第六部 偽
吐く息が、白い。
青桐で書庫とされている部屋は、いつも以上に寒かった。その書庫で藜は脚立に腰かけていた。
大寒間直に、翠石が秋津の手で滅ぼされた。
その報を受け、藜は勝利の要因を知る。
(青嵐を戦闘に参加させ、士気を向上させる。幾ら青桐の者とは言え、ここから自分の意思で出た者だ)
里を出ると言う事は、この二つの一族からすれば裏切りに近い。
青桐を裏切った者が、翠石を討つ為にこちらに協力してくれる。
(実力は一人で翠石の拠点を潰すほど。これほど使える駒はない、か)
藜でも同じ手段を取るだろう。
そこにいたるまでの過程は、紅とは違うだろうが、紅以上に上手く立ち回れるとも思っていない。
(どの道こっちは 賭けの準備で忙しかったしな。一石二鳥狙いじゃないが、地道に堅実にやるしかない)
紅の出方次第では、一石三鳥と言う事もあるだろう。
無駄な労力の省き方は、紅の方が数倍上手いのだから。
(にしても、何だこれは?)
思考を止め、手元に視線を落とす。そこには、ボロボロの綴じ本がある。
文面は草書で、本と言うよりもノートと呼ぶ相応しい状態だった。これが千年以上の歴史を誇る青桐の史書だと信じる者は少ないだろう。
(五百年前で途切れている。どう言う事だ?)
本来の史書ならば、一族として成り立った頃から始まっていなくてはならない。
(しかも、始まりが俺の次ぎの代からになっている)
史書は他にも複数あるが、その全てが藜の次の代から始まっている。
藜の代について何も書かれていない事には心当たりがあった。だが、それは当事者間で悔いが有ったにしろ決着は着いている。
後世に、青桐と秋津の双方にとっての大事となるであろう一件についての削除は致し方無い事なのだろうが、藜の先代の事が書かれていないのはどう言う事か。
(もう少し漁ってみるか)
手にしていた綴じ本を棚に戻し、脚立から腰を上げた。
翠石の討滅が終わってから、ここ数日頭痛ばかり起きる。
熱で頭が回らない。手足は重く、身体が動く事を拒絶している様な状態だった。
そんな絶不調の青嵐は代わり映えの無い天井をぼんやりと見つめる。目を横にやれば、点滴を吊り下げているスタンドがある。食事が三日間取れなかったからだ。
一日一回様子見に来る紅と、看病を頼まれたのだろう秋津の使用人がいる間にしか青嵐は口を開かなかった。いや、熱で言葉を考える気力もなくなっていた。
話し掛けられても、うわの空で返すので使用人に至っては最初の二日間以降は話し掛けて来なくなった。
紅に至っては何か心当たりがあるのか、青嵐の反応を無視して一方的に話し掛けてくるだけだった。
二言、三言しか返って来なくても、それで十分なのか紅は気にしている様な素振りは無かった。むしろ、当然と言った風に受け取っている。
いつもの事ではあるが、彼は一体何を考えているのだろうか。
(考えてもしょうがないか。どうせ、巻き込む事しか考えていないんだろうし)
いつもの結論に辿り着く。
疑問を抱く気にもなれない。抱いた所で、既に手遅れだ。
(今、こうして考えている事も、秋津の予想範囲内なんだろうな)
そう思うと、考える事自体が無駄に思える。
回復の為に、思考を放棄して寝る事にした。
秋津の書庫。そこは、掃除こそ行き届いているが全体的に老朽化が進み、いつ崩れるか分からない木製の倉だった。
暦の上では、立春まで数える程度と言う頃だが、この日はいつも以上に寒さが厳しかった。
――最も、紅の服装は季節に全くそぐわないほどに薄着だったが。
(そろそろ、頃合かな)
パラパラ、と捲っていただけの綴じ本を、無造作に積み上げた本の山に積む。
数十年と言う歳月を費やしても読み切れないほどの歴書を、紅は二十数回目の今回を持って読み終えた。
ようやく読み終えたと言うのに達成感はない。むしろ、無駄な時間を割いてしまった、とも思えた。綴じ本の中身が見事なまでに薄かったからだ。
(向こうもそろそろ気付く頃だ。それが、今日か明日かはさて置き)
何も得る物の無かった本の山を見る。
(回を重ねる毎に、中身が薄くなっている)
本の中身も、人の中身も、ふと疑問に思ってしまうとくすんで見える。
秋津の使用人――いや、紅以外の人間は今回に至っては人形の様な反応しかしない。青桐ではどうなのか。あちらには、藜の他に青嵐もいたのだ。人形だらけのこちらよりは、人間らしい人形がさぞいる事なのだろう。
(ま、関係ないか)
終わりは近い。
再挑戦の機会は、後一回。今回で終わればいい。
仮に、終わらなかったとするならば、それは――
あの男が絡んで来た時だろう。
熱い緑茶を飲み、身体をいくらか温めた藜は再び書庫で読み耽っていた。
(手掛かりになりそうな物はこれも無しか)
綴じ本を棚に戻す。
登っていた脚立から降りる。その時、脚立がぐら付いた。慌てて、棚を掴もうとした時――
掴んだ場所が折れ、脚立から転げ落ちる映像が脳裏を過ぎった。
「!?」
慌てて脚立から飛び降り、倒れかけた脚立を支えた。
「ふぅ、またやる所だった。・・・・・・ん?」
今の、自分の台詞に疑問を抱く。
(また?)
