第十五話 『元魔王と元勇者』
――煙を吹き上げる砦の姿が、次第に遠のいていく。
龍の姿に戻ったベルディアの背に乗り、俺達は砦を後にした。
追手はあったが、空中戦において、エルフィの魔眼は反則級の力を誇る。
龍種や鳥型の魔物に乗って追いかけてきた魔族達は、抵抗すらできずに撃ち落とされていた。
ルシフィナや歪曲がどうなったかは分からない。
逃走経路に選んだのは、来た道と全くの逆方向からだからだ。
まだ周辺にいる可能性が高かったが、幸いなことに出会すことはなかった。
疲労困憊のベルディアに治癒魔術をかけて、誤魔化し誤魔化し飛行してしばらく。
追手を振り切った俺達は、進行方向に深い森を発見した。
監視の目に警戒しながら、俺達はひとまずこの森で休息することにした。
これで、一段落。
当初の目的だった、エルフィの回収に成功した。
また、今後の活動の障害になるであろう、四天王の一角を落とすことにも成功した。
帝国からの侵攻を守っていた砦の防衛力が著しく落ちたことで、魔王軍もしばらくてんてこ舞いだろう。
エルフィも、仲間を裏切った相手に復讐を果たすことができた。
アイドラーの行方や、四天王の側近が弱すぎた点など、いくつかの疑問点はあるが、それを加味しても上等な結果だろう。
だがそれは、あくまで結果だけを見た場合の話だ。
当事者の心境は、含まれていない。
◆
深い森には、当然多くの魔物が生息している。
幸いにもそれほど強い魔物はいないようだが、量の方は相当多い。
念を入れて、周囲にはかなり強めの結界を張っておいた。
重ねて、結界の存在を隠蔽する魔術も使っておく。
これで、一日くらいは誰にも見つかることはないだろう。
『……はぁ……はぁ……はぁ』
森に降りてすぐ、ベルディアは力尽きて地面に倒れてしまった。
当然だ。半日飛び続けて、砦で戦闘し、そこからまた飛行したのだから。
むしろ、ここまで持ったことの方が驚きだ。
それも、エルフィの存在があってこそだろう。
「ご苦労だったな、ベルディアちゃん」
エルフィが、ぐったりとしたベルディアに労いの言葉をかけた。
慈愛を感じさせる手つきで、優しくベルディアの頭を撫でている。
『……ご主人様ぁ……』
ベルディアも、甘えるような声を出し、ズリズリとエルフィに頭を擦り付けている。
「お前が生きていてくれて、私は嬉しい。凄く嬉しいぞ」
『……ずっと、会いたかった』
「ベルディアちゃん……。ひしっ」
『……ひしっ』
効果音付きで、二人が抱き合っている。
いや、ベルディアは龍のままだから、厳密には抱き合えていないのだが。
確かに、これは部下というよりはペットだな……。
「しかし……驚いたぞ。まさか、ベルディアちゃんが人になれるなんて」
『……頑張ったら、できた』
「おお。流石、私のペットだな!」
満面の笑みで、エルフィが自分の手柄のように胸を張って喜んでいる。
「そうだ、ここまで長旅だっただろう。体は大丈夫か?」
『……うん、大丈夫。ご主人様こそ、大丈夫?』
「うむ。見ての通り、私はピンピンしているぞ! 胴体も戻ったし、すこぶる元気だ!」
『…………』
そこで、エルフィが野営の準備をしていた俺に視線を向けてきた。
「伊織も、来てくれて助かった。流石の私も、もう駄目だと思ったぞ」
「……ああ」
頷きながら、手を動かす。
「道中色々あった。それも、後で説明するよ」
「うむ……。それはそうと、少し腹が減ったな! ご飯を食べたいぞ、伊織!」
そう言って、エルフィが腹を擦る。
まあ、あんな砦では、まともに飯も食えてないだろうからな。
ポーチを漁り、調理道具を取り出す。
保存してあった食材を取ろうとして、
『…………』
ジッと俺を見つめる、ベルディアの視線に気付いた。
「……三人分作るには、少し材料が足りないかもな」
俺は、そう呟いた。
