第一話 『遠い日の追憶』
9/20にKindle版が発売となります。
よろしくお願いします。
――心に染み入るような、声だと思った。
運命、なんてものが本当に存在するとして。
今、目の前にいる彼女が、そうなんだと呆けた頭で考えた。
花を見ても、夜景を見ても特に感動もしなかった俺が、その女性を見て、初めて美しいと思った。
『貴方を愛しています。だから――』
思い出す。
彼女と最初に会った時のことを。
ルシフィナ・エミリオールと出会った時のことを。
三十数年前の王国。
勇者として召喚されて、しばらく経った頃だ。
俺は勇者として戦うことを拒否し、部屋に閉じ籠もっていた。
墨汁をぶち撒けたような、真っ暗な夜だった。
俺の部屋を破り、ローブで顔を隠した男達が中に入ってきた。
「……役に立たぬ勇者など不要」
その一言とともに、男達はナイフを手に斬り掛かってきた。
悲鳴を上げて、俺は転げるように男達から逃げ出す。
大声で助けを叫ぶも、誰も助けに来てくれなかった。
「死にたく、ない……」
無様に這い蹲りながら、心からそう思った。
命乞いに耳を貸さず、男達は近付いてくる。
闇の中に光るナイフを見て、もう助からないと思った。
「――そこまでです」
だから、その声を聞いた時。
俺は、もう。
「下がりなさい。貴方がたが誰かは知りませんが、これ以上の狼藉は見逃せません」
腰まであるさらさらとした金髪に、清廉な光を灯す銀色の瞳。
ツンと尖った、白い耳。
身に纏う鎧が、闇の中で凛と輝いている。
「予定と違う」「何者だ」と叫ぶ男達に、その女性は言った。
「――騎士、ルシフィナ・エミリオール」
それからは、あっという間だった。
瞬きの間に、ルシフィナは男達の意識を刈り取った。
そして、尻もちをついたままの俺に手を差し伸べて、彼女は言った。
「大丈夫ですか、勇者様」
◆
眩しさを感じ、ゆっくりと瞼を開く。
木々の隙間から差し込んだ光が、俺の顔を照らしていた。
眩しさに目を細めた後、ゆっくりと体を起こす。
「…………」
嫌な夢を見ていた気がする。
吐きそうな気分の悪さに、胸を撫でる。
深く息を吸って、意識を覚醒させる。
ふと隣に視線を落とすと、ベルディアが涎を垂らして眠っていた。
「……むにゃ。伊織、そこ、乗って。ん、良い……」
「どんな寝言だ」
苦笑して、周囲に視線を向ける。
そこで、エルフィがいないことに気付いた。
腹が減って、飯でも探しに言ったのだろうか。
静かに寝袋から出て、水辺の方へ顔を洗いに行く。
周囲に結界を張っているため、魔物に襲われる心配はほぼない。
「…………」
意識が覚醒した今も、嫌な気分は晴れない。
最近、悪夢を見る頻度が多い気がする。
目が覚めても、ドロドロとした嫌な気分が拭えない。
ひとまず、冷たい水で顔を洗って、気分をリセットするか。
木々の隙間を抜け、昨日見つけた泉に向かう。
この泉は水が綺麗で、とても冷たい。
早いところ、この胸の悪さをどうにかしたい。
そう思い、泉の近くまでやってきた。
人の気配がする。どうやら、エルフィがいるようだ。
声を掛けながら、泉に近付く。
「おはよう、エル――」
その先の言葉は、出てこなかった。
エルフィは、確かにそこにいた。
ただし、全裸で。
「――――」
水浴びをしていたようで、いつものドレスを身に着けていない。
エルフィの肢体が、モロに視界に入る。
濡れた銀色の髪は紐で括られており、太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
「――――」
エルフィは呆けた顔で、俺の顔を見ていた。
その表情を見て、我に返る。
こいつの裸なら、今まで何度も見せられてきた。
今さら慌てる必要はない。
こいつ自身も、まったく恥ずかしがらないしな。
「おはよう」
声を掛けて、そのまま顔を洗いに行こうとした時だった。
「や……ぁ」
エルフィが変な声を上げた。
「はっ?」
呆気に取られて、エルフィの方に視線を向ける。
エルフィは顔を赤くして、バッと自分の体を手で隠した。
……は?
