第04話 半年後の日常_02
始まりの街『アクシオ』──その片隅にある集合住宅の一室でイロハは暮らしていた。
ここはいわゆる借り上げ制度による住戸で、ギルドに登録した冒険者であれば本来の一割程度の居住費だけで住まうことができる。実際には月間の依頼遂行数による制限等があるものの、ここアクシオでは多くの冒険者がこの制度を利用して部屋を借りていた。
最低限の家具だけが並ぶ質素な一室。
帰ってきたばかりのイロハは手荷物をテーブルに放り投げると、そのままベッドの上へと沈み込んだ。
「今日も疲れた……」
枕に顔を埋めたままぼそりと呟く。
一人での生活にはようやく慣れてきたが、まだ体の方は追いついていなかった。これからお風呂に入って、洗濯して、明日の準備もして……と考えるとやはり気が滅入る。
イロハはまだ15歳の子供だ。本当は一人暮らしなんて早すぎると自分では思っている。
こんな身の丈に合わないことをよく続けられるなと、まるで他人事のように感じていた。
「……」
もぞもぞとベッドの上で体を動かす。
視線の先には、キャメル色のブレザーとチェック柄のスカートが木製の洋服立てに掛けられていた。
──あの服は、もう随分と着ていない。
周囲の服装に比べて非常に小洒落ており、なにかと悪目立ちしてしまうためである。
それに、数少ない『元の世界』の物品でもある。できるだけ汚したくはなかった。
(半年……結局なにも分からず仕舞いだな……)
その制服をぼーっと見つめながら、イロハはこれまでの生活を改めて思い返す。
この街に来て半年。……いや、この " 世界 " というべきか。
何とか現地の生活に適応してはいるものの、目の前の状況にいっぱいいっぱいで肝心の部分については何も進められていない。
肝心の部分というのはつまり、イロハが── " 櫻羽いろは " がなぜこの『異世界』にやってきたのか。
そして帰る方法はあるのか、である。
調べはこれっぽっちも進んでいなかった。今やただのいち冒険者として日銭を稼ぐ毎日である。
そもそも調べるにしたって何から手を付けるべきなのか。異世界転移なんてあまりに常識外の出来事過ぎて調べようがない。
(まさか異世界だなんて……ほんと滅茶苦茶だよ)
うんざりしながら再び顔を枕に沈める。こうして思考放棄を続けた結果が現在であった。
まあ、ギルドでユリーネにも話したように冒険者自体それなりに楽しくやれている。今の生活に不満はない。
本当は " あの時 " に亡くなるはずだった命だ。
生まれ変わったと思って、現状を受け入れる方がいいんじゃないかと最近は思い始めている。
「……とりあえず着替えよ」
なんにせよ今は夢でも幻でもない。生活を維持するためにやることをやらなければ。
イロハはのっそりとベッドから体を起こす。その消沈した姿はさながら、くたびれた独身OLのそれだった。
◇◇◇
「イロハちゃん! お願い!」
翌日。
冒険者ギルドに顔を出した途端、ユリーネから唐突に頭を下げられた。
「えっ。な、なんですか急に」
あまりの勢いにたじろくイロハ。
急すぎる展開に、すでに嫌な予感がヒシヒシと感じられるのは気のせいではないだろう。
「いやぁ、昨日の話なんだけどさ。大型依頼の件、覚えてる?」
「ナントカの調査依頼でしたっけ?」
「そうそう。本当は無理強いするつもりはなかったんだけど、イロハちゃん、よかったら引き受けてくれないかな……?」
ユリーネは申し訳なさそうにそう尋ねてくる。当然、昨日同様に興味は湧かないのでイロハは嫌そうに顔を歪める。
しかし問答無用で断れる雰囲気でもなかった。とりあえず話を聞いてみることにする。
「……なにかあったんですか?」
「そうね。あったというか、起こしてしまったというか……」
目線を背けるユリーネはなんだか気まずそうだ。
そういえば今日は、彼女の様子に吊られるようにしてギルドの中も静かだった。広間の方を見てもあまり人がいない。朝から晩まで賑わっているギルドにしては珍しい光景である。
「昨日イロハちゃんが帰った後ね、実はちょっとした宴会があったのよ」
「宴会? なにかめでたいことでも?」
「うちでは比較的ベテランなパーティーが、討伐困難な竜族系の魔物を撃破したのよ。アクシオでは高難度依頼を成功させる例は少ないし、ギルドとしてもお祝いムードになってぱーっとね」
イロハはそういった話とは無縁だが、なるほど、『始まりの街』だからこそのお祝いと言えるかもしれない。
そんなことならもう少し帰るのを遅らせれば相席できたのだろうか、なんて思いつつ……ユリーネの様子からしてその宴会で何か問題が起きたようだ。
「そしたらパーティーのリーダーがね。今日はオレが奢ってやるって息巻いて、それはもうピークタイム以上に注文があったのよ」
「いいことじゃないですか」
