気がついたら騎士団長の妹の形見のぬいぐるみになっていましたが、どうやら大切にされているようです
ゆるく読んでいただけたら嬉しいです。
(ここ、どこ?)
手を動かそうとした。動かない。
足も、首も、指一本も。
(なんで、なんで、なんで――)
叫ぼうとしたが、声も出なかった。
息をしているのかさえわからない。そもそも、胸が上下している感覚がない。
(私、死んだの?)
違う。意識はある。見えている。聞こえている。
でも、身体がない。
――落ち着いて。落ち着かないと、どうにかなってしまう。
自分に言い聞かせながら、内心では全くできていなかった。
辺りを見回すと、置いてある家具がどれもやけに大きい。
(巨人の家?)
そんな馬鹿な、と思う。
巨人なんて、おとぎ話の中の存在だ。
(でも……この大きさ……ってことは、私――巨人に攫われたの!?)
結局またパニックになりかける。
しかし、身体はぴくりとも動かない。
焦っていると、大きな扉がゆっくりと開いた。
カツン、カツン――
木の床にブーツが当たる音が、部屋に響く。
入ってきた人物に、窓から差し込む光が足元から順番に当たっていく。
黒いブーツ。
手触りの良さそうな紺のロングコート。
その下には、制服のような黒服。
服の上からでも分かる、鍛えられた引き締まった体。
そして――
彫刻のように整った顔。
海のように深い青い瞳。
濃いブラウンの短髪。
(まるで……お姫様を守る騎士みたい)
思わず見惚れてしまった。
絵本の巨人は、もっと粗暴な姿だったはずだ。
ぼろ布を巻いて、こん棒を持って――。
けれど、目の前の人物は違う。
強そうなのに、荒々しさがない。
むしろ、その立ち姿には気品すら漂っていた。
巨人は、私に向かって一直線に歩いてくる。
そして――こちらへ手を伸ばした。
(食べられる――っ!)
ぎゅっと目をつぶる。
掴まれる衝撃に備えた。
けれど、その衝撃は来なかった。
代わりに、体が大きく揺れる。
(え……? ――浮いてる!?)
恐る恐る目を開ける。
自分の体は、宙に浮いていた。
下を見ると、床がずっと遠い。
落ちたら大怪我では済まない高さだ。
くらりと目眩がした。
その時、揺れがぴたりと止まる。
目の前に鏡があった。
そこに映っていたのは――
先ほどの巨人と、鞄にぶら下がった可愛らしいクマのぬいぐるみ。
(……あれ?)
鏡の中のぬいぐるみと、目が合った。
……目が、合った?
(違う、違う違う違う)
ぬいぐるみの黒いビーズの目が、確かに私の意識と繋がっていた。
見ようとすれば見える。瞬きしようとしても、瞼がない。
(嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ――これが私なの?)
夢だと思いたかった。でも気持ち悪さは本物で、揺れるたびに意識がぐらついた。夢でこんなに気持ち悪くなるはずがない。
(じゃあ、これは現実? 私、本当に――)
そこから先を考えることができなかった。
巨人は部屋を出て、そのまま外へ出た。
そして、家の前に停まっていた馬車へ乗り込む。
揺れが止み、ようやくほっと息をつく。
どうやら鞄が、巨人の膝の上に置かれているらしい。
私は今、巨人を下から見上げていた。
すっと通った鼻筋。青い目を縁取る長いまつ毛。
(下から見ても……男前ね)
巨人は窓の外を見ている。
その横顔が、なぜか少し寂しそうに見えた。
じっと見ていると、巨人がこちらを見下ろした。
(え? もしかして、気付かれた!?)
巨人の手が私を覆う。
次の瞬間――頭を、撫でられた。
(へ?)
もし人の姿だったら、今きっとものすごく間抜けな顔をしていたと思う。
この巨人は、ぬいぐるみが好きなのだろうか。
けれど、あの部屋に他にぬいぐるみは見当たらなかった。
頭をそっと撫でる優しい手つきと、ふっと柔らかく笑う表情に、胸が高鳴る。
(どうして、そんな……まるで愛しい人を見るみたいな目をするのよ……)
巨人に優しく撫でられていると、馬車が止まった。
どうやら目的地に着いたらしい。
巨人は鞄を持ち、立ち上がる。
また揺らされるのかと、少しだけ憂鬱になる。
馬車を降りた先に見えたのは、大きな城だった。
そして門の前には、鎧を着た騎士が二人立っている。
「アルベルト隊長、おはようございます!」
「あぁ。おはよう」
(え、隊長……?)