また、と言う意味は『再び』である。
この場合、『再び、棚を掴んで転げ落ちた』と言う事になる。
脚立を立て直しつつ思い返す。
(脚立を使う様になったのはここ最近だが、棚が壊れる様な事はなかった)
なぜ、既に体験した様に感じるのだろうか。これではまるで、何度も同じ事が起きていて――
(同じ事が起きている?)
何と悪い冗談か。
同じ事が起きているのならば、あの日、青嵐がどう動くか既に分かっていたら、
(分かっていたら?)
そう言えば、青嵐が秋津の里に行ってしまったあの日に、紅と刃を交えた。
あの時の紅はどうだったか。
藜の動きが全て分かっているかの様な、動きではなかったか。
考えがとある方向に纏まって行き、結論が出る。
(つまり、あの日の戦いは『経験した事のある戦い』だった、と言う事なのか)
それは、藜にとっても、秋津紅にとっても。
辻褄が合って行く。
絡まった紐が解けて行く様に、多くの事が明らかになって行く。
(俺は何度も同じ様に斬りかかって、秋津は今までの体験からそれを全て避けた)
同じ時間を繰り返しているとでも言うのか。だが、そうでも言わなければ説明がつかない事が多過ぎた。
(って事は、あれは勘違いさせる為だったのか)
あの夜、紅が取替えっ子の話を出した。藜はそう言えばあった様な、と思い込んでいた話だ。
都合良く記憶を自分の手で捏造してしまうとは、人間とは誠に恐ろしい。
(あの野郎。俺をはめやがったな)
紅に対する怒りが湧き上がる。
そう、取替えっ子と言う出来事は確かにあった。だがそれは、繰り返される何度目かの出来事であり、今回の出来事ではない。
あの台詞は、藜がどこまで 気付いている かを確認する為の物だった。
集中して、記憶を探る。何もかもが曖昧で、鮮明に思い出せた物は一つもなかった。それでも今、必要な事は思い出せた。
(あの 紅が青嵐だけを連れてこっち青桐の里に来るのは明後日か)
一日だけの猶予。無いよりはマシだが、相手が悪い過ぎる。
何より、出来る事が三つだけと限られていた。
まず、書庫から出て、打ち刀などを置いている蔵に向かう。最も手に馴染む物を探す。その場で試し振りなどをしてみるが、何故かよく使っていた太刀や打ち刀が手にしっくりと来ない。疑問を抱きながらも、何かないかと探し回る。
乱雑に置かれている武器の中から使えそうな物を探していると、足が何かにぶつかった。
足元を見れば、桐箱が転がっていた。念の為、刀の類いを納めるには小さいその箱を開ける。中には、二振りの懐刀が納められていた。
鞘を払い、順手に持つ。しっくり来ない。柄の握り心地は丁度いいのだが。
逆手に持ってみると、ようやくしっくりと来た。
ナイフの様に扱うと、身体が覚えているのか、澱みなく行なえた。
(武器はこいつでいいな)
底の方に装着用のベルトがあったので、懐刀を鞘に収めベルトに付ける。鞘をベルトに固定し、ベルトを腰に巻く。その状態で再び、懐刀をナイフの様に構える。ベルトを調節し、最も抜刀しやすい個所に固定する。
調整を終え、ベルトを外し、桐箱と共に庫から出た。
書庫から出る。今回で見納めになるかも知れないと思うと、何故か足が止まった。
一秒にも満たない逡巡を経て、紅は振り返り書庫を見上げた。
(書庫をこうして見上げるのはこれが何度目だったか)
今までの中には見上げずに去った事もある。今回は気紛れで振り返っただけだ。見慣れた屋敷内を歩くと言う事もしない。既に何度か行なっている。
経験済みの事を何度体験すれば気が済むのだろうか?
