第八話 『出撃、或いは邂逅』
―前回までのあらすじ―
魔王軍四天王“消失”によって、エルフィスザークが連れ去られてしまった。
エルフィスザークを助けるために、伊織はアイドラー、ベルディアと行動をともにする。
そして、進んだ先で伊織達が立ち寄ったのは、四天王“歪曲”の村だった。
同時期、エルフィスザークはかつての部下、“消失”グレイシアにある真実を告げられる。
エルフィスザークの仲間は、グレイシアが裏切って殺していたのだ。
絶望するエルフィスザークに、グレイシアは「正午に再び貴方を封印する」と告げるのだった。
4巻、8/30に出るみたいです
遥か遠方の山から、太陽が顔を覗かせつつある。
白み始めた空の下、俺達は出発の準備を進めていた。
出発まで、あと十数分。
俺は荷物を纏め、ベルディアは龍の姿に戻る準備をしている。
アイドラーは一人、立ったまま寝ぼけ眼で船を漕いでいるが。
「ベルディア、体調は万全か?」
この村から、目的地まではベルディアの背に乗って移動する。
体調が移動速度に影響してくるため、ベルディアのコンディションは重要だ。
「……問題ない。目的地まで、バッチリ飛んでいける」
人間の形態のまま、ベルディアが大きく頷いた。
「ああ、分かった。おい、アイドラー。お前はどうなんだ」
「ふぇ!? 寝てない、寝起きの良いボクは全然寝てないよ!!」
「寝起きの良いボクって何だよ」
ビクリと体を震わせ、垂れた涎をゴシゴシと擦りながらアイドラーが目を覚ます。
昨日はのぼせて死にそうになっていたが、まあ問題ないだろう。
ここ数日の間、この女を観察していたが、間の抜けた態度とは裏腹に強かだ。
体調に関係なく、危機を乗り越える器用さは持ち合わせているだろう。
これから向かうのは、グレイシアが管理している魔族の砦だ。
砦はレイテシア中央部にある魔王領、その南部に位置している。
帝国からの進軍を喰い止めるために設置されており、待機している魔族も少なくない。
ここ数年は大規模な戦闘は起きておらず、砦に配備されている人員も減りつつあるようだが、油断はできない。
なるべく戦闘を避け、エルフィの元に辿り着くようにしなければ。
「……それにしても、早朝なのに賑やかだな」
日が登ってすぐだというのに、この村の戦士達は活動を始めていた。
戦士達が忙しなく走り回り、村の警備を厳重にしているようだ。
「つい昨日、魔物に襲われたばかりだからな。戦士長の命で、厳戒態勢を取っているのだ」
俺の呟きに、見送りに来てくれていたタイラが答えた。
厳戒態勢というだけあって、警戒のレベルはかなり高いらしい。
タイラと同じ“副長”の二人が、戦士達に指示を出しているのが遠目から見えた。
「大した見送りができなくてすまないな、いおり殿」
「いえ、構いません。一晩、泊めて頂けて助かりました」
それだけ準備が忙しいんだろう。
“歪曲”のヴォルクも「助かった。じゃあな」と言い残して、用事があるとかでどっか行ったしな。
敵である四天王に見送られるのも変な気分だし、いない方が気が楽なくらいだ。
「いおり殿は強い上に、礼儀正しいのだな。この村に残って、子を成して欲しいくらいだ」
「どうだろう?」と真顔で尋ねられ、苦笑して断ることしかできない。
残念そうなタイラとしばらく言葉を交わした後、
「“勇者”と魔王軍。我らは敵対した関係ではあるが、主らがこの村を救ってくれたことには変わりない。もし行き場に困った時は、この村に来ると良い。いつでも歓迎しよう」
「はい。それでは、失礼します」
「……ばいばい」
タイラと、見送りに来てくれた戦士達に挨拶をして、俺達は村を後にした。
村から離れ、誰もいなくなったところで、ベルディアに龍の姿になってもらう。
流石にあの村で黒炎龍の姿になるのは、色々と問題があるからな。
ベルディアの上に飛び乗り、ゴツゴツとした背に腰を据える。
しばらく待つが、アイドラーが乗ってこない。
『……アイドラー、早く乗って』
