第十二話 『――私の』
――漆黒と灰白が激突し、鬩ぎ合う。
魔術の輝きと刃の煌めきが交差し、室内を衝撃が吹き抜けていく。
人智を超えた速度で駆け巡る両者はどちらも攻めに徹し、一歩も引くことをしない。
部屋の最奥部に伏すエルフィスザークは、ただその光景に瞠目していた。
「おォおおおおお――ッ!!」
魔力を絞り出し、魂を削りながら、リューザスは魔術を撃ち続ける。
壊身憑威の力で室内を縦横無尽に走り回り、伊織の攻撃から逃れつつも、攻め続けていた。
伊織の戦い方は、良く知っている。
魔術も剣術も、遠距離も近距離も、すべての土俵においてあの男は最高峰の実力を誇る。
だからこそ、唯一勝る魔術を以って、伊織の接近を拒み続けた。
「はァああああ――ッ!!」
魔術を行使し、斬撃を飛ばしながら、伊織はリューザスを追う。
炎、水、雷、風、土――ありとあらゆる魔術が、伊織の行動を拒んでいる。
しかし、そのすべてを尽く打ち破り、リューザスへ肉薄していく。
接近戦では、こちらが圧倒的に有利だ。
魔術師がどれだけ身体能力を高めていようと、技術に差がありすぎるからだ。
故に伊織はリューザスとの距離を詰めていく。
「――"喪失魔術・龍断瀑布"」
伊織の真上に、巨大な水が現れた。
凄絶な勢いで、水が伊織へと降り注ぐ。
龍すらも切断する激流だ。
「"魔光反射"」
落下してくる瀑布に対して、伊織は刃を奔らせる。
直後、水流の勢いが激化し、同時のその矛先をリューザスへと変えた。
反射され、恐ろしい勢いで迫る激流の刃に、
「ぐ、おァああああッ!!」
リューザスは氷の柱を以って対応した。
射出された氷柱が激流と激突し、パキパキと音を立てて水を氷結させていく。
完全に凍り付き、動きを止めた氷結に呼吸を緩めたのも束の間、凍結した激流が真っ二つに割れた。
小山ほどの氷塊を両断して突っ込んでくる伊織に対して、リューザスは魔術を放ちながら後退する他にない。
自壊するほどの速度で走り回るリューザスを、伊織は完全に捉えていた。
それどころか、その速度に付いてきている。
魔術による妨害を物ともせず、距離を詰め始めているのだ。
その化物地味た力を前に、リューザスの憎悪がぶり返す。
「こんな力を持っていながら、てめェは! アマァアアツッ!!」
そこからの攻防は、さらに激しさを増した。
距離を取り続けていたリューザスが、逆に伊織との間合いを詰め始めたからだ。
壊身憑威の上から、さらに強化魔術と治癒魔術を重ねがけする。
ただ歩くだけで全身がズタズタになる衝撃と激痛を飲み込んで、リューザスは伊織へ迫る。
そして、至近距離から大規模な魔術を連射した。
「ぐ――ッ」
柔剣で受け流すも、受けに回ったその一瞬を狙い、リューザスの魔術は激しさを増した。
魔術師の常識を覆すような攻撃を受けて、伊織はたたらを踏む。
かけ直した心象魔術が、再び解け始めている。
魔術を弾くたびに、確実に魔力と体力を削られているのが分かった。
ポーションによる魔力の補給をしている余裕はない。
もう、長くは保たないだろう。
だが、リューザスもそれは同じだ。
リューザスは、寿命を削りながら戦っている。
心象魔術で全盛期の状態に戻ろうと、度重なる消耗は確実にリューザスを蝕んでいる。
もう、五分と保たないだろう。
――故に、決着は目前に迫っている。
接近して至近距離で攻めるという、リューザスが選んだ最後の戦法。
初めは意表を突かれた伊織だったが、すでにその動きを見切りつつあった。
一分後には、伊織の攻撃が徐々にリューザスを掠り始めていた。
「はァあああッ!!」
伊織が魔術を行使し、剣を振るう。
姿は違えど、三十年前のアマツの動きその物だ。
「……あァ」
――最初から。
英雄の力を振るう伊織を見て、リューザスは内心で呟いた。
――最初から、分かってたんだ。
魔技簒奪によって壊身憑威以外の強化魔術が剥がされ、リューザスの動きが鈍る。
伊織の放った"火炎弾"が、動きの鈍ったリューザスの肌を焼いた。
咆哮で激痛を紛らわせ、リューザスはなおも前へと踏み込んだ。
――俺じゃ、英雄になれないって。
いろいろな人に、言われ続けてきた。
リューザス・ギルバーンは英雄にはなれないと。
――滑稽だよね。アマツの代わりに英雄になる? 君みたいなカスが?
