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第七話 『絶望の刻』

グロ注意です


 ――それは、燃え盛る劫火の中での出来事だった。


 火の手に包まれた街には、苦痛と怨嗟の叫びが響き渡っていた。

 逃げ惑う魔族達を、人間が憎悪の表情で殺戮していく。

 老人も赤子も男も女も戦士も住民も一切の区別なく、その血で街を赤く穢していく。


「一匹足りとも逃すな!! 皆殺しにしろ!!」


 一切の容赦なく、人間は魔族を殺していく。

 一人、また一人と、合唱のように断末魔が重なり合っていく。

 地獄とは今この場所なのだろうと、物陰に隠れた少女は思った。


 魔族は、魔王城以外にも複数の拠点を持っている。

 人間の侵攻を監視し、阻止するための『砦』。

 非力な魔族達を保護する『街』や『村』。


 “闘争のレーヴァテイン”と呼ばれる魔族が守護していた『街』が、人間の襲撃にあっていた。

 人間はまるで『街』のすべてを把握しているかのような効率的な動きで行動し、戦士達は瞬く間に殺されていった。

 戦士を率いていたレーヴァテインも、大した反撃も出来ずに倒されてしまう。

 その後、人間達は速やかに住民に襲いかかっていった。


「……っ」


 深緑の髪の少女が一人、建物の陰で蹲っている。

 親を殺され、友人を殺され、知り合いを殺され、ただ少女は逃げるしかなかった。

 ガクガクと震え、ただ人間が去るのを祈るしかなかった。


「……どうして、こんな」


 血が滲むような呟き。

 己の口から溢れた問いの答えを、少女は既に得ていた。

 人間と魔族が、憎しみ合い、互いに武を掲げ、殺し合っているからだ。


 何が闘争。

 何がレーヴァテイン。

 闘争を善しとするその名の、何と忌々しいことか。


『ギィイイイイイッ!?』


 街のどこかで、労働力として支配していた魔物の咆哮が聞こえる。

 魔族だけでなく、魔物もまた、人間達によって殺戮されているのだ。

 少女の親が躾けた魔物も、恐らくは既に殺されてしまっているだろう。


 親が使役していた魔物のことを思い出す。

 最初は反抗的で、こちらに殺意すら向けてくる。

 魔物の気性は荒く、時に魔族にすらその牙を向ける。


 故に、魔族は魔物に教え込むのだ。

 どちらが上で、どちらが主なのか。

 そうして躾け、徹底的に管理することで、魔族は魔物と共生している。


「―――――――あぁ」


 その時に、一体少女は何を考えたのか。

 己の口元が歪んでいることに、少女は気付かない。

 その瞬間に、少女の有り様が同仕様もなく歪んでしまったことに、少女は気付けない。


 だが、どのような変容があっても、地獄と化したこの場所では無意味なことだ。


「おい、いたか?」

「いや。だが、まだ近くにいるはずだ」

「……っ」


 すぐ近くから聞こえてきた男の声に、少女の小さな体が跳ねる。


「メルト教団の言う通りだったな。まさか、こうも容易く魔族の街を落とせるなんて」

「ああ、驚いた。街の構造から戦力まで、ドンピシャとはな。上層部に神のお告げがあったんだろ? 神様の存在なんて眉唾モンだと思っていたが、今なら信じて良い気分だ」


 近付いて来る、人間達の声。

 争う術を持たぬ少女は、ただ息を殺して震えることしかできなかった。

 目を瞑り、来ないでと天に祈り――、


「――見つけた」


 人間の男が二人、少女を見下ろしていた。

 鎧が、手にする剣が、魔族の血に赤く染まっている。

 

「……ガキか。チッ、人と形が近いと気分が悪ぃな」

「年齢なんざ関係ねえさ。一人でも逃がせば、何十人もの仲間を殺される。魔族は皆殺しにしなくちゃいけねぇんだ。そうじゃなきゃ、戦いは終わらねえ」

「……ああ。平和のためには、必要なことだよな」


 こちらを見下ろす男の顔に浮かぶのは、『魔族のすべてを殺し尽くす』という強い意志。

 何と愚劣で、醜悪なのだろう。

 人も魔族も、誰もかもが分かっていない。


『殺し尽くした』先に、平和などないのだと。


「……恨むなら、魔族に生まれた自分を恨みな」


 男が、剣を振り下ろす。

 動けない少女に、死が落ちてきた。

 血を撒き散らし、臓物をぶち撒けるだけの終わりが近付く。


「――間違ってる」

 

