第36話 激戦
白琳と金銀の三公陣が固唾を呑んで見守るなか、紅鶴が用意した木刀を各々携えて理玄と翡翠は対峙する。
以前のように他の軍兵たちはいないので、手練れの剣士同士の修練試合に対する熱狂や興奮は無い。その代わり、金桂の至尊と銀桂女君に仕える光禄勲である二人の青年が放つ気迫に、会議の時とはまた異なった静けさと緊張感が漂っていた。
「腕試しという名目ではあるけど、一応修練試合の通り勝敗を決するということでいいかな」
「ああ」「はい」
理玄と翡翠の了承を経て、修練場の中央端に立つ審判の紅鶴は頷く。
「了解。じゃあ、どちらかが寸止めあるいは降参した時点で試合は終了ということで。二人とも準備はいい?」
両者が頷いたところで、紅鶴は右腕を大きく上げ素早く振り下ろす。
「始め!」
試合開始の合図に、両者は同時に力強く地を蹴った。
その速度は互角で、瞬く間に理玄たちの間を保っていた距離が短くなっていく。
――速い!
翡翠は理玄の脚力に驚きつつも、冷静に彼の出方を見極め攻撃態勢に移る。大きく木刀を振りかざし、理玄の首元を狙った。
だが、理玄とてそう易々と相手の一撃を許せるほど甘くは無い。翡翠の一太刀を受け止め、十字になった木刀がぎりぎりとせめぎ合う。
――あの時と同じだな。
紅鶴との試合を回顧しつつ、理玄は一瞬笑みを零した後すぐさま翡翠の木刀を押し返す。翡翠の体勢が崩れたところで、そのまま瞬時に木刀を下から上へと振り薙ぐが、それもまた受け流されてしまった。その後、両者は一歩も譲らず激しい攻防を繰り広げる。
観戦する蒼鷹は顎を摩りながら感心した風に言った。
「殿下もなかなかやるな。オレの甥をここまで手こずらせるとは」
「何せあたしが手塩にかけて育てた弟子だからね……ですからね」
言い直す紅鶴に、隣に佇む蒼鷹は視線を理玄たちに向けたまま何気なく答える。
「無理に敬語を使わなくても構わん。陛下と同じように接してくれたらいい」
「そういうことなら遠慮なく。まあ、弟子といっても時折公務の息抜きに付き合ってちょっとばかし助言するくらいだけど。というか、さっき翡翠殿のこと甥って言った?」
「言ったな。翡翠はオレの妹の子供だ」
「へえ……」
紅鶴は蒼鷹を一瞥した後、翡翠を見る。
「似てないね」
「初対面の人間なら皆同じことを言う」
アイツは母親に似たんだ、と蒼鷹はうんざりした面持ちで吐き捨てた。
「しかし、まさか金桂の太尉が女だとは思いもしなかったな」
ここでようやく蒼鷹が紅鶴の方を振り向いた。紅鶴も得意げな笑みを彼に向ける。
「金桂じゃ男女問わず武官になれるんでね。実力さえあれば六将軍にだって昇りつめることもできる。現にあたしの他にもう一人女将軍がいるし」
「ほう、それは大したもんだ。ぜひ一度手合わせ願いてえもんだな」
金桂最強の女将軍であるアンタと。
紅鶴はふっと笑みを零して、試合に視線を戻す。
「蒼鷹殿は最初、金桂のことを嫌悪していたように見受けられたけど、今じゃ随分と友好的だね」
「勘違いすんじゃねえ。オレは相手が誰であろうと強いヤツと戦って打ち負かすのが好きなだけだ」
「うわ、何それ怖。ただの戦闘狂じゃん。ほんとに翡翠殿と血が繋がった親族なの?」
「だからアイツは妹に似たんだよ。顔も性格も。謹厳実直が過ぎるところなんかそのまんまだ」
両国の太尉が他愛ない話をしていたところで、理玄たちは一旦距離を取ってそれぞれの出方を窺っていた。
――正直、殿下の腕前を侮っていた……。
己の武術に自信があり、尚且つあの紅鶴が自身と張り合えるくらいだと豪語していた時点で相当な実力の持ち主だとは踏んでいたが、まさかここまでとは。
無駄のない俊敏な動きも然ることながら、一太刀一太刀がこれまで経験したことのないくらいに重い。それゆえ、翡翠は少し息があがっていた。対して理玄はあれだけ激しい剣戟を繰り広げていたというのに全く呼吸が乱れておらず、涼しい顔をしたままこちらを見据えている。
「降参するか?」
「まさか。舐めないでください」
薄っすらと不敵な笑みを浮かべる理玄に対抗するように、翡翠も無理やり口の端を吊り上げて木刀を構え直す。そして、白琳を垣間見た。
「翡翠……」
不安そうに呟かれたその音は聞こえなかったが、彼女の唇の動きから自身の名を呼んでくれたことがはっきりと分かった。
木刀を握る力を強め、翡翠は再度理玄に向かって勢いよく駆け出す。
――さっきよりも速度が上がった。
理玄も表情を引き締めて迎え撃つ。
一撃、二撃、三撃と絶え間なく鋭い猛攻をしかけてくる翡翠に、理玄は内心焦りを伴いながら攻撃を捌いていく。
――剣速も上がっているうえに、一つ一つの攻撃に切れが増している……!
今ある力を全て振り絞って早々に決着をつけようという魂胆だろう。だが、この素早くも重い連撃は通常の攻撃より威力が増す分、大幅に体力を消耗する。ゆえに、長期戦に持ち込まれれば段々と技の精度が落ち、おまけに隙も生まれやすい。
――反撃したいが、どうやらそんな暇は無さそうだ。
受け流すだけで精一杯なので、今はひとまず翡翠の体力を削ることに専念する。
関節の動きや視線、それから重心の置き方を冷静に分析していると翡翠の攻撃の型が見えてくる。ある種の癖とも言えるだろう。その癖さえ掴めば、ある程度次の攻撃が予測できるようになる。
しばらくすると、翡翠の額やこめかみからは汗が流れ、とうとう疲労と焦燥が見え始めた。予想通り、攻撃速度は落ちて剣筋も鈍くなっている。
一方理玄は翡翠の癖を完全に把握していて、少しばかり余裕ができた。
――そろそろ決着をつけるか。
流石の理玄も休む間も無くずっと防御に徹していたので、息も荒くなっている。が、瞬時に大きく息を吸って全身の筋肉に力を入れた。
「はあっ!」
翡翠の一太刀が襲う。理玄はその攻撃をかわし、すぐさま彼の背後を取った。
目にも止まらぬ速さの体捌きに、翡翠は大きく目を見開いて思わず振り返る。しかし、その時には既に理玄の木刀が肉薄しており、首元で寸止めされていた。
「勝負あり! 勝者、華理玄」




