幕間 『そして世界は』
オンリィン王国。
王都ブレイオンにある王城の一室には、切迫した雰囲気が漂っていた。
部屋の中央に置かれた長机の周りには、国王を始めとした重鎮が揃っている。
また、部屋の四隅には騎士が立ち、不足の事態に備えていた。
「選定者との連絡は途絶え、リューザス殿も行方知れず。勇者も姿を隠し……どうすれば良いというのだ」
大臣の一人が、呻くようにそう言った。
勇者の召喚を行ってからというもの、王国の戦力は逆に減少の一途を辿っている。
勇者、選定者の一席、そしてリューザス。
彼らを失ったことで、王国の戦力は著しく低下した。
魔王オルテギアの復活が近いと囁かれている中で、これは致命的と言える。
「目の上の瘤だった奈落迷宮がなくなったと言うのに、これでは意味がないではないか……!」
「リューザス殿は一体何をやっているのだ? 本当に、死んでしまわれたのか?」
「選定者ともども連絡がつかない現状、そう考える他ないだろう! 元はと言えば、勇者の手綱を取れなかった連中に責任があるのではないか!?」
ざわめく大臣や大貴族が険悪な雰囲気になる中で、国王がゆっくりと口を開いた。
「失ったモノを数えていても仕方あるまい。今は、少しでも戦力を補充することが重要だ」
国王がそう言ってすぐに、側近が騎士の一人に目配せした。
その騎士は、緊張した面持ちで口を開く。
「王国騎士、ユリファ・スプラトスです」
「うむ。例の件はどうなっている?」
促されるまま、ユリファは答えた。
現在、騎士団は国中で兵を募っていること。
国内外の傭兵団にも声を掛け、雇っていること。
そして、退役した元騎士、元魔術師に声を掛け、戻ってきてもらっていること。
「レンヒ様を始めとして、三十年前にあの“英雄アマツ”を支えた方々も、何名か戻ってきていただいております」
「おお……! あのレンヒ殿が! これは頼もしいな!」
話を終え、ユリファが部屋の隅へ下がる。
国王は満足気に頷くと、続けていった。
「そして、先日。“聖光神”メルト様からのお告げがあった」
おお、と大臣達がざわめく。
“堕光神”ハーディアとの戦いで深い眠りについたとされているメルトだが、時代の節目に、王国にお告げをすることは多々あった。
三十年前に、“英雄アマツ”を召喚したのもメルトのお告げがあったからだ。
「して、そのお告げの内容とは?」
「うむ。それは――――」
◆
ペテロ教国、聖都シュメルツ。
聖光区の奥にある神殿に、聖堂騎士団とメルト教団の重鎮が一同に会していた。
教皇。
枢機卿。
教団幹部。
そして、一番隊から四番隊までの聖堂騎士団の隊長達。
語られているのは、空席となった二番隊隊長についてだ。
現在、二番隊隊長の代理である、レオ・ウィリアム・ディスフレンダーを正式に二番隊隊長に任命するか、否か。
「僕は良いと思いますよ」
そう言ったのは、水色の髪をした男性だった。
女性のように長い髪に、中性的な顔立ちをした、美青年と言った風貌をしている。
彼は三番隊隊長――ロザリオ・スレイ・ファーブニルだ。
「マルクスさんよりも、余程適任でしょう。彼は人心の掌握術と、戦闘力は十分にありましたが、騎士に相応しい清廉さ、そして主への信仰が足りなかった。清廉さはともかく、信仰がないのはいけない。とてもいけない。その点、レオさんはすべてを満たしている。まったくもって、二番隊の隊長に相応しい」
「……恐縮です」
ロザリオの言葉に、レオは頭を下げる。
穏やかで優しげな口調だが、ロザリオが戦場で付けられた呼び名は“戦狂士”。
信仰の名のもとに、大量の魔族を虐殺する化物だ。
「私も同意する」
ロザリオに続いてそう言ったのは、灰色の髪の女性だった。
翡翠色の双眸は、思わず背筋を伸ばしてしまうほどの輝きを持っている。
彼女の名は、マリア・テレジア・シュトレーゲン。
一番隊の隊長にして、聖堂騎士団を統括する団長。
最強の聖堂騎士と名高い、教国の最大戦力である。
