第65話 奇跡
『銀花の女王が金花の王を、身を挺して救うとは……』
白琳が息絶えてから間もなくして、突如凪いだ水面のような優美で神秘的な音が辺り一帯に冴え渡った。
悲涙を流し、項垂れることしかできなかった理玄は、咄嗟に声が聞こえた窓の外を見る。忍び泣いていた梟俊たちも驚いて顔を上げた。
そこには、白銀と紺青の両翼を羽ばたかせている艶美な神鳥がいた。
「まさか、鸞か……?」
『いかにも』
理玄が問うと、鸞は首肯した。
――そうだ。鸞なら彼女の呪縛を解いて蘇らせてくれるかもしれない……!
そう思い立った瞬間、気づけば理玄は縋るように叫んでいた。
「頼む! お前の力で彼女をっ――白琳を生き返らせてくれっ‼」
『…………』
鸞は青藍の怜悧な瞳を白琳に向け、何かを見定めるように彼女を凝視する。
「俺にできることがあれば何でもする! もし代価が必要だというのなら、俺の命を――」
『その娘を連れて、銀苑に来るがよい』
鸞は一言そう告げて窓から姿を消し、先に銀苑へと降り立った。
淡い希望の光が濃紫の双眸に宿り、理玄は言われた通りすぐさま白琳を抱えて執務室を後にしようとする。
「理玄様! もしや、白琳様を助けるために自らお命を捧げるおつもりですか⁉」
行ってはなりません! と、秋冷が呼び止める。梟俊と美曜も憂慮の念を露にして理玄の背を見つめる。
理玄は振り返って気丈に答えた。
「大丈夫だ。鸞はまだ俺の命を取るとは言っていない」
「ですがっ――」
「……もし、命《代価》が必要だというのなら、俺はそれを受け入れる」
俺が命を差し出してでも、彼女には生きていて欲しいから。
「理玄様……」
「秋冷。すまない」
理玄は退室して、鸞が待つ銀苑へと向かった。
秋冷は呆けたまま理玄が去った方角を見つめ、梟俊と美曜は窓から顔を覗かせて鸞がいる銀苑の園庭を見下ろす。
理玄が銀苑に足を踏み入れると、鸞は彼を視界に入れるや否や『来たか』と呟いた。
「白琳を生き返らせてくれるのか?」
『そうだ。今その娘を亡くすには惜しい気がしてな。……それに、もうこの縛りも要らぬかもしれぬ』
薄命の呪縛も解いてくれる。
こんなにも好都合なことがあってよいのかと、理玄は顔を明るくさせた後すぐに神妙な面持ちで言った。
「じゃあ、俺の命を彼女の代わりに……」
『それは必要ない』
きっぱりと断って、鸞は両翼を広げる。すると、白琳はたちまち青白い光に包まれ、理玄の手から離れた。そのまま鸞と理玄の間で宙に浮く。
『我は生と死の理に直接干渉できる。他者の命を代価にせずとも、死者の肉体が残っていれば蘇生することが可能だ』
何より、鳳凰の加護を持つお前の命を容易に奪うわけにはいかぬ。
「鸞……」
そこで、後方から突風が吹いた。髪を押さえて理玄は振り返る。
「鳳凰!」
鸞の強い気配に導かれて、鳳凰は理玄の隣に着地する。
『……久しいな。鸞』
約七百年振りの番との再会に、鸞の双眸に宿る紺青の光も一層輝く。そして、眼前に横たわる少女に意識を集中させた。
鸞は一度空中に飛び立ち、翼を強く羽ばたかせる。
すると、数多の白銀と紺青の羽が飛び出て白琳に突き刺さった剣を囲い、引き抜いた。そのまま羽は傷口に溶け込んで消えていく。まるで、白琳の一部となるかのように。
その後、瞬く間に白琳の傷は塞がっていった。花唇を赤く濡らし、美麗な青白の装束に染みていた血も全て跡形なく拭い去られる。
理玄は只々、その神秘的な現象に見入っていた。
『これで蘇生は完了した。縛りも解いておいたぞ』
白琳が理玄の手元に戻る。すると、花瞼がぴくりと微かに動き、やがてゆっくりと瑠璃の双眼が開く。
「ん……」
「白琳……!」
「……理玄、様?」
悲嘆の涙が、歓喜の涙へと変わる。
理玄はより強く白琳を抱き寄せた。
「良かった……! 君が……生きて、くれてっ……!」
嗚咽交じりに喜びを噛み締める理玄に、白琳は目を細めて彼の雫を優しく掬い取る。
「はい。理玄様もご無事で良かったです。あ、でも頬や二の腕に傷が……」
「ああ……。こんなの、掠り傷だ……」
心配ない、と理玄は柔く笑み、再び地に降り立った鸞を見る。
「感謝する。鸞」
初めて見える二羽の神鳥に、白琳は驚愕する。
「鸞……⁉ それに、鳳凰も……!」
理玄がそっと白琳を降ろし、彼女は鸞に向き直った。
「あなたが、わたしを……?」
『そうだ』
「でも、なぜ……」
『そなた自身が、再び銀花と金花が共に舞い散る国を取り戻す契機だからだ。そなたの言動を垣間見て、我がそう信じることにした』
「わたしが、桂華国を再興する契機……」
鸞の言葉に、白琳はそうだと思い立つ。
「民の暴動と銀桂軍の侵攻を止めなければ……」
「だが、体は大丈夫なのか?」
身を案じてくれる理玄に、白琳は「大丈夫です」と微笑む。
「神経毒も鸞の治癒のおかげで解毒されたようです。体も自由に動かせます」
「そうか。なら良かった」
理玄はほっと安堵の息をつく。
すると、鸞が身を屈めた。
『乗れ。民の元に向かうのだろう?』
「ありがとう」
白琳が背に乗ると、鸞は天高く舞い上がった。
理玄が言うまでもなく、鳳凰も既に彼を連れていく姿勢になっていた。
理玄は素早く鳳凰の背に乗りこみ、白琳たちの後を追う。
「理玄様!」
銀漢宮の二階窓から、秋冷がこちらに手を振っていた。理玄の犠牲という残酷な結末にならなかったことに安心したのだろう。その表情はいつもより晴れやかだった。一連のやり取りを見守っていた梟俊と美曜も感極まったように涙を拭っている。
「秋冷! それから梟俊殿と美曜殿。すまないが、後のことは頼んでもよいだろうか」
「お任せください。お気をつけて」
秋冷たちの首肯に、理玄も頷き返してその場を去った。




