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第二話 『オルドリン大森林』


 ――三十年前。勇者になると決めてから、すぐのことだ。


 視界一杯に広がる、化物達の軍勢を見た。


 化物達は、魔王軍というらしかった。

 人型を魔族、それ以外を魔物と、ザックリ区別しているらしい。

 魔族の指示に従って、魔物達が押し寄せてきている。


 敵の数は一万程度。

 王国軍は数では魔王軍を圧倒しているが、質が違うようだった。


 また、魔王軍は色々な方向から同時攻撃を仕掛けてきているようだ。

 王国の切り札の一つと呼ばれている、選定者や、“大魔導”とかいう魔術師は、他の場所で戦っているらしい。

 

 同盟を結んでいる他の国の援軍が来るのにも、まだ時間が掛かる。

 どうやら、戦況は最悪のようだった。


 あちこちから、火の玉のような物が飛んでくる。

 ローブを来た王国の人間が、火の玉を透明な壁で防いでいた。

 反撃に、水の塊や雷を落としたりしているが、魔物達は少しずつ近付いてきている。


「クソ、龍種が来てる!! 結界を張れ!!」

「選定者をこちらに呼び戻せ!! もう長くは保たんぞ!!」

「ぎゃあああああッ」


 地獄だった。

 人が、死んでいる。

 鮮血が飛び散り、肉が弾け飛ぶ。

 断末魔の悲鳴が、怨嗟の叫びが、あちこちで上がっていた。


「勇者殿!! どうかご決断をッ!!」

「我らを見殺しにするおつもりか!?」


 周囲の騎士達が、俺に戦えと懇願してくる。

 けど、無理だろ、こんなの……。

 あんな数の化物を、相手にできる訳ないじゃないか……。


「む……無理、だ。だって……こんな、あんなにいるんだぞ!? どうやって戦えば良いんだよ!?」


 怖かった。

 アニメや映画でしか見たことのないような異形の化け物が、視界一杯に広がっているんだぞ。

 怖くないわけがない。

 無理だ。戦えない。怖い、嫌だ、死にたくない。


「ま、不味いッ!! 龍種に結界を突破された!!」


 俺が涙を浮かべて、震えている間に、戦況に変化があった。

 戦場の一番奥、つまり俺達がいる場所にも、魔物が襲撃を仕掛けてきたのだ。

 そこからは、一方的だった。


 巨大な龍が炎を吐き、人を消し炭にしていく。

 絶叫しながら、貪り喰われる者もいた。

 

 燃える拠点地、人々の悲鳴。

 巻き込まれまいと、俺はただ無様に逃げ惑っていた。

 だが、次第に火の手が回り、逃げられる場所はなくなっていく。

 魔物達は、逃げ場を失った俺達に容赦なく襲い掛かってきた。


 駄目だ。

 そう思った時だった。


「はああああぁぁぁ――ッ!!」


 裂帛の叫びとともに、金髪の騎士が魔物に斬り掛かった。

 圧倒的な力で、瞬く間に魔物達は消滅していく。

 金髪の騎士――ルシフィナは言った。


「結界が完全に破壊されました。残念ながら、援軍は間に合いません。皆さん、今すぐ撤退してください!」


 彼女がそう言っている間にも、魔物達は容赦なく襲い掛かってくる。

 そのうち、魔物を従えている、魔族もやってきた。

 

 逃げることも出来ず、呆然と立ち尽くす俺はさぞ邪魔だっただろう。

 そんな俺はルシフィナは身を挺して庇ってくれた。


 全身からおびただしい量の血を流しながら、ルシフィナは戦い続ける。

 彼女の仲間が一人、また一人とやられていく。

 魔族達は減るどころか、刻一刻と数を増やしていく。

 勝てないと悟り、逃げ出す者もいた。

 