 憎悪した。

 少女は人間を憎悪した。

 この世界すべてで起こる争いを、憎悪した。


 ――“闘争”を掲げる、己の名レーヴァテインを憎悪した。


 この地獄において、変容した在り方も、胸を焦がす憎悪も、何もかもが無意味。

 何もなさず、何の価値もなく、何の波紋もなく、潰える。


 はずだった。



「――――」


 永遠にも思える、刹那。

 死が選んだのは、少女ではなく、男達だった。


「な、なん――ッ!?」

「ひ、ぎゃッ」


 短い断末魔をあげて、二人が塵のように命を散らす。


「――――」


 世界を喰らい尽くす、紅蓮の地獄。

 武器を握る人々を引き裂く、死の爪。

 その身は軽やかに、死神の如く、街を襲う人々に死を撒き散らす存在。


 ――生涯、その光景を少女が忘れることはないだろう。


「あぁ……」


 輝く銀髪。天を衝く双角。紅蓮の双眸。漆黒のドレス。

 あの女性こそが、この世界で最も美しく、そして最も正しいのだと、少女は思った。


「どこに行っても、争いばかりか。望む答えなど、初めからなかったか?」


 自らが消し飛ばした人間の残骸を一瞥し、女性は冷酷な表情で呟いた。

 感情の希薄なその顔が、少女の心を熱く溶かしていく。

 赤い瞳が、少女を捉えた。


「――――――あぁ」


 ――この人こそ、私の理想を体現するに相応しい人だと。


 エルフィスザーク・ギルデガルドの姿を見て、

 

 ――グレイシア・レーヴァテインはそう思った。




「――オルテギアにトール達を殺させたのは、私なのですよ」


 グレイシアのその言葉が、エルフィスザークには理解できなかった。

 いや、理解したくないと、脳がその理解を拒んでいた。

 仲間を手に掛けたと語るグレイシアの表情は、あまりにもズレている。


 裏切り、仲間を殺してやったのだと、悪意ある嘲笑ではない。

 絶望に叩き落としてやりたいと望む、憎悪からの哄笑ではない。


 痛ましいモノを見るかのような憐憫と、その痛ましさすら受け入れてみせるという慈愛。

 語る内容とはあまりにも乖離した表情に、エルフィスザークは硬直せざるを得なかった。

 

「御身を謀るつもりはなかったのです。ただ、思慮深くお優しいエルフィスザーク様のお耳から、煩わしいだけの雑音を遠ざけたかった。ただ、それだけでなのです」


 申し訳なさそうに。

 それでも、己に非があるとは、微塵も思っていない表情だった。


「雑、音……?」

「ええ。あの連中は、エルフィスザーク様を惑わすだけの雑音です。連中の口から漏れる戯言も、連中の死の結末ですら、無意味で無価値な雑音に過ぎない。あの冷酷だったエルフィスザーク様が、穢れていくのを見るのは胸が裂ける思いでした。オルテギアの存在は、ある意味では幸運だったと言えるでしょう。あの男のお陰で、力だけはある、あの連中を殺し尽くすことが出来たのですから」

「お前は……何を、言っているんだ。グレイ、シア」


 献身的な態度を崩さず、礼節を感じさせる口調で語り続けるかつての部下の意図を、エルフィスザークはまるで理解できなかった。


「お前は、本当に……トール達を殺したのか?」

「はい。エルフィスザーク様に、下らぬ嘘を付くほど愚かではありません」

「…………ッ」


 グレイシアの表情に、僅かな罪悪感が見え隠れする。

 だがそれは、トール達を殺したということから来るものではない。

 エルフィスザークに黙っていたこと、そして、『こんなくだらない話を聞かせてしまったこと』を、グレイシアは悔いているのだ。


「お前は……私を、裏切ったのか?」

「あの地獄から救っていただいたあの日から、この身はエルフィスザーク様の理想のためにあるのですから!」


  いっそ。


 己の欲望を満たすために裏切ったマーウィン達のように、矮小な矜持を守るための見当違いの怒りを抱いて裏切ったディオニスのように、大切な者を喪った悲しみを憎悪に変えて裏切ったリューザスのように、『お前は騙されていたんだよ』と、グレイシアが笑ってくれた方が、理解できただろう。


