第三話 『予期せぬ再会』
――王国に押し寄せる軍勢を撃退した後のことだ。
俺は国王の命令に従い、奈落迷宮を潰した。
それからすぐに、教国から王国へSOSが送られてきた。
聖堂騎士団を危険視した魔王軍が、教国を潰すために同時攻撃を仕掛けたらしい。
教国を襲う魔王軍を退けるため、俺はすぐさま王国を出立した。
オルドリン大森林を通過し、何度も魔王軍の襲撃を退けた。
途中で、王国と同盟を組んだ鬼族最強の戦士、ディオニスが仲間に入ったりもした。
この時始めて、俺、ルシフィナ、リューザス、ディオニスの四人パーティが完成したんだったな。
「ふふ。仲間が増えて、嬉しいです」
ディオニスのパーティ加入に対して、そんな風に微笑むルシフィナが印象的だった。
普段は穏やかながら、ルシフィナは真面目だ。
そんな彼女の笑みに、少しドキリとしたのを覚えている。
その後も何度か魔王軍と戦闘を重ね、教国に到着してすぐのことだった。
「――遠からん者は音にも聞け、近くば寄ってなんちゃかんちゃら!」
そんな適当な言葉とともに、唐突に俺達の前に一人の女が立ち塞がった。
白いブラウスとショートパンツという簡素な恰好をした、オレンジ髪の女だった。
唐突に現れた女を警戒し、俺達は即座に臨戦態勢に入る。
「皆様、ご機嫌よう! この荒んだ戦場に、一輪の花の如きアタクシが登場ッスよぉ!」
そんな俺達を気にも留めず、女はボサボサの髪を振り乱しながら、ハイテンションに叫んだ。
そして、ニヤリと笑みを浮かべ、両腕を広げながらもったいぶるように言葉を続ける。
「アタクシは魔王軍し――」
ズダンッと音がした。
女は最後まで言い切ることなく、血を撒き散らしながら地面に倒れ込む。
『魔王軍』という単語が出た瞬間に、リューザスとディオニスが攻撃を加えたのだ。
女は反応すらできず、血溜まりに沈んで痙攣している。
「隙だらけなんだよォ」
「敵が馬鹿だと、楽で良いよね」
嘘だろ。
名乗ってる最中に殺しやがった……。
「お、お前ら……それは酷くないか」
「「何が?」」
二人が同時に首を傾げる。
いや……確かに最後まで名乗らせる理由はなかったかもしれないが……。
ここまで躊躇なく殺しに掛かられると、味方ながらビビる。
「いや、敵っぽかったし、話を聞く価値ないでしょ」
「あァ。おいアマツ、甘いこと言ってると、次に吹っ飛ぶのはてめェの頭になるぞ」
殺して当然、と言い切る二人。
「こら、二人とも」
そこで、ルシフィナが険しい声で二人を咎めた。
ルシフィナは騎士だもんな。
流石に、こういった不意打ちは見逃せないか。
ルシフィナは、清廉潔白で、正々堂々っていう感じだもんな。
……と、思った直後だった。
「まったく、駄目じゃないですか」
そう言いながら、ルシフィナが倒れている女に追撃を加えた。
ビクビクと痙攣を続けていた女の首が、ボシャッと音を立てて吹き飛んだ。
大量の血が、雨のように降り注いでいる。
「トドメはちゃんと刺さないとメッ、ですよ。魔族は生命力が強いんですから」
「えぇ……」
……マジか。
いや、戦場においてはルシフィナ達の方が正しいんだろうし、俺が甘いとは思う。
けど、これは勇者パーティの言動じゃないだろ……。
「酷えなこいつら……」
「本当ッスよね……」
思わず呟くと、隣から同調する言葉が聞こえてきた。
ゾクリ、と全身に悪寒が走る。
「――ッ」
咄嗟に、その場を飛び退く。
ルシフィナ達も、同時にバッとこちらを振り向いた。
「あー、イタタ。名乗りを邪魔されるどころか、頭吹っ飛ばされるとは流石に思わなかったッスよ」
俺達の視線の先にあったのは、ヘラヘラと笑っているオレンジ髪の女の姿だった。
その体には一切の傷がなく、吹き飛んだはずの頭も繋がっている。
地面には血溜まりが残っているだけで、女の死体はなくなっていた。
「……あの短時間で、傷を完全に修復しやがったのか」