 不意に、ルシフィナが俺を向いて言った。


「勇者様。……ごめんなさい」

「え……?」

「本当は、無関係な貴方を巻き込むべきではありませんでした。この世界の問題は、私達で解決するべきだったのです」


 戦いの中で全身に傷を負いながら、ルシフィナは続けた。


「だからせめて、貴方がここから逃げられるように、今から切り札を使います。これを使えば、しばらくは魔王軍の動きも止まると思います」


 そう言って、ルシフィナは紫色の剣を掲げた。


「だから、早く逃げてください」


 ルシフィナは傷だらけだった。

 全身からぼたぼたと血を流している。

 決して、軽い傷じゃない。下手をすれば命に関わる。

 なのにそれを省みず、ルシフィは俺や仲間のことだけを考えていた。


「どうして……そんなになっても、アンタは逃げずに戦えるんだよ……。怖くないのかよ」


 俺の問いに、ルシフィナは苦笑して答えた。


「怖いですよ」

「だったら! アンタも逃げれば良いだろ!! そんなに強いんだから、逃げられるだろ!?」


 飛び散る血、人の死、化物。

 脳の理解が追いつかない状況で、俺は支離滅裂に叫んでいた。

 

 俺を守るため、という免罪符がある。

 ルシフィナは逃げても良いんだ。

 こんなところで抗わなくても良い、楽な方に流されれば良いじゃないか。


 だけど、ルシフィナは穏やかな表情で首を横に振った。


「怖いです。ですが、大切な物を失うことの方が、もっと怖い。私が戦うことで、誰かを救うことができるのなら――私は最期まで戦い続けたいんです」


 何も、答えられなかった。

 返す言葉を、持たなかったからだ。


「さぁ、勇者様。切り札の準備が整いました。早く逃げてください」

「あ……あんたは、どうするんだ……。その切り札を使った後……」

「……殿を務めながら、私も逃げますよ。私だって、死にたくないですからね」


 嘘だ、と思った。

 根拠はないが、ルシフィナは死のうとしている。


「わ……分かった」


 それに気付きながら、気付いておきながら。

 俺はその場から逃げ出した。

 我が身可愛さで、何もせず、ルシフィナを見捨てて走り出した。


「……いつもそうだ」


 走りながら、口からそんな言葉が零れた。


「天月伊織。お前は、いつもそうだな」


 流されて、それを良しとして、楽な方に逃げてばかりだ。 

 今までの人生で、一度だって逃げなかったことがあったか?

 友人と喧嘩した時も、親が死んだ時も、親戚に引き取られた時も。

 いつも、いつも、楽な方にばかり逃げてきた。

 今もそうだ。


 ――私は最期まで戦い続けたいんです


 泣きそうな顔で強がって、そう言った女性を見捨てるのか?

 二度も命を救われておいて、見殺しにするのか?

 異世界に来て、またお前は逃げるのか?


『貴方は、どうしたいですか?』


 そんな文字が、脳内に浮かんだ気がした。

 俺は答える。

 そんなのは決まってる。


 世界を救う、なんてたいそれたことは考えられない。

 勇者になったのだって、流された結果だ。

 だけど、今。


 俺は――。


「――あの人を、助けたい」



 それは、俺が始めて戦った日のこと。


 後に、“英雄アマツ”と呼ばれた、愚かな男の初陣だ。




「――り。おい、伊織」


 その声で、俺は我に返った。

 隣を見ると、エルフィが心配そうな顔で俺を見ていた。

 どうやら、長い間考え込んでいたらしい。


「……どうしたのだ? さっきからずっと、呆けたような顔をしているぞ?」

「いや、何でもない。それより、どうかしたか?」

「……ああ。大森林が見えてきたぞ」


 そう言って、エルフィは前方を指差した。


 その先には、視界一杯に広がる青々とした森林が広がっていた。

 上空から見下ろすと、大森林全体に結界が張ってあることが分かる。

 上からの攻撃を防ぐのと、木々の隙間から中を見られないようにしているのだろう。


『……ここが、オルドリン大森林……』

「ほう……」


 大森林を見下ろし、エルフィとベルディアが感慨深そうにしている。

 ここまで広い森は、そうそうないからな。


『……どれくらいの亜人種がいるの?』

「正確な数は覚えていないが……暮らしている代表的な種族は、妖精種エルフ土妖精種ドワーフ人狼種ウェアウルフ人猫種ワーキャット人犬種ワードック小人種ハーフリングだな」


