第六話 『エルフィスザーク・ギルデガルド』
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これは在りし日の記憶。
すべてを奪われた元魔王の、温かな思い出。
◆
――新たな魔王が決まった時、魔王城では継承の儀が執り行われる。
そしてそれは、少女が魔王に選ばれた場合でも、例外ではない。
その日、魔王城・継承の間には、魔族と知能を持つ魔物が集まっていた。
煌びやかな装飾、敷き詰められた真紅の絨毯、大きな部屋を煌々と照らす照明。
溢れんばかりの魔族達が集結した部屋の最奥、玉座に腰掛けているのは一人の少女だった。
この場にそぐわない、成人すらしていないように見える少女。
外見だけ見て、そう侮る者もいるだろう。
だが、玉座から立ち上がった彼女を見て、そんな感情を抱ける者はこの場にはいない。
星の光を閉じ込めたかのような艶やかな銀髪に、部屋のすべてを見通す黄金の双眸。
天を穿つかの如き漆黒の双角。
そして、その肌を這うのは、“魔王”であることを証明する赤く染まった魔王紋。
彼女を見て、子供だと笑える者はいない。
全身から立ち上がるその気迫に、一部の例外を除き、すべての者が息を呑んだ。
そして、玉座へ続く絨毯の脇には六人の魔族と、一匹の龍が立っている。
少女の部下の中でも、最も高い地位にいる者達だ。
その中には、四天王に名を連なる者も含まれている。
先代の魔王、シャルナーク・ヴァン・ベルナークスが命を落として既に数ヶ月が経つ。
我こそが次代の魔王にと、魔王軍内部で魔王の座を巡って争いが起きた。
そして、並み居る猛者を捻り潰し、“魔王”の座を勝ち取ったのが、玉座にいる少女なのだ。
少女が玉座から離れ、一歩前に出る。
その所作に、魔族達がざわめいた。
魔王城で少女を知らぬ者はいない。
元、魔王軍四天王――“全魔”。
「――我が名はエルフィスザーク・ギルデガルド」
その言葉に、継承の間が静まり返った。
痛いほどの静寂の中、少女――エルフィスザークは言葉を続ける。
「これまでは、四天王“全魔”と名乗ってきた。しかし、これからはこう名乗ることになる」
全身を走る赤い魔王紋を見せつけるようにして、エルフィスザークは宣言した。
「――“魔王”エルフィスザーク・ヴァン・ギルデガルド、と」
その言葉に、ざわめき声が上がる。
彼女の気迫に呑まれていた者達も、魔王という単語を聞けば黙ってはいられない。
魔王とは、魔族の中で最も強い存在がなる。
二代目魔王が生まれた時から、ずっと続いてきたしきたりだ。
しきたりに対して、文句を付ける者はいない。
だが、エルフィスザークの即位には不満を持つ者が多かった。
「……甘ったれた小娘が。シャルナーク様が浮かばれんな」
「おい、馬鹿……! 声が大きい」
表立って不満の声を零した者に、隣の魔族が顔を顰めた時だった。
「――黙れ」
一人の男の言葉によって、継承の間は静まり返った。
言葉を発したのは、通路の脇に立つ魔族の一人。
四天王“雨”フェルーゼ・グレゴリアだ。
「魔王様の御前だ。有象無象は分を弁えろ」
“雨”は先代魔王の時から、四天王に名を連ねている。
魔王軍内部での権力も非常に大きい。
その彼の言葉に、魔族達は黙らざるを得なかった。
「――魔王足りうる条件は、二つある」
静まり返ったのを見計らい、エルフィスザークが口を開いた。
「一つは最も強いこと。そしてもう一つは、魔族を存続させるために必要な存在であることだ。こうして我が体に魔王紋が宿ったのは、初代魔王様の定めた条件を私が満たしていると、認められたことになる。それを私は光栄に思う」
初代魔王――それはかつて、すべての魔族を従えた魔の王。
堕光神ハーディアが最初に生み出したという、最強の魔族だ。
初代魔王は魔族の存続を強く願い、死の間際に“心象魔術”を発現させた。
