第10章 高木家の家庭事情
気まずい空気を、僕の一言でぶち壊した。
「…高木。…そ、その…親御さんはどうしてるの?」
まず一番気になってたのはそれだ。前回来た時も僕は親御さんを目にしていない。しかも高木はいつも夕食の準備をしてると言った。
聞いちゃいけないような気もしたが、聞かなければいけない事のような気もした。
「…小鳥遊、早速その質問から入るんだ」
「い、いや、ごめん。言いたくなかったら良いから」
しまった。もしかしてマジで聞いちゃいけない事だったのかも。
「ううん、良いよ。たまには聞いてもらうのも良いかも」
そして高木は軽く息を吐き出した。
「お母さんは、四年前に病気で死んじゃった」
「……」
一番嫌な展開だった。僕の周りでは、澪士も事故で両親を亡くしている。身近にもう一人、親を亡くしている人がいるとは思わなかった。
こんな重い話題にして、軽率だったと思うがそれはもう遅い。
「優人もまだ幼稚園児だった。私も当時は中学生。それはもう、絶望のどん底だったよ」
なるべく空気を暗くしないようにする為か、少し微笑みながら話す高木。だが、実際そんな事を思い出すのは辛いだろう。
そんな事を聞きだしている自分が情けなかった。
「それから私があの子の母親代わり。大変だったけど、意外とすぐに慣れたかな」
高木のこんな話は今まで一度も耳にした事が無い。知り合ってまだ三か月程度だが、多分クラスでも知ってる人はいないんじゃないだろうか。
「お父さんは、お母さんが死んじゃってから仕事が軌道に乗り始めてね。まぁそれ以前から調子は良かったんだけど。名前は出さないけど、今では大企業の社長。仕事ばっかで家には全然帰ってこない」
なるほど。だからほとんど優人君と二人で生活しているようなものなのか。
父の仕事が大成功しているから、生活には困っていないのだろう。良いマンションに住んでいる理由も納得だ。
僕は、初めて優人君に会った時の事を思い出した。優人君は「寂しい」という言葉を口にしたはずだ。
小学校の授業が終わる時間と、高校の授業が終わる時間にはそれなりの差がある。仮に優人君が友達と遊んでも、友達も門限があるだろうし夕方には家に帰ってくる。
姉が帰ってくるまで、一人で過ごすしかない。そりゃ寂しいだろう。
高木は部活動未所属。いつもは早い段階で家に帰ってる。それは優人君の為、ってのもあったんだろう。
恐らく優人君のゲームの腕があれだけなのも、一人で過ごす時間をそれに費やしていたから。
ゲームに打ち込んでる間は嫌な事なんかを簡単に忘れさせてくれる。それに逃げていたのかもしれない。考え過ぎかもしれないが、最も辻褄の合う考え方だ。
「あの棚のゲームの量は…?」
とにかく何か喋った方が良いかと思い、咄嗟に思い付いた事を口に出してみた。
「あぁ、お父さん昔はゲーム好きだったから。少し前まではプレイする余裕あったんだけど、流石に最近は帰ってくる事も少ないしね。ちょっとレトロな物でも家にある物は優人が最近やる事も多いかな」
なるほど。少しずつ話を聞くにつれて、今まで疑問だった事が繋がって来た。
「…お前、辛くないの?」
「え?」
「学校では学級委員としてクラスを引っ張る役目を担ってクラスの中心、家では優人君の面倒を見つつ母親代わり。父親は仕事が忙しくてなかなか顔も合わせられない。…辛いんじゃないか?」
「…慣れたよ。いろいろやらなくちゃいけない事があって大変で、自分の時間も少ないけど。今ではもう慣れてるし、これが今の私の普通。だから小鳥遊が思ってる程、辛くは無いよ」
そこで苦笑する高木。それでも、その表情はどこか無理をしている気がした。
ふとリビングを見渡す。今まで気付かなかったが、棚の上には、家族写真と思われる物が飾ってあった。
「…それ、五年くらい前かな。まだお母さん元気だった頃。私も小学生だよ」
僕が写真を目にした事に気がついて、解説をしてくれる高木。
父親は厳格そうで妙に身体が大きい人で、対照的に母親は優しそうなイメージの人。
高木も幼さが前面に出てるが、しっかりしてそうな女の子。優人君は当然だが今よりも全然小さく、無邪気な感じ。
幸せそうな四人家族だったけど、さっきの話を聞いた後だと虚しさが込み上げてきた。
