第56話 仮面剥がれる
「え……」
激しい眩暈に襲われ、白琳は思わずその場で頽れてしまう。
「陛下! どうされましたか……うっ」
すると、白琳に駆け寄ろうとした護衛兵が突然昏倒した。
一体何があったのかと、白琳が顔を上げた刹那――
「きゃっ」
美曜の小さな悲鳴が鼓膜を掠めた。次いで、信じ難い光景が目に飛び込んでくる。
「掩玉……? あなた、何をしているの?」
「申し訳ありません、陛下。これが本来の仕事ですので」
掩玉が――いや、掩玉であって掩玉ではない少女が、鋭利な短剣を美曜の首元に肉薄させていた。そして、凍てついた眼差しで白琳を見下ろしていた。
「……この人を気絶させたのもあなた?」
「はい」
白琳が隣で伏せっている護衛兵に目をやりながら問うと、冷淡な肯定が帰ってきた。
天真爛漫で明朗快活な彼女はもういない。まるで、彼女に別の人物が憑りついたかのような錯覚を覚えてしまうほど、眼前の少女は冷酷無慈悲だった。
「な、何をしている!」
そこで、驚きのあまりしばし呆然としていた梟俊が少女の元へ歩み寄る。
「動かないでください」
しかし、美曜《人質》の存在がその足を留めた。
「それ以上動けば美曜さんの命はありません。陛下をお助けしようとした場合も同様です」
「くっ……!」
梟俊が歯噛みする一方で、白琳は美曜を案じると同時に己の身体に起こった異変に混乱していた。
――そんな、どうして……!
未だに軽い眩暈がするうえに、段々と手足が痺れてきたのだ。最早、自力で立ち上がることすらままならない。
「上手くいったようだな」
渾沌とした空間に冴え渡る、落ち着いた低い音。
その音を発した主に一斉に視線が集まる。
「鶖保……⁉」「鶖保殿!」
扉の前には、一部の六将軍と六軍兵を引き連れた鶖保が佇んでいた。
白琳と梟俊が同時に愕然としたところで、彼は不敵に笑んだ。
*****
時は少し遡り、白琳が梟俊からの知らせを聞いていた頃、秋冷は楼閣の屋根から禁門前で起きている騒動を見下ろしていた。
大勢の民が四か所の門前に殺到し、喧々囂々と批難の声をあげている。なかには武器を携えて宮廷に侵入する大胆不敵な者もおり、宮廷内は抗争状態になっていた。
「この数日、何の動きも無いと思えば急に来ましたね」
「秋冷様」
目を眇めて独り言ちていると、部下の一人が鳥籠を持ってやってきた。
「どうやら遂に、あの御方を呼ぶ時が来てしまったようです」
実に残念だと語る面様で、秋冷は鳥籠の蓋を開けて金鳶に言う。
「この文を理玄様に渡してください」
秋冷は小さな紙きれを金鳶の足に括りつける。
「頼みましたよ」
金鳶は両翼を羽ばたかせて金桂がある方角へと飛び去っていった。その速さは並の鳥類を遥かに凌駕し、瞬く間に彼方へと消えていく。
「理玄様がいらっしゃるまでは、我々が白琳様たちをお守りしなければ……」
秋冷は理玄が銀桂に着いた際、彼と合流するため部下を二人ほど賓館に残し、他の者全員を率いて宮廷へと急いだ。
混乱に乗じて何とか宮廷内に潜りこみ、秋冷たちは白琳たちがいる内廷へと駆ける。しかし――
「くそ、こんなところまで入り込んできているのか!」
「止まれ! さもなくばお前たちの身の安全は保障しない!」
複数の警備兵や翡翠の麾下である護衛兵たちが、秋冷一行を暴徒化した民と勘違いして剣を向けた。
「秋冷様。どういたしますか」
「やむを得ません。抗戦しましょう。ですが、傷一つつけないように」
『はっ』
傷害ではなく気絶させることを念頭に置いて、秋冷たちは峰打ちや鳩尾に一撃をくらわせるなどして兵たちを戦闘不能にさせていく。だが、戦っている間に次から次へと新たな兵たちが応援に駆けつけてきた。そのうえよく訓練された兵たちばかりで、流石の秋冷たちでも彼らを一掃するのは至難の業だった。
「翡翠殿がついているので、無事だとは思いたいですが……」
それでも、一刻も早く内廷に向かわねばと、秋冷は剣速を速めた。




