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緋色ノ鳥ハ花ニ舞ウ  作者: なかゆん きなこ
第一部 緋色ノ鳥ハ花ニ舞ウ
9/14

九、闇の中の光



 カタン、とどこかで響いた微かな物音に、浅葱の意識は覚醒する。

(…熱い…)

 体が熱を持っているようで、不快だった。

 身動みじろげば、両手と両足が縄で拘束されていることに気付く。

(くそ…っ、口の中が苦い…。まさか、何か飲まされたのか…?)

 浅葱は荒い息を吐いて、身を起こした。見渡せば、自分が転がされているのが狭い板張りの部屋と分かる。奥に箱や調度品が積まれているから、おそらく物置だろう。

 他に人の気配は無い。ただ小さな格子窓から覗く月灯りだけが、この部屋を照らしていた。

 そしておそらくその格子窓から入ってきたのだろうあの蝶が、香料を吹きかけた浅葱の胸元にとまっていた。

(…蝶…が…)

 蝶はゆっくりと、浅葱の呼吸に合わせるように翅を羽ばたかせる。

 それを見つめていると、何だか無性に眠くなって、浅葱は再び浅い眠りに落ちていった。



 これは夢だと、浅葱にはわかっていた。

 何故なら自分が、幼い姿をしていたからだ。

『ほら、ごらんになって。あの汚い色を』

『まあ本当に。父君や兄君はとても美しい群青の髪をお持ちなのに、あのお子ときたら…』

『あの女に生き写しのようだわ。卑しい売女』

 さやさやと笹が揺れるように、悪意のある声が響く。

 どこかで聞いたことのあるこの声は、父に仕える女官達のものだ。

「…ぁ」

 幼い自分が耳を塞ぐ。

 だが聞きたくない言葉は、絶えず辺りに響いた。

『あら、売女ですって?』

『ご存知ないの? あの女が何をしていたのか』

『本当なら此処に居られるような身分じゃないのよ』

「や…めて…。言わないで…」

 母は亡くなった。お前達の心無い言葉の、悪意の、害意のせいで。

『あの女は元は遊女よ。子を孕んだからと身請けされたけれど、それだって…』

「やめて!」


『本当に父君の子かどうかわからないわ』


 違う違う違う違う違う!!

 僕は父の子だと母は言った。父も認めてくれた!! 

 父は…っ。


 耳を塞ぎ、叫び続ける浅葱の前にひとつの人影が現れた。

 ぼんやりと白に輝く衣、星空のような群青の髪の男。父だ。

氷月ひづき…』

 父はそう名を呼んで、この上なく愛しげに自分を抱き上げる。

 違うのです父上。僕は…。

「…僕は母上じゃない…!」

 僕は浅葱です父上。母上じゃない。

 母上はもう死んだのです。もうこの世には居られないのです。


『ほぅら見て。あの髪。あの髪の色』

『まるで陰気な冬空のよう。冷たい氷のよう。なんて寒々しい…。きっと、』

『きっとあのお子も氷のような人間なのよ。母親そっくりね』


「僕は…、」

 父の幻は消え、幼かった自分は今の年の姿になり。一人、闇の中に立ち竦む。

 自分は確かに氷のような人間かもしれない。冷たい人間であるのかもしれない。

 いつしか悪意ある囁きに耳を塞ぎ、目を瞑り、何も言わず。

 ただ唯々諾々と生きるだけの人形になってしまったから。

 怒ることも泣くことも無意味だと悟ってしまったから。だけど、


『冬は嫌いか?』


 こんな自分にも、まだ心はちゃんと残っていて。

 本当は痛いと苦しいと辛いと寂しいと、思っていた。だから、


『わしは冬が好きだぞ。寒いのはちょっといただけんが、だからこそ温かさに感じ入る。それにな、冬は空気が一番澄んでいるんだ。その、ピンと張りつめた感じが良い。雪遊びも、よう嗜むぞ』

 

 そう言ってくれた、君の言葉に。


『お前の髪は、好きだ。冬の空の何が悪い。それに、そういうことを言う輩はお前がどんな髪の色をしていても、口さがなく言うであろうよ。あまり気にせんことだ。そういう輩の言に、振り回されることはない。言われたことがないのなら、わしがいくらでも言ってやろう』


 きっと僕は救われていた。

 君と話す、些細なことが楽しかった。

 君と過ごした、短い時間は心地よかった。


『綺麗な髪だ』


「…ありが…とう…」


 あの時そう言って、自分は確かに微笑んだ。

 それは一体、何年ぶりの笑顔だったろう。




「うっ…」

 短い夢から覚めて、浅葱は小さく呻いた。

 熱がより体を苛んでいる。喉がひどく乾いていた。

「…っぁ…は…っ」

 これはただの熱ではないと、もう浅葱にも分かっていた。

 ある欲求が、頭に焼き付いて離れない。

(…媚薬…か…っ。くそ…っ)

 よりにもよって、と苦痛に表情を歪める。

 ただの痺れ薬なら良かったのに。どうして、と。

 浅葱はきつく、唇を噛んだ。血が滲むほどに。

 痛みでなんとか正気を保ち、一心に、思う。

(…頼む…紅…)



 お願いだから、君は来ないで。

 傷つけてしまうから。傷つけたくないから。

 こんな自分、見られたくない。君にだけは。



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