それが魔王紋――次代の魔王を定め、魔王城を扱う権限に他ならない。
「先代のシャルナーク様を含め、これまでのすべての魔王は、魔族を存続させるという責務を果たさんと尽力してきた。魔王の名に恥じぬよう、私も魔族のためにこの身のすべてを使うと、我が魂に掛けて誓おう!」
覇気を漲らせ、エルフィスザークは高らかに宣言した。
継承の間の脇に立つ六人の魔族は思い思いにその宣言を噛み締め、一匹の龍は主人を称えるように咆哮する。
会場からも、拍手が起こった。
エルフィスザークは拍手が鳴り止むのを見届けた後、
「――故に私は、魔王としての義務を果たすため、人間との戦争に終止符を打つことをここに宣誓する」
そう告げた。
エルフィスザークの派閥に属さない魔族達が、その宣誓に言葉を失う。
その反応にエルフィスザークに戸惑いはない。分かりきっていたことだからだ。
「この方針に、不満を抱く者も少なくないだろう。事実、私宛に届いた異議書は少なくない。魔王軍が一枚岩ではないことは理解している。だからこそ、私は魔王として、出来る限り皆の意見に耳を傾けたいと思っている」
届いたという異議書の束に視線を落とした後、エルフィスザークは言葉を続けた。
「今、我ら魔王軍、そして魔族はかつてないほどに疲弊している。それは何故か。――長く続く人間との戦争で、多くの者が傷付き、命を落とし続けているからだ」
人間と魔族の戦争は、既に百年以上に渡って続いている。
個の力では圧倒的に優る魔族だが、人間には魔族を遥かに上回る数がいた。
手を変え品を変え、人を変え、場所を変え、人間はあらゆる手段を用いて魔王軍と鎬を削っている。
「先代の魔王シャルナーク様も、戦いの傷によって命を落とした。このまま戦いが続けば、我々はさらなる疲弊を余儀なくされるだろう」
シャルナークが前線に出向いた戦いにおいて、人間は温存していた兵力を惜しみなく投下した。
選定者、Sランク冒険者、護帝魔術師、聖堂騎士団。
すべての国が手を結び、保有するすべての手を使って、シャルナークを迎え撃ったのだ。
結果、シャルナークは致命傷を負い、魔王軍は撤退を余儀なくされた。
「だからこそ、私は今、人間と交渉し、終戦協定を結ぼうと考えている」
会場内の好戦的な魔族達は、当然良い顔はしなかった。
人間との終戦協定。これこそ、魔族達がエルフィスザークの即位に不満を抱く最たる理由だ。
人間を劣等種として蔑む者達にとって、エルフィスザークの方針は面白くない。
「人間は数が多い。我らと違い、消耗してもすぐに立て直す。これまで中立を決め込んでいた亜人の一部が、シャルナーク様の死を知って人間軍に加勢を始めている。あの鬼族達が、人間と交渉を始めたという情報もある」
妖精種を筆頭にした亜人が、人間と通じ合っているのは周知の事実だ。
遠くない内に、彼らも人間の軍に加わるだろう。
「亜人を恐れるのかと、この中には笑う者もいるだろう。だが、私とて人間と亜人が手を組もうと、我ら魔王軍が敗れるとは考えていない。戦い続ければ、必ずや我らは勝利するだろう。だが、それはいつの話だ? 十年後、百年後、あるいは千年後。最後の人間を滅ぼした時、一体どれだけの魔族が残っているというのだ?」
戦争は百年単位で継続している。
この戦いがいつ終わるのかなど、現状では知りようのないことだ。
ここに他種族が加われば、彼女の言う通り、戦争が千年以上続く可能性も否定しきれない。
「これ以上の戦いは、互いに無用な被害を拡大させるだけだ。確かに、人間も疲弊している。だからこそ今、人間と終戦協定を結ばなくてはならないのだ。人間が亜人を味方に付け、戦力を整えるよりも早く!」
「――――」
エルフィスザークの言葉に、会場が静まり返る。
魔王軍も一枚岩ではなく、戦争の終結を望んでいる者もいないわけではない。
