第8章 魅力
「というわけで、今日の立会演説会は小鳥遊君に演説をお願いする事になります」
水曜の朝。校内で自己アピールしていた田代に呼び止められ、軽く会話した後、最後にはそんな事を言われた。
一昨日、僕が澪士の家に訪問した後もあいつは学校には来なかった。昨日の放課後は生徒会選挙関係の仕事が僕に回ってきて正直散々な思いをした。
今日は生徒会選挙当日であり、放課後には立会演説会、投票が控えている。
澪士が来なかった場合、代理として推薦人の僕が演説をしなければならないと選挙管理委員会の大田先輩に告げられていた。
で、今日は電車の遅れもあって少しギリギリの登校となった僕だが、この時間まで朝からずっと挨拶していた田代は澪士の姿を目にしなかったらしい。
つまり、澪士は学校に来ていない。イコール今日の演説は僕がやれ、と。…田代に言われる事じゃない気もするが。
正直な話、逃げ続けている澪士に呆れてきたが、今日までは我慢しよう。ここで澪士に借りを作っておくのも悪くない。
今は、待つ。そう決めた。
まぁ、澪士が遅刻してくる可能性もあるしね。田代が姿を見なかっただけとか。
とか思ったりもしたが、やっぱり澪士は欠席だった。
昼休み。最初の数十分間で立候補者の最終会議が行われた。でも正直あまり話を聞いていなかったのでこの話は割愛させて頂く。
その帰りに廊下で凛とすれ違った。
「やっほー!調子はどう?」
「まぁ、普通。良くは無いね」
「一真、いつも具合悪そうな顔してるよね、大丈夫?」
「…どういう意味だ?」
「うーん、一真と会ったのは城戸君の件があってからだからかなぁ、そういう印象があるのは」
要するに、澪士の件があってからは僕もずっと具合悪そうって事だろうか。
精神的に疲労してるからなぁ。放課後も全校生徒の前で演説だし。正直、何言うか考えてないんだよね。
「…舞から聞いたけど、今日の放課後のあれ、一真がやるんでしょ?」
光には何かある度必ず伝えるようにしているが、気にかけてくれている高木にも少しは話を回すようにしていた。凛ともちょくちょく顔は合わせるが、あまり深い話はしていない。
凛は高木からいろいろと話は聞いているようだった。
「…まぁ。それなりに、やり過ごすつもりかな」
学校中に話が広まっているBL大好き不登校イケメンの推薦を壇上でやらされるのは晒し者のようである。ちょっと想像して泣きたくなった。
「頑張ってね。…私にはそれしか言えないや」
少ししょんぼりする凛。行動的な彼女だからこそ、自分に何もできないのはもどかしいのだろう。
「ありがと、ちょっと元気出た」
僕は精一杯の笑顔を浮かべた。無理をしなくても、自然と浮かんできた。
「一真、その顔の方が良いよ。良い笑顔!それで演説しちゃいなよ!」
「…めっちゃ笑顔で演説したら不気味だろう?」
教室に帰ってきました。
自分の席に座り、机の上にうつ伏せになる。
「…小鳥遊君、最終会議で何かあったの?」
すかさず隣の光が心配した様子で話しかけてくる。それに対して僕はうつ伏せのまま返事をする。
「…いやー話聞いてなかったし…」
「…それはそれで大丈夫なの?」
返事はしない。今更だが話を聞いてなかったので大丈夫じゃないかもしれない、と焦り始めてきた。まぁ、演説直前になったら田代に少し聞いてみようかな。
すると誰かの足音が近づいてくるのを感じた。
「小鳥遊、演説の内容考えたの?」
声で高木だと分かった。男子に対して冷たい扱いをする奴だが意外と世話焼きである。流石委員長。
顔を上げて返事をする。
「考えてない」
高木は呆れた様子で溜息を吐き、僕に対して見下すような目を向けて言った。
「…城戸、落選ね」
「高木、こんな状況だからって諦めるのは早いだろう」
「だったらあんた、もっと真面目に取りかかりなさいよ、このまま落選したらあんたのせいって十分言えるでしょ」
正論過ぎて何も言えない。
「小鳥遊君、皆で文章考える?」
高木と違って光は優しく手を差し伸べてくれる。
「いや、大丈夫。こういうのは考えるよりまず行動するべきなんだ」