紅に答えはない。
少なくとも、『飽きた』と言う感想はない。
書庫に背を向け私室に戻る。決行日の為に愛刀の手入れをする必要がある。
(もう一日青桐を休ませてから――いや、明日の朝方に様子を見てからにするか)
一日でも行動を速めればその分終わりは近付くだろうが、訪れる結果に変わりはない。ならば、少しでも速めて結果に干渉するも策の一手だろう。
紅は私室に向けていた足を青嵐が休んでいる離れに向けた。
あの男に一刻の猶予も与える気はない。
これで終わりにすると、決めたのだから。
体調不良で寝込んでいても、すぐ傍に人がいれば気付いてしまう。
纏う雰囲気が独特ならば尚更だ。
「・・・・・・秋津か?」
目を開けず、確信に近い推測だけで確認する。
「起きていたのかい」
「腹黒い奴が傍にいておちおち眠ってもいられん」
「そうか」
紅の事だからきっと、口の端を釣り上げて笑っている事だろう。
「その減らず口が出て来ると言う事は、調子は良さそうだね」
「さてな」
調子が良いと言うよりも、体力がある程度戻って来たと言う方が正しいだろう。
「で、何の用だ?」
本題に入る為に閉じていた目蓋を開けて、紅と視線を合わせる。
(?)
いつもの余裕に満ちた目ではなく、珍しく、真剣な眼差しをしていた。
(これから死合いにでも行くのか?)
青嵐がそう感じてしまうほどに、紅には一切の笑みが存在しなかった。
「これが最後の用事だ。これから言う事は全て事実。最後まで黙って聞いてもらう」
紅の話が始まった。紅の雰囲気の違いから青嵐は黙って聞き――その内容に耳を疑ったが、今の紅が事実と語るのならば、信憑性はある。
「ならば今夜行くべきだ」
私が動ける内に、そう付け加えて青嵐は紅に提案する。
仮に、紅の話しが事実であるとする。なら、受けに回る気はない。常に先手先手で行くのが、青嵐なのだから。
珍しい事に、今度は紅が驚き、その提案を受け入れた。
待ち合わせの時間を決め、紅は離れから去った。
紅を見送らずに、青嵐は数日振りに二振りの愛刀に手を伸ばした。寝込んでいる間は使えないと踏んでいたのか、あるいはこの時の為か、離れに置きっ放しだった。
鞘を払って構える。
目を閉じ、冥想する様に力の状態を確かめて、危うく受け入れそうになったその異常に気付いた。
(なるほど、どうやら本当だったらしいな)
意識を集中させると、なぜが別のイメージが浮かんで来る。それこそが、青嵐が持つ本来の力だ。
鞘に納め、壁に立てかける。
手足は少し重いが、問題はなさそうだ。
久しぶりに固形物を食べる為に、冷蔵庫を開いた。
青嵐の思いもよらない提案に驚きはしたが、先手を取るのであればある意味正しいと考え直して受け入れた。
(決行は今夜。事態は常に急加速、か)
私室に入る。僅かな時間を静かに過ごすには、ここが最適である。
何より、秋津の人間とこれ以上会う毛頭など無い。人形の様な反応しか見せない彼らは最期の時までその役割を果たすのだろう。
今宵で全ての決着が着く。
全ての条件が揃い、心強い味方も出来た。
(全てが終わったらどうなる?)
