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魔女は静かに暮らしている  作者: 七凪亜美
第一章 魔女は暮らしている
6/20

6 はじまりの合図

 私は、長い間ひとりで生きてきた。


 森のなかで、木々のざわめきと小鳥のさえずりだけを相手に、静かに暮らしてきた。

 それは私にとって、怖くない世界だった。


 でも今、私は沢山の人の中にいる。


「緊張する~! 制服かわいすぎるよね? エマに似合ってる!」


 隣でチナがはしゃぐ声が耳に届く。

 自分でも驚くほど、心臓がどくんどくんと音を立てていた。


——私、今、本当にここにいるんだ。


 寄宿舎学校。

 今年できたばかりの、新しい学び舎。

 王国の未来を担う者たちを育てる、特別な場所。

 ホコリも傷も一つも見当たらない大きな建物に、大勢の足音が響く。


 まさか、私がこんな場所に足を踏み入れる日が来るなんて。


 思えば全ては、赤いずきんが風に飛ばされたあの日から始まったのだ。


 もしもあの時、ずきんを落としていなかったら、チナと出会うことも無く、今頃私はいつものように家で編み物をして過ごしていただろう。


(本当にこれでいいの?)


 本当に大丈夫なの? 私、ちゃんと二年間やっていける?


「はぁ……」


 無意識にため息が漏れる。チナはそれに気づいていない様子で、楽しそうに周りを観察している。


 大丈夫、きっと大丈夫よ。


**


 今日は入学式当日。


 制服の寸法を測る部屋は、朝から多くの新入生で賑わっていた。

 チナと私は順番に案内され、真新しい制服に着替える。


 紺色のジャケットに、銀のボタン。

 長めのスカートには王国の紋章が刺繍されていて、背筋が伸びるような気がした。


「エマ、かわいいよ~! あ、ちょっと待って、髪ここ結んであげる!」


「……ありがとう」


 チナが笑顔で私の髪を整えてくれる。

 こんなふうに誰かに触れられるのは、いつぶりだろう。

 心の奥が少しくすぐったい。


 会場へ向かう途中、大きな掲示板が立っていた。

 クラス分けが貼り出されていて、私とチナは同じ1組だった。

 他の生徒たちが、自分の名前を見つけては歓声を上げたり、知らない子と自己紹介をしている。


「一緒だね! あ、あとで寮の部屋割りも見に行こうね!」


「……うん」


 会場の広間は石造りの天井が高く、ステンドグラスから柔らかな光が差していた。

 空気には緊張が混ざっていて、誰もが少し背伸びして見える。


 私は、できるだけ目立たないように席に座る。

 周囲の視線が怖くて、うつむいたまま制服の袖をぎゅっと握った。


 やがて、式が始まった。


 まずは、新入生代表の挨拶。


 壇上に立ったのは、華やかな金髪をなびかせた少女だった。


「わたくしはマリ=フォン=クラリス。皆様と過ごすこの二年間が、有意義な時間となりますよう、心から祈っております」


 自信に満ちた声。

 堂々とした所作。

 拍手が起こる中、マリはこちらをちらりと見て、ふっと冷たい笑みを浮かべた気がした。


 次に、王族の登場。


 広間の扉が開かれ、次期王であるレイン王子が姿を現す。


 栗色の髪。整った顔立ち。まっすぐな眼差し。


 その瞬間、何故だか私は顔を上げて、彼と目が合った。


 一秒。

 それとも、もっと長く?


 どきん、と胸が跳ねる。

 私が視線をそらすと、レインは穏やかな笑みを浮かべて、演台に立った。


「皆さん、ようこそ。アティラ王国の未来を担う皆さんが、ここでたくさんのことを学び、出会い、悩み、成長していくことを願っています」


 その声には、王子という肩書きを超えた、誠実さがあった。


***


 入学式が終わると、生徒たちはそれぞれの寮へと移動した。


 寮は、学校の敷地内に建てられた大きな建物で、二人部屋が基本。

 チナと私は無事同じ部屋になった。


「うわぁ〜! 広いし、ベッドふかふか! エマ、今日からここが私たちの城だね!」


「城、うん……そうだね」


 部屋の窓からは、校庭の木々が見えた。


 荷物といっても、私は必要最低限しか持ってきていない。

 森の家のように、自然に囲まれた場所ではないけれど、ここで暮らしていけるだろうか。


 でも、チナが隣にいる。

 それだけで少し、心が落ち着く。


 明日からは授業が始まる。

 知らない人たちと過ごす日々。


 私はこの場所で、ちゃんとやっていけるだろうか。


 やっぱり怖い。

 正直、あの合格証書を手に持った日から、緊張と不安、そして少しの後悔が大きくて寝れない日もあった。


 ……でも、逃げたくない。


 そう思えたのは、きっとチナのおかげ。


 でも、やっぱり不安かも。

 いや、ダメ。大丈夫よ、私。


 チナと同じクラス、同じ部屋。恵まれている環境。

 チナがいれば、私は大丈夫。


 そして、もうひとつ。


——あのとき、目が合ったレイン王子の、あのまっすぐな瞳。


 あの視線が、私の中の小さな火を、灯してくれた気がした。


***


――さて、ここで少し、語り部に戻りましょう。


 静かな森の奥で、ひとり暮らしていた少女は、ついに世界へと一歩を踏み出しました。


 寄宿舎学校。

 それは、ただの学び舎ではありません。

 ここで過ごす二年間が、彼女にとってどれほど大切なものになるか……


 まだ、誰も知りません。


 けれど、そのはじまりの鐘は、たしかに鳴りました。


 新しい友達。

 新しい場所。

 そして、新しい運命。


 物語は、静かに、でも確かに、動き始めたのです。




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