 かなりの数の種族が、この大森林で生活している。


「それだけ多くの種族が暮らしていれば、諍いも多いのではないか?」

「確かにそういうのもあると思う。ただ、大森林は種族ごとに『区』を設けて、住み分けてるんだよ」


 妖精種エルフ妖精種エルフの区、人狼種ウェアウルフ人狼種ウェアウルフの区、というように、森の中は何分割かにされている。

 そのため、文化や習性の違いから来る争いは、起きにくいようになっているようだ。


「同じ場所で暮らしていても、しっかりと共存できているのだな」

「ああ、住み分けは結構しっかりしてるよ。ただ、まったく関わらないわけじゃなくて、区を越えて遊びに行ったり、協力し合ったりもしてるみたいだけどな」


 昔は、縄張り争いなんかもあったみたいだが、俺がこの世界に来た段階では、各種族ごとに区画を定め、協力して暮らしていた。

 多分、人間や魔族からの襲撃を防ぐために、協力せざるを得なかったのだろう。

 しかし、区画ごとに住み分けた後も、大森林は人間や魔族とは関わろうとはしなかった。


 その排他性故に、人間にも魔王軍にも属さず、大森林は中立のような立場に立っていた。

 だが、魔王軍はそれを許さず、大森林にも戦争を吹っ掛ける。

 その結果、多くの犠牲者が出たようだ。

 そこで、人間とは利害の関係から休戦協定のようなものを結んだらしい。

 それでも、今まで通り、亜人達は人間と積極的に関わろうとはしなかった。


 そんな関係性が変わったのが、ちょうど三十年ほど前。

 虚空迷宮からの襲撃を受けていたオルドリン大森林を、俺達勇者パーティが救った。

 それが切っ掛けで、オルドリン大森林は王国と同盟を結んだのだ。


 現在は、連合国や帝国とも、少しずつ関わりを増やしているらしい。

 宗教上の関係で、教国とは相変わらずバチバチしているようだが。


「では、人間と亜人は、伊織のお陰で、共に協力して生きているのだな」


 エルフィは、どこか嬉しそうにそう言った。

 

「……別に。偶然そうなっただけだ」

「それでも、救われた者達は、お前に感謝しているはずだ」

『……伊織。結構、すごい人。偉い』

「……うるさいな」


 むず痒くなって、俺はエルフィから顔を背ける。


「お、照れているのか? 照れているのだな?」

『……伊織、可愛い』


 うるせえ……。

 

 二人を無視して、大森林を見下ろす。

 生い茂った森林は、どこか懐かしい。

 虚空迷宮から降ってきた魔物達を、亜人達と協力して倒したんだったな。

 