 だが、違うのだ。

 グレイシアは、『裏切っていない』と考えている。

 トール達を殺したことが本当だと語ってなお、それがエルフィスザークのためになる行動だと確信しているのだ。


「…………」


 グレイシアが、どこか恥じるように、期待の込めた視線を向けてくる。

 それは、以前から何度も見てきたモノだ。

 私を褒めて欲しいという、グレイシアの意思表示だ。


「……あぁ。そうでした。詳細な報告をしなければ、お褒め戴くことも出来ませんね。考えが及ばず、申し訳ありませんでした」


 黙り込んだエルフィスザークに、都合の良い解釈をして、グレイシアが頭を下げる。


「……では、お話しましょう。私が、どのようにしてあの愚か者達を誅したのか」




「エルフィスザーク様は氷のように冷酷で、それでも、私には温かな愛をくださる御方です。私の理想が、まるで形を取って現れたような……そんな存在でした。なのに、エルフィスザーク様は変わってしまわれた。凍えるような冷酷さが消え、私だけに向けてくださるはずの愛をあろうことか、人間や亜人にまで向け始めた。そんなのはおかしい。間違っています。エルフィスザーク様は、正しい姿のままで居続けるべきなのです。ですから、私は御身を変えた原因を探しました。見つけるのは、簡単でした。だって、すぐ近くにあったのですから。御身を穢したのは、トール、ムスベル、アベル、フェイ、ヴェルディア、グレゴリアを始めとする、無能な部下達であると。誰一人として、エルフィスザーク様が掲げるべき真の理想を理解せず、誰一人としてエルフィスザーク様の間違いに気付かなかった! それどころか、エルフィスザーク様の冷酷さを溶かし、人間などという下等な連中に絆されるように誘導したッ!! 許せない、許さない、許せるはずがない、あんな連中は生きているだけで、エルフィスザーク様を害するッ!!」


 歌うように、語る自分に酔っているかのように、呪うように、憤る自分を誇っているように。

 唾を飛ばし、目を見開きながら、グレイシアはそう吐き捨てた。


「――だから、あの連中を一人残らず殺して、私は本当のエルフィスザーク様を取り戻すことにしたんです」


 沈黙するエルフィスザークの前で、グレイシアは荒く息を吐き、垂れた唾液を恥じるようにタオルで拭う。

 それから、自らの成果を誇るように、言葉を続けた。

 

「――最初に私が殺したのは、グレゴリアです」


 フェールゼ・グレゴリア。

 初代“雨”から続く魔術を継承し、その力を余すことなく魔王軍、魔族の繁栄に捧げた男。

 

「……馬鹿な。あの男は、私の反対勢力によって殺されたはず、だ」

「ええ。実際、グレゴリアを追い詰めたのは、エルフィスザーク様に反抗していた魔族達でした」


 グレゴリアが死んだ日、魔王城にエルフィスザーク達はいなかった。

 攻め入ってきた人間を抑えるため、挙兵して城を空けていたのだ。

 その留守を任されていたのが、グレゴリアだった。


「“雨”の力は、当代魔王の、“魔王紋”とパスを繋げることでその真価を発揮します。ですがあの日、エルフィスザーク様はグレゴリアから遠く離れた地にいた。そこを、私が突いたのです」


 グレイシアは反対勢力にあえて情報を流し、行動を促した。

 目論見通り、その日反対勢力はグレゴリアに襲撃を仕掛けた。

 周囲とのパスを遮断する強力な結界を仕掛け、グレゴリアの“雨”の力を極限にまで落とし、集団で襲い掛かったのだ。


「空間を断絶した結界は、ヒルダ……三十年前の四天王、“千変”に協力させて張らせました。楽しい物が見れるならと、喜んで協力してくれました」

「……例え、四天王が協力したとしても! その程度の小細工で、グレゴリアが殺されるはずがない……! あの男は、私やオルテギアに迫る力を持っていたのだぞ!?」

「ええ。あの男は、襲撃してきた連中を単身で皆殺しにしました」

「では、どうしてグレゴリアが死ん……」

 