ふと、そんな些細な疑問が頭を過ぎった。
全てが終わって――事の元凶たる藜はともかく、紅や青嵐はどうなるのだろうか。
(いや、余計な事など考えるな)
些細な余事で計画が頓挫しては元も子もない。
珍しく弱気になっている自分が、思った以上に緊張している事に気付き、思わず苦笑が漏れた。
(何をやっているんだか)
普段なら一笑に伏せただろうが、今は心地よい。
事の大詰めの緊張感と高揚感に押し潰される事も無く、心を躍らせている。
縁側に出て、いつもの様に柱に寄りかかる。
全ての終わりに向けて、時間は進む。
動きやすい服に着替え、定位置であった木の幹に寄りかかる。
(昼間だったら最高なんだよな)
今は昼間ではなく、夕方といえる時間帯ではあるが、既に日は落ちている。
暦上立春間直とは言え寒い。外気は十度を下回り、吐く息は白い。
防寒着は着ていないが我慢出来なくはなく、気が弛むのを抑えてくれる。食事を取れば満腹感で眠気が来るので食べない。
軽く白湯を飲み、時を待つ。
確証はないが、明日の朝までに全てが終わる――そんな勘があった。
(戦いの流れを掴みたいのなら、先手を取って行く)
誰の教えだったか思い出せないが、藜もかつて青嵐にそう教えた。だが、今回は後手に回るのが良いだろう。先手を打つ事しか考えていないだろう彼らを迎え撃つには後手に回る事が最適だ。
(後は何時に来るか、だな)
結界を通り抜ければ反応がある。今は反応を待つしかない。
待っている間にも、やるべき事がある。
目を閉じて、記憶の糸を手繰る。
今までに起きた多くの事は思い出せたが、こうなった最初の頃の事だけが思い出せない。時間が経てば思い出せるのかもしれないが、今は時間が惜しい。
(ここ数日、まともな話すら出来なかったよな)
人恋しい訳ではないが、見知った者が知らぬ間に消えていては寂しい。
目を閉じて、天を仰ぐ。
「!」
僅かではあったが、確かにその刺激はあった。
「来たか」
里の結界を通り抜け、あの男がやって来る。
幹から飛び降り、駆け出す。
どこにいるのか考える必要はない。地上ではなく地下からの反応があった。
(地下とは何考えてるんだ?)
秋津の里と青桐の里をつなぐ地下道が存在する。これまでは秋津が厳重な警備を強いていたため青桐の者が近寄る事はなかった。秋津も同様である。
階段を降り、地下道をただ走る。
最も知っている道は一つしかないので――元々この地下道は使う予定だったので道も事前に調べてある――迷う事は無い。
走り続けていると、縦横に広い空洞に到着した。こここそが、両一族の結界の境目でもある。
そこに見知った二人がいた。言うまでも無い。紅と青嵐である。
「・・・・・・青嵐」
数ヶ月ぶりの再会となる。
青嵐は紅の背後に隠れ、藜と顔を合わせる気は無い様だ。
「青桐。書かれてある通りに行けばたどり着く」
後ろ手に紅は青嵐に懐中電灯と紙を渡す。受け取った青嵐は何も言わずに空洞から去る。その姿が完全に見えなくなってから紅は手に持っていたランプを捨て、虚空の闇から一振りの太刀を引き抜き、鞘を払った。
秋津の力は侵食にある。だが、空間を歪めるほどの物ではない。紅が使用した初めて見る力も、記憶が戻りつつある藜からすれば何であるか見当が付いた。
「空間を歪める 冥 。それがお前本来の力か」
「ふうん。ようやくそこまで記億が戻って来たか」
交わす言葉は最早存在しない。藜もベルトに固定した懐剣を抜き放つ。
転がるランプを唯一の光源とし、戦いの火蓋は切って落とされた。
何処と知れず闇の中、確かに感じた。
二人がぶつかり合う事によって生じた衝撃。本来ならば感じ取る事は出来ないが、彼だけは感じる事が出来る。
望みを叶える為に、闇の中を進む。
ここで、何度刃を交え、何度鎬を削ったのだろうか。
今まで思い出せなかった事が、次々と脳裏に浮かぶ。
初めはどうにも出来ずに失敗ばかりだった。何度目だったか、紅が『一定の時間が繰り返されている』と言う事態に気付き、独自に行動を始めた。
「たまたま流れ着いた余所者とは言え、崩壊を始めていた世界を僅かな時間で『一定の時間を繰り返す事で存続する世界』に創り変えるとは流石だよ」
紅の賞賛の声には、この戦いで何度目か、彼自身の熱を感じた。
「だが、欠点があった。それは『誰かを物語の中心にしなくてはならない』と言う条件。その条件を満たす為に、君は青桐青嵐を蘇生させた」