「レオ・ウィリアム・ディスフレンダーは、素行、実力ともに隊長に相応しい器を持っている。先の魔王軍襲撃でも、聖都の防衛に一役買ったと聞いていている。現状、彼以上の適任はいない」
マルクスと繋がりがあった者は、何とかレオを候補から外そうとしていたが、二人の言葉によって大勢は決まった。
最終的に、同意者多数によって、レオは正式に二番隊の隊長に任命された。
それにしても、とロザリオは言った。
「奈落、煉獄、死沼、そして忌光。王国から線と線を繋ぐように、次々に迷宮が陥落している。実に、実に喜ばしいことです。ですが、些か不自然ではありませんか?」
「確かに、その通りだ。ここ十数年、動かなかった国々が、今になって一斉に迷宮を討伐するなど」
ロザリオの言葉に、教皇が頷く。
忌光迷宮が再建されてから、教国は迷宮への手出しを禁じていた。
それは、神からのお告げがあったからだ。
『迷宮に手を出せば、教国は大きな痛手を追うことになる。いずれ来るその時まで、迷宮は結界で封じておきなさい』
そのお告げに従った結果、いつの間にか忌光迷宮は討伐されていた。
そして直後に、魔王軍の襲撃を受けた。
数十年の停滞が崩れ、世界に何かが起きていることは明白だ。
「この場合……始まりが王国、だというのが問題であると僕は思います」
三十年前も、最初に討伐されたのは奈落迷宮だった。
英雄アマツによって、討伐されたのだ。
そして今回も、その王国から近い順に、迷宮が討伐されていっている。
「既に新たな勇者がこの世界に現れている可能性がある、ということだな。先の戦場で、魔族を蹴散らす黒髪の少年を見たという報告もある。その可能性は高い」
「ええ。であれば、今度こそ我々は、魔王軍を討伐しうる! あぁ、あぁ、何と素晴らしいことでしょう! 勇者、勇者……是非、ひと目お会いしたいですねぇ」
ロザリオとマリアの会話に、教団幹部達がざわめく。
その中で、レオは沈痛な面持ちで沈黙していた。
(……伊織君)
レオは、彼が四天王の攻撃を喰らうのを目撃している。
あれを受けて、生きている可能性は低い。
「おや、レオさん、どうかしましたか?」
「……っ。いえ」
顔を覗き込んできたロザリオを何とか誤魔化しながら、レオは祈る。
伊織とエルフィ、二人の無事を。
「――何はともあれ、隊長の空席は埋まった。そして、神からのお告げもあった。ここから先、我らが進むべき道は既に定まっている」
マリアは凛とした表情で言った。
「――魔王軍との全面戦争。その準備に、取り掛かかるとしよう」
◆
そうして、世界が蠢く中。
魔王城にも、動きがあった。
「――何を考えているのですかッ!!」
魔王代理にして、四天王“雨”レフィーゼ・グレゴリアは激情のままに叫んだ。
彼女の怒りが向けられているのは、魔力付与品によって通信状態にあるルシフィナだ。
魔王城全体が揺れたかと錯覚するほどの叫びを受けて、ルシフィナはくすくすと笑っている。
「グレイシアさんを失い……元魔王には逃げられ、勇者は生存していた!! これだけでとんでもない事態だというのに、ヴォルクさんの村を焼くなど、何がしたいんですかッ!!」
『私が焼いた証拠なんて――』
「言い逃れも言い訳も聞きたくありません。ヴォルクさんから、貴方に村を襲撃されたという報告を受けています。貴方以外に、こんな真似ができる人がどこにいるんですか」
有無を言わせぬレフィーゼの口調に、言い逃れできないと悟ったのだろう。
あっさりと、ルシフィナは認めた。
反省を見せぬ口調に、レフィーゼは額に血管を浮き上がらせる。
『ヴォルクさんは、私を邪魔して、砦に攻め入ろうとしていた勇者の手助けをしたんです。反逆の意図があるとしか思えません』
「それは貴方です。貴方は彼が裏切る前に村を襲っているでしょう。彼の性格を考えるに、貴方がそんなことをしなければ、ヴォルクさんは邪魔をしなかったはずです」
『……そうですね』
言い訳をやめ、ルシフィナはそれを認める。
『ですが……二択でした。私を失うか、ヴォルクさんを失うかの。私と彼、どちらが魔王軍に必要な人材ですか?』
「…………」
