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第50話 懊悩

 何を言っているんだお前は。そう言外に語る理玄の愕然とした面持ちに、仁鵲は肩を竦める。


「だから、お前は白琳様に恋をしてるんじゃないのかって」

「恋、なわけ……」


 否定しかけた時、先ほどの鳳凰の一言が過った。


『自分の心に嘘を吐いてはならぬぞ』


 ——ああ……。


 俺がこうして否定することをよしとしないために、鳳凰は釘を刺してきたのか。

 理玄は額に手を添える。


「理玄?」


 仁鵲が呼ぶ。だが、彼の呼びかけは全く聞こえておらず、理玄は煩悶していた。


 ——これは、恋なのか……?


 理玄は戸惑った。

 何せ自分は恋をしたことが無い。恋という感情が分からない。

 けれど、白琳という少女に対する想いはこれまで抱いてきた感情とどれも違う。


「仁鵲」

「ん?」

「恋とは何だ?」

 

 核心を突く問いかけに、仁鵲は目を丸くした後軽く噴き出した。


「何で笑う」


 その反応に、理玄は不服そうに彼をめつける。


「いや、あまりにも率直過ぎる質問だったから」

「こっちは真剣なんだぞ」

「分かってるよ。悪かった」


 親友の静かな怒りを抑えて、仁鵲は「うーん、そうだなあ」とわざとらしく顎に手を添えて自身の答えを出す。


「気づけば相手のことばかり考えていて、何よりも相手のことを大事にしたい、守りたいと思うこと。それが恋ってものなんじゃないか?」


 まあ、あくまで俺個人の見解だけど。


 仁鵲はそう補足して、酒を飲み干した。


「相手のことばかり考えていて、何よりも相手のことを大事にしたい、守りたいと思うこと……」


 理玄は一言一句正確に神妙な顔つきになって復唱する。


 ――大事にしたい、守りたいという点では合っているか。


 しかし、相手のことばかり考えているかと問われると、そうでもない。……いや、よくよく考えてみれば、散策から帰ってきてからずっと、白琳の喜ばしい顔ばかり思い浮かべているような。


「まさか、冷静沈着なお前がここまで悩むなんてな。はたから見ると大分面白いぞ。顔が」

「うるさい」


 からかいを一蹴すると、対座する親友は空になった酒杯に視線を落としながら神妙に呟く。


「まあ、気持ちっていうのは他人がこうだって決めつけるものじゃないからな。今は分からなくとも、いずれはお前自身がその気持ちにちゃんと名前をつけなきゃいけない」

「……そうだな」

「で、もしその気持ちが恋だったとした場合だ」


 仁鵲はいつになく真剣な面持ちになって言う。


「人様の感情にあれこれと文句を言うつもりは無いけど、丞相としてこれだけは言っておくぞ」

「何だ?」

「お前は金桂君——この国の王だ。しかも、相手も同じ立場にある。これがどういう意味か、お前なら分かるよな?」

「……ああ」


 いつもは揺るぎない光彩を放っている紫瞳に翳が落ちる。


 互いの立場が、その想いを抱くことをよしとしない。仮に、自分が恋だと判断して一方的に白琳に想いを告げたとしても、困惑させてしまうだけだ。彼女自身、己の身分を自重しているからこそ、想いが実を結ぶことは無い。

 複雑な心境に胸が締め付けられるなか、思いもよらぬ助言が耳に入る。


「だが、俺個人としては、ちゃんと想いを伝えた方がいいと思う」

「は……?」


 理玄は再度呆然とした。

 仁鵲は苦笑して、頬を掻きながら言う。


「いや、俺も正直分からないんだよ。お前の気持ちが恋だった場合、その想いはどうあるべきか」


 酒杯を手慰てなぐさみながら友は続けた。


「丞相の立場から言えば、少なくとも今の情勢下ではその想いを心に仕舞っておいた方がいいかもれしれない。王同士——しかも、つい最近まで矛を交えていた国の女王が相手となると、俺たち三公はともかく、官吏たちや民は納得しないだろうし」

「そうだな」

「でも、俺個人——お前の親友としてはお前の気持ちを尊重したいし、欲を言えば白琳様と上手くいって欲しいとも思ってる」


 あんなにも国と民のことを想える御方は早々いない。


 仁鵲の言葉に、理玄は強く共感した。

 何せ、かつて敵対していた国にも手を差し出し、寄り添い、一つになりたいと願っているくらいだ。彼女以上に優愛かつ慈悲深い人物は恐らくいないだろう。


「矛盾してるって話だよな。それに、その矛盾を突きつければ、お前を余計に悩ませてしまうことも百も承知だ。それでも俺は——」



 王だからという理由で、お前の本当の気持ちを押し込めて欲しくないんだよ。



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