下に視線を向けると、村の方へジッと視線を向けていた。
「ああ、うん」
頷き、いそいそとベルディアの背によじ登ってくる。
「どうかしたのか?」
「んー……。いや、何でもない。どうにかなることでもないしね」
「?」
意味深なアイドラーが気にかかるも、悠長にしている時間はない。
ベルディアが翼を羽ばたかせ、飛行を始めた。
到着予定は正午。
昼には、俺達は砦に到着しているはずだ。
何の邪魔も入らなければ、の話だが。
◆
ベルディアが加速し、瞬く間に村との距離が広がっていく。
アイドラーが張った結界のお陰で、空中移動は概ね快適だ。
視線を下に向けると、いくつも山や谷が流れるように遠のいていく。
途中、何回か魔族の拠点地と思わしき建物が目視できた。
地上の魔族を無視して移動できるのは、空を飛べることの大きな利点だろう。
アイドラーの魔術が俺達の存在を隠している、というのも見つからない理由の一つではあるが。
「快適な空の旅が始まったところで、今後の話をしておこうか」
隣に腰掛けていたアイドラーが、真面目な表情で口を開いた。
飛行中のベルディアが、背中に意識を向けたのが分かる。
「あと数時間で、ボク達は砦に到着する。そこまでの道程は、ボクが皆の気配を遮断しているから、恐らく敵に見つかることはないはずだ。だから、問題は到着した後。残念だけど、ボクはグレイシアの砦に入ることができないんだ」
「理由を聞いても良いか?」
「簡単なことさ。どれだけ気配を遮断していようと、エルフィスザークを奪還しようとすればグレイシアは侵入者に気付くだろう。そうなったら、戦闘は免れない」
だろうな。
いくらなんでも、そこまで簡単な相手ではないだろう。
最悪、砦のど真ん中で四天王とぶつかることになるかもしれない。
「ご存知の通り、儚く可憐なボクは戦いに長けてない。流れ弾一発で死ぬ自信がある。それだけはごめんだ。だから、ボクがサポートできるのは砦の手前までだよ」
「それで十分だ。砦の中で四天王と戦闘になったとしても、俺なら逃走くらいはできるはずだ。だから、侵入する人数は少ない方が良い」
『……私はご主人様のところまで着いていく』
「ああ。ベルディアは着いてきてくれ」
人間形態でも、ベルディアは十分な戦闘力を持っていた。足でまといになることはないだろう。
それに、ベルディアに乗って脱出するという手段が取れる。
「できれば避けたい事態だが、エルフィを見つける前に魔族に囲まれた時は、俺が心象魔術を使って蹴散らす。四天王が出てきても、強引に対処できるはずだ」
エルフィが加われば、四天王と砦の魔族達と戦闘になっても切り抜けられる自信がある。
以前戦った“歪曲”くらいの力量ならば、だが。
話に聞く“雨のグレゴリア”や、かつて戦った“千変”クラスの四天王が相手なら、話は変わってくるが。
「あまり油断しない方が良いよ」
そこで、やや険しい表情でアイドラーが忠告してきた。
「“消失”は、かつて魔王軍を支えた“闘争”の一族の末裔だ。戦闘力は低くない。教国で見たところ、喪失魔術も使えるみたいだしね」
「油断はしない。最悪の場合に、戦うだけだ。出来る限り戦闘は避けるさ」
「避けられたら良いけどね。ボクの予想では、正面から戦うことになると思うよ」
俺の答えに納得していないのか、アイドラーは険しい表情を崩さない。
「まるで確信しているような口ぶりだな」
「伊織君に戦う理由がなくても、エルフィスザークにはあるってことだよ」
「……どういう意味だ」
『――グレイシアは、エルフィスザーク様の仲間の仇だから』
俺の問いに答えたのは、ベルディアだった。
『……エルフィスザーク様の仲間を、オルテギアに売ったのはグレイシア。あの女は、私達を裏切った』
エルフィの配下だった“雨のグレゴリア”を殺したのはグレイシア。
エルフィ達の位置をオルテギアに伝え、仲間を殺されたのもグレイシア。
エルフィを、ルシフィナの結界の中に封じ込めさせたのも、グレイシア。