(さっき私が「騎士みたい」と思った人は、本当に騎士だったの――!?)
同じ制服を着た騎士たちが、すれ違うたびに挨拶をしていく。
そんな中、遠くからこちらを見て、にやにや笑っている騎士がいた。
(なによ、嫌な感じね)
アルベルトと呼ばれた彼はそのまま、とある一室に入った。
次の瞬間、視界がぐるりと回り、天井が見えた。
落下するような動きに、思わずぎゅっと身構える。
恐る恐る目を開けると、天井が見える。仰向けだ。
どうやら、鞄を机の上に置いたらしい。
(……あんなに丁寧に撫でておいて、置き方はこれなの?)
そう思った時、バンッと勢いよくドアが開いた。
明るい茶髪を後ろで一つに結んだ騎士が、焦った様子で入ってくる。
年齢は、アルベルトより少し若いくらいだろうか。
「またあいつら、やり合ってます! 隊長、止めてください!」
「朝っぱらから、またか……」
隊長は深くため息をついた。
「わかった。行こう」
そう言って、二人は部屋を出ていった。
(問題児っぽい騎士でもいるのかしら……)
部屋は静かになった。
しばらくして、コンコンとドアを叩く音がする。
「失礼します」
入ってきたのは、二人の騎士だった。
くすんだ金髪の騎士と、黒髪の騎士。
「あれ、隊長いないのか? もう来てるって聞いたのにな……」
金髪の騎士が部屋を見回す。
「さっき食堂の方が騒がしかったけど、それじゃないか?」
「あぁ、またあの二人か……」
その時、金髪の騎士と、目が合った――気がした。
けれど彼はすぐに視線を外し、肩を落とす。
「隊長、まだあのぬいぐるみ付けてるのか」
「おい、それ隊長の前で言うなよ」
黒髪の騎士が。落ち着いた声でたしなめる。
「亡くなった妹さんの形見なんだから。この前、そのぬいぐるみをからかった他の隊のやつ、合同訓練で隊長にこてんぱんにやられてたろ」
「分かってるって」
金髪の騎士は苦笑する。
「……それだけ大事なんだろ」
「だろうな。……良い子だったな、エリザちゃん」
「あぁ」
少し沈黙が落ちる。
「とりあえず食堂行ってみるか」
二人はそう言って部屋を出て行った。
(妹さんの形見……)
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
馬車で撫でられた時の、あの優しいまなざしを思い出す。
(だから……あんな顔で見ていたのね)
胸の奥が、少しだけ切なくなった。
それから程なくして、アルベルトが戻ってきた。
椅子に座るなり、大きく息を吐く。
どうやら本当に面倒ごとだったらしい。
ふと、彼の視線がこちらに向けられた。
そして――
次の瞬間、また体が大きく揺れる。
すぐに揺れはおさまったが、再び宙づりになっていた。
床までの距離に血の気が引く。
恐る恐る視線を上げると、すぐ近くに窓があった。
そこに、自分の姿が映っている。
鞄にぶら下がったクマのぬいぐるみ。
その横には、コートと鞄が掛けられたコートハンガー。
(そうね、鞄を机に置きっぱなしは良くないわね……って、彼が帰るまで、このまま!?)