明らかに、人間の芸当ではない。
そして、これまで戦ってきた魔族でも、こんなことはできなかったはずだ。
「お前、何者だ……!」
オレンジ髪の女は、裂けるような笑みを浮かべて言った。
「――アタクシは、魔王軍四天王“千変”ヒルダ」
それは、これまでに何度も聞いたことがある名前だった。
四天王……それも“千変”。
人間達を翻弄する、四天王の中でも厄介な魔族だと聞いている。
「……へぇ、君、四天王なんだ。ヒルダね。聞いた名前だ」
「ほほう。アタクシを知っているとは、鬼ぃさんも情報通ッスねぇ。それにしても、ヒルダって良い名前ッスよね。何か、運命感じちゃうくらいに」
そう言いながら、ケタケタとオレンジ髪の女――ヒルダが笑う。
その場違いな態度が、ヒルダの得体の知れなさを醸し出していた。
「んん? そういえば、そこの黒髪のアンタは、今噂になってる勇者さんッスよね? 確か……アマツだったっけ。ふむふむ、ナヨッとしてはいるッスけど、何か底知れぬアレを感じる気がするッスね。ヤバヤバのヤバっぽいッス」
奇妙な踊りをしながら、ヒルダが顎に手を当てて俺に視線を向けてくる。
コロコロと表情を変えるヒルダだが、その双眸はどこか虚ろだった。
気持ち悪い目に、冷や汗が流れる。
「おいおい……こんなところに、何つーやべェ奴が来てんだよ……!」
「……うん? 何、リューザス。このキチガイ女、そんなにやばいわけ? いや、僕も悪名は聞いてるけどさ」
「やべェ。お前ら、気ィ抜くんじゃねえぞ。目ェ逸らしたら、殺されると思え」
リューザスも、汗を流しながらヒルダを睨み付けている。
この男がここまで言うということは、本当にやばい相手ということだ。
剣を握り、神経を尖らせる。
「そこの赤いの! 目を逸らしたら殺されるって、アタクシを何だと思ってるんッスか!? このアタクシをそんな化物みたいに言って……アタクシ……悲しいッスよぉぉぉ!! 風評被害だぁああ!! こんな世界に誰がしたぁぁああ!! うえええええええええええええええん!!」
大粒の涙を流しながら、大声で泣き始めるヒルダ。
その感情の変化に呆気に取られた瞬間だった。
「――んまぁ、正しいんッスけどね?」
瞬きの間に、ヒルダが動いていた。
右腕が不気味に脈打ち、その形を変えていく。
そして、腕が丸々、赤黒い大剣に変化した。
「ほらぁ、図星を突かれるとイラッとしたりするじゃないッスか、ので死ね」
ヒルダが、俺に向かって大剣を振り下ろしてくる。
抜いていた剣で、俺がヒルダに反撃するよりも早く、
「――はぁ!!」
それまで黙っていたルシフィナが、ヒルダの横っ面を『天理剣』でぶった斬った。
「あびぶッ!?」
奇声を発しながら、ヒルダが吹き飛んでいく。
斬られた部分はザクロのように破裂したが、次の瞬間にはグニグニと蠢き、元の形を取り戻していた。
「ルシフィナ……?」
ヒルダを斬ったルシフィナは、普段からは想像もつかないほど、険しい表情を浮かべていた。
銀色の瞳が、ヒルダを鋭く睨み付けている。
「貴方が、千変なんですね」
『天理剣』に魔力を纏わせながら、ルシフィナは低い声を出す。
ヒルダは完全に戻った頬をペチペチと叩きながら、
「ふぁ? 何ッスか、怖い顔して。アタクシ程じゃない美人が台無しに――」
惚けたようにそう言いかけて、何かを思い出したかのように手を打った。
そして、愉快そうに笑みを浮かべる。
「あぁ。アンタ……あの『エミリオール』の生き残りッスかぁ」
「……ええ。そうです」
そのやり取りを聞いて、俺は思い出した。
ルシフィナの村は、昔魔王軍の襲撃によって焼かれていると。
そして、その時、指揮を取っていた魔族の名前は――。
「アタクシが偶然にも焼いちゃった、あの妖精種の村の! あっは、元気にしてたッスかぁ?」
「――ッ!!」
憤怒を剥き出しにして、ルシフィナがヒルダに斬り掛かった。