演説の場でそれが通用するかは分からないけど。
「…まぁ、頑張るといいわ」
そして高木はまた溜息を吐いて去っていった。うむ、あいつなりの励ましだったと考えよう。
凛、光、高木の応援もあったが、実は昨日、とある人間からも励まされた事を思い出す。
今日の選挙に向けての雑用が溜まっていて必死になって仕事を終え、いつもよりも遅い時間に下校した僕。
下校途中、近所に住む幼馴染の中学生、菜々に遭遇した。
菜々の近況を聞き、そっかー頑張れよーなどと言っていると、逆に僕の近況を聞かれた。
で、明日はいろいろとあって演説するかもしれないんだ、とか言ってみると、菜々は何故か顔を輝かせ、僕を応援した。
「一真君、人を惹き付ける能力があるから、きっと大丈夫だよ」
「僕に人を惹き付ける能力があるとは思えないんだが」
「うーん、そうでもないよ?きっと分かる人には分かるんだよ」
今の段階ではお前しか分かってないんじゃないかな、とか思いつつも、少しだけ気が楽になった。
いよいよ放課後である。
わざわざ放課後にやるぐらいだったら授業時間を少し割り当てても良いんじゃないかな、と思うが、進学校だけあって、授業時間は大切にする方針らしい。
今回、選挙に出馬する十人のうち、澪士の演説の順番は最後であった。つまり、今回の僕の演説もラストなのである。
他の候補者の演説を聞きながら、上手く文章を固めておこう。
「小鳥遊君、大丈夫ですか?」
候補者の集合場所で待機中、突然田代が話しかけてきた。他の生徒達は体育館に移動中で、この場には候補者と推薦人、そして三人の選挙管理委員のみである。ちなみに田代は七番目に演説をする。
「何が?」
「いろんな意味で、です。緊張とかはしてないんですか?」
いちいち敬語で堅苦しい奴だが、そこまで嫌な気はしない。今後、澪士や光に対するように仲良くなれる感じではないが、この選挙までの間は田代のおかげでいろいろと助かった面もある。友達と言えるかな。
「別に僕、緊張とかしないし。まぁ上手くいくさ」
特に根拠もない自信を淡々と語る僕。
「…羨ましいです。堂々としてて、貴方も生徒会役員に向いてる所があるんじゃないですか?」
「それは過大評価し過ぎだろう。お前が思ってる程、僕はできた人間じゃないからな」
そんな会話を遮るように選挙管理委員会の案内が始まり、僕達も体育館へ移動する事になった。
「とにかく、お互い頑張りましょう」
「あぁ、応援してる」
最後にそんな言葉を交わし、僕は候補者の列の最後尾に並んだ。
そして、昼休みの最終会議の内容を田代に聞いておく事を忘れていた事に気がついた。
体育館のステージ上に弧を描くように並べられた十脚の椅子が二列。前列が候補者で、後列が推薦人である。僕はステージ左側、つまり上手側の一番端にある椅子に座った。あくまで推薦人という位置づけなので、僕は後列に座る。
目の前の空席を目にして、澪士がいないことを痛感する。本当だったら、目の前には澪士がいたんだ。
選挙管理委員会のアナウンスが入り、順に候補者の演説が始まっていく。
演説は、ステージ中央の壇上で候補者が、その右斜め後ろには推薦人が付き人として並ぶ形で行われる。推薦人があそこにいる必要性が分からない。
立会演説会はテンポよく行われた。どの候補者も無難にこなし、僕も演説を聞くうちに何を言うか大体の内容を固めた。
田代に関しては、二年二組の地位向上をメインにしながらも、様々な公約を掲げ、全校生徒の気を引いていた。意外と田代にも、人を惹き付ける力があるのだと感じた。今の段階なら、会長は田代が一番有力じゃないかな。
九番目の候補者の演説が始まる。右隣二列分が空席になり、僕は少し寂しい思いをする。それと同時にちょっとだけ緊張する。
僕は、澪士に会長になってほしい。そう思うから、推薦人を引き受けたんだ。
ここまでの過程は少し雑な所もあったが、この場では責任を持って、澪士のアピールをしよう。
今、僕にできる最大限の事を、やり切ろう。
そして澪士の――僕の番がやってきた。