アマツを殺した後の、ディオニスの言葉だ。
自分は魔王軍に所属している、とネタばらしをし、ディオニスはリューザスを甚振りながら、そう嗤った。
その通りだと思った。
――アマツを死なせて、おめおめと帰ってきたのか!? この役立たずがッ!!
何とか魔王城から生き延び、帰還したリューザスを待っていたのは罵倒だった。
英雄を守れないとは一体何をしていたのだと、国王に詰られた。
妹すら守れないのだから当然だろう、と思わず自嘲した。
――リューザス・ギルバーン。魔王を殺せるだけの力……"英雄"になれる力が、欲しくないかな?
すべての人間の希望だった英雄アマツが死に、人間は再び窮地に陥った。
リューザス一人では形勢を変えることは出来ず、オルテギアを殺すなど夢のまた夢だった。
そんな時に現れたのが、"死神"だった。
力が手に入るのなら、どんなことでもしてやる。
リューザスは、"死神"から"因果返葬"を始めとした魔術を授かった。
だが、結果は散々だった。
強大な魔術を身に付けた代わりに、リューザスの魔力は乱れた。
思うように、魔術が行使出来なくなってしまったのだ。
結果、オルテギアの元へ、辿り着くことすら出来なくなった。
――おかしいなぁ……。キミならもう何歩か先に進めると思ったんだけど。
弱くなったリューザスを見て、"死神"は困ったように言った。
――どうやら、キミは英雄の器じゃなかったみたいだ。
それから、何年も魔術の研究を続けてきた。
魔力を取り戻すために、オルテギアを倒すだけの力を得るために。
英雄に、なれるだけの力を手に入れるために。
そうして、ここまでやってきた。
だけど――。
「……最初から、分かっていた」
――自分が英雄の器じゃないなんてことは。
だって、誰よりも見続けてきたのだから。
彼の隣で戦っていたルシフィナよりも、ディオニスよりも。
敵を倒す、"英雄アマツ"の後ろ姿を、ずっと見続けてきた。
――英雄の後ろ姿は、あんなにも眩しかったから。
クズの自分では、何をしたって届かない。
そんなことは、ずっと分かっていた。
誰に言われるまでもなく、自分が一番理解していた。
「が、ふッ」
翡翠の太刀が、リューザスの肩口から脇腹に掛けてを斬り裂いた。
血を撒き散らしながら、リューザスは無様に地面を転がる。
「けど……」
ボタボタと血を流しながら。
リューザスは、それでも立ち上がった。
「けどよォ……!!」
満身創痍の肉体で、リューザスはなおも伊織を睨み付ける。
「俺が諦めたら。俺が英雄になることを諦めたら――」
リューザスが、大魔術を行使する。
使用したのは、"落星無窮"。
巨大な魔力の塊を、相手の上空から落下させる魔術だ。
それを、自分が巻き込まれるのも構わずに、目の前に迫る伊織に直接放った。
「英雄に見捨てられたサーシャが、報われねェじゃねえかッ!!」
今のリューザスが使用出来る、最高の魔術――。
「――ッ」
翡翠が奔る。
落星無窮が最大の威力を発揮するまでに、発動から数秒のラグがある。
その瞬間を、伊織は見逃さない。
「は――あァあああああああッ!!」
――第一鬼剣・断界。
大上段から、剣を振り下ろすだけの技だ。
斬撃を飛ばすことは出来ず、有効範囲も狭い。
されど、その一閃は間合いに入ったすべての物を切断する。
鬼剣が誇る、最大の技。
「――――」
星が、正面から両断された。
「これすら、通じねェのかよ……」
無論、伊織も無傷ではない。
膨大な量の魔力に触れたことで、全身の肉が無残に焼けている。
それでも、伊織は止まらない。
リューザスの目前へ、肉薄した。
「――ッ」
躱せない。
そう理解したリューザスの次の行動は、剣を創り出すことだった。
創りだした剣を構えて、伊織を迎え撃つ。
――いつか見た、絵本の青年のように。
「アマァアアアアアアアツッ!!」
「リューザァアアアアスッ!!」
そうして、二本の刃が交差した。
「――――」
リューザスの握る剣の切っ先は、伊織の頬を斬り裂いていた。
ポタポタと、血が刃を伝う。
そして――。
「――が、ふ」
伊織の持つ翡翠の太刀は、リューザスの胸を貫いていた。
寸分違わず、刃はリューザスの心臓を穿っている。
口から、大量の血が零れ落ちた。
その体がグラリと傾ぎ、
「……!」
それでも、倒れなかった。
「俺を……殺したな、アマツ」
「!」
その言葉に、伊織は即座にリューザスから距離を取った。
悍ましい魔力の発露を、感じ取ったからだ。
「魔力……変換」
漆黒のローブを脱ぎ、そこに込められていた魔力を開放する。
