表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
109/165

第五話 『遭遇、そして焦燥』

三巻が3月末に出ます!

「"勇者"……!」


 "歪曲"がまなじりを決した瞬間、室内に緊張が走る。

 ベルディアが腰を低く身構え、アイドラーが頭を抱えてソファの後ろに飛び込んだのが分かった。

 剣を抜けるよう、俺も鞘に手を伸ばしておく。


「戦士長、どぉかしたんですかい?」

「……殺気を感じるのですが」


 そのタイミングで、扉を開けて二人の男が中へ入ってきた。

 一人は青白い肌をした細身の半魔まざりもの

 もう一人は頭部から犬の耳を生やした人犬種ワードックだ。

 格好からして、"歪曲"の部下だろう。


「恩人がいるんじゃ……ッ!?」

「馬鹿な、勇者……!?」


 入ってきた二人は、俺を見てギョッとした表情を浮かべる。

 教国の戦場にいたのか、俺の顔を知っているらしい。 


「うん……? 戦士長、いおり殿……?」


 タイラだけが、状況について行けず困惑したまま首を傾げている。

 こちらは三人、相手の数は四人。

 アイドラーが戦力にならないことを考えると、心象魔術抜きでこの場を切り抜けるのは難しいか。

 

「四天王が跡形もなくふっ飛ばしたはずでしょうに、なんで生きてんだ!!」

「グルルル……ッ!!」


 二人が武器を構える。

 戦闘は免れないかと、剣を抜こうとした時だった。


「――やめろ」


 "歪曲"が手で二人を制した。

 飛び掛かってきそうだった二人が、ピタリと動きを止める。


「タイラ。村を襲っていた魔物を殺したのは、こいつらで間違いないのか?」

「は、はい。こちらのいおり殿と、ベルディア殿で間違いありません」

「……分かった。おい、聞いたか。"勇者"だろうと、恩人であることには変わりねえ。この村にいる間は、一切の手出しを禁じる」


 部下二人はコクリと頷くと、あっさりと武器を納めた。

 室内に広がっていた空気が、瞬く間に弛緩していく。


「…………」


 後ろの二人はともかく、"歪曲"に戦う気はないらしいな。

 

「……? 戦わない……?」

「らしいな。大丈夫そうだ」


 キョトンとしたベルディアが構えを解く。

 ソファの後ろに隠れていたアイドラーも、恐る恐る表に出てきた。


「部下が悪い。村が襲われたと聞いて、気が立ってるみたいだ」

「……構わない。やる気はないんだろ?」

「ああ。仲間に手を出さない限り、俺達はお前達と戦わねえ。……座りな」


 ヴォルクに促されて、再びソファに腰掛ける。

 正面にヴォルクが座り、タイラ達は座らずに立ったままだ。


「……改めて、礼を言う。お前達のお陰で、仲間は誰一人として命を落とさなかった。感謝する」


 "歪曲"は深く、頭を下げる。


「…………」


 無防備に差し出された首に、視線を落とした。

 今なら、一瞬でこの男の首を落とすことが出来るだろう。

 殺さずとも、身動きを封じるのは容易い。

 隙だらけの後頭部に一撃加え、意識を刈り取る。

 それから人質として利用すれば、エルフィの救出も、俺達の復讐も、少しは楽になるだろう。

 俺が生きていることを知った以上、この男を生かしておくのは面倒だ。

 

「頭を上げてくれ。タイラさんにも言ったが、俺達は邪魔な結界を消すために魔物を倒しただけだ。結果的に、お前の仲間を救ったに過ぎない」


 そこまで考えて、思考を打ち消した。

 流石に、後ろの三人に止められるだろう。

 一撃で仕留められなければ騒ぎになる。

 この男に敵意がない以上、無用な戦いは避けるべきだ。

 

「だとしても、仲間を救ってくれたことには変わりねえ。この恩は、必ず返す。"戦士長"の名に掛けて誓う」

「…………」


 恩を返す、か。

 敵に向かって、随分と剛毅なことを言う。

 言動からして、発言を翻して不意打ちを仕掛けてくることはなさそうだが……。

 信用に足る相手ではない。いつでも殺せるよう、備えだけはしておくとしよう。


「…………」


 ベルディアは、胡乱げに"歪曲"を睨み付けている。

 エルフィを攫った連中だから、敵意を消せなくても無理はないか。

 