 尋ねようとして、エルフィスザークは理解した。

 理解、してしまった。


「お前……が、やったのか」

「その通りです! 私が、あの男に手を下したのです。グレゴリアは疲弊した状態でなお、容易に仕留められる男ではありません。ですが、同じ派閥に属している私なら!! あの男の背を刺すことができる!!」

「――――」

「胸を貫き、首を切り裂いてやりました。グレゴリアは自らの血に溺れ、戯言を喚きながら絶命しましたよ。いつも、いつも、エルフィスザーク様を讃えることもせず、侮辱を繰り返していた愚者が迎えるには、当然の末路でした」


 胸を張り、誇らしげに、グレイシアはそう言い切った。


『……おい、魔王様よ』


 エルフィスザークは、グレゴリアの言葉を思い出した。

 攻め込んでくる人間、一枚岩ではない魔王軍、激務に追われ、エルフィスザークが疲弊しきっていた時だった。


『技量もないのに、何でもかんでも自分でやろうとするな」


『な!? この私に技量がないとはどういうことだ!?』


『そのまんまだ。上に立つ者が、抱えきれない重荷を背負い込んで潰れるなんざ、お話にもならねえ。魔王なら何でもできると思ったか? 自惚れるなよ。部下に重荷を分散しないのは、傲慢だ』


『……そう、か。そうだな』


『ああ。分かったら、とっとと引っ込め。この仕事は俺が引き継ぐ。邪魔だ』


 粗暴で、毒舌家。

 手が出るのも早く、少しでも邪魔に感じれば容赦なく皆殺しにする過激な男。

 決して、褒められるような人格をしていたわけではない。


 それでも。

 それでも、グレゴリアはいつも魔王軍のことを考えていて。

 

 ――自分達のことを理解して、支えてくれていた。


「――エルフィスザーク様のことを理解せず、ただ反発するだけの愚者は、この私が始末したのです!! あの男の存在は、エルフィスザーク様の邪魔にしかならないのだから!!」


 その過去を踏み躙るように、グレイシアはそう言った。


 グレゴリアが死んだ日のことは忘れない。

 助けられなかった無念、反対勢力を御しきれなかった無力に、歯を食いしばった。

 そうして、ふらつくグレイシアに背を押され、エルフィスザークは仲間の屍を越えて前に進んだのだ。


 そうした過去が、まるで炎に炙られる写真のように黒ずんでいくのを感じた。

 

「グレゴリアは首尾よく消すことが出来ましたが……しかし、まだ害虫は多くいました。いくら仲間という立場から不意を付けるとはいえ、私にも限界はあります。トールは私を疑って色々探っていたようですし、私はより手っ取り早い方法を使うことにしたのです」


 表立った反対勢力は、グレゴリアによって皆殺しにされた。

 しかし、すべてが消えたわけではなかった。

 ただ一人、魔王となったエルフィスザークに比肩し得る者が、虎視眈々と反乱の時を伺っていたのだ。


「……オルテギア・ザーレフェルド。私は、あの男を利用することに決めたのです」


 エルフィスザークが魔王になってもなお、反対勢力が現れた理由は複数ある。

 その内の一つに、オルテギアの存在があった。

 オルテギアはエルフィスザークに比肩する実力を持ちながら、始めた魔王紋争奪戦には参加しなかったのだ。

 そのため、不参加だったオルテギアを神輿に担ごうとしている魔族が少数だが残っていた。

 そこに、グレイシアは目を付けていた。


「オルテギアが反乱を起こす数日前に、私はある取り引きをしたのです。私がエルフィスザーク様の情報を流す代わりに、エルフィスザーク様とその部下の処遇は、私に一任してくれ、と」

