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第九話 『絶望射抜く炯眼』


――迫り来る斬撃は、反り立つ光の柱と見紛うほどに巨大だった。


『――――!!』


 声にならない叫びを上げて、ベルディアが漆黒の翼を大きく羽ばたかせた。

 咄嗟のアイドラーの指示に従い、ベルディアは滑るようにして空中を移動して斬撃を回避する。

 真横を通過していった魔力の塊は、しばらく地面を削った後、溶けるようにして消滅していった。


「何なのさこの魔力量!? いくら『天理剣』で増幅されているとはいえ、ここまで斬撃飛ばしてくるとか反則でしょ!?」


 通り過ぎていった斬撃を見て、アイドラーが顔を真っ青にしながら叫んでいる。

 確かに、以前のルシフィナでは考えられない程の射程距離だ。

 魔術ではなく、斬撃をここまで飛ばすなんて芸当ができるのは、俺はほんの数人しかしらない。

 その数人に、以前のルシフィナは入っていなかったはずだ。

 

「……ルシフィナ」

 

 まただ。

 忌光迷宮の時と同じ、最悪のタイミングで姿を現した。

 そうか。お前は――お前は、また俺を。


 視力を強化し、岩山にいるルシフィナを睨み付け、

 

「――――」

『――――』


 視線が交差した。

 荒れ狂った魔力の中、癖の強い金髪を乱し、紫色の大剣を握り、当時と変わらない銀の双眸でこちらを見ている。

 桃色の薄い唇を震わせて、


『――い・お・り、さん』


 瞳を三日月の形に歪め、ルシフィナは醜悪に嗤いながらそう言った。


「ルシフィナぁぁ……ッ!!」


 かつて貫かれた胸に鈍い痛みが走り、視界が憎悪に歪む。

 あの時、あの場所で、あいつが俺に言った一語一句が思い出される。

 忘れない。忘れるものか。


 今すぐ、ああ、そうだ、今すぐ、あの女に地獄を見せてやりたい。

 お前に相応しい復讐は、すでに考えてあるんだよ。

 嘲笑を浮かべるお前の顔が、苦痛の恐怖で歪み続けるとしたら。

 どれだけ、気持ち良いだろうか。


『……次が来る!!』


 俺の思考を遮るようにして、ベルディアが叫んだ。

 遠方で、紫色の光がチカチカと連続して煌めく。

 先程までと同じ規模の斬撃が複数、凄まじい速度でこちらに向かってきていた。

 ベルディアの飛行速度もよりも速い。

 俺達があいつの元に辿り着く前に、どれだけの斬撃が飛んで来るのか、計算もしたくない。


「ひゃわわわ!? べ、ベルディア回避して!! ボクの体は華のように繊細なんだよ!! 死んじゃう、あんなの喰らったらボク死んじゃう!!」

『……私だって死んじゃう』

「わぁあああ!! 嫌だぁ、ボクまだ死にたくないよう!!」

『……うるさい。黙ってて。伊織、どうする? 迂回して砦に向かう?』


 騒ぎ立てるアイドラーの口を抑えて黙らせながら、俺は即座にベルディアの提案を否定した。


「駄目だ。俺達が砦に向かっているのはルシフィナも気付いたはずだ。砦に先回りされるぞ」


 俺達が迂回している間に、ルシフィナは砦に辿り着くだろう。

 そうなれば、ルシフィナと“消失”、四天王を同時に二人相手にすることになる。

 エルフィを救出できる可能性はかなり低くなるだろう。

 ならば、取り得る手段は一つしかない。


「――正面突破する。ベルディアは出来る限り斬撃を回避しながら、最短距離を進んでくれ。どうしても回避できない攻撃は俺が対処する」


 俺の言葉に、アイドラーがギョッとした表情で口を開いた。


「そ、それは自殺行為だよっ! ルシフィナの斬撃で、“消失”も僕達の存在に気付いているはずだ。ルシフィナを突破できたとしても、最悪、四天王と連戦しなくちゃならなくなる。すぐに聞きつけた魔族が駆けつけてくるだろうし」

「それは分かってる。だが、こちらの位置がバレている以上、それ以外の手がないだろう。お前に何か策があるのか?」

「……まったくないわけじゃないけど、できれば使いたくない。ボクはあと二、三回しか大きな魔術を使えないんだ。それ以上使うと、ボクは死んじゃうから……」

「……なら、正面から行くしかないな。ベルディア、ギリギリまで回避しながら飛行してくれ」


 議論している余裕はない。

 逃げても進んでも状況が好転しないのならば、障害を蹴散らして前に進むしかない。


『……分かった』

 