「む……そうなのか? では、私が保存しているとっておきの肉を」
「いや。森を降りる時に、周囲に木の実や、獣がいるのが目に入った。せっかくだし、そっちを使おう」
そう言って、ベルディアの方を向く。
「ベルディア。食材を探してきてくれないか?」
「む、おい伊織。別にベルディアちゃんを使わなくても良いだろう。道中疲れているのだぞ」
怪訝な顔をして、エルフィが反発してきた。
まあ、当然の反応だな。
『……大丈夫』
しかし、ベルディアはのっそりと体を持ち上げた。
『……私、行ってくる』
「別に、無理をしなくても良いのだぞ? 食材なら私も持っているし」
『……ううん。何だか急に食材が取りたくて取りたくて仕方なくなってきた。きっと黒炎龍の本能。めっちゃ行きたい』
「そ、そんなに行きたいのなら、構わないが……」
ベルディアは食材を探しに、のそのそと拠点から離れていく。
その間際、
『……お願い』
そんなことを、言い残して。
「むぅ、行ってしまった」
去っていったベルディアを見て、不満げにエルフィが呟く。
「それにしても、ベルディアちゃんが私以外の者の言うことを素直に聞くとはな」
どうやら、エルフィ以外の者には結構反発していたらしい。
何となく、アイドラーへの態度を見れば分かったけどな。
「随分と、仲良くなったのだな」
「まあな」
「ふむ……。しかし本当に、お腹が減った。前に伊織と食べた、ばーにゃかうだとか食べたいな。流石にソースがないから厳しいか。むぅ」
腕を組み、明るい口調でエルフィは喋る。
黙っている俺に気付かず、空回っている。
もう、見ていられなかった。
「エルフィ」
「む? どうした、伊織よ」
「俺は、お前の部下じゃない」
エルフィの目を見て、言う。
「だから、強がらなくて良い」
一瞬の間が空いた。
「……ふむ、何だ急に。別に私は強がっていないぞ」
伊織は何を言っているのだ、とエルフィは苦笑いする。
「まったく、ベルディアちゃんにも言ったが、私はこの通りピンピンしているぞ。あの程度でどうにかなるほど、この私はやわではないわ。そんなことより、私は腹が減っていてだな」
エルフィは、いつものように笑い、いつものように喋り、いつものように空腹を主張する。
だけど、
「酷い顔を、してるぞ」
その言葉に、エルフィの瞳が揺れた。
それでも平静を保とうと、言葉を紡ごうとするエルフィに、
「そんな、ことは」
「俺はお前の部下じゃない。散々、お前に情けないところを見せて、どうにかここまでやってこれた弱い男だ」
「…………」
「だから、強がらなくて良い」
俺は、最初と同じ言葉を投げ掛けた。
「わ……私は、別に」
そう言いかけて、エルフィは言葉に詰まった。
口元を震わせ、金色の瞳が何かを堪えるように細まる。
――強い女だと、思っていた。
約束を反故にされ、仲間を惨殺されて、三十年も暗闇の中に閉じ込められていた。
それなのに、エルフィはいつも笑っていた。
宿敵だったはずの俺の前でもはしゃいで見せて、道化のように振る舞って。
だから、俺はエルフィスザークを強い女だと思っていた。
――嫌だ……嫌なんだ。暗いのは……もう。
――一人に、しないでくれ。
だが、違うのだ。
強いわけではなかった。
魔王として、そして復讐を果たすために。
この女は、強かであるという仮面を被らざるを得なかったのだ。
「…………」
目の前の女は、酷い顔をしていた。
涙を必死に堪らえようと笑みを浮かべ、震える唇を隠すために大きな声を出す。
きっと俺も、こんな顔をしていたのだろうと思った。
その時に胸に湧き上がったのは、言葉に出来ない感情だった。
怒りとも、悲しみとも違う何かだった。
その感情を堪えきれず、俺は。
「エルフィ」
気付けば、エルフィを抱きしめていた。
「大丈夫だ」
腕の中で、エルフィが息を呑む。
「……ぁ」
エルフィが、言葉にならない声をあげる。