エルフィスザークの部下となった者達も皆、彼女の方針に納得して協力しているのだ。
だが、やはり人間の絶滅を望む魔族も少なくはない。
特に、先代魔王シャルナークの部下だった者達からは、強い反感を買われている。
異議書を出した者の多くは、元シャルナーク派の魔族達だろう。
「劣等種と交渉など……」
「……何を考えているのだ」
「やはり……あのような新参者に四天王の座を渡すべきではなかったのでは……」
会場に広がるざわめきの中で、元シャルナーク派の魔族達がボソボソと不満を口にする。
再び静まらせようとしたフェルーゼを手で抑えると、
「先ほども言ったが、私は皆の声に耳を傾けるつもりでいる」
エルフィスザークは継承の間の全体へ視線を向ける。
「――だから、不平不満のある者は直接私の者に来て言うが良い。部屋の鍵はいつでも開けておこう」
鋭い視線を向けるエルフィスザークに、元シャルナーク派の魔族達は気まずげに目を逸らした。
彼女に敵対する派閥に属していた者達も、次々に視線を下へ落としていく。
エルフィスザークの視線を、正面から見返せた者はいなかった。
――ただ、一人を除いては。
「……以上だ」
会場すべてに視線を向け終えると、エルフィスザークは宣誓を終えた。
当然、会場には重苦しい沈黙が漂う。
そんな中で、パチパチと小さく拍手が響いた。
それに釣られるようにして、ゆっくりと拍手が広がっていく。
まばらな拍手を聞きながら、エルフィスザークは身を翻した。
継承の間の出口へと、ゆっくりと歩いていく。
「…………」
小さく息を吐き、会場にいた魔族のことを思い出す。
静まり返った会場の中で、最初に拍手した者が誰かはすぐに分かった。
眩い銀色の髪、鋭い黄金の瞳、漆黒の双角。
「――――」
野次を飛ばす魔族達の中で、ただの一度も口を開かず、魔王の視線に目を逸らすこともなく。
小さく拍手をしながら、ただこちらを見つめる魔族。
その者の名は――、
――オルテギア・ザーレフェドラと言った。
◆
継承の儀の後、エルフィスザークはグレイシアとともに、諸々の事後処理を行っていた。
その大半が、挨拶しに来た四天王や、魔王城に来ることの出来た魔将、その他有力な魔族の処理だ。
数々の猛者との会話を終えて、ようやくエルフィスザークとグレイシアは仲間の待つ会議室へやってくることが出来た。
「入るぞ」
部屋の中には、既に彼女の仲間が集まり、椅子に腰掛けていた。
また、部屋の奥では黒炎龍が眠そうに横たわっている。
「「エルフィスザーク様! お疲れ様でした!」」
部屋に入るなり、瓜二つの魔族が勢い良く立ち上がり、労いの言葉を掛けてくれる。
アベルとフェイという名の双子の魔族だ。
外見もそっくりだが、それ以上に言動がシンクロしており、魔王城の中でも二人を間違える者は少なくない。
『……ご主人様。おかえり。格好良かった』
次いで黒炎竜――ベルディアが体を起こし、大きな口を開いた。
彼女はエルフィスザークのペットとして飼われている龍種だ。
非常に高い知能を持っており、エルフィスザークを主人として慕っている。
「エルフィスザーク様、まずはお座りください」
部下からの労いの言葉に答えていると、グレイシアがサッと椅子を引いた。
「ああ。ありがとう、グレイシア」
「勿体無いお言葉です……! くぅうう」
感謝の言葉に感涙の涙を流すグレイシアに苦笑しながら、エルフィスークは椅子に腰掛ける。
「お疲れ様でした。あれだけの人数の前で話したのですから、流石の貴方でも緊張したのではないですか?」
微笑みながら声を掛けてくるのは、優男といった風貌の魔族だ。
名をトールと言い、四天王“雷霆”とも呼ばれている。
「ふん、トール。私を誰だと思っている?」
エルフィスザークはふっと笑みを浮かべると、
「……めっちゃ緊張した」
ぐったりと、そのまま机に伏した。