治癒、自爆、あらゆる術式を、ただ一つの魔術へ注ぎ込む。
それは、"魔王オルテギア"を殺すために身に付けた魔術だった。
「俺は、英雄になれなかった」
ポツリと、リューザスはそう言った。
「アマツ」
色を失い掛けた双眸が、それでも伊織を視界に映す。
「英雄アマツ」
貫かれた胸から流れる血液が、不意に止まった。
「てめェが、"英雄"だって言うんならよォ……」
胸の穴から、赤黒い魔力が滲み出る。
それは徐々に形を成し、一本の腕になった。
魔術と呼ぶには悍ましすぎる――それは、死の腕だった。
――"喪失魔術・因果返葬"――
死の原因へ、死を返す魔術。
ただそれだけのはずの魔術が、リューザスの魔力によって、触れる者すべての命を奪う死の腕と化した。
この部屋にいるすべての者の命を奪おうとしているのだと、伊織は察した。
エルフィスザークをも、狙っていると。
「これを、越えてみせろよォオオオオ――ッ!!」
死の腕が、五指を広げながら、伊織へと迫る。
これだけの魔力は、"魔技簒奪"では奪いきれない。
"魔毀封殺"でも、"魔光反射"でも対処出来ないだろう。
「……俺はもう、英雄でも勇者でもねぇよ」
リューザスの言葉へ、伊織が静かに呟く。
すべてに失望した時に、勇者をやめたのだから。
元魔王と組んで、すべてに復讐すると誓ったのだから。
「……それでも、てめぇを殺すために」
視界の淵に、伊織はエルフィスザークを捉える。
「……あいつを助けるために、俺はこの力を使う」
迫る死の腕に向けて、右手を突き出す。
「――――」
漆黒の光が掌から溢れだす。
まるで黒い穴のように、光は小さな渦の形を形成した。
その渦は、この部屋に漂う全ての魔力を強制的に吸収していく。
それは、かつて"英雄アマツ"が"魔王オルテギア"を殺すために編み出した魔術。
魔力を吸収する魔術を発展させて創りだした、アマツが誇る最大魔術。
心象魔術を使っても、これまでは再現すら出来なかった技だ。
その名を、伊織は口にした。
「――"魔天失墜"」
魔力を吸収したことによって膨れ上がった渦が、凝縮されるかのように小さくなっていく。
直後、小さな球体となった渦が、内包していた魔力を急激に放出した。
漆黒の光が、魔力を奪われてなお動き続ける死の腕に向けて、矢のように放たれた。
放たれた漆黒の奔流が、死の腕に激突する。
空間が歪み、嵐のように魔力が吹き荒れた。
三十年前、オルテギアに大打撃を与えた英雄の一撃。
それは死の腕を呑み込み、喰らい尽くしていった。
そのまま、その先のリューザスへと突き進んでいく。
「――――」
極光に、リューザスは為す術がない。
もう、何も残っていなかった。
残ったのは、今にも発狂してしまいそうなほどに、全身を苛む激痛。
そして、己の人生に対する絶望のみ。
五十余年の人生で、結局、リューザスは何を為すことも出来なかった。
汚濁に塗れた、何も報われない無為な時間。
クズには、相応しい末路だ。
「……悪い、サーシャ」
目前へと迫った光を前に、リューザスは呟いた。
「約束……何も、守ってやれなかった」
サーシャにせがまれて、何度も読んだ絵本を思い出した。
一人の青年が、多くの人に支えながら魔王を倒し、英雄となる物語。
青年が、誰もが幸せに暮らせる世界を作るお伽話。
あの青年のように、幸せに暮らせる世界を作ると誓ったのに。
妹を失ってから、生きがいを英雄になることに求め、挙句の果てには復讐することだけに執着した。
自身の憎悪に縋り、サーシャの願いから遠く離れた所業を重ね過ぎた。
本当に、救えない。
何一つとして、サーシャとの約束を守れなかった。
――なんて愚かで、くだらない。
そう、自嘲の笑みを浮かべた時だった。
『ありがと……ね。ずっと……守ってくれて』
光が迫る中、ふとサーシャの最期の言葉を思い出した。
『お兄ちゃんと……一緒にいられてね……とっても、幸せだったよ』
あの時。
リューザスの頭を撫でながら、慈しむような口調でサーシャは言った。
『お兄ちゃんは、ね――――』
耳に入らなかった、その最期の言葉。
今更になって、リューザスはようやく理解した。
『――私の、英雄だったよ』
あの時、サーシャはこう言ったのだと。
「……はっ」
リューザスは光の中で笑った。
「……そうか」
涙を溢し、妹の幻想をその目に映しながら。
「……サーシャ。俺は、最初から――」
そうして――。
リューザスは光に呑まれ、消えた。
100話達成しました!
今後のことなんかも含めて、活動報告あげておきます!




