第03話 半年後の日常_01
始まりの街『アクシオ』。
かつて救国の英雄が最初に旅立った地であることからその名が伝わり、現在では駆け出し冒険者の街としても名を馳せるこの街は王国内でも随一の治安を維持している。
人口は決して多い方ではないが、日中であれば通りは賑わい人々の活気ある声で溢れる。街中の犯罪は少なく、スラムのような法の行き届かない土地も『アクシオ』には根付ていない。
" 始まりの街 " としての都合上、活気ある若者冒険者が非常に多く、周辺地域に棲みつく魔物も脅威度の低い種族ばかりなのがこの治安の良さの根底にあるのだろう。
全体的に幸福度の平均がとても高い……そんな街だ。
とはいえ、そこに暮らしていれば困りごとの一つや二つ自然と生えてくるもの。
例え平和な『アクシオ』でも、冒険者が仕事を求めて集う『冒険者ギルド』はいつだって賑わいを見せていた。
「ユリーネさん。迷子の猫捜しの依頼、さっき終わりましたよ」
「あら、イロハちゃん! いつも仕事早くて助かるわ」
酒場のような雰囲気のギルド店内。
掲示板の前に多くの冒険者がやいのやいのと集まる脇で、カウンター席に座った櫻羽いろはは向かいに立つ女性に話しかけた。
ギルドの制服に身を包む落ち着いた雰囲気の女性は、低い位置で結んでいるローポニーを揺らしつつイロハに笑いかける。
「報酬の支払いはもう済んだ?」
「さっき貰ってきました。食事いいですか?」
「ええもちろん。とりあえず……飲み物はいつものミックスジュースでいい?」
「はい。あとはお任せで」
ギルドの受付嬢──ユリーネ・ノイベルトは快く頷き、厨房側へオーダーを伝えに行った。
しばらくして戻ってきた彼女は、人の頭ぐらいドデカいジョッキに注がれたミックスジュースをイロハの前に持ってきてくれる。このドカ盛りドリンクがここ最近のお気に入りだった。
「今日も忙しそうですね」
世間話のノリで軽く語り掛ける。少し離れた先にある依頼掲示板と受付カウンターの前は今も騒々しさが続いていた。
「そうねぇ。けど、あれだけ冒険者がいてもE級の依頼はなかなか消化されないからイロハちゃんには感謝してるわ」
「え、そうなんですか?」
「駆け出しほど魔物討伐の依頼をやりたがるものなのよ。もっと上を目指すんだってね」
ユリーネは少しうんざりした様子を滲ませる。その姿だけで何となく苦労を察せられる。
「その点、イロハちゃんは面倒がられる依頼もちゃんと受けてくれて助かるわ。受付嬢の間でもイロハちゃんはずっと街にいてほしいな~ってみんな言ってるわよ」
「私は好きにやってるだけですよ」
「迷子のペット捜しや庭の草むしりを好きでできる人はなかなかいないものよ」
「そんなものですかね……」
ジョッキから一口含みつつ、やんわりと相槌を返す。
ちなみにユリーネの言う " 面倒がられる依頼 " ──E級依頼とは、ギルドに届けられる依頼の中で最も達成が容易と判定された依頼群のことを指す。
迷子の捜索、買い出しの手伝い、庭の掃除、暇な老人の話し相手など……街の中だけで完結する簡素な依頼が主だ。イロハはいつもそういった依頼ばかりを受けて報酬を得ている。
「イロハちゃんがうちで冒険者登録を行ってもう半年だっけ? あの頃は右も左も分からなかったのに、今やこんなに立派になって……」
「や、やめてくださいよ。冒険者等級はずっと下位のままですし、私なんてまだまだ半人前です」
「冒険者は等級だけじゃないわ。少なくとも、私や依頼をくれた住民の方々はイロハちゃんの頑張りをちゃんと評価してるから」
直球で褒められるとどうにもむず痒い。照れを誤魔化すようにもう一口ジョッキをあおる。
(そっか。もう半年か……)
飲み慣れたフルーツの甘みと酸味を堪能しつつ、ふと思い返す。
半年──言われるまで意識していなかったが、ここに来てもうそんなに経ったらしい。
イロハがこの街に来た時は、とにかく全てが未知だった。
金もなく、住む場所もなく。途方に暮れていたところを偶然にもこのユリーネが声を掛けてくれたのだ。あれは本当に幸運だったと思う。
