第16章 最後の猶予
いよいよ当日である。いつも以上に早起きして朝から特撮やアニメを鑑賞し、十分リラックスはできた。準備万端だ。
一応今日の服装は制服である。一番無難だろう。休日に制服で婆ちゃんが怪しんでいたが、適当に理由つけておいた。
そんなこんなで家を出る。ここに笑顔で帰ってこれますように。
午前十一時頃、澪士の家に到着した。既に皆到着しており、僕が一番最後だった。何故か凛が出迎えてくれた。
「おっはよー一真!一番最後なんて余裕だねぇ」
「集合時間には間に合ってるはずだろ。まぁ余裕なのは事実だがな」
建前でも何でもなく、当日でも僕は落ち着いていた。練習時間は多くなかったが、ここまでやって来た事に後悔は無い。
「じゃあ期待できるね!皆向こうにいるから、来ちゃって!」
そして先に居間へ向かう凛。で、何故この家の主である澪士ではなく、お前が来たんだ。
居間に来て唖然とする。
盗聴器で聴取した音声を流す機械やスピーカーが用意されていた。こんな物、マジであるんだ。
澪士と上条が手際良くセットしていた。澪士はこの作業から手が離せなかったようである。
「ちょうど用意できたところです。光君、この盗聴器に向かって何か喋ってください」
手に収まる大きさの盗聴器を光に手渡す上条。そして光は声を吹き込む。
「小鳥遊君、おはよう」
僕の方を向きながら盗聴器に音声が入るように喋る光。
するとワンテンポ遅れてスピーカーからやまびこのように、
『小鳥遊君、おはよう』
と光とほとんど変わらない声質の音声が流れてくる。
「はい、完璧です。これで私達もほぼリアルタイムに聞く事ができます」
おぉ、実際目にすると凄いな。上条がこんな物を所持している理由は聞かないでおこう。
「あ、あの、小鳥遊さん」
由愛ちゃんに声をかけられた。そういえば最後に会ったのは六月だったから、久し振りに顔を合わせた事になる。
「おはよ、由愛ちゃん」
「おはようございます。…えっと、事情はお兄ちゃんから聞きました」
「そっか、皆とも挨拶は済んだの?」
「は、はい。大丈夫です。え、えっと…今日は頑張ってください!」
由愛ちゃんに激励させ、やる気が湧いてくる。何だろう?由愛ちゃん、いつもよりぎこちない感じがする。
「お兄ちゃん!」
「おぉ、優人君」
優人君も既にこの場に来ていた。この子もそれなりに事情は把握しているはずだ。
「お兄ちゃん、今日のお芝居、頑張ってね!」
うん、多分姉からは「小鳥遊とはお芝居をするだけだから」とか念を押して言われてるんだろうね。本当に付き合ってるとか勘違いされるのだけは御免だろうから。
改めて辺りを見回す。澪士、光、凛、上条、由愛ちゃん、優人君、そしてさっきから黙りっぱなしの高木。ちょっと前では考えられないような顔ぶれである。
「高木、さっきからずっと黙ってるけど大丈夫か?」
「え、えぇ!?だ、大丈夫だよ!」
大袈裟に反応する高木。顔が青ざめているように見える。本人はめっちゃ緊張しているようだ。
まぁ、そうだよなぁ。演技とは言え、彼氏を父親に紹介するって事をする訳だから。しかも今日の結果次第でここから消える訳だし。気は張るだろう。
「さ、舞と一真で演技の最終確認をしよう!今日は聖香ちゃん達もいるから、新たな意見がもらえそうだよ!」
凛が練習を切り出した。お前、上条の事『聖香ちゃん』って呼んでたっけ?いつの間に親しくなったんだ?
