第一話 『元魔王の悔恨』
――仲間との日々は、昨日のことのように覚えている。
調子に乗りやすいが、賢かったトール。
喧嘩っ早いが、とても仲間思いだったアベルとフェイ。
腕っ節はないが、治癒魔術の腕は仲間一だったムスベル。
自分のことを敬い、付き従ってくれたグレイシア。
とても自分に懐いてくれていた、ペットのベルディア。
粗暴な毒舌家で、仲間の輪には決して入ろうとしたなかったが、部下の誰よりも強かったグレゴリア。
幹部だった彼らの他にも、大勢の仲間が自分に付いてきてくれた。
全員の顔と名前、過ごした日々を自分が忘れることはないだろう。
自分が魔王をやっていられたのは、彼らがいてくれたからだ。
自らの失態でグレゴリアを死なせてしまった時も、支えてくれたのは仲間だ。
本当に、大切な仲間達だった。
――だから、無残に引き裂かれた彼らの骸を忘れることはないだろう。
首は落とされ、四肢はもがれ、溢れ出した血液の上で揺蕩う骸達。
串刺しにされたトールが、斬り刻まれたアベルとフェイが、首だけになったムスベルが。
彼らの虚ろな瞳が、今でも暗闇の中に浮かび上がる。
骸の山の中に、姿がなかった者もいる。
私が気付いたことを察したのか、ハーフエルフの女は言った。
『ああ、安心してください。この場にいない貴方の部下も、しっかりと皆殺しにしますから』
こちらの心を踏み躙るように、嗤いながら。
死体を弄ぶ、鬼族とハーフエルフ。
当然の結果だと、虫ケラを見るような目で告げたオルテギア。
仲間の死が、己の無力さが、嘲笑う声が、オルテギアの双眸が。
いつまでも、いつまでも、自分を追いかけ続けている。
どこまで言っても、逃げられない。いや、逃げてはいけないのだ。
地位も、仲間も、魔王紋も、すべてを奪われたとしても。
“魔王”として、果たすべき義務がある。
やらなければ、ならないことがある。
魔王として、そしてただのエルフィスザークとしての復讐を果たして、ようやく先に進むことが出来る。
だから、どんなことでもすると決めた。
彼となら、どんなことでも出来ると思ったから。
彼となら、ともに復讐の先へ歩めると思ったから。
「――だから、私は」
◆
「ヴォルクさん、ルシフィナさん、お疲れ様でした」
レイテシア大陸中央。
幹部のみが立ち入ることを許された会議室に、透き通るような声が響いた。
椅子に腰掛けながら労いの言葉を口にするのは、蒼銀の髪と藍色の瞳が特徴的な女性――レフィーゼ・グレゴリアだ。
「ええ、ありがとうございます」
「……あぁ」
レフィーゼの神経質そうな瞳に映るのは、二人の四天王の姿だ。
ルシフィナ・エミリオールと、ヴォルク・グランヴェリアは、彼女の労いにそれぞれの反応を返す。
数日前、魔王軍は教国の聖都へ進軍した。
その目的は、忌光迷宮の討伐へ向けて動いているであろう、元魔王と今代の勇者を討ち取ること。
数十年前から蓄えていた魔力を消費し、魔王軍は聖都を包囲。
聖堂騎士団と激突した後、元魔王を捕獲し、勇者を討ち取ることに成功している。
「雷魔将が殺され、忌光迷宮が落とされてしまったことは大変な痛手ですが……最も厄介な二名を無力化出来たのは、大きな功績です。良くやってくれました」
これまで、元魔王達にはただ迷宮を落とされるだけだった。
魔将もやられ、被害は決して小さくない。
だが、今回の戦いで二名を討ち取れたのなら、まだ挽回は可能だ。
魔王代理という立場から、レフィーゼは再度二人を労う。
ルシフィナは笑顔のままそれを受けているが、ヴォルクの表情は優れない。
「……それで」
理由は明白だ。