それから冒険者になり、新米冒険者の制度を利用して部屋を借り、なんとか生活環境を整えて……今に至る。
人間やればできるものだ。まだまだ慣れないことは多いが、何とか生計を立てられている現状に我ながら感心してしまう。
「でも、今の話から言うのはなんだけど……せっかく冒険者になったんだし、もっと上を目指したいとかはないの?」
「上っていうと……上位の冒険者ってことですか?」
「というより、『らしい』依頼をもっと請けてみたいとか思わないのかなって。普通は冒険者になる人なんて、強い魔物を討伐して名を上げたい人ばかりだから」
実際、だからこそE級依頼は余りがちなのだろう。そうした結果、掲載の期間を過ぎて依頼側からギルドに苦情が入り、それを一身に受けるギルド関係者のストレスに繋がるわけだ。
しかしイロハは首を横に振った。冒険者としての出世には左程興味がなかった。
「私はいいですよ。冒険者になったのも生活のためで、他の人達みたいに夢があるわけじゃないですから」
「でも少しは憧れたりしない? パーティー組んで、でっかい魔物に立ち向かって、その日の報酬でぱーっと打ち上げして……みたいな」
「それはそれで楽しいんでしょうけど……私、依頼主が目の前で喜んでくれるのが嬉しいんです。それに飽きない内は今のままでいいかな」
「はぁー、イロハちゃんはホントにいい子ね! おかわり欲しかったら言ってね。それぐらいはサービスしてあげるから」
いい子なんて褒められるのはやはりムズムズするが、悪い気はしないので素直に受け取っておく。
──魔物討伐自体、イロハもまったく経験がないわけではなかった。
できるだけ目立たないようにわざわざ初心者用の弓矢を買って、『力』を使わずに出向いたことが何度かある。流石始まりの街というだけあって魔物も弱い個体ばかりで、そこまで苦労せずに達成できた。
が……やっぱり好きなのは人の笑顔を直接見れる依頼だった。
誰かのためになる正義の味方……かつてはそれを夢見て、『力』を求めたから。
周り回ってその夢が叶っているようで、イロハは今の生活に満足していた。
「そういえば生活の方はどう? 苦労してない?」
「はい、おかげさまで。その節は色々助けてくれてありがとうございました」
「いいのよ。記憶喪失だなんて聞いたら放っておけないもの。また困ったことがあったらいつでも相談してね」
ユリーネの言葉を聞いて若干心苦しくなるも、悟られないよう笑顔を返しておく。
別に記憶がないわけではないのだが、色々とややこしい説明を省くためにずっとその体を貫いていた。嘘をつき続けるのは正直滅入るが、今後もこの嘘とは付き合っていく必要があるだろう。
「あっ。そうそう」
何かを思い出したユリーネがおもむろに会話を区切った。
「明日、実は大型の依頼が掲載される予定でね。ある調査のお手伝いなんだけど……イロハちゃん、大型依頼は請けたことないわよね?」
「普通の依頼と違うんですか?」
「大型依頼は雇用するパーティーがひとつに限らない依頼のことよ。数人じゃ手に負えないような内容だから定員を決めずに掲載するのよ」
「定員がないって……それ大丈夫なんですか? 報酬とか」
依頼の報酬は、当然だが依頼主の懐から出るものだ。話を聞く限り余程の富豪でもないとその形式で依頼できるとは思えない。
その疑問に対して、ユリーネはすぐに答えた。
「ほとんどの大型依頼は『国』から出るのよ。だからそういう心配とは無縁なの」
答えは至って単純だった。国からの直接依頼となれば、確かに報酬はいくらでも出せるだろう。
しかしそれに吊られ、新たに湧いて出た疑問が口を突いて出る。
「あれ? じゃあ国から依頼があったってことですか? こんな駆け出しばかりの街に」
こんな、というのも少し失礼だが、実際大部分の冒険者が新米であるのがこの『アクシオ』。
国から提示される重要な依頼を遂行するのに向いているギルドとは正直考えにくい。
「当然おかしいと思うわよね。でも色々事情があってね。イロハちゃん、『黒域』の話は聞いてる?」
