第64話 相愛
「え?」
「なっ……!」
何が起きたのか分からず、掠れた音吐が理玄の口から零れ出る。稟玫も不意の出来事に剣を振り捌く手を止める。
彼らの驚愕に次いで小さな吐血音がしたかと思えば、理玄の目に映る純白の視界が揺らいだ。最後にはどさっと鈍い音が残響した。
おそるおそる目線を下げると、腹部に深々と刃が突き刺さった白琳が倒れていた。
「白琳殿ッッ‼」
叫んで理玄が白琳を抱き起こすと同時に、鶖保がしてやったりと言わんばかりに哄笑する。
「ははっ……ハハハハハッ! まさか、神経毒を盛られながらも身を挺するほどの力があったとは。予想外の結果だが、目的は果たせた!」
これで桂王朝は終わった‼
天井に向かって高笑う鶖保に、理玄の顔は段々と義憤と憎悪に染まる。
「鶖保……貴様ッ‼」
理玄は愛刀を鶖保めがけて投げ飛ばそうとする。だが――
「理玄様!」
彼の暴怒を収めたのは秋冷だった。秋冷はいつの間にか六将軍を撃破しており、鶖保に向けて短剣を投擲する。短剣は急所を外れ、鶖保の右腕に刺さった。そして、彼が怯んだところを秋冷は即座に鳩尾を突いて気絶させた。
「秋冷……」
「貴方がこんな外道に手を汚す必要はありません」
うつ伏せになった鶖保を冷酷に見下ろしながら、秋冷は一段と低い声音で言った。
「おのれ、よくもっ!」
すると、稟玫が怒りに身を任せて秋冷に切っ先を向ける。しかし、今度は理玄が愛刀の柄を彼女の鳩尾に勢いよく押し付けた。呻き声をあげて、稟玫も闇に落ちる。
乱闘が終わり、室内が静寂に満ちるなか、理玄は愛刀を投げ捨てて白琳を抱え直す。
「白琳殿!」
愛する者から名を呼ばれ、白琳はゆっくり瞼を開けてか細い息を途切れ途切れに吐く。
「理玄、様……。良かっ……た……。無事、で……」
安堵したように白琳は弱く笑んだ。その儚い微笑に、理玄の心は益々強く締め付けられる。
傷に目をやると、清麗な玉体がみるみるうちに赤く侵蝕されていく。
「くそっ、出血が!」
剣を抜こうとすれば、白琳が激痛で苦しむうえに大量出血で死に至らしめてしまう。だから傷口を強く押さえるしかないのだが、それでも鮮血の波は一向に止まらない。
梟俊と美曜、それから秋冷も理玄たちの元に向かい、出血を止めようと試みるが、如何せん傷が深く効果が無かった。
「ッ――――俺が、奴をちゃんと倒していたらっ……!」
自分に敵を瞬時に一掃できるほどの力があれば……。
自分がもっと早くここに来ていれば……。
彼女を……こんな目に遭わさずに済んだ。
「……俺のせいだ」
激しい自責の念に駆られ、理玄は己が顔をこれ以上なく歪ませる。
「陛下……」
「陛下っ……!」
梟俊と美曜も滂沱の涙を流していた。秋冷も眉間に皺を寄せて瞑目し、静かに俯く。
「理玄、様……」
すると、理玄の頬にそっと繊手があてがわれた。
理玄ははっとして、白琳を見つめる。
「ご自分……を……どうか……責め……ないで……」
「喋るな! 傷に障る! 大丈夫だ。必ず助け――」
「理、玄様……。お願い……です……。聞い、て……くだ、さい……」
薄弱とした――けれど、強い意志を宿した澄徹とした音が理玄の口を塞ぐ。
「先、ほど……命、を……奪われ……そうに……なった、時……。わたし……もう、一度……理玄様……に、会い……たい、と……思って、いた……ん……です……」
「白琳殿っ……」
「だから……理玄……様、が……来て、くだ……さった……時……すごく……嬉し……かった……」
絶え絶えな玉の声が耳朶を震わせる。
抑えきれない激情が雫となって頬をなぞるが、理玄はそれに構うことなく激しくかぶりを振った。
「来て……くだ、さって……て、あり……がとう……ござ、い……ます……」
「もういい……もういいからっ‼」
「……最後、に……一つ……だ、け……。わた、しは……理玄、様……を、お慕い……し、て……います……」
あな、た……が……好き、です……。
涙に濡れた紫瞳が大きく見開かれる。
『今は分からなくとも、いずれはお前自身がその気持ちにちゃんと名前をつけなきゃいけない』
東屋で語らった時、仁鵲に言われたことが脳裏に浮かぶ。
ああ、そうだ。この気持ちにはとっくに名前がついていた。
瀕死の重傷を負ってなお、人を惹きつける笑みを見せる白銀の少女。
こんな時であっても愛おしさが己を支配して、理玄は堪らず白琳を抱きしめた。
「俺も、君が好きだ……。白琳」
君が好きなんだ。
君と一緒に桂華を創りたいから。
君の笑顔を、ずっと隣で見ていたいから。
「だから、俺を置いて死ぬなっ……!」
清廉な輝きを放つ碧瞳を瞠り、白琳は緩やかに口角をあげて落涙する。
「う、れしい……です……」
白琳と呼び、自分も好きだと想いを返してくれて。
ああ……なんて、幸せなんだろう。
「あり……がとう……ござい……ます……」
花唇が動かなくなり、花瞼もゆっくり閉ざされる。
「……白琳?」
抱き寄せる少女は更に青白くなり、段々と熱が感じられなくなっていく。
「白琳……! 頼む、目を開けてくれ!」
白琳っ‼
どんなに名を叫んでも、あの透き通った瑠璃の宝玉を見せてくれない。
「白……琳……!」
真紅に染まった玉体を抱えた青年の哀咽が、室内に虚しく響いた。




