第4章 異常
あの一件から一日経った。
何が何だか分からないまま、昨日はあの後帰って家の手伝いもせずに寝た。
とにかく何も考えられない。頭が回らない。
澪士に電話やメールはしていない。仮にしたとしても、何と言えば良いんだか。
とにかく、学校で一度澪士と話そう。
僕はこの件を理由にして澪士と交友関係を断ち切るつもりは一切無い。
だけど、今までと同じように向き合えるかどうかっていうのは正直不安だった。
澪士は学校を休んだ。
体調不良らしい。あんな事があれば体調を崩すのはおかしくないか。もしかしたら、体調は悪くなくても学校に来る勇気がなかったのかもしれない。
…澪士に限って、そんな事はないか。澪士らしくもない。
――澪士らしくない?
『澪士らしい』ってなんだよ。
僕は、澪士の事をどれだけ理解していたっていうんだ?
で、澪士の件に関して言うと、問題がもう一つあった。
昨日の一件はクラスの全員が知ってしまった事である。僕でさえ初めて知った事だから、きっとそれは他の奴らにとっても同じ事であろう。
で、どういうわけか知らないんだが…
翌日の朝には、その話は学校中に知り渡っていた。
いやーもう、校舎に入ってから階段の傍で、顔も見たことない一年生の女子グループが澪士の件で盛り上がってた時には驚いたね。
「超イケメンなのにねっ!」
「きっと隠れホモだったんだよ!」
女子が集団で悪口を言い合うのはよく目にする光景だが、澪士の事を言われるとまるで自分の事を言われてるかのように感じる。
一言一言が心に突き刺さってくる。
と、いうわけで今ようやく一時間目が終わった。
学校に来てからずっと頭の中を整理していた。ごちゃごちゃしていた昨日の一件、今日の朝の事、できる範囲で片付いた。
とにかく今僕がするべき事を考える。
まずは、光と話す。
休み時間になってすぐに光を北階段の踊り場まで呼び出した。この階段は生徒や教師もあまり使わないのでゆっくり話せる。次の時間は数学IIで、昨日すぐ寝たから予習はしてないけど今はそんな事気にしない。
「さて…どこから話そうかな」
「…うん」
呼び出したものの、何を話せばいいか分からない。
昨日の件で、動揺しているのは光も同じだ。
「…昨日はごめん、放課後新聞部に行く予定だったのに」
「え、そんな事気にしなくていいよ。あんな事があった後だし…」
そしてまた沈黙。
このまま全然話さないでいるのも時間がもったいない。
「…光はどう思った?昨日の事」
率直に訊きたい事を述べる。
「え…うん…」
光は少し視線を逸らして考え、そして答えた。
「驚いたよ…澪士君とはかけ離れ過ぎていたから」
それは皆そうだろう。僕も同じだ。でもそれ以外の返答が来るとも思ってない。
「…なぁ光、僕達に出来る事ってなんだろう?」
「…小鳥遊君、僕は昨日何もできなかったんだけど、あの後澪士君と話した?」
「いや、僕も混乱してたから、昨日は何も手つけられなかった。あの後、真っ直ぐ帰ったし、連絡も一切取ってない」
「そっか…」
そして互いにまた黙ってしまう。光も何もやってないか…。
澪士をこのまま放置するのもまた可哀想だ。今日は何とかして連絡を取ろう。
とりあえず、一旦教室へ戻るか。授業が始まる。ただその前に、一つだけ確認がしたかった。
「光」
「え?」
「光は、澪士とこれからどう関わっていきたい?」
「どう関わるって…それは…」
少し間を空けてから、光は言った。
「僕はこれまでと関係を変えるつもりはないよ。それは、小鳥遊君も一緒でしょ?」
昼休み。とりあえず隣の席の光と食べながら話せば良いんだけど、教室は今話したい会話をするのには向いてない。
食べ終わってからまた階段の踊り場にでも行こう。
僕達が澪士とどう接していくか、その方向性はさっきの数分間でもう大体掴めた。
でもまだ未解決な部分が残ってる。学校全体に広まった、澪士の話についてだ。