「――――」


 絶句するエルフィスザークに気付かず、グレイシアは続ける。

 オルテギアはグレイシアの提案を受け入れた。

 オルテギアがトール達を殺すに至ったのは、グレイシアがそう頼んだからだという。


「――まず死んだのが、ムスベルでした。ディオニスという鬼族が魔王軍へ所属を希望していたので、実力を試すために、ムスベルと戦わせたのです」


 ただし、


「――万に一つ、逃げられては困るので、ムスベルの両足は最初に斬り落としておきましたが」


 当然、戦いは一方的だった。

 激しく攻め立てるディオニスに、ムスベルは逃げることも出来ず、全身を斬り裂かれた。


「得意の治癒魔術で自分の傷を治していましたが、所詮は害虫。あっという間に治癒魔術が追いつかなくなり、まるでゴミのように惨めに命を落としました」


 そう語るグレイシアの声音は、愉悦に満ちていた。

 エルフィスザークの鼓膜にべったりとこべりつき、離れない。


『僕は治癒魔術しか取り柄がない』


 かつて、ムスベルと交わした言葉を思い出した。

 それは、エルフィの采配ミスで、アベルが怪我をしてしまった時のことだ。

 大口を叩いておいて、仲間を傷付けさせてしまった自分に自己嫌悪を抱いていた、あの時。


『だから、僕はエルフィスザーク様のために戦う剣にはなれないんだ。何度も、僕は四天王になる資格があるのかと、思った』


『そんなことはない!! お前には、お前にしかできぬことがたくさんある!!』

『……うん。ありがとう。僕は戦えない。だけど、傷を癒やすことはできる。だから、僕は誰が傷付いたとしても、絶対に癒やしてみせる』


『ムスベル……』


『だからさ、落ち込まないで。エルフィスザーク様は、前に進み続ければいい。その過程で傷ついた仲間は、僕が一人残らず治してみせるから』


 そう言って、慰めてくれたのだ。

 あの晩の、あの言葉が、どれだけエルフィスザークの胸中を軽くしてくれたのかは、ムスベルですら分からないだろう。


 ムスベルは戦闘能力に乏しい。

 しかし、それを認めた上で、自分ができることを賢明にやっていたのだ。

 前に出れぬ無力を悔やみながら、それでもエルフィスザークの背を推してくれていたのだ。


「――治癒しか出来ず、エルフィスザーク様の背に隠れることしか出来ぬ臆病者は、こうして死にました」


 その覚悟を嘲笑するように、グレイシアはそう言った。

 

 ムスベルと過ごした日々は記憶に焼き付いている。

 誰よりも優しくて、強い勇気を持ったあの少年のことを。

 甲高い耳鳴りに、記憶が遠のいていくのを感じた。


「――次に死んだのは、アベルとフェイでした。アベルはルシフィナによって両断され、フェイはオルテギアの手によって消滅させられました」


 ムスベルの次に実験台になったのは、双子の兄弟だった。

 戒めを解かれたアベルとフェイは二人でルシフィナと戦うはずだった。


「ですが、フェイが先走り、『せめてお前だけは』とオルテギアに飛び掛かってしまったのです。……まあ、何をする間もなく、オルテギアによって消滅させられましたが。呆気ない」