 ベルディアが頷いてすぐに、次の斬撃が到来した。

 翼をはためかせ、軽い体捌きでベルディアが斬撃を回避する。

 しかし、軽々と回避できたのは最初の一撃だけだった。

 俺達の逃げ場を塞ぐようにして、様々な角度から飛んでくる斬撃に、ベルディアの回避が次第に間に合わなくなっていく。


『――ッ』


 連続して飛来した斬撃を、ベルディアがスレスレとのところで回避した瞬間だった。

 斬撃の陰から、手品のように巨大な一匹の鳥が姿を現した。


『クェエエエエエエエエ――ッ!!』


 全身を覆う毒々しい紫色の羽毛、頭部に生えた赤紫の鶏冠、半円を描く鋭いくちばし

 羽毛の上からでも分かるほどに肥大した筋肉を持った、鶏に近い外見の魔物だ。


「……!」

「っ」


 魔術を使った形跡はない。

 つまりこの鳥は、あれだけの距離を俺達が直前まで気付かない速度で飛行してきたのだ。

 速すぎる。なんて速度だ。


「な……。大風鳥ガルーダ!? 数十年くらい前に絶滅した古代種じゃん!!」


 アイドラーの驚愕に、濁った黄色の瞳が俺達を捉える。

 巨大な翼を広げ、俺達に向かって凄まじい速度で突っ込んできた。

 この速度では、ベルディアの回避は間に合わないな。


「――“魔毀封殺イル・アタラクシア”!」

『クェエエエ!?』


 展開した魔力の盾に、大風鳥ガルーダが激突する。

 