「どこで、それを知ったんだ」
『……グレイシアの口から聞かされた。あの女は私も何度も殺そうとしてきた。その時に、全部聞いた』
平坦な声音に混ざった隠しようのない憎悪の感情は、その言葉の意味を俺に理解させた。
「そう、か」
グレイシア。
その名前は、エルフィの口から何度か耳にしたことがある。
自分を支えてくれた、信頼できる仲間の一人であると。
嬉しそうに、誇らしげに、悲しそうに、悔やむように、何度もその名前を口にしていた。
前に奈落迷宮で、エルフィを見て思った。
『こいつは、俺の同類だと』。
あぁ。やっぱり、俺とあいつは似ている。
やりたかったことも、やろうとしていることも。
目的も、手段も、結末も。
「…………そんなところばっか、似なくてもいいじゃねえか」
あいつは、グレイシアの裏切りに気付いているだろうか。
気付いていたとして、あいつはどう思っただろうか。
あいつはまだ、無事でいるだろうか。
「……すぐに、助けてやる。俺達は、共犯者だからな」
お前が俺の復讐を手助けしてくれるように、今度は俺がお前を支えてやる。
だから、無事でいてくれ。
景色を置き去りにして、魔王領を進む。
到着まで、まだ時間が掛かる。
握りしめた拳を解き、血が流れる唇を舐め、息を吐く。
気を紛らわすために、しばらくアイドラーと会話して情報収集に務める。
会話が一段落し、意識を切り替える。
そして、
「――――!」
アイドラーが息を呑み、弾けるように顔を上げたのはすぐ後のことだった。
見開かれた桃色の瞳の視線は、遥か遠方に小さく見える山に向けられている。
そちらに視線を向けるが、俺には何も見えない。
が、
「――敵襲だッ!! 伊織君、戦闘準備! ベルディア、ボクが指示した方向に転換して!!」
これまでにないほど切迫した表情で、アイドラーが強く叫ぶのと同時だった。
視界の先で、小さく光が瞬いた。
豆粒ほどの光が、小さな点となり、やがて細い線になる。
刹那、否が応でもそれが何かを理解させられた。
「な、に……!!」
『……なに? アイドラーの魔術で、敵は私達を見つけられないはずじゃないの?』
事態を理解しきれていないベルディアの問いに、アイドラーが焦燥の滲んだ声音で答えた。
「確かに大体の相手なら、ボクの気配遮断には気付かない! けど、こういう魔術に精通してるような、性格の悪い奴が相手なら、話は別だ!! まさか、砦の近くにあいつがいたなんてッ!!」
叫ぶように、アイドラーが言った直後だった。
ようやく、接近してきている物が見えたらしい。
ベルディアが、小さく息を呑んだ。
――巨大な魔力の塊が、大地を削りながらこちらへ凄まじい勢いで接近してきていた。
◆
四天王“消失”が管理する、レーヴァス砦。
そこから十数キロ離れた位置にある、切り立った岩山の頂上に一人の女性が立っていた。
白と黒が入り交じった美しいドレスを纏ったその女性は、憎悪と嫌悪で塗れた呟きを零す。
「――どうして、まだ生きているんですか」
全身から吹き荒れる魔力でドレスが揺れ、綺羅びやかな金髪が乱れる。
帽子が宙を舞うのを気にも留めず、女性の双眸は遥か遠方の空を睨み付けていた。
女性の背後に控えていた二匹の巨大な鳥が、主の憤怒に同調するかのように甲高く鳴き叫ぶ。
それを合図にして、女性は大剣を振りかぶった。
大剣の柄を伝って魔力が奔り、大剣の中央に集中していく。
まるで竜巻のように魔力が螺旋を描き、やがて大剣の刃から一筋の光が噴出した。
噴出した魔力は天を穿ち、紫色に瞬く。
「――いい加減に、死んでくださいよ」
女性が大剣を振り下ろした直後。
膨大な魔力が斬撃となり、岩山を削りながら遥か遠方に向かって離れた。
斬撃の向かう先には、一匹の龍が空を舞っている。
女性の視線はその上に立つ、一人の男に向けられていた。
「――ねえ、アマツさん」
女性――ルシフィナ・エミリオールは吐き捨てるように、そう囁いた。