「……用心深いボクは、気配を消しているのであった」


 アイドラーは、何かの魔術を使ったのか極端に影が薄くなっている。


「そこの二人も、そんなに警戒してくていい。何も取って食おうってわけじゃねえんだ。恩人客人は相応にもてなすさ。それがこの村の決まりだからな」


 そんな二人にヴォルクが声を掛けるも、


「……ご主人様の敵。殲滅したい」

「気付かれた……!?」


 二人は警戒を解かない。

「まあ、仕方ねえか」とヴォルクは苦笑する。


「俺はヴォルク・グランベリア。この村の戦士長だ。以後、よろしく頼む」

「伊織だ」

「……ベルディア」

「ボクはアイドラー。か弱い女の子だよ」


 それから、"歪曲"――ヴォルクは後ろの二人にも名乗らせる。

 

 青白い肌をした半魔はクルーグ。

 犬人種ワードックはベッドルトと言うらしい。

 タイラと合わせ、この三人はヴォルク直属の部下のようだ。

 同時に"副長"として、戦士長たるヴォルクの補佐をしているらしい。


「やー……顔を見た時は肝を冷やしたもんですが、恩人だったとは失礼をしました」

「……謝罪と、感謝を」


 二人からもすっかり敵意が消えている。

 とはいえ、警戒はしているようだ。

  先ほどの構え方からして、この二人も相当に強い。

 副長三人が同時に戦った場合、魔将と互角の勝負ができる……というのが俺の見立てだ。


「先ほどから、何を言っているか話が見えない……。いおり殿が勇者というのは、どういうことなのだ?」

「そのまんまだよ。あっしらが教国に出向いてたのは、勇者と元魔王を倒すため。んで、その勇者がこの人ってわけ」

「なんと……」

「……タイラ。気付いてなかったのですか……」


 呆然とした表情で、タイラがこっちを見てくる。

 騙したな、と言いたげだが、別に聞かれていないからな。


「……しかし、確実に仕留めた手応えがあったんだがな。四天王が揃いも揃って騙されるとは、勇者の名は伊達じゃねえってことか」


 あれをやったのは、アイドラーだがな。

 

「それより、聞いておきたいことがある」

「何だ?」

「四天王が暮らしているのなら、この村は魔王軍の庇護下にあるはずだ。それが何故、同じ四天王に襲撃される?」


 ピタリ、とヴォルクが動きを止めた。

 鋭い三白眼が向けられる。


「……同じ四天王ってのは、どういうことだ?」

「この村を覆っていた結界だ。あれをやったのは、ルシフィナだろう?」

「――――」


 ヴォルクが目を見開き、ギリッと歯ぎしりした。


「まさか、契約を違える気か……?」

「……契約?」

「戦士長が魔王軍と結んでいる契約のことだ」


 黙り込んでしまったヴォルクに代わり、タイラが説明してくれた。

 

