にこちらを殺しきる、それぞれが必殺の威力を持つ魔術。
リューザスが余裕ぶっていたのは、初手で俺を殺す自信があったからか。
向かい来る魔術を見て、臆した様子もなくエルフィスザークが言う。
「後衛は私に任せろ。お前ならば、あの程度の連中に遅れは取るまい?」
「当然だ」
薄く笑い、直後エルフィスザークの瞳が、紅に染まる。
「くはははッ! 吹き飛べ、カス共がァ!」
魔術の命中を確信し、リューザスが嗤う。
飛来した魔術がエルフィスザークを撃ちぬく、まさに直前。
「――“魔眼・重圧潰”――」
魔力で創りだされた重力によって、全ての魔術が地面に墜ちた。
俺達に届くことなく、次々と魔術が潰れていく。
「なっ!?」
「魔眼だと!?」
リューザス達が動揺の表情を浮かべると同時、連中の足元へ、複数の魔石を投擲する。
魔眼に意識の散らしていた者達の反応が遅れた。
「ひっ」
「し、しまっ」
壊魔の爆発が、逃げ遅れた連中を容赦なく飲み込んだ。
「ぎゃああああッ」
「足が、足がぁあああ!」
爆発を喰らった連中が絶叫を上げている。
今ので魔術師の大半が吹き飛び、騎士の何人かも地面に転がっている。
全滅しなかったのは、リューザスが直前で防御魔術を発動したからだ。
だが、全盛期と比べて、反応速度がかなり落ちている。
以前なら、あの程度の攻撃は全て防いで見せたはずだ。
「弱くなったな、リューザス」
「な……この、クソがァ!」
激怒したリューザスが、魔術を放とうと手を突き出す。
その手から魔術が放たれるよりも前、冷静さを失った騎士の一人がこちらへ突っ込んできた。
「ッ、待て!」
「勇者、貴様ァァァ!」
好都合だ。
横へ跳び、騎士の動きを誘導する。
激昂した騎士は、自分が仲間の魔術の軌道上に入り、邪魔をしていることに気付かない。
仲間を巻き添えには出来ず、リューザス達は魔術の行使を止めるしかない。
「よくも仲間を……この下種がァ!」
「……お前らだけには、言われたくないな」
「あ、ぇ?」
大振りで大雑把な一撃を躱して一閃。
ポーチから抜き取った予備の剣で、騎士の首を刈り取る。
呆けた表情の首が宙を舞う。
「クソッ!」
仲間の死を確認し、一斉に魔術が飛んでくる。
首を失った騎士を蹴り飛ばして魔術の盾にすると同時。
地を這うかのように姿勢を低くし、魔術を掻い潜って騎士の眼前へと肉薄する。
「なっ!?」
「……鈍いな」
魔術師を守るように立っている騎士達の、足首へ向けて剣を横に薙いだ。
「ひ、ひぎゃああああああッ」
足首から斬り落とされた騎士達が、絶叫と共に倒れていく。
仲間がやられ、その場にいた者達の注意が俺に集中する。
その好機を、エルフィスザークは逃さなかった。
「――伊織!」
声を聞くや否や、俺は横へ大きく跳んでいた。
刹那、エルフィスザークの双眸が紅の輝きを見せる。
「馬鹿が、前だッ!」
それに対応出来たのは、リューザスだけだった。
「――“魔眼・灰燼爆”――」
魔眼が放たれると同時、自分と魔術師を守るように防壁を展開する。
だが、対処出来なかった騎士達は、悲鳴も上げられぬまま爆発に飲み込まれた。
残るのは、灰燼と化した残骸だけだ。
「そ、そんなッ!?」
「ひ、ひぁああ」
騎士が全滅したのを見て、残った魔術師が恐慌状態に陥った。
一瞬で死んでいった仲間に、完全に平静を失っている。
「……随分と、戦闘慣れしてない奴ばかりを連れてきたんだな」
安全な戦いばかりしてきたのだろう。
死を目の前にして、魔術師達は萎縮して、魔術を放つ手を止めてしまう。
――だから、俺の投げた魔石にも反応出来ない。
「ちィ、役立たず共がッ!」
「へ、あッ!?」
呆けていた魔術師を蹴り飛ばし、リューザスは壊魔からの盾にする。
何が起こっているのか分からないという表情のまま、残りの魔術師達も吹き飛んだ。
残るは、リューザスのみ。
「クソ、役立たず共がッ! どうしてこんな時に限って、ろくに戦える奴がいねえんだよ! クソッ、クソがッ!」
最初に浮かべていた余裕は既にない。
動揺し、死んでいった部下たちを口汚く罵り始める。
「……哀れだな」
「ひっ!?」
いつの間にか、エルフィスザークが前に出てきていた。
酷く冷めた目で、リューザスを見ている。
二対一。
数の優位が失われ、リューザスの表情が引き攣った。