「元魔王を捕獲したという、グレイシアさんはどこへ言ったのですか……?」
この場にいる四天王は三人――いるべき人物が一人欠けているからだ。
溜息混じりに、ヴォルクは説明した。
教国から帰還するや否や、グレイシアが元魔王を連れて自分の砦に引き篭もってしまったということを。
何度か元魔王を連れて魔王城へ帰還することを命じているが、「少し待て」と返したきり、返答はない。
「なんですか、それは……」
グレイシアは、我が強い魔王軍の中で、上位に入るほどに真面目な人物だ。
堅実に仕事をこなすことから、滅多な行動は起こさないと考えていた。
それが、突然の引き篭もりだ。
「うぅ……」
顔を青ざめさせ、レフィーゼがお腹を擦る。
タラタラと汗も流している。
「……まさか、彼女は裏切ったのですか?」
最悪の可能性を、レフィーゼは恐る恐る口にする。
グレイシアが四天王に入るまでの経歴は知っている。
当然、レフィーゼは警戒していた。
だが、彼女は三十年間、魔王軍に尽くし続けてきた。
それに、レフィーゼは『グレイシアは、エルフィスザークを憎んでいるのではないか?』と考えていた。
それは、彼女が魔王軍に入った経緯を知っていれば、誰でもそう考えるだろう。
「そう決め付けるのは早いと思いますよ?」
穏やかな微笑みを湛えたまま、ルシフィナが口を開いた。
「あのことは、貴方も知っているはずでしょう?」
「……ええ。彼女の思想も何度か本人から聞いています」
「だからこそ、元魔王エルフィスザークと彼女は相容れません」
ああ、でもその齟齬から面白いことが起こるかもしれませんね?
楽しげに、ルシフィナはそう付け加えた。
「……何にせよ、万が一のことがあればオルテギア様に顔向けが出来ません。ルシフィナさん、彼女の元へ直接出向いてくれませんか? 彼女と、元魔王を魔王城へ連れてきてください」
本当ならば、直接レフィーゼが出向きたいところだが、今回の進軍の後処理が大量に残っている。
迷宮が落ちたことで、勢いを増している人間への対処も必要だ。
今、彼女が魔王城を空けるのには不安が多過ぎる。
「――四天王とはいえ、これ以上の勝手は許容できませんから」
レフィーゼの瞳が青く輝き、鋭く細められた。
室内に気温が急速に低下し、黙って話を聞いていたヴォルクが思わず喉を鳴らす。
「はい、分かりました。今の私は機嫌が良いので、何でもしますよ」
その気迫をものともせず、ルシフィナは笑みで答える。
「面白そうなものも見れそうですし」と付け加えながら。
「ええ、お願いします。ですが、機嫌が良い? 何か良いことでもあったのですか?」
「そうなんですよ。気持ち悪い男を、グチャグチャに殺せたんです」
「……は、はぁ」
上機嫌に語るルシフィナに、レフィーゼの顔が引き攣る。
そんな彼女の様子に気付きながら、ルシフィナ男の死に様を上機嫌で語った。
「……それは、あの勇者のことか?」
曖昧に返事を返し、黙ってしまったレフィーゼの代わりに、ヴォルクが口を開いた。
椅子に腰掛けたまま、ルシフィナを睨み付けている。
「ええ。彼の最期の顔、見ました? あぁ……思い出しただけで、涎が出てしまいそうです。あの無様で情けない顔ぉ」
「……チッ」
舌打ちとともに、ヴォルクは机に勢い良く肘を付いた。
苛立ちを露わにするヴォルクに、レフィーゼが表情を強張らせた。
「あらあら、何か勘に触りましたか? そういえば、ディオニスさんが死んだ時もそうでしたねぇ。どうかしたんですか?」
ルシフィナの表情に変化はない。
顔に張り付いた笑みは穏やかで、声の調子も変わらない。
しかし、その言葉が悪意で塗り固められていることは明らかだった。