『最後に、二年六組、城戸澪士さん、演説をお願い致します』
せめてそこは皆分かってるだろうから代理の小鳥遊君お願いします、とか言い換えて欲しかったが、すぐに忘れて壇上へ向かう。
会場全体を見回すと、全校生徒約七百人の視線が僕に集まっているのを感じた。結構な割合で寝てる奴も見受けられる。多分、僕が聴衆側だったら一人目の演説で寝てたね。
一礼して、壇上に上がる。マイクのスイッチが入ってる事を確認し、僕は喋り始めようとした。
次の瞬間、誰も予想していなかった事態が起こった。
「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
体育館に響き渡った大きな声。
声の方向に、体育館中の人々の視線が集まる。
寝ていた生徒も目覚めて、後ろを向いた。
ステージ中央にいた僕には、その声の主がはっきりと見えた。
体育館後方の入口に立つその姿は、
僕の親友――城戸澪士。
若干肩が上下してるように見えた。恐らくここまで走ってきたのだろう。
体育館の中を澪士は走り始めた。僕から見て左側の空いた通路を全力疾走する。体育館がざわつき始めた。
あっという間にステージ上まで到達した。
今、僕の目の前には、親友がいる。
ここにいるべき人間だ。
澪士は息切れしているようだったが、すぐに呼吸を整え、僕を見据える。
僕が今まで見た事のない程、活気溢れた顔をしていた。
「澪士…?」
思わず疑問系の口調になる。
「…ごめん、遅くなった。待たせて、悪かったな」
…本当だよ。遅くなった、ってもんじゃないだろ。今演説開始する所だったわ。
…いつまで待たせるのかと思った。
言葉が、出てこなかった。
あの時の、家庭訪問の時とは違う意味で、だ。
「…小鳥遊、俺に演説を任せてもらっても良いか?」
そんなの、聞くまでもないだろう?
今この場にいるべき人間が、この場にいる事に文句なんて誰も言わない。
僕は壇上を譲った。澪士は、候補者としての位置に立った。
そして、僕は本来推薦人がいるべき位置に立った。
その瞬間、ざわついていた体育館は静かになり、再び澪士に視線が集まった。
『生徒会長に立候補させて頂いた、城戸澪士です』
今度はマイクを通して体育館中に響き渡る澪士の声。
『俺の噂が学校中に広まった、って聞いてるが…その件に関して、俺は否定は一切しない』
…早速その話に入るのかよ。
『俺はBLが大好きだ!誰にも文句は言わせない!』
ここは本当に立会演説会の会場なのだろうか?
『好きな事を好きって言って何が悪い!それぐらい、BLは俺にとって大きな存在だ!俺はホモじゃないがな!』
やっぱり自分がホモじゃないっていうのは欠かせないポイントなのね。
『俺は、この学校をより良くしたいと思ってる。どんな形であれ、活気のある学校に、だ。俺は、ありのままの俺自身を見てもらって、皆にこの学校の会長としてふさわしいか判断してもらいたい!』
なんだか言ってる事がよく分からなくなってきたな。
『俺から言えるのは、それだけだ。もう俺は逃げない。やっと気づけたんだ。今の自分がやらなくちゃいけないことに』
段々、痛くなってきたな、お前。
『俺は、この学校を変えたいんだ…だから俺に、任せてほしい』
そして、澪士は笑顔で微笑んだ。相変わらずイケメンだ。
短かったが澪士の演説が終わったと、誰もが判断し、拍手が起こり始めた。
次第に大きくなり、誰の演説の時よりも大きな拍手が会場を包む。
この妙に痛々しかった澪士の演説は、確実に皆の心に届いた。
澪士の想いは、全校生徒に伝わったんだ。
澪士には誰よりも人を惹き付ける力があった。それはルックスだけじゃない。言葉では表現できない何か。
皆が澪士になら任せられる、そう思うだけの魅力があった。
澪士が僕の方に目を向けた。そして微笑む。
いや、お前さっきBL好きとか言ってたから、ホモ否定してたとは言え、僕達が変な関係になってると思われる可能性大だからやめてくれ!
そんな正直な気持ちは抑えつつ、僕も澪士に微笑んだ。