 この村には、複数の種族が暮らしている。 

 その為、色々な国や組織から敵視されることがある。

 ヴォルクを始めとした戦士は、そうした外敵からこの村を守ってきたらしい。

 魔王軍から攻撃を受けたことも、一度や二度ではないようだ。


 そうして、何度か襲撃を退けている内に、魔王軍はヴォルクの実力に目をつけた。

 この村を庇護下に置くことを条件に、魔王軍はヴォルクを勧誘した。

 それに乗り、ヴォルクは四天王になったらしい。


「……今回の襲撃が四天王によるものなら、明確な裏切りだ。いおり殿、結界が四天王のものだったというのは、確かなのか?」

「間違いない。百足龍"の死体や結界が張られていた場所を調べてみれば分かるはずだ」


 エルフィを封印したのがルシフィナだという話から、あいつが結界を使えることは分かっている。

 少し気になる点はあったが、あれは間違いなくルシフィナの魔力だった。


「……クルーグ、ベッドルト。調べてきてくれ」


 黙っていたヴォルクが顔をあげ、部下に指示を飛ばす。


「あいよ」

「承知しました」


 頷くと、二人は素早く部屋から出ていった。


「まあ……ルシフィナの件は保留だ。調査が済めば、ハッキリすんだろ。ディオニスといい、ルシフィナといい、あいつらは厄介事ばかり運んできやがるな」


 疲れたように、ヴォルクが息を吐く。


「……あぁ。ディオニスを殺ったのは、お前だったか?」

「そうだ」

「流石だな。俺はあいつと本気でやりやったが、殺せなかったぜ」


 忌々しげに、ヴォルクが呟く。

 一度、ディオニスが魔物を率いて、この村に来たことがあるらしい。

 ヴォルク達、戦士が迎え撃ち、何とかディオニスを追い返したようだ。


「あれ以来、あいつに敵視されて鬱陶しいことこの上なかったぜ」

「あいつは、何でも思い通りにならないと気に入らないって奴だからな」

「それな。俺が四天王になった時、散々文句付けられたぜ」


 魔王軍の中でも、ディオニスは好き勝手やってたらしいな。


「それでも……あの野郎は一応、仲間ではあった」


 スッと、ヴォルクが目を細める。

 一瞬、敵意が放たれる。

 しかし、それはすぐに消えた。


 ……あんな連中を仲間と言えるとはな。

 よほど、仲間意識が強いんだろうか。


「……ま、仇を討とうなんて気はねぇさ。少なくとも、今はな」

「…………」


 ヴォルクはソファから立ち上がった。


「よし。俺は村の様子を見てくる。タイラ、伊織達の面倒を頼む」

「はっ」

「じゃあ、また顔出すぜ」


 そう言うと、ヴォルクは部屋から出ていった。

 部屋には、タイラと俺達三人が残される。


「お主らにも複雑な事情があるようだが、この村にいる間は丁重に持て成そう。もう数刻も経たぬ内に日が暮れる。村で泊まっていくと良い」

「少し待ってくれ」


 返事を保留し、ベルディア達に声を掛ける。


「ここから目的地までどれくらい掛かる?」

「んー、半日も掛からないよ。早朝に出れば、昼前には着くと思う。休憩を挟まずに飛んでいけるくらいの距離だね」


 出来るなら、急いでエルフィの元へ向かいたい。

 その距離なら、今から出れば夜中には着くだろう。


「ベルディア、調子はどうだ?」

「……今からは、ちょっとキツイ。途中で休憩がいると思う」

「……そうか」


 途中で休憩を挟むなら、今すぐ出る意味はない。

 仕方のないこととは言え、歯痒い。

 一刻も早く、あいつの元へ向かいたいと言うのに。

 

 結局、今日はこの村に泊まり、早朝に出立することに決まった。

 タイラに頼み、宿泊用の部屋まで案内してもらう。


「部屋の数に余裕はある。好きに使ってくれ」

「わーい。じゃあ、ボクとベルディアが同室かな?」


 ちらりとアイドラーが俺に流し目を使うと、


「あは。なんなら、伊織君もボク達と同じ部屋がいいかな?」


 わざとらしく聞いてくる。


「結構だ」

「……私も、お前と一緒は嫌」

「君達、なんでそんなにボクのこと嫌うの!? 酷くない!? そろそろ天罰が下るよ!?」


 ……騒がしい奴だ。

 この騒がしさが、あいつと被って見えて胸がざわつく。


「ふふ。お主らは仲が良いのだな」


 くすり、とタイラが笑みを零した。


「……そう見えるか?」

「……全然良くない。私と伊織はともかく」

「なんでボクだけ仲間はずれなの!? 君とは結構付き合い長くない!?」


 ……本当に騒がしいな、こいつ。


 結局、部屋は俺、ベルディア・アイドラーの二室を借りることにした。

 友好的とは言え、ここは敵地だ。

 バラけるのは得策じゃない。

 

 ベルディアは、アイドラーが同室と聞いてかなり嫌そうな顔を浮かべた。

 それに大して、アイドラーが涙目で抗議している。

 仲が良いのか悪いのか、よく分からないな。



 その後、タイラの提案で村を見て回ることになった。

 エルフィに村のことを伝えるためか、ベルディアが真っ先にタイラの後を付いていく。

 俺とアイドラーは少し遅れて、その後を付いていった。


 村を見て気になった部分は、やはり種族の多さだ。

 人間、亜人、魔族、多くの種族が暮らしている。

 そのためか、色々な種族のハーフも少なくない。

 