「……その、仲間と死者を冒涜する態度が気に食わねえ。ディオニスはクズ野郎だったが、あれでも仲間だった。仲間ってのは助け合うもんだ。その仲間の死をヘラヘラ笑うお前には、反吐が出る」
明らかに、ディオニスはルシフィナの同類だった。
自分以外のすべてを見下し、良いように踏み躙る下種。
仲間で無ければ、真っ先にぶち殺していたような男だ。
それでも、仲間だ。
同じ組織に属し、ともに行動している。
あの男がどんな者であろうと、仲間だった人間の死を嘲笑うのは気分が悪い。
「それに、勇者は尊敬に値する戦士だった。それを踏み躙ってニヤケ笑いを浮かべて――お前、頭おかしいんじゃねえのか?」
「――――」
ヴォルクの言葉に、ルシフィナが俯いた。
普段の彼女からは考えられない態度に、ヴォルクが訝しげに眉を顰める。
こちらの言葉を少しは理解したのかと、ヴォルクが考えたのは一瞬だった。
「――ふ」
俯いたまま、ルシフィナは細い体を震わせる。
同時に、くぐもった声が部屋に響く。
「ふ、ふふ。ふふふ、ふふふふふ、うふふふふふふふふ」
それは反省や悔恨などからは程遠い――嘲笑だ。
「あははははははははははッ!! ヴォルクさん、貴方って優しいんですね!! ふ、ふふふ、仲間!」
「…………」
「いや、ふふ、良いと思いますよ? 仲間! 良い言葉ですね! 確かにディオニスさんは仲間でした! 極大の態度に対して、器と実力が全然まったく釣り合っていない、面白い人でしたけど、ええ、確かに仲間でしたねぇ! あははは!」
まるで、理解できない。
自分の言葉を、まったく理解していない。
否、理解した上で、この女は嘲笑っている。
「――でも」
腹を抱えて笑っていたルシフィナが、グリンと首を上げる。
「そんな甘い態度でいて……お仲間を守れると良いんですけどねぇ?」
銀色の瞳が、グニャリと笑みの形に歪む。
「……どういう意味だ」
「いえいえ。特に意味はありませんよ?」
そうはぐらかすと、ルシフィナは椅子から立ち上がった。
「その優しさに、貴方が殺されないことを祈っていますね」
そう告げると、ルシフィナは鼻歌混じりに会議室を後にした。
残されたのは、苦り切った表情のヴォルクと、頭を抱えているレフィーゼだけだ。
「……クソが」
吐き捨てるように呟くと、ヴォルクが荒々しく席を立った。
「貴方はどうするんですか?」
尋ねるレフィーゼに、
「一度、村に帰らせてもらう。用があったら呼んでくれ。
「……分かりました」
「契約を忘れるんじゃねえぞ」
視線を向けないままにそう告げて、ヴォルクも会議室を後にした。
部屋に残ったのは、椅子に腰掛けたままのレフィーゼだ。
「……はぁ」
室内に、大きな溜息が一つ。
「……どうして、こうも連続して問題ばかりが起こるんでしょう。よりにもよって、この時期に」
組織の上層部の関係がこうも悪いのは問題だ。
どうにかして、この不和を解決しなければならない。
「……親睦会みたいなの、開いた方が良いんでしょうか」
そう呟き、その光景を想像してみる。
真面目なはずなのに、ここに来て問題を起こしたグレイシア。
とても穏やかで優しげな容姿なのに、悪意が見え隠れするルシフィナ。
混ざり者ということで、色々と問題を抱えているヴォルク。
「親睦が深まる気が、まったくしない……」
先代魔王は、一部の部下とは温いほどに仲が良かったと聞く。
それが原因で多くの問題が起こったのだが……ここまで仲が悪いのも問題だろう。
「……はぁ」
溜息と同時に、ギュルギュルと彼女のお腹が鳴る。
腹部を擦り、
「……おなかいたい」
レフィーゼは涙目でそう呟くのだった。