ヒルダは嬉しそうに笑い、ルシフィナに向かっていく。
両者が、凄まじい勢いで激突した。
これが、その後俺達を何度も苦しめることになる、“千変”との出会いだった。
◆
「アマツさぁん!! 会いたかったよー!」
目を潤ませながら、クゥが顔を擦り付けてくる。
人犬種のスキンシップはこうだったな、と英雄時代のことを思い出す。
以前、オルドリン大森林は虚空迷宮からの襲撃を受けていた。
迷宮から魔物が降り注ぎ、同時に魔族も大森林に攻め入っていた。
俺達が駆け付けた時、人犬種の区画が特に攻撃を受けていた。
戦士は魔族と魔物の相手をするのが精一杯で、他のことに手が回らない。
やがて魔物は、避難できなかった女子供を襲い始めた。
俺達が駆け付けたのは、このタイミングだった。
子供を襲っている魔物を蹴散らし、戦士達に加勢する。
その結果、何とか大森林を襲っていた魔物と魔族を排除することができた。
この時、最初に俺達が助けた子供が、人犬種の区長の二人の娘だったのだ。
区長にえらく感謝され、助けた姉妹にもかなり懐かれていた。
その姉妹の一人が、今目の前にいるクゥだ。
「!? お……おい、貴様! 何をやっている!?」
「わーん、アマツさぁん!!」
咎めるエルフィの声を無視して、クゥが俺に抱き付いてくる。
彼女の様子に、他の亜人達の狼狽する気配が伝わってきた。
「おい……待て。人違いだ。離れてくれ」
「人違いなんかじゃないよ!! 私、この匂い覚えてるもん! 死んじゃったって聞いたのに、生きてたんだね!!」
「……何のことだか分からないな。ひとまず、離れてくれ」
「この匂いは間違いないよ! 絶対アマツさんだよ!!」
離れようとしないため、肩を掴んで強引にクゥを引き剥がす。
そして、目を見て低い声で言う。
「俺は天月伊織だ。頼むから、アマツと呼ぶのはやめてくれ。その名前は嫌いなんだ」
「えー!? でも声そのまんまじゃん! というか前より幼くなってる!? なんでなんで!?」
駄目だ、話が通じない。
こいつ、こういう子だったな……。
三十年経ってるのに、変わってねえ……。
そもそも、いくら人犬種だとしても、匂いや声でここまで確信が持てるのか?
いや……少なくとも、今まで俺が関わってきた人犬種は、ここまで鋭くなかったはずだが。
そうこうしている内に、他の人犬種が姿を現した。
「おい、クゥ! いきなり何をしている!?」
声からして、さっき会話していた人犬種だな。
凛々しい顔付きの男だった。
鍛えているのが分かる、逞しい体付きをしている。
「この人、私の恩人っぽいんだよ!!」
「ぽい……恩人がそんな曖昧でどうする」
俺に向かってこようとするクゥを羽交い締めして、男は申し訳なさそうに俺を見てくる。
クゥの態度のせいか、こちらへの警戒心は薄れているようだ。
「あー……クゥがすまない。貴方がたはクゥの恩人なのか?」
「いや、人違いだと思う」
「むう……。まあ、良い。それはそうと、二人は冒険者だと言っていたな?」
頷き、用意していた言葉を口にする。
「最近、各国で相次いで迷宮が討伐されているのを知っているか?」
「勿論だ。少し前に、忌光迷宮が討伐されたんだろう?」
「ああ。だから、今残っている迷宮は虚空迷宮だけだ。すべての迷宮を討伐できれば、魔王軍の戦力を大幅に削ることができる。だから、俺達は最後の迷宮を討伐するための情報を集めにここに来た」
俺の言葉に、男は苦い表情を浮かべている。
オルドリン大森林だけが、迷宮を討伐できていないことになるからな。
良い気分ではないだろう。
「だったらちょうど良いよ!! 今、私達、虚空迷宮に困ってるんだ!!」
そこで、男に羽交い締めにされていたクゥが話に入ってきた。
「おい、クゥ。部外者に……」
「部外者じゃないもん! 私の恩人だもっ!! きっと、また私達を助けてくれるよ!」
