第九話 『ターニングポイント』
――エルフィスザークを見捨てれば、俺だけは逃げられる。
そんな考えが、頭を過ぎる。
今の俺では、土魔将の硬い装甲を破るような攻撃は出せない。
時間を稼ぐのにも、かなりの危険が伴うだろう。
下手を打てば、一撃で命を落とすことになる。
土魔将は猛烈な勢いで、こちらに向かってきている。
考える時間は、もう数秒しかない。
そもそも、この共闘を持ちかけてきたのはエルフィスザークだ。
リューザス達と仲間になった時と同じ、俺はまた流されて、仕方なく協力関係を結んだのだ。
相手は魔族で、こちらに対して何か思惑を持っていたかもしれない。
「そうだ」
エルフィスザークは魔族だ。
これまで戦い続けてきた、敵だ。
敵を裏切ることの何が悪い。
助ける必要など、どこにもない。
これがここから生きて返ることの出来る、最後のチャンスかもしれない。
ここは裏切ってでも、逃げるべきだ。
俺にはまだ、やらなくてはならないことがあるのだから。
目の前にはエルフィスザークの背がある。
まだ、こちらの動きには気付いていない。
「――ッ」
彼女を見捨てるつもりで、俺は前に足を踏み出した。
ザッと砂を蹴る音が連続して響く。
エルフィスザークにも、この音は聞こえている筈だ。
俺が逃走しようとしていることにも気付いただろう。
なのに。
「――――」
エルフィスザークは何も言わなかった。
無防備な姿を晒し、ただ俺を信じて魔力を溜め続けていた。
――お前は私を助けてくれたからな。そこに人間も魔族も関係ないだろう?
あの言葉が、思い出される。
こいつは本気で、そう思ったのだろうか。
人間も魔族も関係ないと、敵対している種族なのに、俺を信じられると。
エルフィスザークは振り向かない。
彼女程の能力があれば、俺が逃げようとしていることくらい分かる筈なのに。
何も言わぬその背中は――ただ俺を信じ続けていた。
『オオオオオオ!!』
土魔将の腕が持ち上げられる。
人一人、軽く潰すことの出来るそれが、無防備なエルフィスザークに振り下ろされた。
「――――」
気付けば。
俺は、エルフィスザークを抱えて跳んでいた。
「……伊織」
腕の中で、彼女は驚いた表情を浮かべていた。
叩き付けられた腕が地面を抉り、床に砕け散る。
破片を躱し、土魔将から距離を取る。
『纒めて、消し飛べ』
忌々しげに唸り、土魔将が吼えた。
土魔将が大きく口を開く。
そこに集中する、膨大な量の魔力。
あれは確実に、俺達二人を殺しうる。
まだ逃げられる。
あいつが魔力を溜めている間なら、まだ――。
「――あの一撃だけは、防いで見せる。だから急いでくれ、エルフィスザーク」
そう、口にしていた。
ああ、そうだ。
ここで見捨てて逃げるのは、違うだろう。
利用するのはいい。
だが騙して、裏切るのは違う。
それをすれば、俺はあいつらと同じクズになる。
「――ああ!」
力強く頷くエルフィスザークを見て、俺は覚悟を決めた。
◆
『小賢しい真似をしてくれたが、それももう終わりだ。引導を渡してくれる!』
土魔将が吼える。
口元に集中する魔力量からして、あれが放たれたらどうすることも出来ない。
そして今の俺には、あれを防ぐ手立てはない。
――そう、今の俺には。
取り出したのは、虹色に光る迷宮核。
内包するのは、迷宮を機動させるだけの魔力。
手の中の迷宮核――それを握り潰した。
「く――ッ……!!」
吹き出した魔力の奔流が、右腕の証へと流れこむ。
苛烈さに、体内が軋む。
吹きすさぶ嵐のような魔力に、視界にノイズが走った。
「――ぁ」
そして、分かってしまった。