「小鳥遊…」
そんな事を考えていると、突然とある女子に話しかけられた。誰かと思えば、学級委員長の高木である。
「少し、時間良い?食べ終わってからで大丈夫だから。あ、星野君も良いかな?」
高木は僕の隣で黙々と食べている光にも声をかけた。突然高木からの謎のお誘い。まぁ断る理由は無い。
「…あぁ、分かった。すぐ食べるわ」
「うん、じゃあ僕も急いで食べるね」
僕と光は二人とも食べる速度は遅い方だが今日は会話もなく黙々と食い続け、いつもの半分以下の時間で食べ終わった。ちなみに僕が食べたのは三時間目の後の休み時間に買ったメロンパン一個。
で、高木と一緒に、三人で北階段の踊り場へ行く事にした。特に会話もなく、重々しい雰囲気で歩く。
すると、階段の踊り場で、高木が呼んだと思われる見知らぬ女子生徒が立っていた。
いや、どこかで見た事があるか。廊下ですれ違った事があるかも。よくよく考えると見覚えがある。身長は高木と同じくらい、髪はポニーテールで、少し茶色っぽいが、染めたわけじゃなさそうなので地毛がこんなんなんだろう。
「小鳥遊、星野君。この子は私の友達の栗原凛。演劇部の子」
「初めまして、舞の親友の凛ですっ!よろしく!」
僕達が重い空気なのに対して妙に元気な女である。高木がちょっとクールな分、栗原さんの雰囲気は余計に際立つ。あぁ、そういえば高木の下の名前って舞だったな。
「僕は小鳥遊一真、よろしく」
「星野光です。新聞部です」
「うん、よろしく~あ、星野君、新聞記事読んだ事あるよ~」
ちょっと関係の無い方向に話が進みそうだったので早めに戻しておく。
「高木、何故僕達を栗原さんに紹介したんだ?」
「小鳥遊君、凛で良いよ~私も一真って呼んで良い?」
僕は高木に話しかけたつもりだったんだが、なんか割り込んできた。この子のペースには乗りづらいな。とりあえずやりたいようにやらせておこう。
「…好きにしていいよ、凛」
「あは、急に距離縮まった感じだねっ!一真!」
…僕はこういうタイプ苦手だ。ここで高木が呆れたようにして口を挟む。
「…凛、そんなどうでもいい話は置いておいて、本題に移るよ。小鳥遊も急かしてるみたいだし」
別に急かしたつもりないです。
「小鳥遊、私と凛は城戸の事で話があったの」
高木が言いたい事を簡単にまとめよう。
どうやら高木も学校中に急速に広まった澪士の噂に疑問を抱いていたようで、それで個人的に凛に話を聞いたところ、いくつか情報が掴めたとの事。
「なんていうか…昨日、私が小鳥遊とぶつかりそうになったのが原因でもあるから。ちょっと責任感じちゃってて」
あぁ、そういえばそうか。すっかり忘れてたわ。だから調査なんかしたのね。
するとここで凛が口を挟んだ。
「私の耳には今日の朝入ったのね。クラスの子達が朝から盛り上がってた。でも、私と舞のクラスは離れてるし、その話してた子達も特に舞のクラスの人と仲が良いわけじゃなさそうだったの。だから、どんなルートで六組の男子のそんな話を仕入れたのか謎だったのね」
凛は二年一組らしく、僕達は二年六組。端と端、つまり正反対の位置にある。それでも六組で昨日の夕方起こった一件が朝には端のクラスまで届いていた。別に考えられない話じゃないが、少し不自然ではある。
「でね、舞に『城戸澪士の話聞いた?』なんて言われたから、その件について舞から詳しい事聞いたのね。舞から聞いた話は、私が朝にクラスで聞いた話と全く同じだったよ。食い違ってる部分なんて一つもなかった」
噂話は多少、本来の話から微妙にズレたりするものである。もちろんこれもそんな事が十割ではない事は確かだが、完璧に話が伝達したという現実はここでも物凄く不自然に感じる。
「なんか怖いでしょ?いくらなんでも出来過ぎてる。誰かが意図的に広めたとしか思えないんだよ」
『意図的に広めた』――誰が何の為に?