そう言って、キラキラとした視線を送ってくるクゥ。
男は頭をガリガリと掻いて、大きな溜息を吐いた。
「……俺は人犬種の戦士、トヴォ・ノーヴェンという。そちらは何という?」
「俺は天月伊織。こっちの二人は、エルフィとベルディアです」
そう名乗ると、トヴォは後ろに向かって「区長に連絡を」と呟いた。
すると、何人かの気配が森の中に消えていった。
「少し待っていてくれ。今、区長に連絡を送った」
「切迫した状況と言っていたが、大丈夫なのか?」
「ああ」
トヴォはクゥに視線を落として、また溜息を吐いた。
「クゥは耳と鼻がとても良い。こんなんだが、勘も鋭い。クゥがここまで気を許しているということは、伊織殿は信用できると踏んだ」
「……なるほど」
俺の正体をピタリと言い当てられたのは、それが理由か。
クゥにそんな能力があるとは知らなかったな。
それからしばらくして、俺達は大森林への立ち入りを許可された。
「念のために武器は預かるが、大丈夫か?」
「ああ」
あらかじめ、メインの武器はエルフィの頭に閉まってある。
トヴォに渡すのは、予備の武器だ。
「では、着いてきてくれ」
「わーい、行こー!」
二人に案内され、俺達は大森林へ足を踏み入れた。
俺の隣には、クゥがべったりとくっついている。
道中、妙に静かなエルフィと、冷めた目で俺を睨むベルディアが気になった。
◆
森の中を進む。
外からは森の様子は伺えなかったが、中からは違った。
木々の隙間からは日光が差し込み、青い空が見える。
これも結界の影響だろう。
歩く途中、トヴォからクゥは警邏隊の隊長だと聞かされた。
あんな性格だが、勘の良さが尋常ではなく、実力も高いらしい。
俺達を中に入れてくれたのは、クゥの立場があったからかもしれない。
しばらく進むと、建物が見えてきた。
見たところ、戦士の詰め所や倉庫のようだ。
すべての建物が、樹木によって作られている。
木の一本一本が魔力によって補強されているようだ。
恐らく、鉄に匹敵するくらいの強度はあるだろう。
前に来た時よりも、建築技術が上がっているように見える。
この三十年で、技術を向上させたようだ。
そういえば、前に見た時は妖精種も木、土妖精種は鉄で作っていたな。
「ここだ」
そうして、連れてこられたのは一際立派な建物だった。
建物の回りには、数人の屈強そうな人犬種が立っている。
じろり、と警戒の視線を向けられる。
「武器は回収したか?」
「ああ。体もチェックした」
「本当に大丈夫か? 武器がなくても、魔術を使うかもしれない」
「聖堂騎士じゃあるまいし、この時期に冒険者が俺達と戦う理由はないはずだ。それに、クゥが気を許していて、区長も立ち入りを許した。ひとまず、中へ入れよう」
「……分かった」
そんな問答の後、俺達は建物の中に入った。
途中、何人かの人犬種とすれ違いながら、立派な扉の前にまでやってくる。
トヴォが中に声を掛けると、「入ってください」という女性の声が聞こえてきた。
「この部屋には区長がいる。戦士もいる。変な気は起こさないでくれ」
「……うむ」
エルフィが不機嫌そうに頷く。
妙に態度が刺々しいな。
そうして、部屋の中に入った。
中は、どうやら執務室のようだった。
大きな机があり、たくさんの書類が並べられている。
その書類の処理をしているのは、女性の人犬種だった。
彼女が区長か。
その顔には、どこか見覚えがある。
彼女の周りには、二人の男が立っている。
相当な実力者なのは、こちらに向けてくる視線で分かった。
また、部屋の外にも何人かの気配がある。
「クゥ。そちらの男性が?」
「うん、そうだよ!」
女性の問いに、クゥが笑顔で答える。
女性はしばらく思案顔をした後、俺達に視線を向けた。
「貴方がたは、連合国の冒険者ということで間違いありませんか?」
「はい」
頷き、再びギルドカードを見せる。
