第47話 名前の無い感情
幼馴染の真っ直ぐな想いがひしひしと伝わり、白琳は面映ゆくも己の心が優しい温もりに包まれていくのを感じた。
――翡翠の気持ちは凄く嬉しい。幼い頃から、こんなわたしをずっと想っていてくれていたなんて……。
ここで翡翠の気持ちを受け入れれば、彼はきっと喜んでくれるだろう。
――でも……。
翡翠のことは好ましく思っている。それは間違いない。だが、それは異性としてではなく幼馴染としてだ。
幼い頃から一緒に過ごしてきたからこその弊害と言うべきか、白琳は翡翠を一人の男性としてではなく、もう一人の兄――即ち家族同然の存在として認識していた。翡翠も同じように考えているとこれまで思っていたからこそ、彼が自身のことをそのように想っていたことに驚いた。
唇を噛み、白琳は自身の気持ちを明かす。
「ありがとう、想いを打ち明けてくれて。でも、ごめんなさい。わたしは今までずっと、翡翠のことをもう一人の兄のように思っていて、その、異性としてあなたを好いているかと言われると……」
――やはりそうだったか。
どことなくそんな気はしていた、と翡翠は一瞬の落胆の後、得心する。だが、想いを告げたことで今後白琳の心境に何か変化があるかもしれないと思う、諦めの悪い自分もいた。
「……これからも、そのお気持ちが変わることはありませんか?」
白琳は逡巡した後、訥々《とつとつ》と答える。
「正直に言うと、分からないわ。翡翠がわたしのことをそういう風に見てくれているのだと思うと、今まで通り接することが難しいかもしれないから……。でも――」
そこで白琳は俯き、口籠る。
なぜかはわからないが、先ほどから脳裏にちらつくのだ。
黄金の髪が目を引く、精悍な面立ちをした漆黒の青年が。
彼女の心意を斟酌した翡翠は、複雑そうな表情になって呟く。
「殿下のことが気になっておられるのですね」
違う、と咄嗟に顔を上げて否定しようとしたが、あながち間違ってはいないとすぐに口を噤んだ。
昨日二人きりで話して以降、理玄が時折見せる穏やかな笑みや触れる手が強く印象に残っている。柔和な振る舞いだけでなく、凄惨な過去があったからこそ己を戒め、大切な人々のために国主としての務めを立派に果たしているところも、同じ地位に君臨する者として尊敬している。
「でも、今はこの気持ちにはっきりと名前を付けられない」
「白琳様……」
もし名付けるとしたら『憧憬』だろうか。あるいは……。
だが、浮かんだもう一つの名前はすぐに取り払われた。
――その名前は相応しくない。
そもそも、自分はその名を持つ感情をよく知らない。一度もその感情を抱いたことが無い。それゆえ、後者の名前を付けることに躊躇した。
しかし何よりも、母の仇だった男の娘である自分がそのような想いを抱く資格は無い。
そして、自身に与えられた地位がその名前を付けることを許さない。
「待たせた」
そこで、理玄が金桂饅頭と金餅を携えて帰ってきた。
「り、理玄様!」
「行列が思いの外長くてな……って、どうしてそんな驚いた顔をしているんだ」
「い、いえ……何でもありません」
僅かに頬を朱に染めて顔を背ける白琳に、理玄は小首を傾げる。一方で翡翠はそんな白琳を見て苦笑せざるを得なかった。その苦笑には、一抹の寂しさと理玄に対する羨望が含まれていた。




