第3章 衝撃
木曜日の朝。今日も普通に登校日。
電車を降りて、駅から真っ直ぐ学校へ向かう。
校内に入ると、早速生徒会選挙に出馬する何人かの生徒達が挨拶をしていた。朝からご苦労様です。
「おはようございまーす!田代光男をよろしくお願いしまーす!」
眼鏡をかけた奴が必死に挨拶している。二年二組って書いてある襷をしている男子生徒。こんな奴、この学年にいたのか。ってか二年二組なんて襷に書いてあるけど、選挙に出る上で強調する事でもないと思うのだが。
うーむ、こういう選挙活動って本当に成果が出るのだろうか。朝からやかましいだけなような気がする。
確か生徒会“長”選挙に出る生徒は四人。他に生徒会役員を選抜する選挙に出馬する生徒は確か六人だったはず。
うちの生徒会の人数の仕組みは実はよく分からないのだが、今回の選挙に出馬する十人のうち、生徒会に入る事が出来るのは六名らしい。
生徒会長選挙に出馬して仮に落ちても、いくつかの基準を満たしていれば二次選抜みたいな形で普通の役員に入る事が出来るらしい。
ちなみに澪士はそれに関する手続きはしていないので、生徒会長選挙に落ちても役員に入る事はないらしい。なんだかややこしいが深く考えない事にする。
そんな事はともかく、今朝はいつもより挨拶をしている立候補者が多い。数えてみると…九人。
…ってことは今この場に参加していない立候補者は澪士だけか。
選挙活動に勤しんでいる生徒達を軽く無視して校舎に入り、そして教室へ向かう。
校内にはいたる所に選挙関連のポスターが貼ってある。またここでも見た、田代光男のポスター。やっぱ二年二組の文字だけ妙に強調されてるな。
ポスターをよく見てみると田代光男の公約は『校内における二年二組の地位の向上』らしい。こいつはネタに走ってるだけなのか、馬鹿なだけなのか。これなら面白半分で投票する奴はいるかもしれないけどな。ってかこんな奴が生徒会長なっても学校全体にメリット無いだろ。
別な場所で澪士のポスターが目に入った。あまり派手じゃない、率直なポスターで選挙らしいというかなんというか。ちなみに澪士が掲げた公約は以前僕と光に言ってもらった通り、『学校全体の活性化』である。これだけ聞くと物凄い真面目な感じ。普通過ぎてあんまり投票したいイメージじゃないね。
でもまぁ、他の部分で生徒達の気は引いてるんだけれども。
さて、澪士が生徒会長選挙に出馬が決まってから僕は仕事が増えた。といっても、本人に比べれば大した量の仕事じゃない。
僕は推薦文を書いたり、ポスターを貼ったり、地味な仕事しかしていない。
澪士は間近に迫った選挙に向けて、立会演説の原稿作成に入っている。
一方、光は新聞部の活動の一環で校内新聞に載せる澪士の記事を担当している。
つい最近、校内新聞が全校生徒に配られたが、光が書いた澪士の記事は大したものであった。
というのも、澪士の記事を書いたのは光だけではなく、校内新聞に命を懸けているどっかのクラスの二年生もサポートしてくれているかららしい。二人で記事を仕上げてるってことだ。
その人が書く記事は校内新聞にしては随分と垢抜けていて、澪士のアピールには十分過ぎる内容であった。ポスターの監修もその人がやってくれたらしい。
どうやら自分が担当するからには必ず当選させるつもりで、それはもう張り切っているとのこと。
「でね、新聞部の事前調査だと澪士君の当選はほぼ確実なんだよ!」
昼休み。光と澪士と三人で購買で買ったパンを教室で食べていた時、また生徒会長選挙の話になった。最近はこの話題ばかりである。
「うん、光がどこでどう事前調査したか知らないけど、確かに澪士が当選する確率は高いだろうな」
「…はは、これもお前達のおかげかな」
宣伝量は他の候補者と大差ない、むしろ少ないぐらいだろうが、その質は他とは比べ物にはならない。
これで澪士が立会演説で完璧にやってくれればもう当選確実だろう。他の候補者にとっては追い打ちも良いとこだ。
澪士に生徒会長選挙出馬を明かされてから一週間、なかなか忙しかったが、これはこれでそれなりに楽しかった。
そして来週にはいよいよ選挙が待っている。この活動が終わるのはあっという間でちょっと寂しいかもしれないが、澪士が生徒会長になる日が近づいている。最後まで、気を抜かずに後押ししてやらないとな。
「星野。俺は新聞で俺の記事を書いてくれているもう一人の人に挨拶がしたいんだが…」
「え、上条さんに?」
上条聖香。校内新聞の文責の欄に、光の名前の隣に書いてあった名前。見慣れない名前だったし、何度も記事を読んだから自然と覚えていた。見慣れない名前なのは僕も同じようなものだけど。
その上条さんは二年三組にいるという事以外僕もよく知らなかった。ってかあれだけサポートしてもらってるのに澪士も会ったことないのかよ。今度僕も一緒に挨拶に行こうかな。
