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『りてらちゅあっ!』⑧ 人に溜め息吐くと幸せが逃げちゃうよ

(初出 note、2023年2月4日)


「はあ~……」

 USBを差したSurfaceを机に広げ、藍原センシは深々と溜め息を()いた。近日公開とツイートした小説の終盤、大団円への繋ぎに昼夜呻吟している今日この頃だ。連載開始が延長されている事へのお詫びのツイートすらも、最近では半ば愚痴に変わりつつあり、これではいけないと学校でも時間を見つけては原稿と向き合っているが、一向に埒が明かないのだ(注1)。

「どうしたの藍原君、溜め息なんか吐いちゃって」

 女子生徒・鷹嘴(タカハシ)さんが声を掛けてきた。

「溜め息吐くと幸せが逃げちゃうよ」


          *   *   *


 これは創作だが、鷹嘴さんの言葉は誰もが何処かで聞いた事があるはずだ。出所は不明、わざわざネットを使って調べたが、溜め息ばかり吐くような生活を送っている事が浮き彫りになるからだとも、溜め息がうるさすぎて仕事仲間から孤立した人が居るからだとも、信憑性に欠ける情報が出回っているばかりだった。医学的には、深い呼吸は交感神経を休ませる為にいいとされている。

 だが、ここで藍原君と鷹嘴さんの会話の続きを考えてみよう。きっと藍原君は、心優しい鷹嘴さんに「何かあったの?」と聞かれるだろう。彼は調子に乗りやすく、おまけに最近ではストレスが溜まっているようなので、あれやこれやと自分が「大変である事」を喋り出すだろう。

 溜め息と共に幸せが逃げる原因は、ここにあると私は思う。

 人間は、自分の苦労を語りたがる習性がある。街角で近所のおばちゃんが二、三人集まり、「あら奥さん聴いて下さいよ」と仕事や家庭での愚痴を笑いながら話している様子を読者諸賢も見た事はないだろうか。或いは友人と雑談すると、交友関係に於いての愚痴やムカつく誰かを撃退してやった、というような話、教師への悪口がかなりの確率で飛び出すとは思わないだろうか。また、ネットを見ると「私は大変だったのだ」という自分語りが、五分に一回の割合で目に入らないだろうか。

 カウンセリングは、自分の話を誰かに聴いて貰う事で気持ちが楽になる、という効果がある。ある程度蓄積された感情は、少しずつ吐き出さねば心身に良くない。だがあまりにも、「自分の大変さ自慢」をする人が身近に多い、と感じる事はないだろうか。何故自分は、毎度同じような話を聴いているのだろう、と。

 人が自分の大変さを語りたがる最大の理由は、同情が欲しいからだ。自分が大変であるという事を語れば、それは自分が我を通しても良いという根拠のように思えてくる。何故か? 実際、優遇されるからだ。「俺の身にもなってみろ」と言えば、相手も「それじゃあ仕方ないか」と思う。

 この思考のやり取りを、人は大人になる前に把握してしまう。幼い頃、病気や怪我があれば「休んでいいよ」と言われた経験、もしくは手に負えない事で泣いている時に、周りの大人が代わりを引き受けてくれた経験。これらが積み重なり、自分が大変さを訴えれば現実が何とかなると()()()()()()のだ。

 ここでもう一つ、人の心の厄介な作用がある。自己正当化だ。

 自分が隠していた問題が発覚した時、嘘が露見した時、人が言い訳をするのは何故だろうか。自分の行動の理由を納得させたいからだが、それは他人にだけではなく、自分にも同じ事が言える。これは良心によるものだ。一般的に悪いとされている事をすれば、心が痛む。時折良心を持ち合わせていないような凶悪犯で、一向に反省の色を見せない犯罪者も居るが、彼らは”言い訳”をしない。言い訳をするのは、自分の行動を悪いと思いながらも正当化したいからだ。