 残ったアベルも、オルテギアに襲い掛かろうとしたが、ルシフィナによって阻まれた。

 正面から、大剣で両手両足を切断された後、威力の弱い魔術によって、アベルは嬲り殺された。


「アベルの叫びは、耳障りで聞くに耐えませんでしたよ。痛い痛いと泣き喚いて、仮にもエルフィスザーク様の臣下ならば、死ぬ時くらいは潔く死んで欲しかったですね」


 そう吐き捨てるグレイシアの目は、三日月の形に歪んでいた。

 その目に、エルフィスザークは見覚えがあった。


『『仲間が傷付くのを見ると、胸が痛くなるんだ』』


 アベルとフェイの悲痛な声を覚えている。

 仲間を傷付けさせまいと、エルフィスザーク自らが最前線に赴き戦っていた時。

 傷付くのは私だけでいいと前に出て、人間の騎士に腕を斬り落とされたあの日。


『……うむ。それは私も同じだ。だから、私がお前達を守って――』


『『……違うんだ。俺達は、エルフィスザーク様が傷付く姿も、見たくない』』


『私も……か?』


『『うん。エルフィスザーク様だって、俺達の仲間なんだよ? だから、怪我して欲しくない。自分だけが傷付けばいいなんて、エルフィスザーク様に思ってほしくないんだ』』


『お前達……』


『『誰も傷付かずに戦うことなんて出来ない。……だから、皆で傷を負って、一緒に戦っていきたいんだ』』


 仲間のために戦うということを勘違いしていた自分に、彼らはそう言ってくれたのだ。

 頑丈な自分が傷付けば良い。大切な人の盾になりたい。

 そういった思いは、今も変わらない。

 それでも、あの二人の言葉のお陰で、エルフィスザークは本当の意味で、ともに戦うということが理解できたのだ。


「――戦うことしか脳にない、身勝手なあの二人はこうして死にました」


 その献身を冒涜するように、グレイシアはそう言った。


 アベルとフェイの騒がしい声は、今でも耳に残っている。

 喧嘩をグレイシアに咎めらた二人は、よく舌を出していた。

 それに怒ったグレイシアが喧嘩に参戦し、トールによって窘められる。

 そんな光景を見るのが、エルフィスザークは好きだった。

 突き刺すような痛みに、あの頃の光景が砕けていくのを感じた。


「そして、最後に。――トールは、私が殺しました」


 静かに、しかし、内にある愉悦を隠しきれない声音で、グレイシアは言った。


「エルフィスザーク様を最も惑わせた、最低最悪の背信者。あの男だけは、私が殺さなければ気が済みませんでした。エルフィスザーク様の理想とは遠くかけ離れた案を出して、エルフィスザーク様の理想を狂わせたッ!! だから、私がッ!! この手でッ!! 生まれてきたことを後悔するほどの後悔を味わわせて、殺したのですッ!!」


 最後の一人。

 トールはグレイシアが別室に連れて行き、自らの手で息の根を止めた。


「最初に、邪魔なだけの毛髪と頭皮をすべて引き剥がしました。その次に、両手足の爪を剥ぎました。次に両手足の指を斬り落としました。当然、一気には落とさず、細かく、輪切りにして、ゆっくりとです。エルフィスザーク様を惑わせた罪は重いのですから。それから全身の皮を剥ぎ、鼻を削ぎ落とし、不要な目を刳り貫き、すべての歯を引き抜いて、唇をもぎ取って、死なないように少しずつ少しずつ少しずつ少しずつ肉を削いで――――そうして、殺しました」


 ああ、と。

 エルフィスザークは思い出した。

 アマツと戦った後に、エルフィスザークが見た仲間達の骸。

 グレイシアが語った内容と、骸の状態が、一致していたことを。


「いつも賢しらに偉そうな口を叩いていた割には、最後には泣き喚いていましたよ。どうか、エルフィスザーク様は殺さないでくれ、と。私がそんなことをするはずもないのに。何が参謀……エルフィスザーク様を導くことも出来なかった、一番の背信者が」


 そう語るグレイシアの顔を、エルフィスザークは良く知っていた。

 これまでに、嫌になるほど、見てきた顔だから。

 その顔に浮かぶ嗤いは、伊織を裏切った者達が浮かべていたモノと、まったく同じだったから。


 グレイシアの嗤いは、エルフィスザークに向けられたものではないけれど。

 あの連中に裏切られて、嗤われた時の伊織は、こういう心境だったのか、と。

 今さらになって、エルフィスザークは思った。


『……それが貴方の掲げる理想ならば、私はただ支えるのみです』


 トールの笑みを、思い出した。


『……本当に良いのか。私の理想を受け入れるのは、お前にとって酷だと理解している。断っても、構わない』


『そうですね。貴方の理想は、生半なものじゃない。もしかしたら、受け入れられない魔族の方が多いかもしれない』


『ならば、何故だ。お前の家族は、皆人に……』


『……ええ。ですが、私は好きなんです。貴方方のことが」


『な、お前やはり、私に好意を持っていたのか……!?』


『貴方、方。異性に向ける好意ではありません。……私は、貴方や、ムスベルや、アベルとフェイや、グレイシアが笑ってくれていれば、それで良いんです。だから、貴方方がどこへ進もうとも、私は付いていきますよ。どこへ辿り着いても、幸せになれるように、全力を尽くします』


『……そうか』


『アベルとフェイが騒いで、グレイシアが怒って騒いだり、貴方が調子に乗って、ベルディアとグレイシアが賛同するけど、私達に突っ込まれて落ち込んだり……そう言った日常が、好きなんです。人への憎しみを、忘れられるくらいに、ね』