ぶら下がっているだけで、苦しくはない。
でも、もし落ちたらと考えると怖い。
(ぬいぐるみだから、怪我はしないだろうけど……)
気を紛らわせようと、窓の外を見る。
外では騎士たちが訓練していた。
二人一組で、木剣を構えている。
剣術の訓練だろうか。
真剣な掛け声も聞こえてくる。
ぼんやりそれを見ていると――
カチャ、とドアの音がした。
視線を部屋の中へ戻すと、彼の姿がなかった。
部屋はしんと静まり返っている。
首だけでも動かせないか、試してみるが――
やはり、ぴくりとも動かない。
窓に映るクマのぬいぐるみを見つめながら、私は途方に暮れた。
****
突然、体が大きく揺れて、はっと目を覚ました。
(私、いつの間にか寝てたんだ……)
窓の外には夜空が広がっている。
いつの間にか、すっかり夜になっていた。
目の前には、コートを着た彼が立っている。
今日、何度も経験した揺れに、今度はもう驚かなかった。
また移動するんだと、どこか冷静に思う。
彼は城を出て、松明に照らされた門をくぐる。
朝と同じように馬車へ乗り込んだ。
馬車が走り出し、ゆっくりと揺れ始める。
馬車が停まったのは、郊外の大きな屋敷だった。
そして、またあの部屋へ戻ってきた。
机の上に鞄を置いた彼は、何も言わず部屋を出て行く。
静まり返った部屋。
明かりのない部屋に、窓から月の光が差し込む。
その光が、私を優しく照らした。
(……月は、変わらないのね)
小さい頃から月が好きで、よく窓から空を見上げていた。
太陽ほど強くはないけれど、神秘的で、包み込むように優しい光を放つ月。
見知らぬ場所で、見知らぬ姿になってしまったのに、月だけはいつもと同じだった。
その変わらなさが、かえって胸に刺さる。
(どうして、こんなことに……)
夢だと思い込もうとしていたけれど、状況は一向に変わらない。
(お父様も、お母様も……きっと心配してる)
優しかった両親の顔を思い出す。
胸がぎゅっと苦しくなった。
その瞬間――
ぽろ、と涙がこぼれた感覚があった。
(……ぬいぐるみなのに、泣けるの?)
不思議に思いながら、思わず涙を拭こうとして――気付く。
(手が、動く――!)
視界に入ったぬいぐるみの手が、確かに動いている。
驚いて、思わず体を起こす。
しかし次の瞬間。
後ろのチェーンに引っ張られて、ずるっと滑る。
また仰向けに倒れてしまった。
(はは……鞄にくっ付いてるんだった……)
チャラ……と、背後で虚しくチェーンが鳴る。
なんとか外せないかと身体をよじり、体を反転させた。
取って付近の金具に、チェーンの輪っかが付いていた。
(あれを外せば、自由になれる――!)
輪っかを掴んで、つなぎ目を探す。
すぐにそれは見つかり、力を入れて動かしてみる。
(あと少しで、外れそう――)
その時、カチャ、とドアの開く音がした。
(も、戻ってきた……!)
慌てて輪っかから手を離して、体の力を抜いた。
コツ、コツ――
足音がこちらへ近づいてくる。
そして、すぐそばで止まった。
次の瞬間、背中を掴まれ、体が持ちあげられる。
「下向きに置いたつもりはなかったが……」
(そうだ……焦って、仰向けに戻るのを忘れてた。っていうか、どういう向きで置いたか覚えてるの!?)
雑に置かれたと思っていたけれど、もしかしたら彼なりにちゃんと置いていたのかもしれない。
くるりと体を反転させられた。
彼の顔が視界に入る。
整った眉が、わずかにひそめられていた。
そして、大きな指が、私の目元を優しく撫でた。
「……濡れてる?」
私を持ったまま、彼の視線が鞄へ向けられる。
鞄が濡れていないことを確認したのだろう。
彼は小さく首を傾げた。
再び私を見ると、ハンカチを取り出し、目元にそっと押し当てる。
もう一度、指で目元を撫でる。
水気が取れたことを確かめたようだった。
満足したのか、彼はふっと微笑む。
その笑みに、胸がどきりと跳ねた。
「おやすみ、エリザ」
その名前を、彼はとても優しい声で呼んだ。
彼の顔がどんどん近づいてくる。
次の瞬間、頬に、温かいものが触れた。
(……?)
柔らかくて、温かくて、すぐに離れた。
理解が追いつくまで、数秒かかった。
(今の、唇……? キス、された……?)
怒るべきなのか、気持ち悪いと思うべきなのか、判断できなかった。相手は私をぬいぐるみだと思っている。悪意はない、とわかっている。
でも、唇の温度がまだ残っていた。
(……忘れよう。これは、私じゃなくてエリザへのものだから)
そう言い聞かせながら、なぜか上手く忘れられなかった。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
まだ会話も出来ない二人ですが、楽しんで頂けたら嬉しいです。
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