「なんでこう、あれだけの威厳が出せるのに、貴方はどこかフニャッとしてるんでしょうね……」
「トール! お疲れになったエルフィスザーク様も尊いだろう!! それに十分今でも威厳があるではないか!!」
「「うわ、グレイシアのいつものが始まった」」
「いつものとは何だ!!」
騒ぐ部下を尻目に、エルフィスザークは重い息を吐く。
四天王として多くの部下の前で演説した経験はあるが、あれだけの魔族の前で話したのは初めてだった。
それに、あの場で反乱が起きるのではないかと、懸念していたのもある。
並み居る魔族を捻じ伏せ、魔王として認められた身だが、『人間と終戦協定を結ぶ』などと語った魔王はエルフィスザークが初めてだろう。
届いた異議書が示すように、その方針に不満を抱く者は少なくない。
暴れる者が出るかもしれないと考えていたが、良いのか悪いのか、“魔王”に正面から歯向かう度胸のある者は、あの場にはいなかったようだ。
「大丈夫? 疲れているなら、僕が治そうか?」
「……頼む」
「うん、任せて」
前髪で目元を隠した魔族が、エルフィスザークに手をかざす。
その掌が光ると、温かな光がエルフィスザークを覆った。
治癒魔術が、瞬く間に疲労を消し去っていく。
「ん。だいぶ楽になった。流石だな、ムスベル」
「うん。疲れたら、いつでも言ってね」
彼の名はムスベル。
魔王軍でも随一の治癒魔術の腕を持っており、彼の右に出る者はいないだろう。
ムスベルに礼を言い、エルフィスザークは顔を上げる。
騒いでいたグレイシア達がピタリと黙り、エルフィスザークに視線を向けた。
「本日は皆、ご苦労だった。何とか、継承の儀を無事に終えることができた。残る問題は少なくはないが、お前達とならやっていけると、私は信じている。これからもどうか、至らぬ私を支えて欲しい」
エルフィスザークにとって、『仲間』と呼べる存在はトール達が初めてだった。
魔王軍に入るまでは、同じ道を歩む者はおろか、対等に接することのできる者すらいなかった。
だからこそ、この場にいる皆が愛おしい。
「至らぬなど、謙遜が過ぎます。貴方は私を救ってくれた、私の全てです。この身のすべてを、御身に捧げると誓います」
「「戦うことしか出来ない俺達ですが、エルフィスザーク様の役に立てるよう、頑張ります」」
グレイシアがひれ伏し、アベルとフェイが力強く決意を口にする。
『……ご主人様にずっとついてく』
大きな体を揺らし、ベルディアはコクリと頷いた。
「……うん。僕も、エルフィスザーク様のために、この治癒の力で尽くすよ」
「貴方を魔王にするところまで辿り着いた。ここまで来たからには、貴方の夢を実現させて見せますよ」
そう言いながらムスベルが拳を握り、トールが不敵に笑う。
仲間達の言葉に、エルフィスザークは顔を綻ばせた。
――お前は笑わないな。
かつて、■■に言われた言葉が頭を過る。
今は違うと、胸を張って言えるだろう。
これだけの仲間に囲まれているのだから。
「ですが、大変なのはここからですよ」
「そうだな」
トールの言う通り、エルフィスザークは大量の問題を抱えている。
終戦協定を結ぶため、人間と交渉しなければならない。
その際に、確実に拒絶してくるであろう教国にどう対処するか。
また、好戦的な魔族をどう抑えるか。
問題ばかりだ。
「さしあたって、まずは元シャルナーク派の魔族達をどうにかせねばならんが……」
「――それに関しては、俺が対処する」
勢い良く扉が開き、会議室の中に一人の男が入ってきた。
蒼銀の髪を揺らすその男は、四天王“雨”フェルーゼ・グレゴリアだ。
「ほう。お前が協力してくれるとなれば頼もしいな、フェルーゼ」
ノックもせずに入ってきた彼に怒鳴ろうとするグレイシアを宥め、エルフィスザークが笑みを向ける。
「……魔王様よ、何度も言わせないでくれ。俺は“雨“、もしくは“グレゴリア”と呼んでくれ」
「それでは素っ気ないだろう」