 嘘を()いた時、露見する事が怖くなるだろう。自分を安心させる為に、「だって」と心の中で付け加えるだろう。これは、大変さの自慢にも同じ事が言える。同情を得るには、なるべく苦労が大きい事をアピールする必要がある。だから、多少出来事を誇張して、針小棒大に言う。そこに、胸中では無意識に自己正当化が働き、「だってあれも大変だったし、これも大変だったし」と理由を探す。

 これを繰り返していると、何が起こるか。

 やがて、自分の頑張りを苦労付きでアピールする為に、日常で大変な事、嫌だと思う事を無意識のうちに探すようになってしまう。自分が可哀想な人間だという事を、徹底的に裏打ちしたくなる。結果、「幸せだ」と思う事よりも、「大変だ、不幸だ」と思う事の方が目に付きやすくなる。それ以降は魔の無限ループだ。大変な事を見つけて苦しみ、自慢し、また大変な事が目に付きやすくなり……という。

「溜め息吐くと幸せが逃げちゃうよ」が言葉足らずなのであれば、正確にはこうだ。

「人に向かって、大変さ自慢のきっかけを作る目的で溜め息吐くと幸せが逃げちゃうよ」と、この通りである。


          *   *   *


 勘違いして頂きたくない為ここで強調しておくが、私は「ストレスを抑え込め」と言っている訳ではない。本当に(つら)い事があったら、カウンセラーでも身近な人でも、心を許せる相手に話を聴いて貰う事を躊躇ってはいけない。

 だがこの「大変さ自慢」が目的な人は、相手を選ばない。何故なら、彼らの話す内容は「解決したい事」ではないからだ。誰かに()()()解決して貰いたいのではなく、()()()()で頑張っている事をアピールしたい。そして、辛いという感情を共有したいのではなく、押し付けたい。そんな事は思っていない、と反論されても仕方ない。当事者自身には、この無意識の作用力動を知る(すべ)はない。

 付け加えると、「幸せが逃げる」という言葉にはもう一つの意味がある。

 面白くもない愚痴をつらつらと聴かされ、「自分はこれ程頑張っているのだ!」と毎日のように言われ続ける事を想像して頂きたい。聴かされる方は堪ったものではない、と思うのが当然だ。客観的に彼らを見て、大変さ自慢のシステムを理解している人は同じ事をしない。だから、「私はあなたの苦労話を延々と聴かされて大変なんですよ」と同じ事は言わない。ただ、無言で離れていく。

 結果、誰彼を問わず多くの人から同情を貰いたくて、頑張りを分からせたくて大変さ自慢を続けていた当人が孤立するという本末転倒な事態が発生する。身の回りで発生する事柄の捉え方が悪くなる、という形而上学的な意味などではなく、本当に、現実に幸せが逃げていくのだ。

「そんなの誰でもする事じゃん」「それで孤立するなら、周りの人皆不幸になっているだろうよ」などと楽観的に考えて貰っては困る。それは、あまりに私の警告するような内容に該当する人が多い証拠であり、誰もが気付いていないからこそ発生した「ツケ」のようなものである。気付いた人は、容赦なく離れていく。そこで何かおかしいな、と思う頃にはもう遅い。魔の無限ループは、予想しているよりもゆっくりと進行するものだ。気付くのが遅れれば遅れるだけ、ツケは溜まっていると考えた方がいいだろう。


          *   *   *


 ここまで読んだ方で、私がまだ学生である事を引き出し、「お前が知らないだけで世間はもっと複雑なんだよ、俺たちはお前よりずっとそれを知っていて、そんな中で大変な思いをして生きているんだよ」などと考えた人へ。

「ほら、また始まっていますよ、大変さ自慢。私なんかよりもずっと、自分が大変だと仰りたいのですね。それはあなたより、私の方が幸せだという事で宜しいでしょうか?」

 こんな事を言われても、否定はしないのだろうか。



(注1)最近ではこういう事はなくなったのでご安心を。

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