そう、藜がこの世界に流れ着いた時には、青嵐は既に死んでいた。死因すら分からない状態で、愛刀である刀を握り締めていた。何と戦っていたのか、未だに分からない。傍らにいた子供を助けて、彼女は事切れて瓦礫に埋まっていた。
「そして、君は力を使い果たし、記憶を失った」
記憶を失う直前に何をしたのか――未だに思い出せない。部外者である彼がこの世界の住人として認識されたのは、創り変えた結果か。
鍔競り、距離が近付く。
「いい加減全てを思い出したのだろう。神人」
「・・・・・・」
紅の問いに藜は無言で返す。
紅に言われるまでもない。記憶はほとんど戻っている。第一次神話戦争で故郷の世界は滅んでいる。この世界を救おうとしたのは、この記憶があったからか。
神人として迎え入れられたが、第二次神話戦争で幼馴染と呼べた他の三人と離れ離れになり、この世界に流れ着いた。
戦争の余波で壊れかけていたこの世界に。
神人としての最後の力を使って青嵐を生き返らせ、一定の時間を繰り返すだけの世界を創り上げ――記憶を失った。
時間と言う強力な概念に干渉出来た理由は、この世界が崩壊を始めていたからだった。切れた紐を結ぶと新しい結び目が出来る様に、藜はこの世界の根源樹に干渉して新しい物を創った。
間違っていた、とは思ってもいない。
あの時、死した青嵐を見てそうするのが正しいと思っただけなのだから。
「君のおかげで命を繋いではいるが、礼は言わん。世界の維持を今まで行っていたのも君だが、感謝していない」
あの日、事切れた青嵐の傍らで泣いていた子供と目の前にいる青年の姿が被る。違和感は無かった。
力の無い子供が長い年月をかけて力を手に入れ、迫る事実を告げる為にここまでやって来た。
「青桐はもう限界が近い。次があっても、その次はない」
言われずとも分かる。ずっと側で感情が少しずつ消えて行く青嵐を見ていたのは、他でもない藜である。記憶を取り戻したからこそ理解出来る。
「そんな事!」
分かっている、そう言おうとした瞬間、突如空洞が揺れた。
紅と別れ、一度も足を踏み入れた事の無い地下道を、青嵐は紅に渡されたメモ紙に書かれてある通りに歩いていた。夜目に慣れていても数センチ先が見えない暗闇の中、手に持った懐中電灯の明かりだけが唯一の光源だった。
(どうやって地下道の全容を調べたんだあの腹黒は?)
地下道は第二次世界大戦時に青桐家(主に男性用)の防空壕として使われた事を除いて、誰一人として足を踏み入れた者はいない。
地下道その物が迷路の様に伸びており、秋津と繋がる道を除いて判明している道は一つも無い。
少なくとも、新しい道を調査したと言う話は聞いた事が無い。
『まず、君の相棒を取りに行く。青桐藜と会うのが先になるかもしれないが、これは最優先事項だ』
地下道に入る前に聞かされた話、その予定にそう入っていた。
(相棒か)
背中の竹刀袋に二振りの愛刀が入っている。不要と言われたが念の為持って来ている。この二振りも相棒同然なのだが、紅曰く、青嵐が忘れているだけで他にも相棒がいるらしい。紅が考えている事は相変わらず分からない。
指示通りに歩いていると、先ほどより小さいが再び空洞に出た。
「何だ、ここは?」
持ち主のいない八つの剣が地面に突き立てられたまま、墓標の様に果てていた。
その光景は剣の墓場にも見える。その剣の墓の中、誰かが眠っている。
「・・・・・・蛍丸?」
最も近くにあった剣――大太刀には見覚えがあった。口から自然とその名が零れる。他の剣もまた、見覚えがあった。
「蜘蛛切、鬼切、子烏丸、雷切、村雨、子狐丸、童子切」
全ての剣の名を挙げて行く。
(相棒と言うのは、こいつ達の事か)
かつての青嵐の相棒達が静かに主を待っていた。青嵐本人が来た事を認識したのか、全ての剣が淡く明滅した。
剣が取り囲んでいる中央に行く。そこは棺となっていた。
「え――」
かつての相棒に囲まれ、棺の中で青嵐を待っていたのは、
「これは、私なのか?」
もう一人の青嵐だった。
訳が分からず混乱する。だが、ここに長くいられない。眠っているもう一人の自分に触れる。
「!?」
目の前の空間が歪み、その中に引きずり込まれる。
「くっ」
前のめりに転びそうになったが、受身を取って即座に起き上がった――筈だった。
受身を取って起き上がった筈なのに、棺の中で身を起こしていた。
(どう言う事だ? まさか、融合したとでも言うのか?)