「まあ、ギルドにとってはね。でも……その時に提供した海鮮メニューの牡蠣にどうやら問題があったらしくて……」
「……」
「ハズレだったみたいなのよ。いや、ある意味アタリかな?」
一瞬で色々察してしまう。
ユリーネは気まずさを誤魔化すようにてへへと笑う。いやてへへじゃないが。
「まさか全員食あたりで……?」
「ううん。九割ぐらいかな」
それはほぼ全員です、というツッコミは吞み込んでおく。
現代日本においても十分に加熱した牡蠣でさえあたる時はあたると言う。異世界ともなれば殺菌云々の工程なんてほとんどなさそうだし、こうなるのは必然なのかもしれないが……最早呆れて声も出なかった。
「……いや分かるわ、言いたいことは。しかも大事な依頼が来る前日になにやってんだって話よね……でもおかげでほら、全然人がいない。みんなダウンしちゃってせっかくの大型依頼を請けてくれる冒険者が片手で数えれる程度しかいないの!」
かつてないおどの焦りが感じられるユリーネ。ほとんどやけくそみたいな喋り方である。
しかし焦るのは分かる。昨日の話によれば大型依頼は国から直接届く依頼なのだそうだ。それを前日の宴会が原因で無碍にしたとなれば……ギルドの立場上なんか色々とやばそうなのは想像が容易い。
「だからイロハちゃん! 私を助けると思って、お願い! 乗り気じゃないのは分かるんだけど、今は一人でも引き受けてくれる冒険者がほしいの!」
「えぇ~……」
分かりやすいほどに嫌な顔を浮かべるイロハ。今日も今日とて平凡な依頼を選んで平凡な一日を過ごそうと思っていたので、こういった緊急事態はお呼びじゃないのだ。
「人数が少ない分、配当される報酬の割合も多くなるからさ! もうイロハちゃんだけが頼りなの! ね?」
しかし、賢明なお願いを前に少し迷いが生じる。
ユリーネには色々お世話になってきたし、興味がないからと見捨てるのはかなり申し訳ない。
ついでに、日々の生活費にはいつだって困っているので、報酬を釣り糸に垂らされるのには弱かった。確かに彼女の言う通り、普段に比べて破格の報酬がもらえるのは間違いなさそうだ。
「うーん……」
期待の眼差しから逃れるように視線を逸らして、イロハはあれこれと思案する。
ノロパンデミックの尻拭いをさせられるは本当にご免被りたいのだが……ユリーネの必死な様子を前にすると、やはり放っておくことはできそうになかった。
はぁ、とイロハは溜息をこぼす。
「分かりました……やりますよ。今日の仕事はそれでお願いします」
「本当!? よかった~! 今度ご飯でも奢ってあげるからね!」
渋々ではあるが、根負けしたイロハは依頼を承諾する。
目の前のユリーネはぱあっと表情が明るくなる。話に耳を傾けていた近くのギルド職員たちからも安堵の息が聞こえてきた。
これも人助けと思えば悪い気はしない。
しかしくれぐれも牡蠣の殺菌処理は徹底してほしいものだ。異世界でその辺をどうしてるのかは知らないが。
「そういえば勇者様が来るって話も本当みたいよ。王都方面から直で向かうみたいだから、アクシオには顔を出さないようだけど」
ユリーネは早速受諾の手続きを手元で進めつつ軽快に語る。
「今じゃ式典の時ぐらいしか顔を見れない有名人だし、もし直接話せてたらどんな人か教えてくれない?」
言いながら、依頼内容をまとめた羊皮紙と現場が赤点で記された地図を手渡される。普段の依頼でこういった資料はないのだが、やはり国からの依頼となると手続き周りもしっかりしているようだ。
「勇者って言われても別に興味ないんですけど……」
「相変わらずねぇ。まあいいわ。依頼の概要は昨日話した通り。細かいことはそこに書かれてるから行き先で確認してね」
渡された資料にさっと目を通す。
……ちなみに書いてあることは二割ぐらいしか読めない。この世界の言語はまだ勉強中だった。
「あ、それと。街の外に出る以上、ちゃんと装備は持っていくのよ? 現場に勇者様がいるとはいえ、念のためね」
まるで忘れ物がないか子供に確認するお母さんのようにそう言い聞かされる。普段、街中で完結する依頼ばかりで武器を持ち歩かないイロハを心配してのことだろう。
「それぐらい分かってますよ」
気持ちは嬉しいが、そんなことをいちいち確認される冒険者は他にいないので少し気恥ずかしいイロハである。
雑に返事だけ返しつつ、部屋の片隅で放置されている簡素な弓矢のことを思い出す。最悪『右手の指輪』さえあれば問題ないのだが、あの弓矢は悪目立ちしないために買ったものだ。こういう機会にこそ持ち出さなければ意味がないだろう。
「じゃあ物資の運搬周りに関してだけちゃちゃっと説明しちゃうわね」
そうしてユリーネの口から紡がれる形式ばった説明に耳を傾ける。
今日はいつもより忙しくなりそうであった。
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