「小鳥遊と星野君を呼んだのは、私達が出した仮定についての二人の意見を聞きたかったから。私達が出した仮説はたった今凛が言った通り、」
「昨日起こった城戸澪士の一件を、誰かが意図的に学校中に広めたって事だね」
人の噂というのは浸透するのが速い。悪い噂なんかは特に。
今回の澪士の件は、『悪い噂』に入るとは断言できないが、残念ながら良いとは言えないのが現実である。
だから広まったのも速かっただろうが、それだけじゃなく、誰かが意図的に噂の浸透を加速させた、と考えると、特に矛盾点が見つからない上にこの異常事態を納得できる説明になる。
指摘するポイントがあるなら、さっきも気になった『誰が何の為に』って所だが。
で、高木と凛は噂を広めた人物を一人に絞り込んだらしい。と言っても、100%というわけではない。あくまでその人物の確率の高さを言ってるまでだ。凛によると、
「昨日の放課後、あっちこっちでその人の目撃情報があったみたいでね。私も三回は見たよ。放課後は校舎内を徘徊するような人じゃないから、いつも見ない人だし、結構不自然だったのは確か。私はよく気晴らしに校舎内を出歩くんだけどね。で、実際その人から城戸澪士の噂を聞いたって人もクラスにいたのさ」
とのことで、結構信憑性が高いようである。今は凛の証言だけだけど。
まぁその話を聞いても事実かどうかはやっぱりまだ断言できない為、少し大胆な行動になるが、もうこの際僕はその絞り込んだ人と直接話してみる事にした。
高木と凛は話を振っておいて「流石に直接話すのはちょっとまずいんじゃない?」みたいな事を言ってくれたが、ここまで来て何もしないのも後味悪いし、ここで何かしらアクションを起こしておくべきだと思った。
『善は急げ』だ。善かどうかは知らんけど。考えが浮かんだら迷い始める前に行動を起こすべし。
親友の澪士だから、っていう私情もあるからこその考えかもしれないが、人の立場が悪くなる噂を広めるなんて褒められた行動じゃないと思う。とにかく少し勇気を持って踏み出してみよう。
放課後、僕は教室で待機していた。
その容疑者(これだとちょっと表現悪いが)は、光と親交が深い人間だった為、光が呼んで来てくれるという事になった。
高木と凛に関しては二人とも忙しかったようなので不関与。放課後は僕と光だけある。
しばらく机に腰かけてぼーっとしていると、静かに教室のドアが開いた。
「小鳥遊君、連れてきたよ」
光が教室に入り、そしてその容疑者が僕の視界に入る。僕は机から降りて地に足をつけた。そして彼女を見据える。
「…君が、上条聖香?」
上条聖香。活動に熱心な新聞部員で、次期部長の最有力候補。校内新聞で澪士の記事を光と一緒に書いてくれた人でもあり、昨日澪士と光と僕の三人で会いに行く予定だった人でもある。
「えぇ、初めまして。上条聖香です」
長めの髪、痩せ形、容姿もなかなかである。かといってそれ以上目立つ要素はないからか、凛に会った時と比べると見覚えを感じさせない。
上品な感じで、言葉遣いも丁寧である。そして柔らかい笑顔。
「光君、どうしたんですか?この方が、私に話があると?」
あぁ、この人は光を名前で呼んでるんだ。珍しい。そんな仲良いのかな?