その考えを肯定するように竹刀袋と懐中電灯が地面に音を立てて落ちた。
理解出来ぬ事態に混乱するが、地震に似た揺れが思考に冷静さを戻した。
「八剣よ、還り来たれ」
左腕を掲げて、自然と零れたことだま言霊を口にし、八振りの剣を手元に招き寄せる。剣達は形を変え、棒状のガラスを組み合わせた腕輪に変わる。
棺の側に落ちていた竹刀袋と懐中電灯を拾い、来た道を逆行する。しかし、その足は空洞から一歩も出る事は無かった。
「どこに行く?」
この場にそぐわぬ麗容な青年が出入り口に立っていた。
無言で竹刀袋から愛刀を一振り抜き放ち、切っ先を青年に向ける。
青嵐は知る由も無いが、紅が起きぬ様願っていた事が起きた。
突如起きた揺れに、最も驚いていたのは紅だった。
「まさか、あの男が来たと言うのか?」
相手が特定できぬ呟きに、嫌な予感を感じつつ藜は尋ねた。
「おい、あの男って誰だよ!」
返答が帰って来るとは思えないが聞いて見る。
「・・・・・・『神理の翼』」
やや間を置いて返って来た答えに藜も驚き、気付けば紅の胸倉を掴んでいた。
「何でこんな所にあんな野郎が――っ!?」
再び空洞が揺れた。先ほどよりも大きい。何度も揺れ、次第に大きくなって行く。だが、揺れよりも問題なのは、震源が近付きつつあると言う事だ。
藜の腕を払い、震源に向かって紅は太刀の切っ先を向けた。藜も無言で構える。
数度揺れた後に、空洞の壁が消し飛んだ。辺りが埃で包まれる。
埃が晴れるのを待っていると、一際鋭い音と共に何かが藜に向かって飛んで来る。反射的に受け止めると、飛んで来たのは根元から折れた二振りの打刀を持ったまま気を失った青嵐だった。先程の音は彼女の愛刀が折れる音だった。
「軽いな、『裁きの原石』を持つ者よ」
埃が晴れた向こうから、涼しげな声が届く。声の主は確認するまでも無い。
女性と見紛う中性的な容姿、肩まである黒髪を後ろで一つに纏めている。
青嵐以外の者には用が無いのか、灰色の瞳は彼女だけに向けられている。
「目覚めたばかりとは言え、この程度では――」
台詞の途中で、左手を後ろに凪ぐ。いつ移動したのか、背後に回り奇襲を仕掛けるべく間合いを詰めた紅は神理の翼の左手から現れた水の鞭によって迎撃される。
青嵐を自身の背後に置き、藜は神理の翼に斬りかかる。紅も同じタイミングで動いた。しかし、
「ふん」
鞭の一閃で二人の攻撃は弾き、返す刀でそれぞれに打撃を叩き込む。
「ぐっ」
攻撃を受けた紅の太刀が半ばから折れ、威力を相殺出来ずに壁に叩き付けられる。藜は後ろに飛んで受け流したが、二撃目で地面に叩き付けられた。
「大人しくする気はなさそうだな」
折れた太刀で再び斬りかかる紅だが、間合いに踏み込めず後手に回っている。
(あの野郎の目的は青嵐。なら)
なら、青嵐を守らなければならない。今は紅の攻撃を捌く事に集中している。青嵐との距離は二十メートルも無い。神理の翼は紅の攻撃を加える為に多少なりとも移動している。チャンスとは言えないが、この機会は逃せない。
低い大勢のまま地を駆ける。
「ぐぁっ!?」
青嵐の元にたどり着く前に、紅が大振りの一撃を受け大きく後ろに飛ばされた。
その数秒後に、破壊された太刀が柄を残して地面に落ちた。
「邪魔だ」
鞭による攻撃が来ると身構えたが、数個の水の塊が藜に向かって飛んで来た。紙一重で避けるが、塊が当たった地面がクレーター状に凹んでいる。
(高圧縮の塊か)
当たれば骨が砕けるだろう。飛んで来る塊を全て避ける。地面にぶつかり水飛沫を撒き散らされる。その飛沫は衣服に触れると熱を発し、思わず動きを止めてしまった。強酸で構成されていたのか、飛沫が付着した衣服が解ける。幸いにも袖口近くだったので付着部を破り捨てる。
(? 攻撃が無い)
僅か数秒だが、これまでの断続的な攻撃を考えると途切れるのはおかしい。
青嵐の方を見ると、神理の翼が傍にまで移動していた。
「!」
藜に気付いた神理の翼は出現させた水の塊を再び飛ばした。
地揺れとはまた違った揺れで、青嵐は意識を取り戻した。
(あの男は?)
水の鞭で襲い掛かって来た謎の男。身を起こし、顔を上げると離れた場所で紅が倒れ、彼の太刀が柄だけ残して落ちている。更に離れた場所では、藜が飛んで来る水の塊を避けていた。
(何が、起きている?)