「素っ気なくて良い。俺は“雨”。初代魔王様から託された指名を果たすための存在だ。それ以上でもそれ以下でもないんだよ」
馴れ合う気はない、とグレゴリアは素っ気なく呟いた。
主人に無礼な態度を取られ、グレイシアやベルディアは不快そうにするが、エルフィスザークは「そうか」と微笑んだ。
「とにかく。魔王様は人間との交渉に力を入れろ。アンタには有象無象を気にしてる余裕なんてないんだからな」
「うむ。頼んだぞ、グレゴリアよ。世話を掛けるな」
「……労いの言葉はいらん。俺はアンタの掲げる方針がどうであろうと、魔族の繁栄に繋がればそれでいい。だから、そのために協力するだけだ」
そう言った後、グレゴリアはやや恨みがましい表情で、
「……それに、アンタに戦闘を禁じられている以上、それくらいしかやれることがないからな」
吐き捨てるようにそう言うと、グレゴリアは会議室を出ていった。
「……あの男、エルフィスザーク様になんて口を」
『……嫌い』
「そう言うな。確かに口は悪いが、根が悪いわけではない」
四天王の始まりとされている死天の血は、“雨”を残して絶えている。
“聖光神”と“堕光神”との戦いで、ほとんどの死天が死亡してしまったからだ。
初代魔王は残った死天に、魔族の未来を託したという。
そのため、初代魔王が死んで以降、“雨”は魔王に仕え、魔族を守り続けてきた。
彼は、その使命に身を捧げているに過ぎない。
「「でも、あの人はエルフィスザーク様の次くらいに強いんですよね? 本当に戦わせなくて良いんですか?」」
“雨”の力は、次代の“雨”へと自動的に引き継がれることになっている。
しかし、その力は当代の魔王が許可しなければ使用することが出来ない。
エルフィスザークは、グレゴリアに“雨”の力を許可しなかった。
「だからこそだ。グレゴリアは強すぎる上に、加減が出来ない。あの男を一度でも戦わせれば、終戦どころではなくなるからな」
終戦協定を結ぼうと、攻撃を仕掛けてくる人間は間違いなくいる。
そこでグレゴリアが出れば、皆殺し以外の結末はないだろう。
そうなれば、終戦どころか、戦いは拡大してしまう。
そして、魔族や魔物相手でも同じことだ。
仮に反乱が起きたとすれば、彼は容赦なく力を振るうだろう。
魔族の繁栄を第一に考えるあまり、グレゴリアは殺し過ぎる。
いくら魔王に忠実とは言え、“力”の使用を許可するのはリスクが大きすぎた。
『……でも、あの男に魔族をまとめられる……?』
「私は心配ないと考えている。魔王軍の守護者とも言える“雨”に反抗できる者は、そうはいないだろうからな」
――一人、例外を除けば、だが。
「それに、私にも策はある。すぐに私のカリスマで、魔王軍をまとめ上げて見せるさ。お前達に信用されているのだ、私の魔王カリスマは完璧だ!」
「……その策、凄い不安なので、ちゃんと私に概要を説明してくださいね?」
「……大丈夫? エルフィスザーク様、肝心なところが抜けてるから……」
「えぇ……」
不安げな部下に、がっくりと肩を落とすエルフィスザーク。
その様子に、アベルとフェイが思わず噴き出す。
それをグレイシアが咎め、ベルディアが主人を慰める。
――これは、在りし日の記憶。
騒がしい会議室を振り返り、後に彼女はこう思い返した。
――思えば、あの頃の私にとって、仲間とは家族のようなものだったのかもしれない。
と。
◆
肉の焼けた匂いが、室内に漂っている。
鼻腔をくすぐる香ばしい匂いを放つのは、サイコロ状に切り分けられたステーキだった。
「……どうぞ」
「あむ。んむんむ……」
封印によって身動きが取れないエルフィスザークの口元へ、グレイシアがステーキを運ぶ。
フォークの先の肉にかぶり付き、エルフィスザークは至福の吐息を零した。
「……うむ! 空腹はすべてに優る香辛料だと聞いたが、やはり事実だな! 美味いぞグレイシア!」