足りない――と。
迷宮核に内包されている程度の魔力では、証を機動させるに至らない。
『そして、魔王様にお伝えよう。貴様など取るに足らぬ、矮小な存在であるとな!!』
魔力を溜め終わった土魔将の哄笑が響く。
術式が、完成してしまった。
もうどうにもならない。
「……けるな」
あれを前にしても、エルフィスザークは動じない。
疑うことも、不安がることもなく、ただ俺を信じて魔力を溜めてくれている。
『――“崩杭”』
生み出されたのは、巨大な杭だった。
土魔将の巨体に匹敵する程の大きさを持つ杭が弾丸のように発射される。
あんな物が直撃したら、一溜まりもない。
「ふざ、けるな……!」
この期に及んで、証は起動しようとしない。
働かない力に、何よりもそれがなければ何も出来ない自分に、酷く苛立つ。
ポーチから、一度に使用できる最大限の魔石を取り出す。
血が滲む程に握り締め、内包する魔力を解放した。
限界まで魔石を使っても、あの杭を防げるだけの魔術は使えない。
「っ……く」
無理な魔術の行使に、魔力が霧散しそうになる。
圧倒的な魔力不足。
「俺には、やらなきゃならないことがあるんだ」
こんな所で、死んでたまるか。
証を塞いでいる何か――それを強引に突き破り、魔力を引き出す。
ある物を全て、それでも足りないのなら、無い部分から無理やりにでも手に入れろ。
「邪魔を、すんじゃねえ……ッ!」
轟音を響かせ、崩壊の杭が迫る。
握り締めた魔石が手のひらに刺さり、血が滴っている。
右腕が焼けるように熱い。
「お、おおおおおおッ!!」
足りる筈のない魔力。
それが、体の奥から燃えたぎるような魔力が溢れだし、右腕へと集まっていく。
焼き切れそうな腕を突き出し、叫ぶ。
かつての自分が使っていた、最強の防御魔術を。
「“魔毀封殺”――――!」
正面に展開したのは、 杭に匹敵する大きさの盾だった。
放たれた杭が盾と激突し、衝撃を散らしながら動きを止める。
『何だと……!?』
魔毀封殺。
けして毀れることのない盾を――そう思い、俺が創りだした防御魔術。
物理的な攻撃だけでなく、ぶつかった魔術を消滅させ、文字通り封殺する光の盾だ。
崩壊の杭と拮抗する無毀の盾。
不完全な状態で発動したそれが揺らぎ、軋む。
負けられない。
「く――ああああああああ……!!」
絶叫し、地面を踏みしめる。
そして、握り込んだ魔石が砕けると同時――、
『……馬鹿な』
杭と盾が、同時に砕け散った。
土魔将の動揺した声が、部屋に響く。
……防ぎきった。
もう僅かにでも魔力が足りなければ、俺の盾は負けていた。
強引な魔力の行使の影響か、全身を倦怠感が襲ってくる。
右手の証が、焼けるように熱い。
『ならば……!』
「くッ」
土魔将が口を開き、岩の砲弾を放とうとする。
もう、あの盾は使えない。
一か八か、宝剣で軌道を逸らせないかと構えた時だ。
「――でかした、伊織」
凛と響き渡ったその声で、土魔将が固まった。
その声の主は瞳を真紅に染め、吹き荒れるような魔力を身に纏っている。
『ッ……エルフィスザーク!』
不利を悟ったのか、土魔将が岩石砲の発動を取りやめた。
最初に現れた時と同じように、ズブズブとその巨体が地面に沈み始める。
「――させん!」
それよりも先に動きたのは、エルフィスザークだった。
真紅の瞳を見開く。
『馬鹿な……。日和った敗北者などに、この我が――』
「――“魔眼・灰燼爆”――!!」
絶叫する土魔将へ、紅蓮の閃光が走る。
それは地面へ沈みかけた土魔将を捉え、目が眩む程の爆発を巻き起こした。
先ほどと同等の、岩の装甲ごと消し飛ばす嵐のような一撃。