「うーん、まぁちょっと…小鳥遊君から直接聞いてほしいな」
光は後ろめたそうに、目を逸らしながらそんな事を言う。もともと、光もこうやって僕と上条が直接話す場所を作るのに乗り気じゃなかった。そりゃ部活仲間が容疑者だもんな。
だから、ここは僕が直接ぶつかるしかない。
「僕は光の友達の小鳥遊一真。…上条さん、初対面で突然だけど君に聞きたい事があるんだ」
「はい、何でしょう?」
何と言ったものか。…少し考えて、もう聞きたい事を率直に口に出した。
「城戸澪士の噂…耳にした?」
上条は考えた様子も見せずに即答した。
「もちろんです。もう校内で知らない人はほとんどいないでしょうね」
なんか同学年同士での会話で、僕はタメ口なのにいちいち敬語を使ってくるのがちょっといらっとくる。
「単刀直入に言うけど…君はその噂を広めたりしたか?」
ここでは少し沈黙。でも上条は表情は崩さない。数秒後、彼女は口を開いた。
「えぇ、広めたと言えばそうなるかと。昨日の放課後からそれはもういろいろな方に語らせて頂きました」
平然と言い放たれたその一言に自然と拳に力が入る。
「…何の為に…?」
「だって面白いじゃないですか。あれだけ完全無欠、学校一のイケメンと言って差し支えのない方に、ついに欠点が露呈しました。それも話題性にしては十分過ぎる程の。それを広めずにはいられません」
微笑みながらそんな事を言う。
「私はこの学校を良くしたい、活性化させていきたいと思っていました。今のこの学校は無難で面白味の欠片もない。そんな時に城戸澪士の生徒会長選挙出馬という話を光君から聞きました。城戸澪士のような人間が選挙に出るのは恐らく誰も予想していなかったことであり、話題性としては十分。更に私が願う学校全体の活性化がマニフェストとして掲げられた。彼が生徒会長になる事で、多少変化が起こるかもしれない。だから私はこの一週間、部活動の一環としてではありますが彼を全力で支援させて頂きました」
長々と話し、ここで上条は少し間を空ける。
「でも、そんな事より例の話題の方が何倍も面白いと思いませんか?学校一人気のある男子が実はBL好きだった。これは生徒のほとんどが関心を持たない選挙の話なんかよりよっぽど学校全体を震わせます。実際、噂の浸透速度は私の予想を遥かに超えました。その結果、多くの生徒達の間はその話題で持ちきりです」
そして満面の笑みを見せ、
「城戸澪士の望んだ学校全体の活性化が実現したと言えるのです。素晴らしいでしょう?」
と言い放った。
この女は正気でそんな事をほざいているのか?
その異常な発想はどこから出てくる?
学校全体の活性化?澪士を犠牲にして?
…ふざけやがって。
「一応言っておきますが、これは私だけが広めたわけじゃありません。実際、私の耳には昨日の放課後に入ってきています。つまり、貴方達のクラスの生徒にその時点で既に少しでも広めていた方がいらしたんですよ。だから仮に貴方が私の行いに嫌悪感を抱いているとするなら、そこについて理解して頂けると…」
「もういい、喋るな。黙れ」
話を遮って、僕は強く握った拳を振り上げた。
「小鳥遊君!駄目!」
光の声で我に返る。そういえばずっといたんだよな、光。どんな顔して上条の話を聞いていたんだろう。全く目に入ってなかった。
上条の異常な発言に僕の精神まで狂いかけた。つい感情的になって、暴力を振るおうとした。人に暴力を振るいかけたのは人生で初めての事だ。未遂で済んだが最低の行為である。後で反省する。
上条はかなり驚いた顔をして何も言わずに僕を見ていた。殴られかけて少し動揺したらしい。
僕は暴力ではなく、言葉で上条に対して湧き上がってくる怒りをぶつける。
「お前…どうしてそこまで残酷な事を平気で言える?学校全体の活性化?そんな事の為に誰かを犠牲にする?それが本当に正しいと言えるのか?」
下手な説教である。この程度で上条が改心するとは思えない。でも、僕はありのままの感情をぶつける。
上条は動揺した表情を変えず、僕には何も言い返さない。
「澪士が今まであのBL物についてどう思っていたかは僕もよく分からない…でも、昨日のあの行動や今日学校を休んだ理由にも関与してるかもしれないって事を考えれば、凄い辛かったんだろうって事は簡単に予想できるんだ」
不思議な事に、声が震えてきた。
僕の目から涙が出ていた。
「何でそんな事が平気で言えるんだよ…最低だよ…」
頬をつたった涙を拭い、上条を睨みつける。
上条の表情は未だに動揺したままだった。僕がここまで感情剥き出しにするとは思っていなかっただろう。僕も思わなかったわ。情けないったら。
上条が何か言う前に、僕は光にも声をかけずにそのまま早足で教室を出た。
光が小さな声で「小鳥遊君…」と呟いたが、教室を出た後は呼び止められる事もなかった。
ごめん、光。気まずいかもしれないけどその場は預ける。
僕はそのまま真っ直ぐ家に帰った。