聞き覚えのない単語に首を傾げる。ユリーネはすぐに説明を始めた。
「『黒域』っていうのは最近になって王国の一部地域で突然発生した異変でね。大地が真っ黒に染まってマナが枯渇するっていう不思議な地質現象よ」
「黒く染まる……変なことも起きるもんですね」
「そうね。ま、村一つ分にも満たない範囲が三か所ほど確認されてるだけなんだけど……実はその内の一か所が、最近アクシオの近くで見つかったばかりなのよ」
ユリーネの語る『黒域』とやらを、イロハはもちろん見覚えがない。最近は街から出ていないので当然といえば当然ではある。
「『黒域』はまだ謎の多い現象でね。魔道学や地質学の学者が色々調べてる真っ最中みたいよ。で、調べるにはもちろん『黒域』内の黒く染まった物が何でもいいから大量に必要なわけ」
「あぁー……なるほど」
なんとなく話が見えてきた。ぼんやりとだがユリーネの言いたいことを理解する。
「だから、最も近い街のアクシオに『黒域を調査してほしい』って依頼が国から届いたのよ。厳密には、何でもいいから目ぼしいものが見つかったら持って帰ってきてほしいってね」
「広さにもよりますけど、確かにいちパーティーだけじゃ荷が重そうですね」
「そ。特にアクシオ付近の『黒域』は今までで一番広いらしいから」
淡々と語られる内容を気持ち半分に聞くイロハ。言っては何だがあまり興味が引かれる依頼内容ではない。
その様子を見てか、ユリーネは力ない笑みを浮かべた。
「たまにはこういう依頼もどうかなって思ったんだけど……その様子じゃあまり刺さらなかったかしら?」
「まあ、別に私がやらなくても他に一杯参加するだろうし」
「でも普段と気分を変えるのにいいんじゃない? 報酬も破格だろうし。それに噂じゃ、例の『勇者様』も参加するって話よ」
「勇者……」
思わずその言葉を繰り返す。聞き馴染みのない単語ではあるが、どういう存在かは知っていた。
──二年ほど前らしい。
世界を征服しようとした『魔王』を討伐した一人の冒険者がいた。
その者を『勇者』と、この国では呼び称えている。
コテコテの偉業だとは思うが、世界を救ったのは事実なのだから『勇気ある者』の称号を与えられてもなんら不思議ではないだろう。
しかしそんな勇者様がただの調査依頼にわざわざ出張ってくるほどかとも疑問に感じる。イロハの問いを察して、ユリーネはすぐに補足した。
「『黒域』の中は危険な魔物が棲息し易いって話でね。勇者様本人も『黒域』の調査には積極的で、アクシオでの大型依頼には魔物掃討の役目で参加したいって要望があったらしいわ」
「へぇ……」
「普段は忙しくて人目に出れないらしいし、直接会える機会はなかなかないと思うわよ。それも『始まりの街』なんかにいたら特に」
つまり有名人に会えるまたとないチャンスだと言いたいらしい。
しかしイロハは微妙な反応しか返せない。他の冒険者からしたらきっと憧れの対象でもあるのだろうが、高い志を持っているわけでもないイロハはやはりそこまで興味を引かれなかった。
「うーん……じゃあ、気が向いたらやります」
「それやらない奴よね? ま、イロハちゃんのことだからそんな気はしたけど」
あまり食い下がることもなくユリーネは話を終えた。最初からそこまで期待はしておらず、世間話と同程度の心持ちだったのだろう。
チリンチリン、とベルの音が奥から響く。
慌てて振り向いたユリーネはすぐにその場で身を翻した。
「厨房から呼ばれてるわ。また後でね」
そう言ってカウンターの奥に小走りで向かうユリーネの背中を見送り、イロハはフルーツジュースをまた一口。
(大型依頼か……)
今の会話を少しだけ反芻する。
本音を言うと報酬の量はちょっとだけ気になるのだが……結局、やる気が出るかが一番である。
今のところ琴線に触れるほどの魅力は感じられず、明日もきっと普段通りの依頼を請けることになりそうだと、背もたれに体重を任せながらぼんやりと浸るイロハであった。
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