「み……見るなぁ……!」
体を隠しながら、エルフィが睨み付けてくる。
「はぁ!? お、おまっ。なんっ、恥ずかしくないって言ってただろ!?」
「分身体だから恥ずかしくないと言ったのだ!! もう私は全身を取り戻したのだぞッ!?」
「だから何なんだよ、その価値観はッ!!」
分身体と違いないじゃねえか。
「……ううぅ」
耳まで赤くし、潤んだ瞳で睨んでくるエルフィ。
その視線に耐えきれず、エルフィの肢体から目を背けた時だった。
「……ご主人様。伊織……?」
目を覚ましたベルディアがやってきた。
「………………………?」
ベルディアはピタリと動きを止め、俺達を見て首を傾げる。
しばらく俺達に視線を行き来させた後、
「……ごめん。帰る……」
そう言って、ベルディアは俺達に背を向けて去っていった。
「な、ベルディア!! おい、ちょっと待て!! これは違う!!」
と、朝っぱらから一悶着あった。
◆
何だかんだであの場を切り抜けた後。
俺達は朝食を食べ、目的地を定めて森を出発した。
「これから向かうのは、確かオルドリン大森林だったな?」
「ああ」
エルフィの問いに頷く。
王国から真東に進むと、大きな山が広がっている。
その山を越えた先に、大きな森がある。
それがオルドリン大森林だ。
オルドリン大森林で生活しているのは、主に亜人種だ。
連合国や他国に属さない亜人の大部分が、この森で暮らしている。
オルドリン大森林は元は王国の領土だったが、現在は亜人が自治している。
そのため、“亜人自治区”と呼ばれている。
そして、そのオルドリン大森林の上空に、虚空迷宮が浮遊しているのだ。
俺達は虚空迷宮へ行くために、ひとまずオルドリン大森林に向かうことにした。
『……進路はこっちで会ってる?』
「ああ。このまま教国方向に進んでくれ」
現在、俺達は魔王領にいる。
最短距離でオルドリン大森林に向かおうとすると、魔王城の近くを通らなければならない。
危険な地域を通るくらいなら、遠回りでも教国を通った方が確実だ。
「大森林か……。以前、大森林の戦士とは戦場で何度か戦ったが、直接行ったことはないな。伊織は行ったことがあるのか?」
「ああ。三十年前に、二回ほどな」
初めて通ったのは、三十年前に王国から教国へ移動した時だ。
二回目は教国からの帰りで、そのまま虚空迷宮を攻略した。
最初はあまり歓迎されていなかったが、虚空迷宮を討伐したことによって、多くの亜人に礼を言われたのを覚えている。
「今も人間が行って大丈夫なのか?」
「少なくとも、襲われることはないと思う。三十年前よりも、人間との関わりは増えているみたいだしな。魔王軍に対応するために、王国以外との国とも連携して、あれこれやってるらしい」
「ふむ。共通の敵がいると団結するのは、どの種族でも同じか」
とはいえ、個人の立ち入りを許可してくれるかは分からない。
そこは、入るための口実を考えておく必要があるな。
「ただ当然、亜人と魔族の関係は最悪だ。エルフィ、ベルディア。二人とも素性はしっかりと隠せよ」
旅をする中で、各迷宮の情報は集めてきた。
だが、虚空迷宮の情報は未だ不十分だ。
三十年前の知識で迷宮に挑むのは危険過ぎる。
オルドリン大森林で、最低限、虚空迷宮の情報収集はしておきたい。
『……魔王軍の動きも気になる。きっと、私達の対策してるはず』
「そうだな」
迷宮を守るために、魔王軍も対策を立てているはずだ。
恐らく、四天王クラスの相手が出張ってくるだろう。
オルテギアが表に出てこない状況で、今の魔王軍を纏めているであろう“雨”が出てくるとは考えにくい。
となれば、来るのは“歪曲”かルシフィナのどちらかだろうな。
「とはいえ、今考えていても仕方あるまい。大森林に行けば、自ずと敵の情報も集まるだろう」
エルフィは「それにしても」と言葉を続けた。
「これが残っている最後の迷宮か。よもや、この私がすべての迷宮を討伐することになろうとはな。我ながら数奇な運命だ」
「元魔王が魔王軍の拠点地を破壊して回ってるわけだからな」
そこで、ふと気になってエルフィに尋ねてみた。
「そういえば、迷宮が生まれた切っ掛けってなんだったんだ?」
他種族に対応するために、大昔から魔王軍が作っている拠点地……くらいしか、情報がない。
「最初に作られたのは、神と神が戦っていた時代らしいぞ」
そう言って、エルフィは迷宮について説明してくれた。
それを要約するとこうなる。
大昔、聖光神メルトと、堕光神ハーディアが戦っていた時代。
初代魔王は、ハーディアの指示を受け、部下に人間の動向を監視し、即座に攻撃するための拠点地を作らせたらしい。
そして、初代魔王の指示を受けて迷宮を作ったのは、“死天”と呼ばれる四人の魔族だった。
死沼迷宮は“雨”サーフィス・グレゴリア。
忌光迷宮は“雷”ザンク・ライジング。
虚空迷宮は“陰”ヒルデ・ガルダ。
奈落迷宮、煉獄迷宮を“陽”ランドルフ・ランドール。
彼らが、それぞれ今の五将迷宮を作ったらしい。
この五将迷宮を利用して、ハーディアはメルトやその配下の動向を監視していたようだ。
これが、現在も魔王軍に伝わっている、五将迷宮の始まりらしい。
「因みに、“死天”が迷宮を作っている間に、初代様は自らの魔力で魔王城を創り出したと言われている」
「へぇ。初代魔王というだけあって、やることのスケールが大きいな」
「うむ。そして、現在の“魔王”というシステムは、初代様の心象魔術なのだ」
初代魔王は死ぬ直前に、『魔族を守りたい』という強い意志の下、心象魔術を習得した。
その心象魔術は、『魔族を守るに相応しい者』の体に“魔王紋“を浮かび上がらせ、魔物や五将迷宮を操る能力を与えているらしい。
「じゃあ、初代魔王が死んだ後も、心象魔術は生き続けているってことか?」
「ああ。初代様の意志はそれほどまでに強かったということだ。それに、初代様は歴代最強の魔王とも呼ばれているからな。初代様に勝てたのは神だけだ」
神、ね。
今はいないという、メルトとハーディアか。
神というだけあって、相当強かったんだろうな。
「ハーディアはともかく、メルトとは一度話してみたかったな」
「む? どうしてだ?」
「いや。……どうして俺を勇者に選んだのかが気になってな」
そんなやり取りをしながら、俺達は空を飛んだ。
オルドリン大森林に到着したのは、それから三日後のことだった。