 そう微笑むトールを見て、エルフィスザークは思うことが出来たのだ。

 自分が進もうとしている道は、決して間違いなどではないと。


「――猿にも劣る愚劣な考えしか持たない背信者は、そうやって私が息の根を止めましたッ!!」


 在りし日の思い出を握り潰すように、グレイシアはそう言った。


 どうしようもなく、色褪せてしまった。

 あの頃の輝きはもう、二度と戻ってこないだろう。


 

 拘束されたままのエルフィスザークの頬を、液体が伝う。

 溢れた雫が、ポタポタと床に落ちる。 

 その涙を、グレイシアはどう解釈したのだろうか。


「ああ、泣かないでください、エルフィスザーク様。すべては御身のために成したこと。私の努力など、無に等しい」


 エルフィスザークの涙を指で救いながら、撫でるような優しい声音でグレイシアはそう言った。


「そして、最後に」


 グレイシアが指を鳴らすと、部屋の中に台車を持った魔族が入ってきた。

 台車の上には何かが乗っているが、シートが掛けられており、中を見ることは出来ない。

 だが、エルフィスザークは理解した。

 あの下にあるものを、見てはいけないと。


「――これが、私の成果です」


 グレイシアが、シーツを剥ぎ取った。

 下にあった何かが、顕になった。


「どうですか? 無様でしょう? これが背信者達の末路です」


 ――四つの首があった。


「グレゴリアの首は、手に入りませんでしたが、それでも他のは保存しておきました」


 保存の魔術が掛けられたそれらは、当時の状態のまま残っていた。


 苦悶の表情のまま、絶命したムスベルの首があった。

 刃でズタズタに引き裂かれ、傷だらけになったアベルの首があった。

 中で爆弾が弾けたかのように、バラバラになったフェイの首があった。

 すべてを剥ぎ取られ、もはや原型を残していないトールの首があった。


「――ぁ、ぁあ」


 目を見開いて、エルフィスザークが声にならない呻きを上げる。

 一体、どれほどの責め苦の中で命を落としたのだろう。

 想像もつかないほどに、彼らの首は凄惨だった。


「背信者の末路を示すため、そしてある魔術の触媒にするために、三十年間保存しておいたのです」


 グレイシアがムスベルの首を手に取り、


「この、背信者、がッ!!」


 勢い良く、地面に叩き付けた。

 湿った音とともに、ムスベルの首が地面を転がる。

 グレイシアは、何度も、何度も、その首を踏み付ける。

 保存の魔術が掛かった首が崩れることはないが、鈍い音が連続して響き渡った。


「なん……て、ことを」


 目を瞑り、エルフィスザークが俯く。

 その胸中がどうなっているのか、察することのできる者はこの場にはいない。


「ははッ!! どうです、エルフィスザーク様ッ!! 胸がすきませんか!? 無能どもが文字通り、雁首揃えて!! ははははッ!!」

「……ッ」

「そして、これだけではないのですッ!! この首を触媒にすることで――――」

「――もう良い」

 

 上機嫌に、早口で捲し立てるグレイシアを、エルフィスザークが遮った。


「……もう、良い。グレイシア」

「エルフィスザーク、様?」


 涙を溢したまま、笑うエルフィスザークの顔を見て、グレイシアは固まった。

 その表情が、自分の望んだ者ではなかったからだ。


「結局、私は何も見えていなかったのだな。最も近くにいた部下の考えさえ、まるで理解出来ていなかった。……ふ。これでは、見る目がどうのと、あいつに言えたものではなかったな」

「ど、どうされたのですか、エルフィスザーク様。気分が優れないのですか?」

「ああ、絶望したよ。何も見えていなかった、自分自身に」


 哀しいな、と微笑む。

 

「私も、好きだった。お前達と過ごす苦しく、辛く、しかし、賑やかで幸せな日常が。すべてを喪って……その後に出会った、伊織との日々も好きだった。神経質で、意地が悪くて、落ち込みやすくて、どうしようもないくらいに優しい、あいつと過ごす時間が、私は好きだった」


「……………………何を仰っているんですか、エルフィスザーク様」


「それも全部、壊れてしまった。思い出すだけで、己の無力に、仲間を救えなかった無念に震える……それでも、輝かしかったあの頃の記憶はすべて、色褪せてしまった。ともに歩むと誓った共犯者の命も、道半ばに潰えてしまった」