両手に握った愛刀は既に根元から折れている。これではもう使えない。何年も使い込んだ打ち刀の柄から手を離した。左腕の腕輪を思い出す。
(武器)
僅かに力を込めただけで鋭い痛みが伝わる。苦痛に顔を歪ませ、右手で左腕を調べる。二箇所ほど腫れている箇所があった。痛みに耐えて触診をして見ると、骨が折れていた。意識が飛んだ最後の一撃を受けた際に折れたのだろう。
左腕が使えない。右腕も無傷とは言いがたい。
(かた、な)
八振りの新たな刀を思い返す。その中で、最もこの状況を打破し得る相棒を選び、銘を呼ぶ。右手に柄を握る感触が生まれた。身体が軋みを上げるが太刀を杖の様に使おうとして、
「流石に意識を取り戻したか。これだけの時間があれば当然か」
男――神理の翼が使っていた水の鞭が青嵐の首に巻き付きそのまま持ち上げていた。太刀で断ち切るべく、振り上げる。青嵐を見つめる神理の翼の表情に変化は無い。だが、突如鋭く視線を走らせ、青嵐を視線の先に投げ飛ばす。
遠心力で気道が絞まりかけたがそれも僅か、誰とも分からぬ者に猛スピードで背中から激突する。驚く声が聞こえた。普段なら判別出来ただろうが、考えている間は無く、再び地面に転がる。
「邪魔が入るな。早々に済ますか」
何を済ます気か、身体を起こしている間に神理の翼は青嵐に近付いて来た。
(私に、何の用だ?)
思えばずっと青嵐との直接的な接触を試みている。
(私に、何が)
屈めば手が届く距離に近付いた。
太刀の切っ先を向けるよりも速く、その声を聞く。
「形成せ、裁きの原石よ」
青嵐の中で何かが反応した。反応した物が何であるか、感じ取ろうとして、後ろに突き飛ばされた。
背を強かに打ち付ける。何が起きた――視認するよりも先に、その重い音で分かった。顔に暖かい飛沫がかかる。目の前には見慣れた藜の背中。その背中にまで手が突き抜けている。
「なっ!?」
そこで初めて神理の翼が動揺をはっきりと示した。
胃からこみ上げて来た物を飲み込む。鉄の味が強くしたが、痛みですぐに薄れる。
『今度は、後悔しないでね』
仮初の世界の思い出とは言え、守るべき物は守って来た。
(ああ、してない。二度と、する、か)
腹部を貫く腕を握る。引き抜く為ではない。あの男ならば、この時を見逃さないだろう。腕を掴まれた事で神理の翼は逆に冷静さを取り戻した。
「く、邪魔を――」
するな、そこまで言葉は続かなかった。
その左胸から刃が、正しくは太刀の切っ先が飛び出した。
「背中ががら空きだよ。全く、俺を忘れるとは何を考えているんだい」
折れた太刀の刃を握り、不意を付いた紅は不敵に笑う。
「き、貴様」
視線が背後の紅に向かう。そこで漸く、藜は腕を引き抜いた。
「そう言う、事だ!」
腹部の穴のお返しに斬り付ける。攻撃が浅くとも動揺が誘えれば良い。藜が斬り付けた瞬間、左胸の刃は引き抜かれた。
鮮血が噴出すも束の間、その傷はすぐに癒える。
「ちぃっ」
神理の翼は左腕を掲げる。ここから離脱するつもりなのだろう。
「このっ」「待てっ!」
一瞬遅く、彼がいた場所で刃がぶつかる。その衝撃で懐剣を取り落とした。
(消えた。終わったのか)
紅と視線が合いそうになったので即座に外す。強敵がいなくなったので気が緩み、紅にもたれ掛かる様に、藜は倒れ気を失った。
もたれ掛かって来た藜を地面に寝かせる。血の気の無い顔と地面に広がる血溜りが彼の状態を示していた。
(このままでは死ぬな)
他人事の様に考える。実際、紅に藜を治療する手段は持ち合わせていない。
「藜・・・・・・!」
呼び出したにも拘らず使う事が無かった太刀を放り、青嵐が近寄って来る。
骨折したのか、左腕は動かす素振りさえ見えない。
(予想範囲内の邪魔は出て来たが、これ以上何も無ければいいな)
青嵐はまだ動く右腕で藜を揺さぶっている。
このまま放っておけば藜は死ぬだろう。
だが、青嵐も紅も彼を治療する事は出来ない。
(ど――っ!?)