ビクリ、と小さく体を震わせる。
何度も息を吐き出し、そして。
「……殺した」
ゆっくりと、エルフィはそう言った。
「あいつを……グレイシアを、殺した」
「……ああ」
「あいつは……私の仲間を殺したのだ。私を、裏切った。だから……」
金色の瞳から、雫が零れ落ちた。
一つ落ちたそれは、次第に堰を切ったかのように数を増していく。
「だから……っ、殺さなくては、ならなかった!」
「……ああ」
「あいつは……真面目で、いつも私を心配してくれて……だから……っ。ご飯も、よく作ってくれて……っ。私は、あいつが、好きで……っ」
呼吸を乱し、声を震わせながら、エルフィは言う。
「なのに……トール達を……っ。殺して……人形にしてっ」
「…………」
「幸せだった……。あいつらと一緒に戦えて……一つの目的に進んでっ!! それだけで……私は……幸せだったのに……。ぁぁ……ああ……うぁああ」
嗚咽を溢しながら、エルフィは俺の胸に顔を埋めた。
俺の背に手を回し、強く抱き締めながら、押し殺して泣いている。
その銀色の髪を、俺は梳くようにゆっくりと撫でた。
「……っ……」
それから、どれくらいの時間が経っただろう。
しゃくりあげながらも、エルフィは少しだけ落ち着いた。
その頭を撫でながら、俺はエルフィに問う。
或いは、それは残酷な問いだったかもしれない。
それでも、聞かなければならなかった。
「復讐したことを、後悔しているか?」
エルフィは、小さく首を横に振った。
「私は……決めたのだ。絶対に復讐を成し遂げて……先へ、進むと」
俺を強く抱き締めながら、それでもハッキリと言う。
「だから、後悔はしていない」
「……そうか」
再び、沈黙が続いた。
エルフィが鼻を啜る音だけが聞こえてくる。
「……伊織」
「なんだ」
エルフィが、ゆっくりと顔をあげた。
「――ありがとう」
泣き腫れた目で俺を見上げながら、微笑んで、エルフィはそう言った。
その表情に、言葉を失う。
「お前がいなかったら、私はまた暗闇の中に閉じ込められるところだった。何もできず、復讐も果たせず……今度こそ、終わってしまうところだった。だから……助けてくれて、ありがとう」
「それは……お互い様だ。俺もお前がいなければ、これまで復讐をすることはできなかった」
そう言って、もう一度頭を撫でる。
エルフィはくすぐったそうに、「ん」と息を溢した。
そんな彼女を見て、俺はいつかのやり取りを思い出した。
「……俺達は似ているな、エルフィ」
「……ああ」
エルフィも、思い出しただろうか。
悲しげに微笑みながら、エルフィは頷いた。
「私はもう一度、魔王になる」
俺の顔を見て、エルフィは静かにそう宣言した。
「魔王になって、今度こそ私は――」
「……今度こそ?」
以前と、同じやり取り。
だが、エルフィはその先を口にした。
「――人間と亜人、そして魔族。戦争を止め、すべての種族が手を取り合って生きていける世界を作る」
正面から俺を見据え、エルフィはそう言った。
「お前となら、今度こそ私は戦争を終わらせることが出来ると――そう信じている」
戦争を終わらせる。
すべての種族が手を取り合っていける世界。
それは。
仲間達に嗤われ、そして俺自身も嗤った、甘い夢だ。
「知っていた」
「……」
「お前が、それを目指しているくらい、知ってたさ」
エルフィは、今まで面と向かって俺に自分の目的を言わなかった。
それは、何故か。
俺が、世界平和だなんて心象を憎んでいたからだ。
出会った当初にエルフィが口にしていれば、俺は嘲笑していただろう。
行動をともにすることも、恐らくなかったはずだ。
「――不可能だ。くだらない」
「…………」
「かつての力を取り戻しても、そう思う気持ちはある」
それは変わらない。
「……だけど、俺はお前の心象を嗤わない。無理だと、踏み躙ることはしない」