「ま、待て! 来るんじゃねえ! 頼む、待ってくれ!」
分が悪いと判断したのか。
両手を上げ、リューザスが降伏のポーズを取る。
「わ、分かった! もう攻撃しない! もう追わないから、許してくれ!!」
頭を下げ、震え声で懇願するリューザス。
その言葉に、エルフィスザークが動きを止めた。
その瞬間。
「なァァんて言うかよォ!!」
持ち上げた右腕に炎が灯り、それをエルフィスザークへと向ける。
それを放とうと、リューザスの顔が笑みで歪むのと同時だった。
「――あ?」
俺の剣が、リューザスの右腕を斬り飛ばしていた。
宙を舞い、腕が地面へと落下する。
それをリューザスは呆けた表情で見ていた。
「ひ、ぁ、あああああああああッ!?」
数秒の間を空け、リューザスが絶叫した。
斬り落とされた腕を抑え、地面をのたうちまわっている。
ようやく、剣が通った。
騎士剣ではローブの防御を越えられなかったが、今の剣ならば切断が可能らしい。
王国でローブに騎士剣が通らなかった時は、酷く落胆したものだ。
ようやく、あの時の借りを一つだけ、返すことが出来たな。
「さっき、どうして攻撃を止めたんだ?」
もがき苦しむリューザスから視線を外し、エルフィスザークへ問いかけた。
リューザスの命乞いに応じたのか?
「こいつはお前の獲物なのだろう? お前に譲るべきだと思ったんだ」
「ああ、そうか。それは助かったよ」
エルフィスザークが殺そうとしていたら、止めるつもりではいた。
こいつを殺すのは俺なのだから。
それに、自爆するローブを着ているから、今殺す訳にはいかない。
「アマツ……ッ! よ、よくも……俺の、俺の腕をッ!!」
「三十年前に俺の腕を落としておいて、よく言う。右腕を失った気分はどうだ?」
「ふざけ……やがってッ! クソ、クソクソクソォォ!」
そう喚くリューザスの傷口が、自然に癒えていく。
どうやら、体に何らかの魔術を仕込んでいるらしい。
殺せば自爆するローブも健在だろう。
「俺を、俺をこんな目に……許さねえ、許さねえェ……!」
そう呟くリューザスの視線が、不意にエルフィスザークへと向けられた。
「そうか……テメェ、思い出したぞ! あの時、魔王城で戦った魔族か……!」
そして、活路を見出したかのようにニヤリと笑みを浮かべた。
「お前も覚えてんだろ!? 魔王城で、アマツのパーティと戦ったのをよォ! そこにいる天月伊織はな、あの時テメェを打ち負かしたアマツなんだぜ!?」
「だから?」
「だ、だから、お前もアマツに恨みがあるだろ!? 俺が手を貸してやる! だから一緒にそこのアマツをぶっ殺そう!」
命乞いの次は勧誘。
尻もちを付いたまま、リューザスがエルフィスザークの方へ残った手を突き出す。
その腕がエルフィスザークに触れようとした直後だった。
メキリと何かが軋む音が響く。
「ぎゃあああああああッ!!」
エルフィスザークに伸ばした腕が、魔眼の重力によって押し潰されていた。
骨が砕ける音と、リューザスの絶叫が響き渡る。
「……伊織。私が言うのも何だが、仲間は選んだ方が良いぞ」
「その通り過ぎて返す言葉がない」
交渉の余地がないと悟ったのだろう。
ひっ、と声を漏らして、両腕を失ったリューザスが後退る。
「あ、あぁ……! ふ、ふざけるなよ。テメェ、俺が誰だか分かってんのか!? 俺様はリューザス・ギルバーン! 王国最強の魔術師なんだぞ!」
「知らんな」
「は、はァ!?」
「アマツは知っているし、ルシフィナとかいう剣士も、いけすかん鬼族も知っているが、お前みたいな奴は知らん。そもそも、興味もない」
「そんな……」
絶望の表情を浮かべたリューザス。
もう黙れ、とエルフィスザークが足を上げた。
「覚えときやがれ……! テメェの顔は覚えた! アマツ共々、絶対にこの俺が、地獄にたぶッ」
エルフィスザークの蹴りが、リューザスの顔面に直撃する。
奇声を発し、リューザスはそのまま意識を失った。
自爆するローブがあるせいで、今すぐ殺す訳にはいかない。
それに、こいつから確かめなければならない事がある。
裏切り者の人数、真偽。
それをこいつから、抜き取らなければならない。
そのための手段はある。
鎧袖一触、と言っていいのか。
これで、王国からの追手は全滅した。