ルシフィナの言葉に、レフィーゼは黙り込む。
個人的には、断然ヴォルクにいて欲しかった。
しかし、戦力という意味では、ヴォルクとルシフィナは比べ物にならない。
『それに……“雨”。貴方はグレイシアさんに死んで欲しかったのではなかったのですか?』
「――――」
『ほら彼女、貴方のお父さんを殺した張本人でしたし。貴方……そのこと、知っていたでしょう?』
ルシフィナの言葉に、レフィーゼは黙る。
それを良いことに、ルシフィナは続けた。
『それに、私のことも信用していないでしょう? ほら、私はこんな風ですし。私、裏切りそうな性格してますもんね』
「……自覚はあるんですね」
『はい♡』
「…………」
『だから貴方は、私もグレイシアさんにも大して期待はしていない。信頼も、信用も、貴方はしていない』
「……何が言いたいのですか?」
『四天王の穴を埋める人材くらい、貴方はとっくに確保しているでしょう? と言っているのです』
「……さぁ、どうでしょう」
とぼけるレフィーゼだが、通信機の先からは見透かしたような笑みが聞こえてくる。
気持ち悪い女だと、レフィーゼは思った。
『私はこれから、勇者を潰しに行きます。これ以上、彼を野放しにしておくのは、私の精神衛生上よろしくありませんから』
「砦で待機しろ、と言っても貴方は聞かないのでしょう?」
『ええ、まあ。ですので、教国のマリアさんに対抗できる人材を砦に派遣しておいてください。……まあ、そんな人材、そうそういないとは思いますが、そこは貴方の手腕を信じます』
勇者と元魔王を除けば、現状最も大きな障害となるのは教国のマリア・テレジア・シュトレーゲンだ。
単騎で四天王すら圧倒する彼女を止められる人材はそうはいない。
「……勝手が過ぎますね」
『魔王様が不在なんですから、私と貴方が事実上のトップでしょう?』
「私は魔王代理です」
『――元は同格でしょう』
ルシフィナの言葉に、ギュウとレフィーゼのお腹に痛みが走った。
この女はいつもそうだ。
何度自分をトイレに追いやれば気が済むのか。
『ですから、好き勝手させてもらいますね』
「ルシフィナさん」
『はい?』
「これ以上魔王軍の不利益になるようなことをするようなら、私が貴方を殺しますから」
冷たいレフィーゼの言葉に、通話先から聞こえてくるルシフィナの笑い声が止まった。
そして、『分かりました』と一言返事し、ルシフィナは通話を切った。
途端に、部屋は静寂に包まれる。
「………………」
大きな溜息を吐いた後、レフィーゼは部屋を後にする。
向かうのは、魔王城の最奥にある、立ち入りを禁じられた部屋だ。
部屋を封じていた結界が、今は解けている。
「……ふぅ」
別の意味で腹痛を感じながらも、レフィーゼは頬をぺちぺちと叩いて平静を保つ。
深呼吸し、レフィーゼは部屋の中に足を踏み入れる。
部屋の中は、暗闇と静寂に包まれていた。
「…………」
しばらく進んだ先には、大きな結晶があった。
魔力の治癒を補助する結界の一種だ。
その結晶の中には、一人の魔族が眠っていた。
「――――」
不意に、バキッと音がした。
結晶にヒビが入り、次第に全体に広がっていく。
そして、ついに結晶が粉々に砕け散った。
「――――」
ふわりと、地面に魔族が降り立った。
「……お目覚めですか、オルテギア様」
その声に反応せず、魔族は金色の双眸で天井を見上げる。
何を思ったのか、小さく息を吐く。
そして、長い銀色の髪を弄りながら、その魔族は言った。
「――腹が減った」
七章終了です。
おまたせして、本当に申し訳ない。
話のタイトルで気付いた方もいるかもしれませんが、
今回は一部、一章と対比した章でした。
一章が伊織回なら、今章はエルフィ回といった感じです。
いかがだったでしょうか。
プロット通りなら、あと三章で終了になります。
復讐対象もいよいよ少なくなってきましたが、後に控えているのは世界規模のやばい奴らです。
残り三章も、気合いれて書いていきますので、何卒よろしくお願いします。
次章『虚空』。
さぁ、ルシフィナパートだ。