「ッ」


 盾越しに強烈な衝撃が走り、乾いた音を立てて魔毀封殺イル・アタラクシアにヒビが入る。

 ただの突進で、何て威力だ。


『……大丈夫!?』

「ああ! このまま飛び続けてくれ!!」


 この巨体と速度があれば、下手をすれば魔将をやっていてもおかしくないレベルの魔物だ。

 ……厄介だな。


『カァアアアアア!!』


 憤怒の咆哮とともに、大風鳥が大きく嘴を開いた。

 同時に胸部が大きく膨張したかと思うと、口腔内に風属性の魔力が集まっていく。

 龍種と同じ、ブレスの予備動作。


「――“光あれめつぶしフラッシュ”!!」


 刹那、アイドラーが両手を額に当てたかと思うと、眩い光が大風鳥の双眸に突き刺さった。

 目潰しを受けた大風鳥は悲鳴を上げて大きく体勢を崩し、口腔に集まっていた魔力はあらぬ方向へと飛んでいく。


「ふっふーん!! どうだ見たか、これがボクのスーパー魔術だ!! 凄いでしょ、凄いでしょ!」

「調子に乗るな。次が来るぞ……!」


 視界が元に戻らない状態のまま、覚束ないながらも大風鳥が背後から接近してくる。

 それと同時に、ルシフィナの巨大な斬撃が再び連続してこちらへ向かってきていた。

 俺達の後ろにいる大風鳥も巻き添えを喰らう軌道だ。


「古代種を使い捨てにするつもり!?」

『……ッ』


 斬撃を回避するために、ベルディアが軌道を変える。

 その瞬間、斬撃を回避した俺達の行く手を阻むように、もう一匹の大風鳥が高速でこちらへ飛んできているのが見えた。


『……あれは、避けきれないっ。どうする、伊織!』

「ぎゃあああ!? 死ぬの!? ボク死んじゃうの!?」


 前方からはルシフィナの斬撃。

 後方、そして回避した先に大風鳥。

 三方向から来る攻撃に、ベルディアの回避は間に合わない。


「…………」


 強化した視力の先、ルシフィナが口元を抑えながら嗤うのが見えた。

 チリチリと、周囲に魔力が集まる感覚がある。


「不味いよぉ!! これ、もし回避できたとしても、エルフィスザークの救出が間に合わないんじゃないの!?」

『……っ。やだ、そんなの嫌だ……!!』


 アイドラーの焦った声に、ベルディアが絞り出すように叫ぶ。

 斬撃と二匹の大風鳥が俺達に激突するまで、あと四秒。


「――いいや」


 二人の叫びを、俺は否定する。


「――――そうは、させない」



 同時期、レーヴァス砦にて。

 砦内の一室で、エルフィスザークは身動きを封じられていた。

 全身を雁字搦めにする鎖は、元魔王の腕力を持ってしても砕くことは出来ない。

 ――というよりは、繋がれた者では砕けないようになっているのだろう。


「…………」


 足掻くことが無意味だと悟り、エルフィスザークは壁に凭れかかったまま項垂れていた。

 一人きりの暗闇に眠ることも出来ず、今に至るまで目を開き、床を見つめ続けている。


「無様。なんて、情けない。何が元魔王、グレイシア様の寵愛を賜るには、まるで相応しくないわ」


 不意に聞こえてきた甲高い声音に、隈の刻まれた銀色の瞳がその方向へ揺れる。

 扉を開き、部屋の中に入ってきたのは軍服を身に纏った二人の女魔族だった。


「外から変な音が聞こえてきたんでな。念のため、アタシ達がアンタを見に来た」

「監視。貴方は絶対に逃さないようにと、グレイシア様に言い付けられている」


 そう言って、二人の魔族がずんずんと近付いて来る。

 彼女たちがエルフィスザークに向ける視線には、強い敵意が込められていた。


「疑問。どうして、こんな女があの御方に、ここまで……」


 ギリギリと歯を噛み締めながら、怨嗟の声をあげたのは白蛇の魔族だ。

 人間に近い形をしているが、肌の所々に真っ白な鱗が生え並んでいる。 

 爬虫類のような縦に伸びた赤い瞳が嫉妬に細められ、口元からはチロチロと二股に裂けた長い舌が見え隠れしている。


「おい、スネイル。そんなこと言ってると、グレイシア様にぶっ飛ばされるぞ。あの人がどんだけこの女にご執心かは知ってるだろ?」


 白蛇の魔族――スネイルを宥めるようにそう言ったのは、右半身が龍、左半身が獅子の特徴を持った魔族だった。

 軍服の上からでも分かるほどに筋肉が肥大化しており、強靭な肉体を持っていることがひと目で分かる。


「遺憾。その事実が既に腹立たしい。マイラもそうでしょう?」

「……まぁな。確かにアタシもそう思うぜ。正直、こんな女の下で働きたくはねぇな」


 鋭い牙が生え並ぶ口を嘲るように嗤い、マイラと呼ばれた魔族がこちらを見下ろす。


「えぇ? エルフィスザーク様よぉ。何とか言ったらどうだ? アンタのお仲間とやらも、グレイシア様達にやられちまったんだろ? 今、どんな気分だよ」


 小さく息を吐き、エルフィスザークは二人の魔族から視線を外す。

 グレイシアを慕っているのは分かるが、二人の態度からして言葉を交わす価値はない。

 

「不快。この女」

「……チッ、だんまりかよ。つまんねぇ奴だな、おい」


 エルフィスザークを縛り付けている鎖を、マイラが力任せに揺さぶった。

 ジャラジャラという音とともに、全身を乱暴に揺さぶられる。

 瞼を閉じて沈黙を続けるが、不意に喉元を強く握られた。


「警告。グレイシア様に気に入られているからって、調子に乗らないで。貴方はいつか、グレイシア様の見ていないところで、存分に痛め付けてあげるから」


 耳元で息を吐くようにそう囁くと、スネイルはゆっくりと腕を離す。

 同時にマイラが鎖から手を離し、その場から後退った。

 それから僅か数秒後、部屋の扉が開き、中へグレイシアが入ってきた。


「おはようございます、エルフィスザーク様」


 グレイシアは微笑みながら頭を垂れた後、二人の部下へと視線を向ける。


「マイラ、スネイル。異常はないか?」

「肯定。今のところ、この部屋に近づいて来た者はいません」

「ふむ、そうか……。タイミングがタイミングだ。エルフィスザーク様を何者かが奪還しにきたのではないかと思ったのだがな」


 スネイルの返答に、グレイシアは考え込むように顎に手を当てる。


「砦に向かっていたルシフィナが、帝国の魔術師どもと鉢合わせでもしたか……?」

「可能性はありますね。あいつら、最近はあんまり攻撃してきてなかったですし」

「もうしばらくは、あの腑抜けた連中は穴蔵を決め込んでいると予想していたのだがな。死沼迷宮が落ちて、勢い付きでもしたか……?」

「今、部下を確認に向かわせてます。何かあったら、アタシらが対処しますんで、グレイシアはお気になさらず、好きにしていてください」

「……ああ。雑事は任せる」


 マイラの言葉に思考を打ち切り、グレイシアは小さく頷いた。

 険しげな表情をサッと消すと、嬉しそうに頬を染め、エルフィスザークの元へやってくる。


「それで……頭は冷えましたか? 私の考えを、理解できましたか?」

「……答えは変わらない。グレイシア、私を解放しろ」

「――――ッ」


 期待していた表情が一変し、グレイシアが不快げに顔を歪める。

 鎖に縛られたままのエルフィスザークの胸ぐらを掴んで強引に引き寄せると、グレイシアはもう片方の腕を勢い良く振り下ろした。

 魔力を纏った拳がエルフィスザークの頬を打ち据え、鈍い音とともに鎖の揺れる音が室内にジャラジャラと響いた。


「貴方は酷い御方です。本当に、本当に、本当に!! 私はこんなにも貴方を想い、貴方に尽くし、貴方のことだけを考えて生きてきたというのに!! そういうことなら、ええ、分かりました。予定通りに、貴方の封印することにします。暗闇の中で、頭を冷やしてください」


