彼とお揃いの参考書
「受験勉強嫌だー。ずっと遊んでたい」
春休みの人がいない学校の運動場で私はサッカーボールに苛立ちをぶつけるように蹴飛ばした。
「おい、どこ蹴ってんだよ」
男友達で幼馴染の太一が頭上を通り過ぎたボールを舌打ちしながら追いかける姿を腰に手を当て眺める。
いい気味だ。
それもこれも太一が「三年に上がったら受験勉強に集中するから遊べなくなる」なんて言うからだ。
ずーっと幼馴染してきた私への裏切りへの報いを受けろ。
「はぁはぁ、別に里穂が受験する高校はそんな偏差値高くないんだから勉強しなくてもいいだろ」
私は遠くから飛んできたボールを胸で勢いを殺して、地面に置いた。
相変わらず蹴るのが上手くてむかつく。
そのうえ頭までいいとか、天は二物を与えずという教えはどこにいったのか。不公平だ。
「太一から見たらそうだろうけど、私からしたら結構頑張らなくちゃいけないんだから」
今度は蹴りすぎないように慎重にボールを蹴ると、転がるように太一の足元へと渡る。
「あっそ、まぁ、頑張れよ。小中と一緒だったけど、さすがに高校でお別れだな」
「えっ……」
そうだ、太一と違う高校を受験するということはもう会う機会も無くなるんだ。
昔からずっと一緒にいたからこの先もそうだと勝手に思ってた。
なんでそんな簡単なことに今まで気づかなかったんだろう。
「おいっ、ちゃんと止めろよ!」
太一が蹴り返したボールが私の足の間を通り過ぎていくのを呆然と見送った。
それが春休みに太一と遊んだ最後の日だった。
長期休暇が終わり、私は正式に中学三年生になった。
幼馴染の太一とは三年連続で同じクラスなのに憂鬱な気分が晴れない。
原因は分かっている。
太一が今も女子と二人で楽しそうに話をしているからだ。
去年まではあの場所には私がいたはずなのに。
「あの二人お似合いだよね」
「そうね」
頬杖をつき窓の外を見ながら前の席の和子へ返事を返した。
「クラスで成績トップの二人。イケメン高身長の太一君と気配り上手でスタイル抜群の綾香ちゃん。まるで映画に出てくるカップルみたいだわ」
「そうね」
「もしかして付き合ってたりして」
「あーもう!うるさいなぁ。あの二人のことなんてどうでもいいじゃない」
バンと机を叩いて和子を睨む。
「そんなに怒ることないじゃない。もしかして太一君のこと好きなの?嫉妬?」
「そんなんじゃないわ」
ただの八つ当たりだって分かってる。
なんでこんなにイライラしてるんだろう。
窓の外を見ながらため息を吐いた。
放課後に私は太一と一緒に本屋へと来ていた。
教室で誘ったとき、開口一番に「お前が本屋に行くとか明日雪でも降るのか」なんて呟いたので頭を小突いてやった。
「それで、参考書選びを手伝ってほしいだって?」
「太一はどの参考書で勉強してるの?」
「教えてもいいけどよ、俺の目指してるとこはレベル高いぜ?あんま参考にならないかも」
暗に馬鹿にされたような気がして、いらっときたがぐっと堪えた。
ここで文句を言って帰られたら最悪だから。
今は惨めな気持ちを飲み込んでもいい。
「いいから、教えて」
「んー、いつも使ってるのは……これと、これと、これもかな」
太一は参考書コーナーを歩きながら、次々と本棚から本を取り出し左腕に抱えていく。
一周するころには十冊を超えていた。
参考書ってこんなに分厚いの?教科書の何倍もあるじゃない。
私の驚く様子を見て、太一がなぜか満足げな顔をしている。
数学の授業で黒板に書かれた難しい数式を前に生徒を見る教師と同じ表情だった。
どれだけ難しい本を読んだって太一がすごくなるわけじゃないのに。
「それちょうだい」
そう言って無理やり本を奪った私はレジへと向かった。
まさか全部買うとは思っていなかったのか、私の突然の行動に太一は呆気にとられていた。
レジ袋を受け取り、書店を出ると後ろから慌てたような声がかかった。
「おいおい、お前どこの高校受けるつもりだよ」
私は深く深呼吸をした後、人差し指をゆっくり太一へと向けて、
「太一と同じとこ行くから」
そう宣言した。
「え?まじ?」
「うん」
「……そっか。里穂」
短く返事をした後、太一は私との距離を縮めると、ゆっくり顔を近づけてきた。
「な、何よ?キスでもするつもり?」
目をそらして長髪を撫でながらそう言うと、太一は返事の代わりに私の肩を引き寄せた。
え?何?まさか本当にキスされるの?どうして?なんで?
焦って混乱している間も近づいてくる唇に思わず目を閉じると、頬にくすぐったい感触が伝わってきた。
「唇は合格してからな」
「それって……」
「絶対受かれよ」
太一はぶっきらぼうにそう言って書店の前から一人歩き去っていった。
何よ、かっこつけちゃって。そんなセリフで勉強嫌いな私が本気になるとでも思っているの?
ポケットのスマホが鳴ったので、見てみると母からの電話だった。
「もしもし?」
「まだ帰らないの?」
「今帰宅中だよ」
「そう、早くしなさいよ」
そういうとぷつりと電話が切れた。
スマホのホーム画面にはゲームのアプリがいくつも並んでいる。
私はそれを一つずつすべて削除していった。
睡眠時間を削るほどやっていたゲームなのに、今となっては邪魔なものにしか見えなかった。
「恋は猛毒ね。こんなに即効性があるなんて」
レジ袋に入れてある彼とお揃いの参考書を撫でると胸がきゅんと締め付けられる。
あんなに嫌っていた受験勉強を今はしたくてたまらなかった。