『が……ァ』
爆煙が晴れ、魔眼を喰らった土魔将の姿が顕になる。
全身が焼き焦げ、爆発によって片腕が消し飛んでいた。
確実な致命傷だ。
だが、
『我は……まだ負けて……おらん!』
「……貴様、まだ!」
あれだけの攻撃を喰らって尚、土魔将は倒れない。
魔力はほぼ尽きか欠けているというのに、強引に治癒魔術を発動させ、傷を癒やそうとしていた。
バキバキと、最初とは比べ物にならない程の緩慢な速度で傷が治っていく。
「く……今ので私もほぼ魔力切れだ。もう、僅かにしか残っていないぞ……!」
魔眼を二度も使ったエルフィスザークは、額を抑えて顔をしかめている。
土魔将が再び動き出せば、もう俺達には為す術がない。
だが、ここまで来て負けてたまるか。
「エルフィスザーク! 残った魔力を、この剣に注げるか?」
「どうするつもりだ?」
「これで、あいつに止めを刺す」
手渡した宝剣に、彼女の魔力が注がれていく。
「すまん……これが限界だ」
エルフィスザークの魔力が込められた宝剣は、どす黒く、禍々しい色に染まっていた。
恐ろしい程の魔力だ。
「……いや、十分だ! 」
地面を蹴り、俺は土魔将へと走り出す。
苦悶の叫びを漏らしながら、接近してくる俺へ、土魔将が腕を振り下ろしてきた。
苦し紛れのそれは狙いが甘く、すぐ横へと叩き付けられる。
「ッ、おおおお!!」
その腕に、飛び乗る。
ゴツゴツとした岩に覆われた腕の上を、全速力で駆け上がった。
「これで、終わらせてやる」
『グ――オオォ!!』
黒く染まった宝剣を、装甲が剥がれ、むき出しになった頭部へと振り下ろす。
刃が土魔将の肉を斬り裂いた。
『無駄……だァ!!』
「ッ!」
それでもなお、土魔将に止めを刺すには至らない。
土魔将が頭を揺らし、俺は空中へと放り出されてしまった。
宝剣は、頭部へと突き刺さったままだ。
『死ねェェ、ニンゲェェェン!!』
宙を舞う俺を狙って、土魔将が腕を振り上げる。
今の俺に、それを躱すことは出来ない。
だが。
その直後、土魔将に突き刺さった宝剣が光を放った。
『何だ、これは……!?』
土魔将と戦うにあたって、事前に思いついた策の一つ。
岩窟龍の弱点の一つは――岩に覆われていない体内。
ならば、その体内でとっておきの攻撃を発動させればいい。
『まさか……貴様、貴様ァァ!!』
「――終わりだ、土魔将」
この宝剣は、内部に魔力を内包する魔力付与品。
魔石と同じように、内部の魔力を暴走させれば、爆弾にすることが出来る。
宝剣のみでも十分な魔力量だが、そこにエルフィスザークの魔力が加われば――。
「壊魔――ッ!!」
禍々しい光が炸裂した。
暴走した魔力の業火が土魔将の体内へと流れこむ。
『――――ッ!!』
つんざくような断末魔。
直後、土魔将の頭部が爆裂し、魔力の炎が咲き誇る。
天井に突き刺さるように、爆煙が立ち込めた。
『――――』
グラリと、頭部を失った巨体が傾ぐ。
小山のような体が沈み、迷宮が揺れる。
それっきり、土魔将が動くことはなかった。
今度こそ完全に、奈落迷宮の主は絶命した。
「……伊織!」
地面に落下する直前、またしても、エルフィスザークによって抱き止められる。
これじゃあ、また立場が逆だ。
強引に魔術を使った影響か。
電池が切れるように、体から力が抜けた。
エルフィスザークの腕の中で、意識が遠のいていく。
「――やはり、お前は」
そんな呟きを、最後に聞いたような気がした。
次話→10/8 21:00
後少しで、一章終了です。
もう少ししたら復讐+スカッとするポイントがあるのでお楽しみに。