 激情のまま、繰り返しエルフィスザークの殴り付けた後、グレイシアは部下へ目配せした。

 ガラガラと音を立て、四つの首を載せた台車が部屋の中に運ばれてくる。


「…………」


 並べられた生首は皆、死んだ時の苦痛を顔に貼り付けている。

 痛かっただろう。苦しかっただろう。悔しかっただろう。

 すぐ隣にいた腹心の考えに気付けなかったせいで、彼らはこうなった。


「……すまない」


 もっと、やりようはあったはずなのに。

 こんな結末は、回避できたはずなのに。

 

「相も変わらず、無様な表情だ」

 

 生首を見て満足気に鼻を鳴らすと、グレイシアは台車の方へと足早に近付いていった。


「さて。エルフィスザーク様もご存知のように、私はあまり結界魔術の類は得意ではありません。非才なこの身は、忌々しいことに闘争ばかりに特化し、細やかな作業には向いていないのです」


 台車の元に辿り着いたグレイシアは「ですが」とかぶりを振った。


「この三十年、御身のために研鑽を重ねたことで、私は新たな魔術を習得することに成功しました。一つは、先日お見せした“消失”。視界に映る範囲に、瞬時に移動することができる魔術です」

「…………」

「そして、もう一つ」


 台車に並べられた生首に両腕を翳しながら、グレイシアは愉快げに笑みを浮かべる。

 その凶相に、エルフィスザークが息を呑むと同時だった。


 「――“廻れ、枯傀儡ブラスフェミー・ドール”」


 どす黒く醜悪な光が、室内を余すことなく飲み込んでいく。

 瞬く間に光は消え、世界は正常な色を取り戻す。

 ただし、それまでと違う点があるとすれば――――。


『――――』

『――――』

『――――』

『――――』


 ――台車に乗っていた四つの生首が、生前の形を取り戻していたことだった。


「生前の力をそのままに、屍を思う通りに操ることのできる魔術です!! どうですか、エルフィスザーク様!! 私は二つの喪失魔術を再現し、我が物とすることに成功したのです!!」


 高らかに笑うグレイシアの声は、口元を震わせるエルフィスザークの耳には届いていない。


「トール……ムスベル、アベル、フェイ……」


 生気の感じられない虚ろな視線を床へと落とす四人の仲間の名を呼びながら、エルフィスザークは堪えきれない嗚咽を漏らす。

 不甲斐ない主のせいで、部下を死なせてしまった。

 そして死してなお、彼らは解放されることなく、この世界に縛られ続けている。


「私の成長に涙を流してくださっているのですか?」

「グレイシアぁぁ……何てことを……お前は、どうして……」


 見当違いの解釈に笑みをこぼすグレイシアに、エルフィスザークの絞り出すような問いを投げかける。

 その意図を理解しようとしないグレイシアは不思議そうに首を傾げ、


「理由など簡単です。この者達は御身を汚す背信者ですが、その能力だけは有用でしたからね。不要な意図を捨て、私の傀儡として役立てているのですよ」

「……ぁぁ」


 そ答えを遠ざけるように、エルフィスザークが掌で顔を覆う。

 両者の意図を理解しているスネイルとマイラは、エルフィスザークの有様を憐れむように小さく嗤っていた。

 グレイシアを狂わせる元凶の苦しみは、見ていて胸がすくような気分になるからだ。


「覚えていらっしゃいますか? トールは雷の魔術だけでなく、結界にも長けた男でした。ルシフィナの結界には及ばないかもしれませんが、それでも御身を封じ込めるには十分でしょう」