不意に襲って来た痛みに顔を顰める。神理の翼と刃を交えた紅も無傷ではない。青嵐や藜ほどではないものの、服の下の肌は痣だらけである。加えて全身を強く強打している上に太刀の刃を握っている掌は裂け、血が滴っている。
刃を捨て、ハンカチを手に巻く。いざ武器を持った時に血で手が滑っては困る。
「あおぎ――っ!?」
頭上に新たな殺気を感じた。青嵐を体当たりの要領で突き飛ばし、片腕で抱え、地面を蹴って更に転がる。
「青桐! 剣を!」
紅の声に反応して放り出した太刀を手元に呼び寄せる。
先ほどまでいた所の地面が穿たれ、藜の傍に一人の青年が降り立った。
「離れてくれて良かったよ。君らがいたんじゃ治療は出来ないからね」
「え?」
(誰だ? この男は?)
その言葉が示した通りに、藜の周りが薄っすらと光っている。
だが、そんな事よりも完全に予想外の人物に紅は思考が止まっていた。
「やれやれ。もう少し自重して欲しいものだ。救護要員がいないと言うのに」
そこで、青年は紅達を見たが、赤紫の瞳の青年は直ぐに視線を藜に戻した。
「手当てはこれで良いか」
藜を取り巻く光が薄れる。青年は藜に肩を貸す様な形で担いだ。
「君達も直ぐにこの世界から出た方が良い。・・・・・・そうだな、数分もあれば完全に消滅するだろう」
「消滅? 何の話だ!」
思考が止まった紅の代わりに青嵐が青年に問う。青年は答えず薄く笑った。同時に地面が揺れる。先の戦闘の比ではない。所々で地面の沈下と隆起が起きる。
「ルー、ディクト、か・・・・・・?」
「やっと気付いたのかい? ラスファル」
時がたてばたつ程に激しさを増す揺れに気付いて意識を取り戻したのだろう。薄っすらと目を開けている。神理の翼と同じ様にルーディクトと呼ばれた青年は手を掲げた。その行動が意味する事を察し、青嵐は僅かに身を沈めた。
ルーディクトも彼女が何をするのか気付いたのだろう。
視線が一瞬交錯した。
「待て」
彼が何をするか気付いた藜が止めに入る。担ぎ直し、ルーディクトは左手を振り下ろした。一瞬にして二人は消えたが、頭上からはお土産の風刃が振って来た。それを太刀で全て叩き落す。
「・・・・・・っ、藜」
歯軋りが聞えて来たが、今はそれ所ではない。ルーディクトが言った様に早々にここから脱出しなくてはならない。
「青桐。行くぞ」
青嵐の腕を掴む。時間はあまり無い。天井は崩れ、地面に落下し砂埃を巻き上げながら崩れている。
彼女の反応が無い事を改めて確認し、調べた手順の通りに移動を開始する。
(外に。三つの殻を越え、その先の海に)
重力が消える。浮遊感覚に包まれ、飛んでいる様な錯覚を覚える。
(何処かに・・・・・・あそこか!)
光が集まっているそこに意識を集中させる。すると、そこが近付いて来た。
青嵐を抱えて、その光の中に飛び込む。
その時一瞬だけ、後ろに振り返った。
少し前までいた、自分達が住んでいた世界が弾けて消滅する。強烈な光に一瞬網膜を焼かれる。視力が回復しないまま重力に引かれて落下する。
脱出と移動は無事に終えたが、現在位置が分からない。
「森?」
今まで口を閉ざしていた青嵐が呟いた。視力が回復した紅は眼下を見下ろす。
そこには広大な森の海が広がっていた。
(あ、着地)
今まで忘れていた最重要項目を思い出した。時速数十キロで落下しているので、早々に――と思ったが、紅は自分の力の事を思い出し考えを改めた。
着地は上手く出来たが、揃って怪我をしている。青嵐に応急処置を施す。
(さて、これからどうしようか)
別の世界に行きたい所だが、今は休息が必要である。
(休んでから考えるか)
先立って必要なのは、今日の食料と寝床である。
青嵐を連れ立って森の中を歩き出した。
これが、青嵐と紅の数万年に及ぶ、二人旅の初日となった。
天原です。本章無事に終わりました。
プロット立てずにやりたい放題にやってよく終わらせられたな自分。
しっかし報われないキャラだね藜。
そして、作者の中ではバッドエンドが似合う女青嵐の今後は紅と二人旅ですが、エピローグでその辺の事がちょこっとかかれてます。
次回で狭間の狭間終章となります。ぜひ、お読みください。