 途中、ハーフエルフの女性を何人が見かけた。

 皆、一様に暗い表情をしている。

 アイドラーは、どこか険しい表情で彼女達に視線を向けていた。


「どうかしたのか?」


 声を掛けると、アイドラーはいつも通りの表情に戻った。


「どうもしないよ」


 少し気になったが、追求するほどのことでもないか。


 一時間ほど掛けて、ゆっくりと村を回った。

 俺達のことを聞いたのか、声を掛けてくる者も多かった。

 エルフィ以外と魔族と友好的に接したのは、始めてかもしれない。

 基本的に、魔族とは戦場でしか出会わなかったからな。


「……魔族との共存か」

「ん? 何か言ったかい?」

「いいや」


 抱いた理想の残滓。

 散々踏み躙られて、散々嘲笑されて。

 俺にはもう、関係のないことだ。

 どうでもいい。


 日が沈み始める頃には村を一周し、俺達は客宿へ戻った。




 客宿に入ってからは、淡々と時間が過ぎた。

 襲撃されることはなく、夕食に毒を入れられることもなく。

 同じ宿だからか、どこか温泉都市で泊まった宿のことを思い出した。


 アイドラーとベルディアは、すぐ隣の部屋にいる。

 何か会った時、互いに合流できるように隣室を選んだからだ。

 近いせいで、アイドラーの声が聞こえてくるのが難点だがな。


「…………」


 部屋の中で一人、魔術の調整や武器の点検を行う。

 発動条件が分かったとはいえ、心象魔術は完全に使いこなしているとは言い難い。

 不足の事態に備えて、備えておくに越したことはないだろう。


「"歪曲"に、"消失"ね」


 四天王には、その能力に見合った称号が与えられる。

 以前戦った四天王も、"氷結"や"千変"など、能力通りの称号が与えられていた。

 ヴォルクの"歪曲"は、あの心象魔術から来ているものだろう。


 エルフィを囚えているという、グレイシアの称号は"消失"。

 教国で見せた瞬間移動のような能力から来ていると見て、間違いないだろう。

 これまで、魔法陣を使った"召喚"や"転移"などといった移動の魔術は幾度か目にしてきた。

 だが、あの女が使ったような便利な魔術は見たことがない。


 どのような魔術か、検討は付いている。

 予想が正しければ、そう複雑な魔術ではないはずだ。

 対策も、すでにいくつか考えてある。


 後で、アイドラーの意見も聞いておくか。

 あいつなら、何か知っているかもしれない。

 

「……風呂にでも行くか」


 客用の浴場があると聞いている。

 タイラの案内を思い出し、浴場へ向かった。

 温泉都市のお陰か、三十年前よりも『湯に浸かる』という文化が広がっているような気がするな。


 浴場はそれなりに広かった。

 魔力付与品を使っているのか、浴槽に張られた湯は温かいままだ。

 少し、熱いくらいだな。


 体を流してから、湯につかる。


「…………」


 温泉都市のように、リラックスは出来そうにない。

 教国から常に、胸の内に焦燥感が燻っている。

 理由は二つ。

 

 復讐が先延ばしになっていること。 

 そして何より、エルフィがいないことだ。


 こんな湯に浸かって、俺は一体何をしているんだ?

 そう、思わなくもない。


 この瞬間も、俺を裏切ったあの女はのうのうと生きている。

 それを考えるだけで、頭がどうにかなりそうだ。

 

 それに、エルフィが今も無事である保証はない。

 一分後、四肢を斬り落とされ、封印されてしまうかもしれない。


「……クソ」


 今、焦っても意味はないと理解しているのにな。


「…………」


 冷静になれ。

 思考を鈍らせれば、出来ることもできなくなる。

 やるべきことを成すために、やるべきことをやるだけだ。

 

