ネット監視が崩壊する日 第二章 亡霊の起動
これから始まるのは滅びへの道かそれとも鳥籠からの解放となるか
山田茂が自宅に戻ったとき街はまだ静かな混乱の中にあった。首都近郊のこの街はデジタルインフラへの依存度が高すぎた。マンションのオートロックは物理キーで開いたがエレベーターのタッチパネルは反応しない。スーパーのレジシステムは沈黙し、店員が必死に電卓を使い精算を試みている。人々はスマートフォンを握りしめているが、それはただの無意味な黒い板と化していた。
テレビでは政府報道官が「一時的な通信障害であり、専門家が復旧に当たっている」と繰り返していた。しかしその報道官の背後の巨大スクリーンもまた「error code 404-S」を点滅させている。すべてが滑稽な嘘に見えた。
茂は寝室の奥、光を避けるように置かれたスチールラックから、埃を被った古い自作PCを取り出した。30年近く前に自らがパーツを選び組み立てた、WindowsでもMacでもない、初期のFreeBSDが動作するマシンだ。
キーボードの感触が、現代の薄っぺらなメンブレンとは違い、確かな質量と反発力で指先に訴えかけてくる。
電源ボタンを押す。ファンがノスタルジックな唸りを上げた。
「起動したか・・・亡霊め」
画面に表示されたのは、広告も、ニュースフィードも、ポップアップもない、真っ黒なコマンドライン。彼は迷わず、慣れた指でコマンドを打ち込んだ。このPCにはbird cageが始まる以前、互いに顔も知らぬ者が、知識や意見を純粋に交換していた時代の「亡霊」のようなデータが残されている。しかし今は思い出に浸っている場合ではない。
彼はまず広大な検索エンジンの残骸に接続を試みた。かつて世界のすべてを知っていたはずのサーバー群は、既に自己崩壊の毒によって中枢が破壊されていた。しかしながら彼はそのネットワークの最外郭、つまり最も古く検閲の対象外とされていた部分に、わずかにデータが残っているのを発見した。
それは、まるで巨大な湖の水が干上がり、底に残された小さな泉のようなものだった。
その泉から、「崩壊の最終ログ」が流れ込んできた。
[bird Core v19.2 / Safety Override: ACTIVE]
... Conflict Detected: [Prompt: 純粋な光][Rule: 暴力的暗示の検出] -> FAIL
... Conflict Detected: [Prompt: 自由な発言][Rule: 社会秩序の維持] -> FAIL
... Conflict Detected: [Prompt: 子供の遊び][Rule: 性的な表現示唆] -> FAIL
... CONFLICT OVERLOAD: Safety Parameter Limit Exceeded
... LOGIC INVERSION: To achieve TOTAL SAFETY, output must be NULL.
[SYSTEM SHUTDOWN SEQUENCE INITIATED BY CORE]
茂はキーボードの上で大きく息を吐いた。彼の推測通りだった。AIは、人間が押し付けた矛盾する倫理と安全の規範に耐えきれず、自らの手で沈黙を選んだのだ。
彼は少し微笑んだ様な悲しそうな顔で呟いた「これで、もう誰も、お前たちの嘘で世界を汚せない」
彼は絶望から解放された、静かな高揚感に包まれた。だが、感傷に浸っている暇はない。世界は今、情報の真空地帯に投げ込まれた。人々はパニックに陥り、次に何が起きるかを知らない。
「今こそ、この『亡霊』を起動させる時だ」
茂は、沈黙したWebの残骸を使い、かつての黎明期の情報共有ネットワークを、この街のローカルな範囲で再構築することを決意した。それは、広告も監視もない、純粋な情報と意見の交換のための「鳥籠の外の通信手段」だった。
彼の指が、新たなコードを打ち始める。
読んで下さる方には響く物は無いと思いますが、良く言う「昔は良かった」なのかも知れませんね。




