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第49話 月華の語らい

『今宵は実に風情ある月夜だな』

「ああ」


 理玄は金苑の東屋で黄金と紅緋に輝く来訪者と共に月見に興じていた。

 白琳たちは翌朝の出立に備えて、そろそろ床についているだろう。この三日間は自身が予想していたよりも時の流れが早いように感じられた。


「もう彼女たちが金桂ここを去ってしまうのか……」


 少し残念そうな表情を浮かべる理玄に、鳳凰は目を眇める。

 佳宵かしょうの月は静かに——それでいて己を見て欲しいと言わんばかりに惜しみなく冴え冴えとした光輝を放っている。夜闇に浮かぶ黄金のそのも、月明かりを受けて幽玄たる景趣を醸し出していた。

 小川は水鏡となって満天の星空を映し出し、金花が夜風に揺蕩たゆたう様はまるで月下の舞踏だった。


銀桂あちらの場合は銀花の舞踏が見られるのだろうか。それもまた幻想的で美しいのだろうな」

『…………』


 ふと、鳳凰が自分を凝視していることに気づく。


「な、何だ」

『いや……随分変わったと思ってな』

「変わった?」

『以前のお前ならば、銀花の国を口にすることさえ憚っていた。それが今では至極穏やかな面様で、自らあちらのことを語っている』


 図星を指され、理玄はきまり悪そうに黙す。


『やはり、あの少女がお前を変えたのだな』


 鳳凰は感慨深く夜天を仰いだ。

 白琳が自分を変えた——。確かにその通りだと認めざるを得ない。


『長きにわたる戦乱も幕を閉じ、ようやく新たな歴史が始まろうとしている。良い兆しだ』

「その兆しが長く続けば良いんだがな」

『それは、お前とあの少女次第だ』


 束の間の沈黙が流れた後、理玄は例の件について切り出す。


「鳳凰。鸞の呪いについて知っているか?」

『呪い……。ああ、鸞が王族の寿命を短くしていることか』

「そうだ。白琳殿もいつ自分が死ぬか分からないと言っていた。お前の力で何とか――」

『それはできない』


 言い終える前に、鳳凰は強く断言した。


『確かに、我と鸞は同等の存在だ。あらゆる生命の生死を操作することができる。だが、鸞の力に我が介入することはできない。それは逆も然り』

「そんな……」

『どうしても薄命の呪縛を解きたいというのなら、直接鸞に嘆願する他無いだろう』

「っ……」


 そこで、静寂に包まれた月夜の金苑にこつこつと規則正しい音が響く。

 鳳凰は唇を噛む理玄を一瞥して、両翼を広げた。


『再三言うが、理玄。自分の心に嘘を吐いてはならぬぞ』

「……?」


 そう告げて、鳳凰は夜空へと昇っていった。

 それと同時に「鳳凰と話していたのか」と聞き慣れた声がかけられる。

 振り返ると、こちらに歩み寄って来る仁鵲の姿があった。


「……ああ。どうした、仁鵲」

「いや、ちょっと月見で一杯しようかと」


 仁鵲が掲げたものは金花酒きんかしゅだった。

 金桂国では貴族から平民まで幅広く親しまれている酒類で、ほのかな甘さと香りが特徴的だ。初心者や酒の弱い仁鵲でも気軽に窘める飲料で、理玄も日頃からよく口にしている。


「やっぱりここは一番見晴らしが良いな。酒をあおるにはうってつけだ」

「呷るって……お前は酒に弱いだろう。金花酒でも精々二、三杯が限界じゃないか」

「まあ、そうなんだけど」


 ころころと愉快げに笑いながら、仁鵲は榻に腰を下ろして酒杯に薄い金色の液体を注ぐ。


「ここで酔いつぶれるようなことはしてくれるなよ」

「分かってるよ。今日は一杯だけにするつもりだ」

「つもり?」

「一杯だけにする」


 両者は酒杯を鳴らし、同時に口に含む。

 一旦酒杯を置き、一息ついたところで仁鵲は口火を切った。


「で、お前は白琳様のことどう思ってるんだ?」

「……何だ、藪から棒に」


 不覚にも動揺してしまい、理玄は必至に平静を取り繕うとしたが、声は震えてしまっていた。


「お前が白琳様と二人きりで話したい、あの御方のことをもっと知りたいって言った時は本当に驚いたんだよ。しかも、凛乎様のことまで全部話したって言うし」

「…………」


 気恥ずかしさを紛らわすかのように、理玄は再度酒杯を手に取って胃に流し込む。

 仁鵲は満月の方に視線を向けて、更に言葉を紡ぐ。


「十五年前のことがあってから、お前は他人の前で弱音を吐いたり、本音を吐露したりすることが殆ど無くなった。まあ、俺たちみたいな長い付き合いのある奴は別として、少なくとも三公以外の官吏の前では泰然自若とした王の姿を見せてるだろ」

「……ああ」

「そんなお前が、白琳様に……これまで激しい憎悪と憤懣を抱いていた国の女王様に、自分の全てを打ち明けた。だから——」


 お前にとって、白琳様は既に特別な存在になってるんじゃないかと思ってね。


 仁鵲のしみじみとした呟きに、理玄は黄金の液面に映る己を見据える。


 ——特別な存在、か……。


 理玄は脳内で反芻する。

 この三日間で白琳が垣間見せた様々な姿、表情。銀桂女君としての幽婉さや、桂白琳という一人の少女としての可憐さ。そのどれもが新鮮かつ己の心を惹きつけてやまないもので、白琳は理玄にとってこれまで出会ったことのないような新しい女性だった。そして、何よりも彼女の隣にいるだけで安心する。自然と笑みが零れるほど心が落ち着くのだ。


 彼女を特別たらしめるのは、友愛か。それこそ、仁鵲たちに対して抱いているような。


 ――だが、それは少し違うような気もする。


 東屋で話をした時や、今日のように余暇を過ごしていた最中に感じたこと。

 彼女ともっと話したい。彼女の笑顔をもっと見たい。

 果ては、このまま時間が止まってしまえばどんなにいいか、とも思ってしまった。


 ひたすら黄金の鏡に映るもう一人の自分と向き合う理玄に、仁鵲は酒を一口含んで言う。


「お前が白琳様に抱いてる感情。それは懸想なんじゃないのか」

「……は?」



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