「光栄です。あぁ、お食事する姿さえも、美しい……!」
封印を解除せず、二人が食事しているのには当然理由がある。
『エルフィスザーク様。――オルテギアを殺し、貴方に再び王冠を捧げましょう』
そう語った後、グレイシアは『オルテギアを殺すための策』を語った。
彼女曰く、間もなくこの砦には魔王軍の使いがやってくる。
その使者とともに魔王城へ向かい、オルテギアの懐へ入り込む。
端的に言えば、グレイシアの作戦はこうなる。
当然、問題点は多い。
まず、グレイシアはエルフィスザークを保護してから数日間、帰還命令を無視している。
やってくる使者や、魔王代理のレフィーゼからは理由を問われるだろう。
場合によっては、処罰が下る可能性もある。
「そこで、エルフィスザーク様を説得していた……と説明しようと考えています」
グレイシアは、エルフィスザークを保護した後、オルテギアの軍門に降るよう説得した。
五将迷宮の大半が陥落した今、魔王軍の戦力は大幅に落ちている。
それを補うために、エルフィスザークを魔王軍に復帰させたい――とグレイシアに語るのだ。
エルフィスザークの処遇は、使者の一存では決められない。
そのため、どの道エルフィスザークとグレイシアを魔王城へ連れ帰る必要がある。
封印を解除しないのは、それをレフィーゼやルシフィナに見破られないためだ。
失態が続いているレフィーゼは、エルフィスザークをどうするか悩むだろう。
「レフィーゼが承認し、魔王軍に潜り込むことが出来た場合は機を伺って反乱を起こしましょう。迷宮がなくなって余裕が出来た人間は、近い内に攻撃を仕掛けてくるはずです。そうして混乱に乗じて、オルテギアを討ち取るのです」
「……拒否された場合はどうするのだ?」
「その場合は、エルフィスザーク様が封印される前に反乱を起こします。この三十年で、私は戦力を蓄えています。後でご説明しますが、私一人でも奥の手を仕えば、四天王を二人は相手にできるでしょう。レフィーゼを足止めすることも可能です」
「それは頼もしいな」
オルテギアへ反乱を起こすため、グレイシアは色々と布石を打ってきた。
それを使えば、魔王城の最奥部で眠るオルテギアの元まで辿り着くことも可能のようだ。
「……本来なら、人間と魔王軍が本格的に戦争を始めたタイミングで、反乱を起こすつもりでした。ですので、準備が万全とは言えませんが、十分に勝機はあるはずです。この機を逃せば、魔王城に入ることすら難しくなるでしょう。故に今、行動を起こさねばならないのです」
「…………」
「それに、四天王には交渉次第によって味方に付けることができそうな者もいます。決して、分の悪い戦いではないと思うのですが――」
――グレイシアの策に、エルフィスザークは即答できなかった。
まず、未確認の情報が多い。
グレイシアには勝機が見えているようだが、オルテギアは甘い相手ではない。
『心臓』が戻ってきていない状態で戦うのは危険だ。
そして、敵には“雨”がいる。
名前をレフィーゼ・グレゴリア。
グレゴリア……フェールゼ・グレゴリアの娘だという。
決して、“雨”は侮って良い相手ではない。
グレイシアはエルフィスザークを過剰に評価するきらいがあるため、敵との戦力差は念入りに確認する必要がある。
それに。死んだと思っていた部下が生きていた、という驚きと喜びの感情もある。
リューザスとの戦闘で疲労が溜まっていたエルフィスザークには、これらの情報を一度に処理する余裕がなかった。
故に、決断する前に、食事を挟むことにしたのだ。
「――――」
食事をしながら、エルフィスザークの頭にあったのは仲間との温かな思い出だ。
「……そういえば、以前もお前に料理を口に運んでもらったことがあったな」
「ええ、忘れもしません。エルフィスザーク様が聖堂騎士との戦いで疲労しきって、身動きが取れなくなった時のことですね」
