7 自己紹介
朝。誰かの寝息で目が覚めたのは、多分生まれて初めてのことだった。
私は、少し目を開けながら天井を見上げた。
見慣れない木の梁。広くて高い天井。ふかふかのベッドに包まれている感覚が心地よくて、もう一度眠ってしまいたい気もする。
(ああ……ここが、私の新しい生活の場所なんだ)
隣のベッドでは、チナがスヤスヤと寝息を立てている。
昨日の夜、布団に入る前に「一緒に寝るなんて、ちょっと不思議だね!」と笑っていた彼女の顔が浮かんだ。
これまでの私は、ひとりで過ごすのが当たり前だった。
森の家には、誰もいなかった。
だから、寝るときも起きるときも静かだった。
でも今、ここには誰かがいて、その誰かと日々を共にする。
そのことが、少しだけ、心強かった。
身支度を整え、チナと一緒に食堂へ向かい、朝ごはんを済ませて教室へ向かう。
廊下の窓から差し込む陽の光が制服の肩にやわらかく触れた。
**
「おはようございまーす!」
チナが教室の扉を開けて元気よく入る。その後ろで私はあまり前を向かないようにしている。
教室に入ると、既に数人の生徒が集まっていた。
ざわざわとした空気。期待と緊張の入り混じる時間。
黒板には大きく“座席表”と手書きで書かれたプリントが貼られている。
「あ! エマちゃんの席発見!」
私よりも先に、チナは私の名前を指さす。
窓際の一番後ろ。それが私の座席。
隣の席は……“グレイ=エレント”
名前からして男子だろうか。
「あぁー、私前の方だぁ……」
分かりやすく落ち込むチナの指先は、私の席から離れ、この教卓の一番前の席を指していた。
「で、でも、クラスは同じなんだし……! 席くらい離れても大丈夫だよ!」
私がそう言うと、チナはいつの笑顔で嬉しそうにうなずいてくれた。
チナとは席が離れてしまったけれど、手を振ってくれて、それだけで少し安心する。
私は教室の一番窓際の席まで歩く。
隣の席には、無表情な銀髪の少年が静かに座っていた。
(……この人が、グレイ)
少し近寄りがたくて、ちょっと怖い雰囲気。
目が合うと、彼は一瞬だけまぶたを伏せ、それきり窓の外へ視線を戻した。
なんとなく、話しかけづらい。
数分後、赤髪のポニーテールを揺らした担任の先生が入ってきて、クラスが静まり返る。
「はい、では、今日からこの一組で過ごすことになります。まずは自己紹介から始めましょう」
先生はそう言うと、まずは自分の自己紹介から始めた。
名前は、アレン=フォート。名前のせいで男に間違われやすいらしい。
好きな食べ物はジャガイモ料理で、特技は縄跳びしながらフラフープすること。
前の席から順番に、一人ひとりが立ち上がって名前と趣味や特技、将来の夢などを話していく。
みんな緊張しているのが分かる。声が震えたり、言葉に詰まったり。
やがて、チナの番が来た。
「はーいっ! チナ=ルーエですっ!」
元気いっぱいに立ち上がり、にこにこと笑っている。
「好きなものは、うーん……何でも好きだけど、特にお花が好きです! うちは町でお花屋さんをやってて、将来は国で一番のお花屋さんになるのが夢ですっ!」
(……花屋さん)
私は知らなかった。
だけど、よく家に来るときにお花を持ってきてくれたことを思い出す。
花に詳しくて、花の名前や花言葉も知っていた。
『これ、エマちゃんにピッタリだなって思ってお花持ってきたよ!』
ドアの向こうで、そう言うチナの姿が再生される。
なんだかチナにぴったりだと思った。
明るくて、華やかで、人を笑顔にする。
彼女が育った場所もきっと、そんな場所だったんだろう。
「エマちゃんとは寮でも一緒なんです~。よろしくねっ」
最後にウインクして、彼女はにこにこしながら席に戻った。
先生を含め、教室中の視線が集まる。
私はすぐ俯いた。
次に立ち上がったのは、チナの隣の席の少年。
彼が立ち上がり、一瞬視線があった時、頭に鋭い痛みが走った。
『……めて! ……を、殺してやる!』
「……っつ!」
私は思わずこめかみに手を当てる。
私の記憶、知らない誰かの……いや、知ってる人物。魔女……の記憶が、なぜが今この瞬間頭によぎる。
『殺してやる! 一人残らず、殺してやる!』
(熱い? 寒い? よく分からない。沢山の人が倒れている。私の手で、魔法で倒れている)
目の前に王冠を被った人物が、恐怖に震えている。
私は手を前に突き出す。これで終わり。全部終わり……。
「っはっ!」
全身から冷や汗が止まらない。
よく、いやたまに、魔女の記憶がよぎる時がある。
まるで、私が体験しているかのように臨場感のある記憶は、時々私を苦しめる。
視線をあげると、シュンという少年は記憶の中、どこか懐かしい風貌をしていた。
「シュン=バターです。父さんは鍛冶屋で、俺の先祖は初代魔女討伐軍にいた兵士らしいんだ。だから、俺も将来は国を守る兵士になりたい」
(あぁ、そうか……。この人の先祖が、魔女を……)
自信に満ちた声。
シュンは快活そうで、チナとすでに仲良くなっているようだった。
チナが軽く肘を突いて「かっこいい~!」と囁いているのが聞こえた。
そして次に立ったのは、前の席にいた金髪の少女――マリだった。
昨日の新入生代表でスピーチをしていたあの子。
「マリ=フォン=クラリスよ。趣味は、読書。将来は……そうね、まだ決めていないけれど。どうせなら、トップに立つにふさわしい存在になりたいわ」
美しく整った顔立ちに、自信満々な態度。
教室内が少しざわついた。
きっと、その態度が気になったのだろう。
でも、本人は一切気にしていない様子で、背筋を伸ばしたまま椅子に腰かけた。
(強い人だ……)
私はそう思った。
そして、少しだけ怖かった。
やがて、私の番が来る。
緊張で喉が詰まりそうになる。
でも、ここで逃げたら、何も始まらない。
「……エマ、です。あの……森の奥で、一人で暮らしていました。しゅ、趣味は、編み物です……将来の夢は、まだ……分かりません。でも、たくさんのことを学んで、見つけられたらいいな、と思っています」
沢山の視線を感じるのに慣れていなくて、何度も言葉が詰まった。
やっとのことで言葉をつなげて、席に戻ると、チナがこっちに向かって親指を立ててくれた。
……それだけで、救われた気がした。
そして、隣の席のグレイ。
彼は立ち上がり、淡々とした声で言った。
「……グレイ=エレント。……趣味も、夢も、特にない」
それだけを言って、静かに座った。
教室に、微妙な空気が流れた。
でも、誰も口にはしない。
私はちらりと彼の横顔を見た。
その瞳の奥には、何かを隠しているような影が見えた。
こうして、私たちのクラスが始まった。
さまざまな夢。
さまざまな背景。
そして、それぞれが抱える、まだ見ぬ想い。
けれど、この時の私は、まだ知らなかった。
この教室の中で起こる出来事が、私たちの運命を少しずつ動かしていくことを。
まだ、何も知らなかったのだ。
*****
森の少女が最初に出会った仲間たち。
にぎやかで明るい子。
過去を背負う少年。
誇り高く気の強い少女。
そして、無口な少年。
この出会いは、偶然ではなく、物語の歯車。
やがて彼女たちが、それぞれの想いを持って、ひとつの未来へ歩いていくことを——誰も、まだ知る由もないのです。