 感情の折り合いを付け、体を洗うために浴槽から出ようとした時だった。


「ふっふふーん」


 鼻歌とともに、ガラガラと浴場の扉が開いた。

 声を掛けるよりも早く、アイドラーが中に入ってきた。

 当然、服は着ていない。


「ふっふー…………ん?」


 スキップでやってきたアイドラーと、目が合った。


「――――」

「…………」


 しばらく沈黙が続き、


「…………」


 アイドラーが湯で体を流した。


「……平然と入ってこようとするな」

「ボクの神々しい肌を見るなんて、常人なら目が潰れても文句は言えないんだけど! うん、キミになら、まあ良いよ」

「良くねえよ」

「拝謁する名誉を与えようじゃないか」


 ……この女、話を聞かねえな。

 無視して、アイドラーが浴槽に入ってくる。

 隠す素振りすらない。


「……出て行け」

「もう浸かっちゃったしなぁー」

「なら、俺が出る」


 出ていこうとして、アイドラーに腕を掴まれた。


「あまり連れないことを言わないでよ。一度、キミと話しておきたかったんだ。良い機会じゃないか」

「出てからで良いだろう」

「ほら、外だとあまり出来ない話もあるだろう?」

「……なら、せめて体を隠せ」

「ボクの肌に恥じるべき部分なんて一つもないんだけど……しょうがないなあ」


 溜息を吐き、アイドラーが後ろを向く。


「…………」


 その時に、チラリと目に入った。

 アイドラーの背中に深々と刻まれた、切り傷が。


「ああ、偉大なボクの背中、気になる?」


 俺の視線に気付いたのか、あっけらかんとアイドラーが笑った。


「昔、後ろからバッサリやられちゃってね。まあ、名誉の負傷ってやつだよ」

「……そうか」

「気にしなくても良いよ」


 それから、互いに背を向け合う形になった。


「これで良いかい?」

「……ああ。それで、話ってなんだ?」


 浴室に、くぐもった声が響く。


「何もしないのか、と思ってさ」

「どういう意味だ?」

「ここは敵地で、四天王は敵だ。だというのに、相手はボク達に攻撃するつもりはない。それはつまり、裏を返せば、ボク達は好きなように攻撃が出来るということだ」


 それはいつもよりも低く、冷めた声だった。


「あの場で手出ししなかったのは賢明だ。タイラはともかく、後ろで控えていた二人は目を光らせていたからね。今でも、警戒が解かれたわけではないだろう」


 滔々とアイドラーは言葉を続けた。

 普段とは違う様子に、俺は少し警戒を強める。


「だけど、今なら自由に動けるはずだよ」

「……何が言いたい」

「要するに、今ならこの敵地で、敵を、好きに出来るはずだって言っているのさ。大した見張りもいない以上、君なら何だって出来るだろう?」

「だろうな。だが、今優先すべきことは、エルフィスザークの救出だ」


 ここで争えば、余計な手間が増える。

 歪曲"を殺せても、魔王城に救援を呼ばれるのがオチだろう。


「俺は無駄なことをして、リスクを犯すつもりはない」

「……ふぅん。まあ、君がそう思うのなら、それが正しいんだろうね」


 アイドラーが、そっけなく肯定する。


「じゃあ、救援を呼ばれないようにするのはどうかな?」

「……何?」


 微笑みながら、アイドラーは言った。


「――皆殺しにしよう・・・・・・・


 感情の凍えた声音で、淡々と。


「救援を呼ぶ間も与えず、誰一人残さずに皆殺しにしよう。そうすれば、魔王城にボクらのことは伝わらない」

「――――」

「ああ、何人か人質を取るのも良いかもしれないね。仲間思いの彼らなら、人質がいればボクらに手出し出来ないはずだ。うん。邪魔な四天王も、厄介な部下も消せて、良いこと尽くめだね」


 ――――――――。


「アイドラー」

「なんだい?」


「――本気で言っているのか?」


 沈黙。


「……そんなに怖い声出さないでよね」

「…………」

「嫌だな、ボクは選択肢を一つ提示しただけだよ。ボクには出来ないことだからね。選ぶのは君だよ」


 少し慌てるように、アイドラーはそう弁解した。


「……そんな、回りくどい手段を取るつもりはない。エルフィの元へ行くまで、出来る限りの消耗は避けるつもりだ」

「ふぅん。……優しいんだね、君も」


 ちゃぷんと、水面が揺れる。


「そうやって、あれこれと理由を付けなきゃ、君は自由に動けない。随分と生きづらそうだ」

「……理由を考えず、流されて生きているよりはマシだと思うけどな」

「そうかな。流されていた方が、楽じゃない?」

「楽をする意味も、必要もない」


 楽であろうと大変であろうと、意味はない。

 自分で決めて進むと、決めたのだから。


「……随分と踏み込んでくるんだな。普段はあれだけおちゃらけているというのに」

「むっ、おちゃらけているとは失礼な。賢いボクはいつでも真面目だよ」


 ただ、とアイドラーは言った。


「今のはボクの優しさだよ。その『紋章』を持つ君へのね」

「…………」

「まあ、それが君の選択というのなら、好きに生きると良いさ。――君が地獄を見る、その日までね」


 融解するように、甘く。

 アイドラーは俺の耳元でそう言った。

 怖気が走る。

 

「……どういう、意味だ」

「…………」


 いつまで経っても、返事がこない。

 

「おい」


 不審に思い、振り返ると、


「……ぅぁ」


 顔を真っ赤にして、アイドラーが仰向けに湯に浮かんでいた。


「かっこいい……感じになってたから……我慢してたんだけど……もぉ、無理ぃ」

「…………」

「……目が、回る……ぅ」


 のぼせてやがる。


「伊織君……助けて」


 俺ものぼせたのか、頭が痛くなった。



 アイドラーを担ぎ、外に出した後。

 夜風を浴びて熱を冷ます。

 

「俺が地獄を見るまで、か」


 今更だ。

 地獄なら、とっくに見た。

 だから、次は俺が地獄に落とす番だ。


 ともに復讐を誓った、共犯者とともに。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