 それでも、とエルフィスザークは言った。


「……私には、成さねばらないことがある。この封印を解け、グレイシア」

「何を仰っているのか、理解できません。先程お話したではありませんか。オルテギアを殺すために、魔王軍に入り込むのです。私が口利きすれば、可能性は十分に――」

「グレイシア」


 それを言えば、どうなるか理解していた。

 それでも、主として――元主として、言わなければなかった。



「――私は、そんなことを望んではいない」



 それは、決定的な拒絶の言葉だった。

 理解出来ないという風に、グレイシアの目が見開かれる。

 それから、わなわなと口元が震え、その震えが全身に回っていく。


 そして、



「……は? は? はぁ? はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ????」


 

 整った顔を凶相に歪め、甲高い絶叫が破裂した。


「私のエルフィスザーク様はぁぁぁッ!! そんなことをッ!! 私に言わないッ!! 言うわけがないッ!! 言うはずがないッ!! 言わない、言わないはずだッ!! 私を褒めてくれるはずなんだッ!!」


 魔力を纏った強烈な拳が、エルフィスザークの顔面に叩き込まれた。

 ゴッと鈍い音が響き、拳を受け止めた頭部が弾けるように壁に激突する。

 凄まじい音を立てながら壁が砕けるのも構わず、グレイシアが癇癪を破裂させ続けた。


「どうしてそんなことを仰るんですかッ!? 何故ッ!? 穢れの元凶は全員殺したのにッ!! 何故だ!! あの時のエルフィスザーク様は、一体どこに行かれたというんだ!! ふざけるなぁぁ、私がこの三十年、どんな思いでエルフィスザーク様を待ち続けたと思っているんだッ!!」


 全身の血管が千切れそうになるほど、顔を真っ赤にし、唾液を撒き散らしながらグレイシアがヒステリックな叫びを上げた。

 自身が崇める主の顔を手の甲の皮が破けたのも気にも留めず、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、執拗なまでに殴り続ける。

 激憤するグレイシアの意志を体現したかのように、室内を魔力が荒れ狂い、調度品を無残なまでに砕いて回った。


「あぁぁ駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ!! まだ、エルフィスザーク様は汚染されている。まだ頭が冷えていない! 熱に浮かされて正常じゃなくなっている。違う違う、こんなの私のエルフィスザーク様じゃない、違うッ!!」

「グレイ、シア、私は――」

「私の愛する人の顔で、戯言を宣うなァあああああああッ!!」


 口を開きかけたエルフィスザークの頭を掴み、グレイシアが壁に叩き付けた。

 額が切れ、エルフィスザークの顔が血で赤く染まっている。

 

「……あ」


 その血を見て、まるでスイッチが切れたかのように、グレイシアが止まった。


「……あぁ、またやってしまった。闘争などを語る血筋のせいか、すぐに冷静さを欠いてしまうのは私の欠点だな」


 そう呟くと、恭しい手つきでエルフィスザークを抱き寄せる。

 そして、赤く濡れた額に舌を這わせ、その血を舐めとっていく。


「愛しています。この世で一番、私が、御身を愛しているのです。私だけが御身の理想を理解できる。だから――」


 血に濡れた口元に笑みを浮かべ、うっとりと頬を赤く染めて、グレイシアは言った。


「――今度はもう百年ほど……エルフィスザーク様を暗い封印の中に、入れて差し上げます。そうすればきっと、今度こそ貴方は、私のエルフィスザーク様に戻るはずだから」


 それは、三十年間、何もない暗闇で意識を保ち続けたエルフィスザークの苦しみを理解した上での言葉だった。

 三十年程度の苦しみでは足りないと、グレイシアは微笑む。


「準備もありますし……そうですね、明日の正午くらいに、再び封印を施しましょう。何もなく、何も見えず、何も聞こえない世界を、再び御身に捧げます」


 エルフィスザークの額に口吻をすると、グレイシアは背を向けた。


「ま、て。待て……グレイシア……ッ!!」


 呼び止める主の声に、



「――愛していますよ、エルフィスザーク様」



 そう告げて、扉を閉めた。

 重く、扉が閉まる音。

 室内の灯りは消え、エルフィスザークの世界は闇に覆われた。



「――、――――」


 


 か細い嗚咽も、誰かの名を呼ぶ声も

 

 



 ――闇に溶けて、誰にも届くことはなかった。


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