「……こちらへ来てください」
俺を見て、女性はそう言った。
言われた通り、女性に近付く。
机の前まで行くと、女性はスンスンと鼻を鳴らした。
「…………」
しばらく黙り込んだ後、
「……申し訳ありませんが、クゥ以外の方は、一度退席していただけますか?」
女性はそう言った。
「な……区長! 流石にそれは……」
当然、男達は反対するが、
「お願いします。この人達は大丈夫ですから」
女性がそう言うと、男達は渋々といった様子で部屋の外へ出ていった。
「この部屋を見張る必要もありません。皆さんは、別の業務をお願いします」
女性が扉の外にそう言うと、部屋の前から気配が消えていくのが分かった。
「……ふう」
そうして、クゥ以外の仲間がいなくなったのを確認し、女性は溜息を吐いた。
そして、ゆっくりと席を立ち、俺の方に近付いてくる。
至近距離でしばらく俺の顔をジッと眺めた後、
「お兄さん、お兄さん、お兄さぁん!!」
と、タックルをかましてきた。
俺が受け止めると、クゥと同じように顔を擦り付けてくる。
そこで、この女性に感じていた既視感が分かった。
セプル・レイメル。
……クゥの姉だ。
どうやら、セプルが区長をやっているらしい。
「生きていたんですね。良かった……良かったです!!」
「ねー! また会えるなんて思ってなかったよ! 冥界にいるって思ってたもっ!」
反対側から、クゥも一緒になって顔を擦り付けてくる。
駄目だ、完全に俺がアマツだとバレている。
頭痛がしてきた。
最近、考えが上手くまとまらない。
「……おい、貴様ら。いつまでそうしているつもりだ?」
エルフィの低い声で、二人は我に返った。
「し、失礼しました」
セプルはコホンと咳払いして、俺から離れる。
クゥも名残惜しそうにしながら、俺から離れた。
「何か勘違いしているようですが、俺は貴方がたの言っている人物ではありません」
「って言うけど、匂いも声も顔も、殆どアマツさんじゃん!」
「……クゥ。少し、静かにしていなさい」
クゥを黙らせてから、セプルはジッと俺達に視線を向けてくる。
ようやく、真剣な表情だ。
「トヴォから話は聞きましたが、もう一度、貴方がたがこの村にやってきた理由を聞かせていただけますか?」
繰り返し、俺達がやってきた理由を説明する。
要約すると、虚空迷宮の情報が欲しい、だ。
「我々も、虚空迷宮への対応に頭を悩ませていました。協力して頂けるのであれば、非常にありがたいことです。貴方がたの望んでいる情報があるかは分かりませんが、私達が知り得ている迷宮の情報をお渡ししましょう」
そう言ってから、セプルは遠慮がちな態度で尋ねてきた。
「アマ……伊織さん。貴方は……また、私達を助けに来てくれたのですか?」
こちらの事情を鑑みてくれたのか、セプルは伊織と呼んでくれた。
俺も、自分がアマツであるとは、言わない。
アマツはもう死んだ。
それに、下手に俺の情報が流れると、行動しにくくなるからだ。
「違いますよ」
セプルの問いに、静かに答える。
「俺は、自分のために迷宮を討伐しなくてはいけないんです。ですから、貴方がたのためというわけではありません」
「…………」
セプルは考え込むような素振りを見せた後、
「……分かりました。ですが、もうじき日暮れ時です。ひとまず、今日は泊まっていってください。他の者には、私から言っておきますので」
「……ありがとうございます」
「迷宮に関しても、後で情報をお渡しします」
こうして、俺達は大森林で泊まることになった。
執務室から出ていく前。
「……伊織さん」
セプルに引き止められる。
「……不躾なお願いとは分かっています。ですが、もう一度、抱きつかせて頂けませんか? 貴方は……私達の恩人に、よく似ているので……」
「……構いません」
もう一度、セプルに抱き着かれた。
クゥも、一緒になって抱き着いてくる。
