四、酒楼の朝
目が覚めた時、浅葱は息苦しさに「ぐっ」と呻いた。
見れば、昨夜は確かに横に寝ていたはずの紅が自分の腹の上に乗っかっている。
(…寝相…悪っ…)
呆れつつ紅の体をどかすと、二人の布団や畳の上にちらほらと桜の花びらが落ちていることに気付いた。昨夜、窓を開けたまま眠ってしまったせいだろう。ついと髪に手をやれば、頭にも数枚花びらがついている。
それを指でつまんで取りながら、浅葱は障子窓から早朝の町並みを眺めた。
酒楼近くで開かれる朝市は、すでに多くの人で賑わっている。
ここ、三条通りは都の中ほどに位置し、多くの商工業者が集まる区域だ。様々な店が軒を連ね、活気にあふれている。その中には何軒か道具屋か古物店もあるだろう。今日はそこへ行ってみようか…。
どうせ金が届くまではあまり遠くへは行けないのだ。まずは近場から、しらみつぶしに当たってみるかと思案していると、かちゃかちゃと食器の鳴る音と、こちらに向かってくる人の足音が聞こえてきた。
「おはようございます、浅葱さん。あ、あーもう、紅姉ぇったらまァだ寝てるんだ」
襖を開けて入ってきたのは、朝食を届け来たらしい六太。
丸い盆の上に、鍋が一つに茶碗が二つ。そして小皿に梅干しや菜の漬物が載っている。
「浅葱さんも粥でよかったかな? 紅姉ぇはいつもこれだからさ」
浅葱の前にてきぱきと朝餉の用意をしながら、六太が言う。
「ああ、ありがとう。いただくよ」
「どうしたしまして」
笑顔で応え、六太は昨夜紅が食い散らかした金平糖や甘酒を片付け始める。
「あーあもう、こんなに散らかして。浮かれすぎだよ、紅姉ぇ」
(…え?)
「浮かれ…ていたのか?」
「そうだよー。あれで結構、独りが苦手みたいでさ。今までは遅くまで店に降りてたり、うちのおやっさんの仕事を眺めてたりしたんだけどねェ」
人が居るところじゃないと落ち着かないみたい、と六太は言う。
「でも昨日は浅葱さんが一緒にいてくれたから、嬉しかったんじゃないかな。金平糖はいっつもつまんでるけど今回は食べきれないほど頼んでるし、甘酒だっていつもはこんなに飲まないんだよ」
親への反発から家を出た紅。
年の割に大人びて見えるが、やはりまだひと肌恋しい子供なのだ。
「あーあー、変な寝相。ってまァた眼帯付けたまま寝てるし…。もう、痕になるって言ってるのになぁ。ほら紅姉ぇ、起きて。粥が冷めるよ」
浅葱の向かい側に紅の分の膳も用意し、六太がまだ寝転がったままの紅を揺さぶり起こす。紅は鬱陶しげに六太の手を払った後、寝ぼけ眼をこすりながらゆっくりと起き上がった。
「…う…るさい…。もっと静かに起こせ…」
「はいはい。おやっさんに叩き起こされるよりはマシでしょ? ちゃんと座って食べるんだよ。前みたいに寝転がって粥を掻き込んだら咽るからね」
(…咽たことがあるのか…)
それは行儀が悪いぞと、浅葱は思った。
「じゃあごゆっくり。膳は後で取りに来るね」
紅をしっかりと膳の前に座らせ、六太は部屋を出る。
紅は頭をぽりぽりと掻きながら、空の茶碗を浅葱に向けた。
「よそえ」、ということなのだろう。浅葱は苦笑して、鍋の蓋を開けつやつやと炊かれた粥を紅の茶碗によそってやる。
「ん、すまんな」
「いいよ、これくらい」
二人で手を合わせ、粥を食べ始める。
丁寧に炊かれた粥と、ほどよく漬かった漬物に若い二人の食欲は進む。あっという間に一杯目を平らげ、二杯目をよそおうとすると紅もまた空にした茶碗を差しだした。
先に紅の分をよそってやると、少女はにこっと笑みを浮かべる。人好きのする笑顔だ。
「おやっさんの粥は美味いだろう。漬物もな、おやっさんが自ら漬けているのだ」
自慢げに言う。おやっさんとは、この酒楼の店主の事だ。
下の店で出している料理も宿の食事も、すべて店主が賄っているらしい。
「うん、美味いな」
漬物を噛みながら、粥を啜る。
二人は鍋いっぱいの粥を綺麗に平らげた。後に残ったのは、梅干しの種がころんと二つ。
「「ごちそうさまでした」」
そろって手を合わせる。箸を下ろすと、紅が浅葱に尋ねた。
「それで、浅葱は今日はどうするのだ? 母上がいたという遊郭に行ってみるのか?」
「遊郭には金が届いてから行こうと思う。話を聞くにも、先立つものが要りそうだ。今日は道具屋や、古物店を回ってみようかと思っているが…」
紅はそれなら、と話を切り出した。
「わしと街を回ってみないか。もちろん、道具屋や古物店にも寄ろう」
「いいけど…。紅は何をするんだ?」
浅葱の用事に付き合うというより、何か紅にも目的がありそうな口振りだ。
問われ、紅はにやっと笑った。
「人攫い退治の下準備だ」
短くなりますが、ここで切らないと長くなるのでいったん切ります。
これを書いていてとてもお粥が食べたくなりました。