「お父さんさ、あんな顔して恋愛物とか大好きなんだよ。あのゲーム棚の中には純愛物の恋愛ゲームなんかも入ってたの気付いた?引くよねぇ。あ、もしかしたら今度の劇の脚本に使えそうな話なんかもあるかもね」
陽気に話す高木だが、どうしても若干無理が入ってるようにしか見えない。無理に明るく振る舞っている。
なんだか、第三者の僕が思っちゃいけない事なのかもしれないけど、高木が可哀想に思えてきた。
「…高木」
「ん?」
「もしさ、何か困ったことあったらの話だけど。…遠慮なく僕を頼っても良いからな?」
柄にも無くそんな事を口走る僕。でも、自分にできる事は力になりたい、そんな感情があった。
この数週間で高木と距離が縮まり、優人君と知り合って、今まで見えなかった部分が見えてきた。
「お前の場合、何か悩みとかあっても相談とかせずに自分で無理に解決しちゃいそうだから、心配なんだよ。そういう時とか、僕に言ってくれれば力になる」
言ってて正直恥ずかしいけど、ここで言わなかったら後悔しそうだった。
高木は僕がこんな事を言うなんて考えてもいなかっただろう。口を少し開けてぽかーんと間抜けな表情を浮かべている。
数秒後、はっと意識が戻ったかのようにしていつもの表情に戻り、若干頬を赤く染めて言葉を返した。
「よ、よくそんな恥ずかしい事平気で言えるね!言ってて死にたくならない?」
「うん、正直死にたくなってきた」
そんな事、今は思ってないけど話を合わせておく。落ち着いたら本当にそう思うかもしれない。
「…小鳥遊にそこまで心配してもらえるなんて思わなかったな。…あぁ、もう私、なんで小鳥遊にこんな話しちゃったんだろう」
口ではそんな事言っているが、高木の表情はどこか嬉しそうだった。
「じゃあ、今度は小鳥遊にも頼ってみようかな。なんだか小鳥遊って意外と話しやすい所あるから、聞いてもらえるとちょっと楽になる」
「あぁ、頼れ頼れ。僕を存分に利用しちゃえ。ってか僕だけじゃない。お前、凛にこういう話をしたことあるの?」
「…無いよ。親友だからこそ、変に気を遣ってもらいたくないし。まともに話したのあんたが初めて。凛はちょっとぐらいなら家庭の事情、把握してるけどね」
「凛にも頼っちゃえよ。凛、お前の相談だったら喜んで力になるぞ。澪士だって光だって、僕の親友はあんな良い奴らなんだから、頼ってもらえれば力になってくれるさ」
一か月以上前の生徒会選挙を思い出す。あの時、澪士のBL好きが露呈して、面倒な事になった。
澪士の力になる為、僕と光はもちろん、澪士とほとんど接点の無い高木や凛も協力してくれた。
同じように高木が困ってたら光や凛も協力してくれるだろうし、澪士だって全力で支援してくれるだろう。
「お前の周り、良い奴いっぱいいるんだしさ。相談事とかあったら遠慮なく喋っちゃえ」
高木は俯いて黙りこむ。だがすぐに僕の方に顔を向けてこう言った。
「…うん、ありがとう。…ま、まぁ相談する事なんてないかもしれないけど!…考えてみても良いかな」
さっきに比べて無理を感じさせない、そんな表情だった。
「じゃあ小鳥遊、早速一つ相談なんだけど」
随分と軽くなった空気に感化されてか、高木は軽いノリで話し始めた。
「おぉ、言ってみ」
「お父さんと近頃全然顔合わせてなくてね。夜遅くにちょっと帰ってくる事はあっても、すぐにまた出ちゃうから。仕事が忙しいのは分かるんだけど、流石にそんなのが続くのは微妙なんだよね。優人なんかまだ小さいわけだし」
確かにそれは少し問題かもしれない。仕事が忙しいとは言え、もう少し家庭に気を遣っても良いかも。
「…一度お父さんと、話してみた方が良いかな?もう少し家の方にも気を配ってほしいって。今だと、優人の授業参観も私が行ってるぐらいだし」
高木が授業参観に参加してる所を想像して一瞬何とも言えない気持ちになった。…同情する。
「そうだね、機会があったら話してみると良いかも。あの写真見た限りではごっつい顔だけど、純愛物が好きなぐらいだったら、ちょっとは娘の話聞いてくれるだろ」
「…小鳥遊も容赦無く言うねぇ。でも、分かった。今度話してみる」
そして高木は微笑んだ。大分楽になったようだ。
早速高木の力になれた気がして少し調子に乗った気分になる僕。
だがしかし、僕が何気なく高木の背中を押した事によって、深刻な問題になっていく事は僕も高木も予想していなかった。