ふと、気付いた。
クゥとセプルが、涙を流していることに。
「…………」
憎悪と私利私欲を向けられて、その果てに、アマツは殺された。
馬鹿な男だったと、何人からも言われた。
だけど、何だ。
アマツの死を、悲しむ者もいたんだな。
そんなことを、思った。
◆
それから、俺達は客用の建物に案内された。
セプルが何か言ってくれたお陰か、人犬種達からの警戒の視線は減っていた。
部屋に入って、ようやく一息吐く。
「まさかとは思っていたが、本当に伊織の旧知がいるとはな。しかも、それが区長とは。幸運だったな」
確かに、見張りがクゥだったのも、区長がセプルだったのも、運が良かった。
奇跡的に運が良かった。
「…………」
「伊織?」
「……ああ。だが、あまり俺の存在は知られたくなかったな。色々と面倒事がありそうだ」
「確かにな。だがてっきり、伊織は知り合いに会おうとしているのかと思っていたぞ」
「……いや、ただ迂闊だった」
姿が変わっているからと、油断していた。
亜人種は人間と違って長寿だし、外見の変化も緩やかだ。
三十年という月日や、外見の変化に対する考え方が、人間とは異なっている。
結果的に良い方向に運んだが、一歩間違えば大変なことになっていた。
「では、ただの偶然だったのか」
「そうだな。悪い」
「別に謝らずとも良い。だが……伊織らしくないな。本当に大丈夫か?」
「大丈夫だ。ただ、少し考えごとがな。考えがまとまったら、また話すよ」
……駄目だな。
あの考えに至ってから、頭が回らない。
そのことばかりを考えてしまっている。
一度、気分を切り替えなければならない。
それにしても、と。
これまで一言も話さなかったベルディアが、ようやく口を開いた。
「……伊織、あいつらと仲良そうだった。抱き着かれてたし」
「ん? ああ……まあな。三十年前に懐かれて、何回か遊んだような覚えがある」
魔物に襲われているところを助けて、その後はべったりくっつかれていた。
大森林にいる時は、ほぼずっと一緒にいた気がするな。
あれから三十年か。
セプルが区長になっていたり、クゥが戦士になっていたりと、状況が大きく変わっている。
当然、容姿も大人になっていた。
やはり、三十年の月日は重い。
「……ふーん」
「何だよ、その目」
ベルディアがじと目を向けてくる。
「ふーん。伊織の鈍感男め」
「二人してなんだ」
何でそんな目を向けてくるんだよ。
「そう言えば、伊織は温泉都市でも、人猫種の娘と仲良くしていたな」
「ミーシャとニャンメルのことか? 懐かしいな」
「……思えば、伊織はあの猫娘達とも、とても仲睦まじそうにしていた。……はっ!」
何かに気付いたかのように、エルフィがワナワナと体を震わせる。
「……どうしたの、ご主人様」
「前に、聞いたことがあるのだ。亜人……それも、獣人系の者を性的に好む者がいると」
「……!? それって……」
「まさか……伊織……?」
「おい、待て」
とち狂ったことを言い出したエルフィを止めようとした時だった。
「アマ……伊織さーん!! 遊びに来たよー!!」
部屋にクゥが突撃してきた。
最悪のタイミングで入ってきたクゥに、非常に話がややこしくなったのだった。
◆
深夜。
エルフィとベルディアは眠り、辺りもすっかり静かになっていた。
俺は眠れず、ウッドデッキのような場所で夜風を浴びていた。
「…………」
周囲の木々が、風でサワサワと揺れている。
月の灯りだけが、周囲を淡く照らしていた。
そんな光景を眺めながら、俺は口を開いた。
「……そこにいるんだろ。出てこい」
視界の先にある、木に向かって声を掛ける。
物音はせず、周囲に人の気配はない。
「わっ、この距離だとバレちゃうのか」
だが、そんな声とともに、一人の少女が姿を現した。
ピンク髪の見知った少女だった。
「やあ、ボクだよ」
アイドラーが、そこにいた。