 術者の言動に合わせるように、傀儡となったトールがぎこちない挙動で台車を降りた。

 フラフラと、人間味を感じさせない挙動でエルフィスザークへと歩を進める。

 その瞳は生前の温かみなど一欠片もなく、まるでガラス玉のように無機質にかつての主を見下ろしていた。


「トール、貴様の結界でエルフィスザーク様を封じろ。内側からは決して解除することができぬよう、貴様が作り出せる最上の結界でだ」

『――――』


 持ち上げられたトールの掌に、魔力が集まっていく。

 その滑らかな魔術の行使だけは、生前と変わっていない。


「……かつての部下に、再びあの暗闇に戻されるとはな」


 結界が生み出されていくのをただ見つめながら、エルフィスザークは自嘲するように言葉を溢した。


「お前達を守れず……そして三十年経った今も、私はまた仲間を失った。そんな私には、お似合いの末路か」


 その発言に、ピクリとグレイシアの眉が釣り上がる。

『仲間』という単語が、誰を指しているのかを理解したからだろう。

 この期に及んで、まだ『人間の勇者』などに現を抜かすエルフィスザークに歯軋りし、激昂の寸前まで感情を昂ぶらせる。

 だが、その直前で怒りを抑え、思い付いた名案に表情を輝かせた。


「――そこまで、『いおり』とかいう勇者を気に入っているのでしたら、その男は私の傀儡としましょう」

「――――」

「確か、戦場に散らばっていた肉塊は魔王城に運ばれていったはずです。回収して、トール達と同じように永遠に使いましょう」

「ふざけるな……。ふざけるな、グレイシア!!」


 エルフィスザークが激昂した直後、台車に乗っていたムスベルが跳躍した。

 かつての主の頬へ、ムスベルが拳を叩き付ける。


「がっ……」

「――お静かに。御身はそんな風に、叫んではいけません。常に冷静に、深い知慧で私を導いてくれる。それが本当のエルフィスザーク様です。どうか、私の前でそのような無様を晒さないでください」


 口元に指を当て、グレイシアが沈黙を促す。

 ほぼ同時に、トールの掌の中で結界が完成した。

 ゆっくりと、橙色の結界がエルフィスザークを足元から覆っていく。


「では、エルフィスザーク様。そろそろ、お別れの時間です」

「…………」

「雑事はお気になさらないでください。今から御身は何も見えず、何も聞こえず、身動きすらできぬ闇の中で、その熱に浮かされた頭を冷まさねばなりませんから」


 その言葉に、エルフィスザークは嫌でも思い出す。

 すべてが闇に覆われ、憎悪だけに覆われていた地獄の三十年間を。

 あの世界で軋んでいく精神を支えていたのは、部下を奪われたことへの憎悪だった。

 しかし、エルフィスザークは知ってしまった。

 オルテギアの裏切りに、腹心のグレイシアが噛んでいたことを。


「ぁ……ぁあ」


 輝かしい思い出を壊され。

 胸を灼いていた憎悪が反転し。

 ともに歩んでいた共犯者を奪われ。

 

 自分を呑むこの闇に、もう耐えられないだろう。

 エルフィスザークは、深く刻まれた絶望にそう結論づけた。

 次に結界から出られた時、その精神はもう形を保ってはいないだろう。


「私は……どこで間違えたのだろうな」


 結界がエルフィスザークの下半身を完全に覆った。

 残った上半身も、そう遠くない内に結界に覆われるだろう。

 残された猶予は、ほんの十数秒。


「――おやすみなさい、エルフィスザーク様」


 その最後の十数秒に、エルフィスザークは口元を震わせた。


「……伊織」


 自分の心が壊れて、すべてを忘れてしまう前に。

 魂に刻み込むように、最後にその名前を口にする。

 

 そして。



「――呼んだか、エルフィ」


  

 そんな声とともに、天蓋が爆ぜた。

 爆炎が部屋を焼き焦がし、薄暗かった部屋を照らしていく。

 穿たれた天蓋の穴から、漆黒の龍の姿が見える。

 


 ――その背から、一つの影が降りてきた。


「――――」


 それは、黒髪の少年だった。

 その年齢に見合わぬ鋭さを持った双眸。引き締まってはいるが、やや華奢に見える体付き。

 爆風に揺れる魔術服は、炎のような紅蓮の紋様が刻み込まれていた。


「何者だッ!!」


 グレイシアの叫びを受けても、少年は視線はエルフィスザークを捉え続けている。

 怒ったように、呆れたように。

 エルフィスザークを見つめ、そして、一瞬だけ安堵の笑みを浮かべた後。

 少年は、指を鳴らす。


「な――――」


 バリン、とガラスが砕けるような音とともに、エルフィスザークを覆っていた結界が消滅した。

 驚愕の表情を浮かべるグレイシアに、少年は斬り付けるように視線を向ける。


「――そいつは俺の共犯者だ。返して貰うぞ、“消失”」


 少年――天月伊織は、そう言った。


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