というわけで最後の練習が始まった。上条、由愛ちゃん、優人君も見守る中、最後の仕上げである。
途中由愛ちゃんの手料理をご馳走になったりもして、軽く休憩を挟みながら長い練習も飽きる程行い、あっという間に午後三時を過ぎた。
流石にあれだけ緊張していた高木も今ではリラックスしている。
「完璧だね!仮にキスしろとか言われたら大ピンチな予感だけど、そうならなければきっと大丈夫!」
「キ、キス!?凛、な、何言ってるの!?」
おい凛、余計な事言ってこれ以上高木を焦らせるなよ。ってか流石に父親にはそんな事言われないだろう。
これから高木は一足先に家に戻り、父親を迎える準備をする事になる。僕が高木父と対面する予定時刻は午後五時。高木父は四時過ぎには家に着くようだ。そのタイミングで高木は「今日呼んだのは彼氏を紹介したいから」と父に告げる。
本番では、僕が高木と付き合っていると語り、これからのお付き合いの許可、慰留をする。
当然だがこの程度でそう簡単に納得して頂けるとは思っていない。関西行きは仕事の都合でもある訳だから、逆に悪い印象を与える可能性もある。どっちにしろチャンスは一度しか無い。どうなるかもまだ予想できない。土下座でもする覚悟だ。
「じゃ、じゃあ私、先に行くね」
高木が立ち上がった。皆それぞれ、高木に励ましの言葉をかける。
「舞、ファイトだよ!私、転校なんて認めないからね!」
「高木さんの気持ち、お父さんに伝わるよ!」
「高木、お前はやれるだけやったんだ。胸を張れ」
「貴方の気持ち、きっと伝わると思いますよ」
「自信を持って、頑張って来てください!」
「お姉ちゃん、頑張れ!」
次々に激励の言葉をかけられ、若干目が潤む高木。こんな高木も新鮮だ。
「高木。じゃあ、また後でな」
「…うん。皆、ありがとう。また、ね」
ここで、一旦僕と高木の『ただのクラスメート』という関係は打ち切りになる。次、顔を合わせる時は『恋人同士』だ。
そして高木は自分の家に向かった。
「…やべぇ、緊張してきた」
直前になって、初めて緊張してきた。考えれば考える程、自分の役目の重さを実感する。
「お前、さっきまでの自信はどこに行ったんだ」
澪士に突っ込まれるが、良い返事が思い浮かばないので無視しておく。
今は皆でお茶を飲みながらゆっくりと過ごしている。もうそろそろ、僕も出なければならない。
澪士の家から高木の家までは余裕で歩いて行ける距離である。今から出れば十五分前には着くだろう。
どうせだったら誰かにギリギリまでついてきて欲しかったが、皆本番を聞くのを楽しみにしているのでそういう訳にもいかない。
「小鳥遊さん、大丈夫ですか…?」
由愛ちゃんが心配そうに顔を覗きこんでくる。
「だ、大丈夫。この震えはきっと武者震いだから」
そうだ、これは緊張では無い。自分に言い聞かせる。
「その、終わったら皆で夕飯食べましょう。私、頑張って作りますから!」
おぉ、由愛ちゃんの手料理か。ディナーだったら昼以上の物が期待できるはずだ!それが待ってるなら更にやる気が湧いてくるぞ。
「ありがとう。…じゃあ皆、僕もそろそろ行く」
そして立ち上がる。高木に対する励ましと同じように、次々に激励してくれる皆。
この期待に必ず応えられるように、全力を尽くそう。
というわけで時間には十分余裕で着きそうなんだが、道中、大事な事に気がついた。
僕、高木の彼氏としての特訓はしたけど、肝心の高木を引き止める特訓はほとんどしてなくね?
今の状態だったら彼氏だと信じてもらえても、説得に関してはまた別の問題になる気がする。
…まぁ、勢いに任せるか。小細工が通用する相手じゃないだろうし。だからこそ、手土産も用意してない訳だし。
丁度良い時間になるまでマンションの前で待機し、時間と同時にインターフォンを鳴らす。その瞬間、本番スタートだ。
インターフォンを鳴らし、数秒後にドアが開いた。高木が出迎えてくれた。
「来てくれてありがとう。上がって」
と案内され、家に上がる。一瞬だけ高木と目を合わせ、頷き合う。
リビングで高木父本人と初顔合わせとなった。予想よりも身体は大きくスーツ姿で威圧感のある風貌だった。
高木父は僕が彼氏である、と娘から言われているはずなので、これからは僕の一挙一動に目を光らせる事だろう。
「お父さん。こちら、小鳥遊一真君」
僕は一歩前に出て、一礼する。
「初めまして、小鳥遊一真と申します」
「…舞の父親の和弘です。よろしく」
太い声で言葉を返し、会釈する高木父、和弘さん。門前払いは無さそうだ。第一関門突破と言えるだろう。
高木に椅子に座るように案内され、着席。高木がお茶を用意してる間、僕は無言のまま和弘さんと向かい合わせ。ここでは敢えて会話しない。和弘さんも必要以上に僕に視線を送ってくる事は無かった。
高木がお茶を用意し終わり、着席する。いよいよ、本題に入る時である。