「……奴ら、しつこい上に嫌らしい戦い方をするからなぁ……。指揮をしていたあの女、奥の手に心象魔術で奇襲を仕掛けてきたし。……あれも、今となっては懐かしい」
あの頃を思い返すと、自然と笑みが溢れる。
人間は数が多く、戦いに工夫を凝らす。
個が強くとも、群の強さに敗れた経験も少なくない。
それでも、仲間となら切り抜けることができた。
――オルテギアの反乱に合う、あの時までは。
「……エルフィスザーク様? ご機嫌が優れませんか……?」
知らぬ内に、強く歯を食いしばっていた。
グレイシアの心配げな表情に、我に帰る。
「なんでもない。大丈夫だ。……ああ、そうだ」
そう答えた後、エルフィスザークは誤魔化すように口を動かした。
オルテギアに反乱する上で、彼女には最も頼もしい仲間がいる。
彼のことを聞くのが、すっかり遅くなってしまっていた。
「忌光迷宮で、私と一緒に人間の男がいただろう? あいつはどうなったんだ?」
「ああ。あの“勇者”ですか」
グレイシアはニッコリと微笑み、
「――ご安心ください。あの“勇者”は四天王によって殺されました」
その言葉に、エルフィスザークが固まった。
「……………………な、に?」
「教国でエルフィスザーク様が保護されてすぐのことです。死体は私も確認しましたが、本人のもので間違いありませんでした」
グレイシアは、冗談を言わない。
真面目な彼女は、仕事に手を抜いたりはしない。
つまり、天月伊織は。
「止め……られ、なかったのか……?」
「止める……? “勇者”に手を下したのは、私と“天穿”、そして“歪曲”ですよ?」
「――――」
凍り付いたエルフィスザークに、グレイシアは気付かない。
「いおり、伊織……っ。お前は、何ということを……」
「……? ああ、そうですね。確かに上手くやれば、オルテギアを殺すために利用できたかもしれません。ですが、それ以上にあの男は危険でした。エルフィスザーク様に刃を向ける前に消すことができたのは、僥倖と言えるでしょう」
誇らしげに、褒めて欲しそうな表情でグレイシアはそう言い切った。
目を瞑り、エルフィスザークが天を仰ぐ。
「……どうかされたのですか? あの男はオルテギアを殺すための奴隷だったのですよね? ですが、相手は人間、それも“勇者”です。いつ貴方を裏切るか、分かったものではありません……!」
「――――」
「それに、貴方には私がいます。もう、あのような悍ましい人間は必要ありません」
黙り込むエルフィスザークへ、グレイシアは心底心配そうな表情を向ける。
自分がいるから大丈夫だと、心配する必要はないのだと、主を支えるための言葉を口にしていく。
「――だって私は、絶対にエルフィスザーク様を裏切りませんから」
そう微笑むグレイシアに、エルフィスザークは喉を震わせる。
「……違う」
「……?」
嗚咽のようなエルフィスザークの言葉に、グレイシアは首を傾けた。
「……“勇者”は、伊織は、私の奴隷などではない」
「いおり? ……では、あの勇者は一体?」
――仲間だ、と。
掠れた声で、エルフィスザークは答えた。
「……私は。あいつとなら、今度こそ。果たせなかった夢を、成し遂げられると思っていた」
「――――」
「奴隷などでは、断じてない」
自らを主と仰ぎ、付いてきてくれたトール達とはまた別。
お互いに支え合い、対等の視線に立って歩くことのできる仲間。
ともに復讐を志した、共犯者とも呼べる存在。
「エルフィスザーク様。仲間と。勇者を仲間と仰られましたか?」
「そうだ」
「あの人間が、道具ではなく、奴隷にするのでもなく、仲間だと?」
考えるまでもなく、即答することができる。
「――伊織は私の大切な仲間だ」
――――。
――――――。
――――――――。
――――――――――――――――、
「――――――――――――――――――――――――――――――――はぁ?」