「…………」
「それでも……受け入れて協力することは、できない。俺はもう、皆を救う勇者は、やめたんだ」
すべてに、自分に失望して。
勇者をやめて、その先で、俺は復讐のために元魔王と組んだ。
俺はもう、勇者じゃない。
もし仮に、勇者に、“英雄”に戻る理由があるとすれば、それは――。
「ああ」
俺の言葉に、エルフィは優しく頷いた。
「それで良い。だけど私は、お前が復讐を終えた先に、平和な世界が待っていると信じている」
「――――」
……俺には、その言葉が信じられない。
復讐した後のことなんて、まだ考えられない。
平和な世界を作るために英雄になるなんて、御免だ。
しかし、そうだとしても。
「エルフィ」
黄金の瞳を、俺は正面から見据える。
「俺は、最後まで復讐を成し遂げる。俺を裏切った者を、利用した者を、踏み躙った者を、一人残らず殺し尽くす」
そのために。
「俺に協力してくれるのなら、俺もお前に協力しよう。
俺の復讐に手を貸してくれるのならば、お前の復讐にも手を貸そう」
裏切られ、欠けた者同士。
復讐を成し遂げるために、こいつの力が必要だから。
「お前が俺の仲間である限り、俺はお前を裏切らない」
だから――。
「復讐の終わりまでは、俺と一緒に来い――“元魔王”」
手を伸ばし、俺は言った。
「――あぁ」
元魔王が、俺の手を取る。
「言われずともそのつもりだ、“元勇者”」
意趣返しのその言葉に、俺は思わず笑った。
◆
それからしばらくして、野兎を大量に持ったベルディアが帰ってきた。
それを受け取り、皮の処理や血抜きなどを行った後、シチューの具材にした。
グツグツと食材を煮ていると、エルフィが尋ねてくる。
「次に行く場所は決まっているのか?」
「当然だ」
まだ、俺達には行かなければならない場所がある。
「最後の迷宮――“虚空迷宮”へ行く」
虚空迷宮にある、最後の迷宮核。
そして、エルフィの心臓。
それを手に入れ、俺達は決戦のための力を取り戻す。
「……私も着いていく」
人間形態に戻ったベルディアがそう言うと、エルフィは嬉しそうにはしゃいだ。
「ああ、嬉しいぞ、ベルディア! お前がいてくれれば十龍力だ!」
「……ん。よしよしして」
「よーしよしよし……よしよしよしよし」
撫でるエルフィに、ベルディアが嬉しそうにしていた。
しばらくして、俺の顔を見てくる。
「……私、頑張った。伊織も褒めて……?」
「断る。エルフィに撫でてもらってろ」
「……んぅ。意地悪……」
そう言いながら、ベルディアは頬を染めて嬉しそうにしている。
何なんだ、こいつ……。
それから、ベルディアはふっと笑い、
「……伊織」
「何だ」
「……ありがと、ね」
赤い目で俺を見つめながら、そう言った。
その礼の意味を理解して、苦笑する。
良いペットを持ったな、エルフィ。
「む……お前達、本当に仲良さげだな。何の話をしている? 私も混ぜろ」
肝心のエルフィは、頬を膨らませて、少しつまらなさそうにしているが。
「……ご主人様を助けるまでに、色々あった」
「むぅ。気になるな。何があったのだ?」
「……それはね」
楽しげに語らう二人を尻目に、俺は空を見上げる。
日が傾き、空が茜色に染まり始めている。
エルフィの理想には、賛同できない。
受け入れ、協力することはできない。
だが、まだ道は分かたれていない。
俺達の復讐は、まだ終わっていないのだから。
――ルシフィナ。
……待っていろ。
次は『お前』だ。
俺を踏み躙ったことを後悔させてやる。
こうして。
“元魔王”と“元勇者”。
交わるはずのなかった二人の旅は、続いていく。
――その先に何が待っているのかを、まだ知らずに。
明日の幕間で、七章完結です
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