 最初は俺達を睨み付けていた亜人達も、最後は笑顔を浮かべて『また来てくれ』と言っていた。

 あの時に知り合った亜人達は、今も元気にしているだろうか。

 ……あれから、三十年か。


 俺にとって、三十年は一瞬だった。

 殺されたと思ったら、三十年後の世界にいたのだから。

 だが、他の者にとっては違う。

 俺には、想像することしかできない。

 一瞬で過ぎ去った、この三十年の月日の重さを。


「…………」


 頭が痛い。

 吐きそうなほど、最悪の気分だ。


「しかし、三十年程度なら当時のことを知る者もいるのではないか? もしかしたら、伊織の知り合いも――――」


 エルフィが何か言っているが、頭痛のせいで上手く聞き取れなかった。

 ボーっとしていた俺を、エルフィはまだ心配そうな表情で覗き込んでくる。


「先ほどから大丈夫か? 随分と顔色が悪いぞ」

「ああ……大丈夫だ」

「あまり無理をするな。酔ったのか? 背中を擦ってやろうか?」

「ありがとう。少し考えことをしていただけだ。……それより、そろそろ着くぞ」


 入り口らしき、開けた場所が見えてきた。

 当時は王国の案内に従っていただけだったから、地形をあまり覚えていない。

 記憶が正しければ、どこかの種族の区画がこの辺りにあったはずだ。


 少し離れたところで、ベルディアが地上に降りた。

 すぐさま、人間の姿に戻らせる。

 エルフィも、しっかりと人間の姿に変化した。


「亜人によっては、嘘を見抜く鋭さをもった者もいる。大丈夫だと思うが、警戒していおてくれ。交渉は俺がする」


 二人とともに、入り口に近付いていく。

 しばらくして、複数人の視線を感じるようになった。

 それは次第に強くなっていき、入口のすぐ近くにまで来た時だった。


『ここはオルドリン大森林・第三区の入り口である! 見たところ王国の人間ではないようだが、どこの国の者か!!』


 どこからか、そんな男の声が聞こえてくる。

 姿は見えないが、かなりピリピリした雰囲気だ。

 相当に警戒しているらしい。


「……ここまで警戒されるとは思わなかった。何かあったのかもしれないな」

「ふむ……どうやら緊縛した状況にあるらしい」

「縛ってどうする」


 緊迫しろ。

 エルフィのせいで力が抜ける。


 気を取り直し、俺はあらかじめ用意しておいた文言を口にした。


「俺達は連合国の冒険者だ! 虚空迷宮を調査するためにやってきた!」

『連合国……?』


 訝しげな男の声。


『我々は、そのような報せは受けていない!』

「俺達は秘密裏に動いている! これが俺達が冒険者である証明だ!」


 そう言って、ギルドカードを掲げた。

 エルフィも、同じように見せている。


 ギルドカードは特殊な製法で作られており、簡単に偽造することはできない。

 身分証明書としては十分な代物だ。

 それに加えて、俺達はAランク冒険者だ。

 冒険者の中でも上位のランクの者なら、秘密裏に動いていると言っても説得力があるだろう。

 それに、嘘ではないしな。


『そちらの者は?』

「冒険者ではないが、俺達の協力者だ! 依頼を遂行するために、協力してもらっている」


 ギルドカードを持たないベルディアに関しては、こう言い訳しておく。

 これも嘘じゃない。


『…………』


 声の主はしばらく考え込むように沈黙したが、

 

『現在、我らは切迫した状況にある! 申し訳ないが、今すぐに入れる訳にはいけない!』


 しばらくして、そう答えた。

 切迫した状況、か。

 やはり、何かあったようだな。


「では、どの程度待てば、中に入れてもらうことができる?」

『答えかねる! 区長に相談しなければならないし、中に入れられるという保証もない!』

「…………」


 思ったよりも、刺々しい態度は取られなかった。

 しかし、いつ入れるか分からないのは面倒だな。

 中で問題が起きたか、大森林が襲撃を受けたか……何か厄介事が起きているらしい。

 俺達が来たタイミングで問題が起きている……偶然と捉えて良いものか。


 これは、気配を遮断して、強引に大森林に侵入しなければならない可能性も出てきたな。

 とはいえ、ここは一旦退いた方が良さそうだ。

 エルフィ達に目配せし、口を開こうとした時だった。


『え、あれ……。ちょっと待って』


 不意に、別の声が聞こえてきた。

 今度は女の声だ。


『え、え、え?』

『おい、どうした!? 何をやってる!?』


 そんな動揺した声とともに、木々の隙間から一人の亜人が姿を現した。

 剣を背に刺した、茶髪の女性だ。

 頭からは二本の耳が生えていた。

 恐らく、人犬種ワードッグだな。


 人犬種の女は、スンスンと鼻を鳴らしながら、こちらに近付いてくる。


「え……嘘。そんな」


 そう、何事かを呟いた直後だった。

 唐突に、人犬種の女はこちらに向かって猛烈な勢いでダッシュしてきた。


「む!?」

「……!」


 エルフィとベルディアが身構える。

 だが、どうにもこの人犬種からは、敵意や殺意は感じられない。


「……!」


 そして俺は、至近距離で女の顔を見て、固まった。

 その隙に、人犬種の女にタックルをかまされた。

 体に力を入れてその衝撃に耐える。

 女は、俺に構わず、嬉しそうに顔を擦り付けてきた。

 

 そして、こう連呼した。


「アマツさん、アマツさん、アマツさぁん!」

 

 目の前にいるこの女を、俺は知っている。

 クゥ・レイメル。

 三十年前、人犬種の区長をしていた男の、娘だ。

 



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