ガッ、とエルフィスザークの後頭部に衝撃が走った。
火花が散り、視界が一瞬白く染まる。
何が起きたか理解できない彼女に、再び衝撃が走った。
「意味が分かりません、エルフィスザーク様。人間が仲間? 大切な仲間? あの人間なら、夢を叶えられると、そう仰ったのですか?」
ガン、ガンと衝撃が連続する。
最初の衝撃から数秒が経ち、エルフィスザークはようやく理解した。
――自分の頭部を、グレイシアが凄まじい力で壁に叩き付けていることを。
「な、グレイ、シア……?」
「まさかまだ人間が魔族で対等であるなどと、エルフィスザーク様は熱に浮かされていらっしゃるのですか? あれから三十年も静かな結界の中で冷静になる時間を与えたと言うのに、まだ混乱していらっしゃるのですか?」
壊れた機械のように、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も、グレイシアは主を壁にぶつけ続ける。
「……なに、を」
「何を、とは? おかしいですエルフィスザーク様、聡明な貴方なら私如きの考えを理解できないわけがありません。ああ、まだ貴方はあの頃に戻られてはいないのですね」
グレイシアの言動が、まるで理解できない。
一体、何を言っている?
「はぁ……はぁ……」
壁が砕けたところで、グレイシアはようやく腕を止めた。
荒い息とともに、エルフィスザークを見下ろす。
「私の出会った頃の貴方は、人間を仲間などとは決して口にしませんでした。両親を人間に殺され、ただ死を待つばかりだった私を助けてくださった頃のエルフィスザーク様なら!! まだお気づきにならないのですか!? 貴方は毒されたのです! エルフィスザーク様のお考えを真に理解できぬ、あの無知蒙昧な愚か者達にッ!!」
「――――」
「まさか、今度は“勇者”に毒されてしまったのですか? なんとおいたわしい。これでは、エルフィスザーク様が、三十年も暗闇の中にいたのか分からないではないですかッ!! あっさりと殺さず、エルフィスザーク様の眼前で跪かせ、自らの愚かしさを懺悔させるべきだった!! ああ、私はあの時も、愚者達に懺悔させることができなかった。二度も同じ過ちを繰り返すなど、私も愚かだ……! だが、私はそれを理解している! 自らの間違いに気付かない連中とは違う!!」
「グレイシア……? 本当に、何を言っている?」
エルフィスザークの問いで、グレイシアはようやく我に返ったのか、
「ああ……申し訳ありません。ですが、これも貴方のためなのです。無礼をお許し下さい」
「……愚者とは。お前の言う愚者とは、一体誰のことだ? それに、私が何のために結界に入っていたのかわからないとは、一体どういう意味だ」
辛そうに唇を震わせ、それでも言わねばならないと、グレイシアは決意した表情で口を開いた。
「愚者とは、トール達のことです。エルフィスザーク様。トールも、アベルもフェイも、ムスベルも、グレゴリアも、ベルディアも、誰も彼もが貴方を理解していなかった。それどころか、間違った方向へ行こうとする貴方を糺そうともしない、烏合の衆だった」
「――――」
「人間などと対等に交渉しようとするエルフィスザーク様を、止めようともしなかった」
「――――」
「――人間のような劣等種と同じ目線に立ったのでは戦争を止めることなどできないというのに」
辛そうな表情で、グレイシアは続ける。
「貴方はお優しい。だからこのことを知れば、心を痛めると、そう思い黙っておりました」」
「……ろ」
「ですが……これ以上は貴方のためにならない」
「……やめ、ろ」
「だからこそ、言いましょう。エルフィスザーク様」
「や、めろ……。言うな、グレイ――」
憐れむように、
「――オルテギアにトール達を殺させたのは、私なのですよ」
グレイシアは、そう口にした。




