第52話 出発
翌朝——食時の終(午前九時)。遂に白琳たちが金桂を発つ時がきた。
銀桂一行の出立に伴って、金桂陣が禁門前まで見送りに来てくれた。
「白琳様。短い間でしたが、少しでもお話ができて光栄でした。どうか帰路もお気をつけて」
「ありがとうございます。仁鵲様」
「よしてくださいよ。国は違えども、俺は所詮一官吏に過ぎません。女王陛下ともあろう御方に様付けされるなんて、畏れ多すぎて卒倒してしまいます」
冗談交じりに言う仁鵲に白琳がくすりと笑みを零していると、不意に彼が「白琳様、失礼します」と耳元に口を寄せた。
「理玄から聞きました。一昨日、お二人で話をされた時に自分の過去を全て話したと」
「え?」
仁鵲の隣にいた理玄に視線を向けると、彼は微笑を返した。
すっかり態度が柔らかくなった理玄の端麗な笑みに心臓が軽く跳ね上がるも、白琳は何とか平静を装って仁鵲の言葉に耳を傾けた。
「あいつが自分の過去や気持ちを俺たち三公以外の人間に打ち明けることなんて無かったんです。だから正直、包み隠さず全てを話したと聞いた時は驚きました。きっと、会談の時に白琳様が正面から御自身の気持ちをぶつけてくださったから、理玄は貴女を信じ、歩み寄ろうと決意したんだと思います」
「そう、でしょうか……」
「ええ。子供の頃からずっとあいつの傍にいる俺が言うんだから、間違いありません」
仁鵲の口が離れ、白琳は彼の人好きな笑顔を見る。
「丞相として、今は貴女の御意向全てに沿うことは出来ませんが、俺個人としてはいずれ白琳様のお気持ちが実を結んでくれたらなと思っています」
「仁鵲様……!」
「次お会いした時には、今度は俺と二人でゆっくりお話しましょう」
「はい、是非!」
「……何だか、どこからともなく鋭い視線を感じるなぁ」
二人の青年をそれぞれ見やると、彼らは素気無く仁鵲から顔を背けた。
「あたしも、もっと白琳ちゃんと話してみたかったな。女同士だったら何も文句は言えないでしょ? お二人さん」
紅鶴が背後から白琳の両肩に手を添え、当の本人たちに向けて皓歯を覗かせる。
「べ、別に私は何も言ってないだろう」
「まあ、紅鶴様であれば……」
双方共に気恥ずかしそうな面持ちで答えると、白琳と紅鶴は顔を見合わせて笑った。
「ほら、義隼も挨拶しなよ」
紅鶴がそう投げかけると、義隼は相変わらず強張った表情で別れの挨拶を告げる。
「……無事、帰還なされることをお祈り申し上げております」
「え、何。それだけ? もっと他に言うことあるでしょ」
「う、うるさい!」
年端のゆかぬ子供同然のやり取りを繰り広げる両者に、白琳は相好を崩した。
「ありがとうございます。義隼様」
白琳が丁寧に首を垂れたので、義隼も慌てて頭を下げる。
「理玄様」
顔を上げてこちらを向いた白琳に、理玄は口角をあげて言った。
「仁鵲も言っていた通り、私も貴女と会って話をすることができて良かった。此度の二国会談はとても有意義なものになったと思う。改めて感謝申し上げる」
「いえ、こちらこそ感謝の気持ちでいっぱいです。滞在中も身に余るもてなしをしてくださって……。本当に、ありがとうございました」
再度深々とお辞儀をした白琳に、理玄は笑みを深めて頷く。
「それでは、これにて失礼致します」
「ああ」
——いつかまた、理玄様にお会いできれば……。
白琳はこちらを見つめる紫瞳を名残惜しく見つめ返し、踵を返す。
——今度は自分が出向いて彼女に目通り願いたいものだ。
理玄は己を惹きつけて離さない碧瞳を最後までその目に焼き付けた。
「翡翠殿」
白琳の後を追おうとしていた翡翠は突如理玄に呼び止められ、振り返る。
「機会があれば、また相手をしてもらえるだろうか」
翡翠は目を丸くした後、不敵に笑んだ。
「次は負けません」
そう宣言して背を向けた翡翠に、理玄は口元を緩めたままそっと瞑目した。
白琳が玉輦に乗り、翡翠と梟俊たち三公が馬の背に跨る。
「では、出発する」
梟俊の号令に伴い、銀桂一行は背を向けてゆっくりと遠ざかっていく。
「秋冷」
「はい」
主に呼ばれ、かの者は一歩前に進み出る。
朽葉色の髪と垂れ目、それからにこにこと屈託なく笑う様が特徴的な男性。歳は紅鶴より少し上くらいで一見優男な風体をしているが、その見目にそぐわず、彼は手練れの武官である。それも、王の護衛という誉れある官職――光禄勲を務めている。とはいえ、理玄の護衛は彼の幼少期の頃だけで、数年前からは他でもない主の命令で護衛兵《部下たち》の育成に徹しているが。
「準備はできているか」
「はい。いつでも発てます」
「分かった。後のことは頼んだぞ」
「お任せください」
旅装束に身を包んだ秋冷は、同じ身なりをした部下たち数人を引き連れて、銀桂一行に気づかれないよう尾行した。
「あんたの心配が杞憂に終わるといいんだけどね」
「……ああ」
紅鶴の言葉に、理玄は険しい面差しで首肯した。
足音の主が銀桂の者である可能性が高い以上、白琳に何らかの危険が迫っているかもしれない。翡翠がいるとはいえ、もし彼にも万が一のことが起きてしまえば、取り返しがつかない。ならばせめて最小限の援護だけでも、と理玄は偵察もかねて秋冷たちを秘かに銀桂に差し向けることにしたのだ。
「金鳶だけが帰ってこないことを祈るよ」
秋冷の部下の一人が持つ鳥籠のなかで羽を休めている一羽の金鳥。
鳳凰の一羽から生まれた特別な鳶は、加護によりどれだけ羽ばたいても疲れず、かつ凄まじい速度で空を駆けることができる。それゆえ、秋冷が銀桂に何か異変があったと判断した場合、すぐに金鳶を理玄の元へ向かわせる手筈になっていた。理玄はその知らせを受けて、鳳凰の背に乗り銀桂に急行するというわけだ。
――本当は俺が直接行って、何かあった時に彼女たちを守ってやりたいが……。
流石に王が何日も国を空けておくわけにはいかない。それに、まだ火急の問題が起こったわけではない。あくまで理玄自身の懸念の範疇を出なかった。
後ろ髪を引かれる思いを抱えつつも、理玄は臣下たちを引き連れて秋陽宮へと戻った。