「じゃあ今日の放課後、部室に来れる?今日部活あるから、絶対来てるよ」
「あぁ、分かった。特に放課後は何もないから、俺も一緒に部室へ行こう」
「おっと、光、澪士。僕も行くよ。上条さんとやらに僕も挨拶したいな」
「うん、じゃあ小鳥遊君も。皆で行こうか」
澪士と光と三人で新聞部の部室へ行く。初めてのシチュエーションである。たかがそれだけの事なのに楽しみだ。
でも、その予定は予定で終わってしまった。
全ての授業が終わり、後は帰りのSHRを残すのみとなった。
皆それぞれ鞄に教科書を詰め込んだり、部活の準備をしたりとSHR前に思い思いに過ごす。
僕も今日勉強するつもりのない教科書等は置き勉するとして、他は帰り支度完了。
特に用があったわけではないが、少し離れた位置にある澪士の席に向かう。
澪士の座席は、右から3列目、前から4番目である。ほぼど真ん中の位置。
「今日、新聞部行った後どうする?」
適当に話題を振る。
「別に用事とかはないけど…演説の原稿早めに仕上げたいから、すぐ帰るかな」
「演説の原稿ねぇ…どのくらい出来上がってるの?」
「半分くらいかな。長々と喋ってもどうしようもないから、簡潔にまとめるつもりだ」
「へぇ…ちょっと楽しみだな」
僕は推薦人だから当日は壇上で、澪士が胸を張って演説する後ろ姿を見ることになるわけだ。
正面から見たかった気もするが、一番近くにいられるのはある意味特権だ。
…自分の事でもないのに、親友の事でこんなにわくわくする自分なんて初めてだ。
それだけ、今の僕にとって澪士は特別な存在なんだろう。
「んじゃ、また後で。一旦席戻るわ」
「あぁ、また」
と言って席に戻ろうとしたその時――
「きゃっ!」
「おっと!」
座席の間の通路を通っていた女子とぶつかりそうになった。学級委員長の高木である。
なんとか高木に触れずに華麗に避ける事が出来た僕だが、バランスを崩して澪士の机の方に倒れそうになる。
僕が手をつけたのは、澪士の机の上に置いてあった鞄。そして鞄に僕の体重がのしかかる。
鞄は僕の体重に耐えきれず、僕が入れた力の方向は斜めであったから、そのまま滑るようにして――机から落下。教科書などが詰まった鞄から鈍い大きな音がした。
僕はそのまま怪我はなく、鞄が落下した後の机の上にギリギリ留まる事が出来た。
慌てて僕が落してしまった鞄の方に目を向ける。澪士に悪い事をしてしまった。
不自然なものが目に入った。鞄から教科書が何冊か出ていたが、そっちには目が行かない。
あまりにもこの場に合わない物が、そこにあったからである。
「…『愛と血に塗れた楽園』…?」
澪士の鞄の中から流出した物の中に、妙な箱があった。どこかで見た事のある男のキャラが何人か描かれている表紙。PCゲームのようである。ゲームにしては普通の家庭用ゲーム機でプレイするゲームよりもケースが一回り大きい。
そして左下には『18歳未満購入禁止』と書かれたシールが貼ってあった。
少し記憶の中を探ると、この前の日曜日の朝、同じタイトルのアニメを観た事を思い出した。
あぁ、つまりあのアニメはこの18禁ゲームが原作という事なのだろう。あの時間によく放送したな。
で、パッケージに男性しか写っていない、18禁、あのアニメの展開という事に澪士の鞄からこれが出てきたという事を含めて推測すると。
…え?澪士が何故こんな物を?
ってかこれは本当に澪士のものなのか?
ゲームのパッケージを目にしてからここまで頭を回転させるのにかかった時間はおよそ六秒。
周りを気にすると、いつの間にか静まり返っていた。澪士の鞄から流出したそのゲームのパッケージに、近くにいたクラスの連中が目を向け、僕と同じように、目の前にある物が理解できずに固まっている。
クラスのど真ん中に転がったこのパッケージは、教室の少し離れた所にいた奴らの一部も含めてほとんどの奴らの目に入ったようだった。光にも、他の男子にも、クラスの女子連中にも。
「澪…士…」
ここで初めて澪士に目を向けた。
澪士は、例えるなら隠し事が親にバレたことに呆然とする子供のような顔をして、真っ青になっていた。僕が見た事もない表情。少し震えているようだった。
そして、この例えは結果的にそこまでズレていなかった。
「…!」
澪士は無言で席を立ち、慌てて鞄に教科書を、そしてゲームの箱を詰め込む。乱雑に。
そして、そのまま風のような速さで一気に教室から出て行った。
「――ちょ、澪士!」
声に出して呼んだが、僕の身体は澪士を追いかけようとしなかった。
――仮に追いついたとして、澪士になんて声をかければ良い?
そもそもあれは本当に、本当に澪士の物だったのか…?ってか何で学校に持ってくる鞄の中に入れてたんだ…?
だが、澪士が何も否定もせずに無言で逃げ出したのが現実。
教室全体がしばらくの間、沈黙に包まれていた。